2メートルの道(その2)

 

「夜分遅くにすみません。」

 扉を叩く音に眼を覚まし、それに続くか細い声で、アルデバランは飛び起きた。
 あわてて寝室の扉を開けると、ムウがいつもと変わらぬ上品な微笑をたたえて立っていた。

「こんばんは。こちらに泊めていただきたいのですが?」

 部屋の明かりをつけたアルデバランは、薄い絹の寝間着を着ただけのムウの姿に驚いた。しかも裸足である。
 アルデバランは大きな手で、ムウの薄紫の髪についた粉雪をそっとはらう。ムウがその手に自分の白い手を重ねると、アルデバランは目を丸くした。

「おいおい、心臓が止まるかと思ったぞ。冷たい手だな。まさか雪の中を裸足で歩いてきたなんて言わないだろうな?」

「金牛宮の入り口を、ちょっと歩いただけです。」

「こんな時間に、一体どうしたんだ?教皇様と喧嘩でもしたのか?」

「シオンさまではなく、貴鬼ですよ。」

 アルデバランは自分が着ていたガウンを脱いで、ムウの冷えきった肩にかける。ムウはアルデバランの優しい瞳を見上げて、そっと笑った。

「毛布と居間のソファを貸してください。」

「おまえをそんなところで寝かせるわけにはいかない。ベッドを使え。私が居間で寝よう。」

「宮の主を追い出してまで、ベッドで寝たいと思いませんよ。」

「しかしだな・・・・。」

「では、あなたの隣で寝かせてください。」

 ムウの申し出に、アルデバランは顔を赤らめ、そして慌てふためいた。

「し、しかし、もしそんなことが教皇様のお耳に届いたら・・・・。」

 雷が落ちるのは必至である。シオンは自分以外の男がムウに触る事を、絶対に許さない。それほどまでにムウを溺愛している事を、アルデバランは身をもって知っていた。

「いいのですよ、貴鬼が悪いんですから。貴鬼に怒られてもらいましょう。」

 ムウはそういうと、アルデバランにガウンを返して、既に体熱で温まっているベッドに入り込んだ。
 ベッドの隅で自分に背を向けて寝てしまったムウを、アルデバランはしばらく困ったように見下ろしていたが、部屋の明かりを消すと、やはりベッドに戻って、ムウの柔らかい髪を枕に眠ることにした。

 

 次の日、貴鬼は一日中、スコップを手にして叫んでいた。
 やはりシオンはムウが金牛宮に泊まったことをかぎつけ、その原因となった貴鬼は、みっちり油を絞られた挙句、罰として十二宮を繋ぐすべての階段の雪かきを命じられたのである。
 女神に誓った約束を破ったことを、ムウは許さなかったのだ。

「ちくしょーーーーーう!アルデバランのやつーーーー!おぼえてろよーーー!シオンさまもだーーー!絶対絶対大きくなってやるぞーーーー!!」

 貴鬼の叫び声は、しんしんと降り続く雪に掻き消された。

 

 

 大雪の日から2年、貴鬼は相変わらず一所懸命牛乳を飲み、体を鍛えて、毎日女神に心から祈っていた。

「女神!!どうか!どうか!オイラの背が誰よりも高くなりますように!!!」

 祈りは通じて、17歳になった貴鬼は、第一目標であるシオンよりも背が高くなり、愛する師を見下ろすことが出来るまでに成長していた。

 

「ムウさま!ムウさま!!きいて!きいて!!!」

 歓喜の声をあげながら、貴鬼はムウに抱きついた。超能力系の技を主流とするのにもかかわらず、貴鬼の体は鍛えあげられた筋肉で引き締まっており、決して小さくはないムウの体を包みこむことができる程である。
 ムウは慣れた手つきで貴鬼の両腕を押しのけ、熱い抱擁から脱出すると、弟子の頬をキュっとつねった。

「いちいち私に抱きつくのはやめなさい。」

「やだ。」

 貴鬼の即答に、ムウは力をこめて頬をつねる。貴鬼は痛みのあまり、情けない悲鳴をあげながら、頬をおさえて飛び跳ねた。

「私に逆らおうなんて、百万年早いんですよ。」

 ムウは冷たく貴鬼に言い捨てる。しかし、それで懲りる貴鬼ではないことを、師であるムウが一番よく知っていた。

「ムウさま、きいてきいて!」

今度は手を握り締め、貴鬼はムウを満面の笑みで見下ろす。

「一体何です?」

「あのね、俺ね、身長がね、2メートルになったんだよ!!。シオンさまよりでっかいんだ!。」

「・・・・・。」

 ムウは自分より大きくなってしまった弟子を見上げて無言になった。

「ムウさま大きい人が好きでしょう。だからね、俺、毎日『背が伸びますように!』って、女神にお祈りしてるんだよ!。そのうち絶対アルデバランを追い抜いくから、待っててね!!!」

 握ったムウの手を自分の頬でさすりながら、貴鬼は瞳を爛々と輝かせる。
 ムウは肩をがっくりと落として、深いため息をついた。

「どうしたの、ムウさま?」

「貴鬼・・・私は小さい男の子が好きなんですが・・・・。」

「え?」

 自分を見つめるムウの悲しげな瞳に、貴鬼は硬直してムウの手をはなした。

「おまえも昔は小さくてあんなに可愛かったのに・・・・どうして、シオンさまみたいになってしまったんでしょうね・・・・・。」

 ゆっくりと首を横に振りながら、ムウはもう一度、深く切ないため息をつく。
 貴鬼はムウの好みの男性を10年近く誤解していたことに、ようやく気づいたが、既に取り返しのつかない大きさにまで成長していた。

 

 

 大泣きしながら突然城戸邸に現れた貴鬼に、流石の沙織も仰天した。

「女神!!どうか!どうか!どうか!オイラを小さくしてください!!」

 貴鬼は沙織に跪いて何度も頭を下げたが、いくら女神でも、貴鬼の願いをかなえることは出来なかった。


End