白羊家の食卓9(中華の鉄人 その2)

 

風呂から出てきたシオンが見たのは、テーブルの上を埋め尽くすチャーハンの山だった。大人が10人は座ることの出来る、巨大なダイニングテーブルの上に、チャーハンののった大きな中華皿が敷き詰められているのである。
シオンは青筋を立てながらも、いつもどおり、ムウが引いた椅子に座ると勝手に食前の祈りを始める。

「あー、お前の祈りは長くてたまらん、さっさと食うぞ。飯がさめる。」

主賓席の隣、つまりシオンの斜め前に座った童虎は、シオンの祈りを勝手に中断し、チャーハンを小皿にとりわけはじめた。範囲候たちも、童虎に続いて、チャーハンを大皿ごと奪い取る。

ムウが何も言わず注いだワインを一口飲んで、シオンは銀色の瞳をムウにむけた。

「ムウや、余の食事はまだか?」

師の言葉に、ムウは向かいに座った童虎に上目遣いで助けを求めた。いつもならば、シオンにだけ、シオンの嗜好にあった料理を用意するムウであるが、童虎がそれを認めなかったのである。

「シオンよ、皆と同じものを食え。嫌なら教皇の間に帰れ、何度言わせればわかる?」

「ここは余の宮じゃ。貴様に指図される筋合いはない。」

「たわけ、ここはムウの宮じゃ。ムウが作ったものが気に入らぬのらば、食うな。」

「部外者の貴様に指図される覚えはない!」

「わしはのぅ、死んだシオンにムウの事を頼まれておるのじゃ。いわばムウの後見人じゃ。部外者ではないわ!自分の言ったことも忘れたか、このボケ老人!」

「ボケにボケと言われる筋はない、表に出ろ!」

「出たければ、一人で出て行け、今は食事中じゃ!!」

シオンは大理石のテーブルに平手を叩きつけて立ち上がったものの、童虎は涼しい顔で食事を続けている。シオンの必殺技”うろたえるな小僧”が炸裂すると察した居候たちは、コスモを燃やしてテーブルの足を掴んだ。
端正な唇を歪め震わせ、シオンが伸ばした手の先は、テーブルではなく薄紫の髪であった。ムウの頭を鷲掴みにすると、力に任せてムウを椅子から引きずり落とし、そのまま大またでリビングから立ち去ろうとしたのである。

アイオロスとアルデバランが立ち上がるよりも早く、童虎が投げたレンゲがシオンの豊かな銀髪を掠めた。

「どこへゆく。教皇の間に帰るなら一人で帰れ。ムウはここの宮の守護者であるぞ。」

童虎とにらみ合うシオンの手に力がこもり、ムウが耐え切れず短く苦痛の声を漏らす。シオンの長い爪が頭皮に食い込み、ムウの白い顔に朱色の液体が流れ落ちている。ムウの超能力をもってすれば、シオンの手から一瞬ではあるが、逃れることも出来るはずだが、それをしないのは誰もが知っていた。

「ほうほう、お前の可愛い弟子が血を流しておるぞ。可哀想にのぅ。」

童虎の言葉に掴んだ手を引き上げると、シオンのいまだ怒りの炎が収まらぬ銀色の瞳に、無抵抗のまま硬く目を閉じている愛弟子の顔が映る。
シオンは長い銀色の睫を伏せると、手をはなし、床に崩れ落ちたムウの頭に今度は優しく手を置いた。

「ふむ・・・、かわゆいお前にハゲをつくってしまうところじゃった。」

シオンのヒーリングを頭皮に受けたムウは恐る恐る顔を上げる。シオンが自分に目もくれず、食卓に戻ったことを確認すると、ムウは顔についた血を手でぬぐい、深く息をついたのだった。

 

シャワーで自分の血を洗い流したムウがリビングに戻ると、既にシオンは食卓にはおらず、ワイン片手に不機嫌全開でソファーに座ってテレビを見ていた。
食事に手をつけた様子はまったくない。
ムウが小さく肩をすくめると、アルデバランとアイオロスは苦笑いを浮かべた。シオンの頑固ぶりにあらためて呆れたのである。

「ムウや、寝るぞ。余の供をせい。」

シオンが立ち上がると、ムウは体を硬直させた。
機嫌が悪ければ悪いほど、シオンは乱暴になる。また強姦まがいな性交を強いられるのだろう。四肢を引き裂かれるような、激しい痛みに一晩中さいなまされなければいけないかと思うと、ムウはついシオンの瞳から目をそらし、救い主の方を見てしまった。
それがさらにシオンの怒りを掻き立てる。

「ムウ、同じ事を二度言わせるでない。」

「それはわしのセリフじゃ、シオンよ。寝たければ、一人で寝ろと何度言ったらわかる。」

「そ、そうだよシオンさま、ムウさまはオイラと一緒に寝るんだよ。」

シオンと童虎の緊迫した小宇宙のなか、貴鬼がおずおずと声をあげた。しかし、それは薮蛇であった。童虎が眉をしかめ貴鬼に振り向いたのである。

「こりゃ、貴鬼よ。お前はいくつじゃ。」

「8歳です、老師。」

「8つにもなって師と寝ておるなど、恥だと思え。お前も一人で寝るのじゃ。」

「えーーー、だって、ウチはベッド二つしかないもん。」

「そうかそうか、アイオロスよ。白羊宮にのぅ貴鬼の部屋を作れ。」

「えーーーー、おいらムウさまと一緒がいいよ!」

「それではシオンと同レベルじゃのぅ。」

260歳を超える童虎に貴鬼が口で勝てるはずもなく、貴鬼は顔をゆがめてアイオロスを見上げる。一所懸命目で『余計なことをするな』と訴えているのだが、アイオロスは貴鬼を無視して童虎に『一両日中に』と返事をした。

「よいか、お前達はそれぞれ別の部屋で寝ろ。これで平等じゃ、不服はあるまい。」

童虎の大岡捌きにムウが肯こうとするよりも早く、シオンが再び声を荒げる。

「いちいちお前に指図される筋合いはない、ムウは余の弟子じゃ。余の物なのじゃ!さっさと天秤宮に帰れ!」

「五月蝿いのぅ。だったら、ムウや天秤宮に帰るぞ。」

「は?何をゆうておる。ムウは余の弟子じゃ。お前の弟子はドラゴンであろう。」

「ムウはのぅ、わしの料理の弟子じゃ。湯もわかせなかったムウに料理を教えてやったのはこのわしじゃ!お前の理論でいくなら、ムウはわしのものじゃ。ムウを天秤宮に連れて帰って何が悪い!」

痛いところを突かれてシオンは唇を噛締め銀色の髪を逆立てる。
十三年前、ムウには短い時間でできる限りの事を教えたが、それは聖衣の修復方法や、聖闘士としての心構えや技、勉学であり、料理や風呂の沸かし方など教えたことは一度もないし、シオン自身もよく知らない。実際のところ、幼い子供が一人で生きていくにさしあたり、必要な知識は数学でも天文学でもなく、衣食住の技術と知識であった。それをムウに授けたのは他ならぬ童虎である。聖域から逃げ出してきた時、教皇の間育ちのおぼっちゃまであったムウは、鍋で湯を沸かしたことすらなかったのだ。

「ああいえば、こういいおって、この猿め!ムウは余の弟子じゃ、お前などには絶対にぜ--ったいに渡さぬ!」

「五月蝿いのぅ、そんな大声をあげずとも聞こえとるわ。」

「やはり冥界編の時にサクっと殺しておけばよかったのぅ。表に出ろ、死にぞこない。今日こそあの世に送ってやる!」

「お前にやられるほど落ちぶれてはおらぬ、その喧嘩買ってやるぞ、ありがたく思え!」

童虎が椅子をひっくり返して立ちあがると、二人の長老はその場から姿を消した。そして、すぐさま白羊宮の外で巨大な黄金の小宇宙が爆発する。取り残された若き黄金聖闘士とそのおまけは、呆然と長老達を見送った。


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