ホテル白羊宮へようこそ

師はNDへ行ったし、弟子はΩで独立したし、晴れて一人身になったムウは人目もはばからずアルデバランと手を繋ぎ新築された聖域で買い物を楽しんでいた。LoS仕様の新聖域は近代的で、何でも物が揃うのだ。
「この眼鏡、どうですか?」
ムウは眼鏡をかけてアルデランに微笑んだ。何故だか知らないが女神から眼鏡キャラへの変更を要請されたムウは、眼鏡店で新しい眼鏡を探していた。支給された眼鏡はかけたまま寝てしまい壊してしまった。
「似合っているぞ。そうだな……先生という雰囲気だな」
アルデバランに褒められ、ムウは眼鏡の購入を決める。壊した眼鏡を修理している従業員の手元をじっと観察し、これなら自分で修復できそうだとムウは感じた。
「ムウ、レンズはどうするんだ?店の人が検眼するかって聞いているぞ」
ムウは尋ねたアルデバランに顔を向け首をかしげた。
「けんがん?」
「目が悪いのだろう?」
「いえ、10Km先くらいまでよく見えますが。実のところ、何で眼鏡をかけなければいけないのか、よくわからないのです」
伊達眼鏡である事を知ったアルデバランは店員にその旨を告げ支払いを済ます。
修理の終わった眼鏡を受け取り、新しい眼鏡を装着してムウは再びアルデバランと手を繋いで店を立ち去った。
市場で夕飯の材料を買い十二宮に戻ったムウは、豪華ホテルのような白羊宮を素通りしようとした。
新聖域に来て以来、白羊宮の私室は一度も使用していない。師も弟子もいないので、煩悩の赴くがままに金牛宮で夫婦水入らずな甘い生活を楽しんでいた。金牛宮の中がどのようになっているかは熟知しているが、白羊宮には微塵も興味がなかった。
私室をどのようにしてほしいかアンケート用紙をわたされたが、どうでもいいので未提出である。
「何をしているムウよ、土下座して礼を尽くさぬか」
お約束の台詞にムウは顔を歪め、そして突然白羊宮の中から現れた師の姿を見て唖然とした。
あの妖気を漂わせていたシオンの長い髪が、短い金髪になっていたのだ。
ムウとアルデバランは怒りを露わに仁王立ちしているシオンに土下座する。
「し、シオン様……その髪形は……」
「NDに合わせて短くしたのだ。それよりもムウ、お前は白羊宮を守護していたのではなかったのか?」
突然の師の来訪にムウは動揺しすぎて、上手く嘘をつく事が出来ず目を泳がせる。
シオンの後ろに私室への入口があるのも今知ったような状況だ。
これはもう無理だ。
ムウは決心して顔をあげた。
「はい、アルデバランと金牛宮で同棲していました。それはそれはもう毎日ラブラブで楽しく天国のようでした。そういえば私、先の聖戦で師に逆らった罪を償っておりませんでしたので、今からサクっと死んでお詫びします。では、ごきげんよう、さようなら」
早口でそうまくしたてると、ムウは突然走り出す。
光速で走り去ったムウが十二宮の回廊から身投げしたのを見てアルデバランとシオンは絶句した。
黄金聖闘士で、まして強大な念動力を使うムウが空中回廊でつながれた十二宮から飛び降りたところで死ぬとは思えないが、嫌がらせに死ぬくらいはしかねない弟子である事をシオンは承知しており、顔を青くする。
夕飯の食材が入ったレジ袋をほっぽり出し、アルデバランはあわてて白羊宮の外へと急ぐ。ムウが飛び降りたところから下を恐る恐る覗きこむと、金色の眩しい聖衣が目に入りアルデバランは安堵の息をついた。
射手座の聖衣を纏ったアイオロスがムウの腕を掴み空を飛んでいたのだ。
死んだふりしてジャミールに逃亡しようとしていたムウはあっけなくアイオロスにそれを阻止され、項垂れた。
「どうした、ムウ。新しい十二宮は気をつけないと怪我するぞ」
「余計なこと……しないで下さい」
新しい聖衣の飛行機能で遊んでいたら、たまたま白羊宮の回廊から落ちるムウを見つけ、光速キャッチに成功したというのに、礼を言われるどころか非難されてアイオロスは首をかしげる。
「ムウ様ーー!大丈夫ですかーー!」
しかも後ろの方から弟子の声まで聞こえて、ムウは力なく回廊へと座り込んだ。
「ジャミールに帰りたい……」
楽しい楽しい金牛宮生活があっさりと幕を閉じ、ムウはため息とともにそう呟いた。

アイオロスと弟子に支えられて白羊宮に戻り、ムウは初めて宮の私的なスペースへ足を踏み入れた。
中もホテルのように豪華で落ち着きのある作りになっており、ロビーのようなリビングルームではソファーに座った童虎の膝にシオンが顔を伏せていた。
まさか童虎までいるとは思わず、黄金聖闘士たちはあわてて跪き頭を下げる。それを見ていた羅喜も、この人は偉い人なんだと瞬時に察して、膝をついた。
「ムウよ、久しいのぅ。シオンが弟子に死ぬほど嫌われたと泣いておる。この童虎に免じて許してやってはくれぬか」
まるで自分が悪いように言われ、ムウは小賢しい師に腹を立てたが顔には出さず、そいつが悪いと目で訴える。
「ほれ、シオンよ。いつまで嘘泣きしておる。弟子に嫌われるようなおぬしが悪いのじゃ」
理解のある童虎にムウは少し安堵し、それでもため息が止まらず小さく息をつく。
ムウとシオンの確執が理解できない羅喜は、貴鬼に率直に尋ねて師を慌てさせた。
「ムウ様はシオン様が嫌いなの?」
「弟子に死ねと言う師匠が好きな弟子なんていませんよ」
弟子に代わってムウは孫弟子にそう答え、お前が嫌いだと師につきつける。
生意気な弟子を粛清しようと顔をあげると、ひ孫弟子が軽蔑のまなざしで自分を見上げている事に気がついて、シオンは柄にもなくうろたえた。
「シオン様、大変申し訳ございませんが羅喜の前で暴力行為はお慎み下さい。児童虐待に当たりますので」
すかさずこれはチャンスと貴鬼はシオンにそう言い、念動力で児童虐待防止のパンフレットを取り出し、差し出す。
「なんじゃ、これは?」
「シオン様の時代とは違うのです。それをきちんとよぉぉぉぉぉぉぉくお読みください。あ、みなさんもです」
貴鬼は先程コンビニでコピーしたばかりの虐待防止パンフレットをムウや童虎、アルデバラン、アイオロスにも配布する。
大人たちはぺらぺらと紙を捲り、あまりにも厳しい内容に驚いた。子供の前で夫婦喧嘩をすることも虐待だというのだ。
「貴鬼よ、何故に羅喜がここにおるのじゃ」
羅喜さえいなければこんな面倒な紙など見なくても済むので、シオンは早速追い出しにかかる。しかし、貴鬼はわざとらしく呆れてみせた。
「ですから、きちんとそれをお読みください。子供を一人で留守番させたり、放置したり、学校へ通わせないのは虐待に当たるのです。私は女神付きの仕事をしなければいけません。ムウ様に羅喜の保護者をしてもらうためにここへ来たのです。文句があるのでしたら、私をタクシー代わりに利用している女神におっしゃってください」
孫は来てよし帰ってなおよしだとムウは口にしかかったが、羅喜がキラキラと瞳を輝かして自分を見ているので言葉を飲み込む。
女神に文句を言えるはずもなく、シオンは何も言い返す事が出来なかった。
「シオン様こそ、どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
今度は貴鬼がシオンを追い出しにかかり、ムウは怖いもの知らずの弟子に心の中で声援を送る。
「余はのぅ、女神に新教皇を助けてやってくれと頼まれてここに来たのじゃ。突然こんな巨大な聖域を治めよと言われて、仔牛が泣いておる」
しかしシオンも女神の名を出し、貴鬼は役立たずの新教皇ハービンジャーに怒りを覚える。この巨大すぎる聖域はチンピラ上がりの新人教皇が何とかできるレベルではない。
「でしたら、どうぞ教皇の間へ。シオン様はどぉぉぉ考えても羅喜を虐待します。ハービンジャーならいくらい虐めても構いませんから、お好きなように」
弟子を守るため必死の貴鬼にアルデバランは、あの小さかった子がこんなに立派になってと感動する。
「シオン様、ハビちゃん虐めるの?」
羅喜の冷たい視線にシオンは無理やり笑みを作って首を横に振った。
「余は、羅喜もハービンジャーもいじめたりはせぬぞ」
「ムウもじゃぞ」
童虎はシオンの肩を叩きそう付け加える。シオンが苦虫を潰したような顔をして頷いたので、童虎は意地悪く笑い返した。
「しかしのぅ、悪い事をした子は叱らねばならぬ。ムウや、白羊宮を留守にしてはならんぞ」
「はい、申し訳ございませんでした」
それに関しては全面的に自分たちが悪いので、ムウとアルデバランは両手をついてシオンに謝罪する。
「別に誰か来るわけじゃないんですから、いいじゃないですか」
「そういう問題ではない、お前もさっさと人馬宮に帰らぬか」
二人を擁護したアイオロスにシオンは不機嫌な顔をしてシッシと手を振った。あまり関わっていると薮蛇になりそうなので、アイオロスは立ち上がる。新型聖衣に思わず釘付けになってしまったのは修復師の習性で、シオンは興味深げに射手座の聖衣を眺める。
「アイオロス、聖衣はここにおいてゆけ」
「自分で帰れといったくせに何を言っているのです。それこそ聖衣が人馬宮になければダメでしょう」
「13年間日本にあっても問題なかったのじゃ、一晩くらい問題あるまい」
「だったらムウが白羊宮にいなくたって問題ないじゃないですか」
好奇心から墓穴を掘ってしまい、童虎と羅喜に笑われシオンはムっとする。
アイオロスは白羊宮の広いリビングから立ち去ろうとすると、巨大な影に塞がれ、お互い身を左右に動かしよけようとしたが、射手座の巨大な羽が邪魔してそれはかなわなかった。
「シオン様、帰れません」
アイオロスは首だけ向けてそういうと、扉をふさいだ男が笑う。
「おう、一緒に飯食おうぜ」
新教皇のハービンジャーはアイオロスにそう声をかけ、白羊宮にとどめた。
ちょうどいいところにやってきたハービンジャーに、貴鬼はシオンの引取りを頼む。
「ハービンジャー、シオン様がいないと仕事にならないだろう。お連れしてくれ」
「元教皇殿は弟子と一緒に生活したいんだとよ。羅喜だって人がいっぱいいたほうがいいだろう」
ハービンジャーはそういうと持参した分厚い冊子をシオンが座ったソファーの前のコーヒーテーブルに投げる。その本の表紙には児童虐待防止マニュアルと書かれていた。
「それ、女神から。くれぐれも羅喜を虐待しないようにって」
誰にも信用されていない事にシオンは腹を立て、テーブルをひっくり返そうとしたが、貴鬼が透かさずパンフレットを指差し訴える。
「私、シオン様と、ムウ様と、貴鬼様と、仲良く暮らしたいな」
空気を読んで羅喜がそういうと、ハービンジャーは腰をかがめて羅喜を抱き上げた。
「オレは仲間にいれてくれないのか?」
「ハビちゃんは教皇だから、教皇の間でアテナをお守りしなければダメなのだ」
「ちぇー、教皇なんてなるもんじゃねぇなぁ。あ、そうそう長時間正座させるのも虐待だって指導員が言ってたな」
ハービンジャーは羅喜をソファーの上におろし、コーヒーテーブルの上に置かれたタブレットをとるように頼む。
「夕飯何食べる?」
ハービンジャーは食事のメニューを呼び出しシオンに差し出した。外はまだ明るいが、時間はすっかり夕方の6時を回っていた。

 

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