あなたを見守りたい

本日、白羊宮に派遣された清掃職員には新人が一人増えていた。先輩職員のあとにぴったりとつき、しっかりメモをとっているので責任者は感心する。
「いいか、まずは大浴場で洗濯物の回収だ。ここにシオン様のものがなければ、自室の風呂を使用されている。どちらの風呂をご利用になるかは今のところわからん。おそらく気まぐれだろう」
職員はそう説明すると脱衣籠からバスタオルやアイオロスの服を取り出し、カートの中に投げ入れた。作業帽とマスクで顔を隠した清掃職員はサガで、メモをとっているのはパラドクスだ。ストーカーの極意をサガから学んでいるのである。
「サガ様、これは元教皇様の服ではないのですか?」
「それはアイオロスのだ。全くあいつはけしからん。白羊宮を何だと思っているのだ。自宮に帰れ」
アイオロスは白羊宮に着替えをおきっぱなしにしてあり、早朝稽古から帰ってくるとこの公衆浴場で汗をながす。シオンが一緒に入ることもあり、サガはそれを思い出し嫉妬の小宇宙を燃やした。
「公衆浴場の中は専門の人がやるから、掃除するのは脱衣所だけだ。ムウが早朝に掃除しているはずだから、そうは汚れていないが、いつシオン様がご利用されてもいいように、心をこめて清掃しないとな」
「なるほど、同居人の行動の把握も重要なのですね」
ものわかりのいいパラドクスに感心し、サガは手早く床をモップで拭き掃除し、洗面台を雑巾で磨く。
「次は寝室だ。2階は103が老師で、106は老師の弟子が使用している。3階は201がシオン様で202がムウ、203が貴鬼の弟子で、204が貴鬼だ。貴鬼は3階の掃除を始めると目を覚ますから要注意だ。シオン様の部屋以外は適当でいい。まずはシオン様の部屋から行くぞ」
サガはパラドクスに白羊宮の室内利用状況を説明すると、公衆浴場から出て清掃道具や洗濯物が入ったカートをエレベーターに乗せ3階にあがる。
シオンの私室の扉を開くと、家具が全て入れ替わっていることにサガはすぐ気付き、「やはりな」と呟いた。昨晩シオンが遅くまで小宇宙を燃やして何かをしていたのはもちろん知っている。ロココ調の家具はよく見慣れたシオンの愛用品だ。
豪華な家具だが古びた感じが否めなく、パラドクスは小さく首をかしげた。
「これ、アンティークかしら?」
「すべて18世紀に作られた家具だ。シオン様は物を大切にされるからな」
サガはそう答えると、ムウが綺麗に直したベッドカバーとアッパーシーツをはがし、マスクをずらしてシーツの匂いを嗅ぐ。シーツにうっとり頬ずりしているサガをみて、パラドクスはうらやましくて仕方がなかった。彼女の愛しい人ははるか遠い中国の山の中だ。
今日は入れ替わった家具の中身の確認もあるので、シオンの残り香を楽しんでいる場合ではなく、サガは急いでシーツと枕カバーを交換する。そしてチェストやワードローブをすべてあけ、中身を目視した。チェストの中には見覚えのない指輪のケースが入っており、サガは眉を吊り上げ蓋をあける。
「どうしたんですか、サガ様」
「シオン様の私物が増えている。これはいつお買い求めになったのだ……。シオン様が選んだにしてはセンスがないが……今日は時間がないから、続きはあとだ」
私物まで把握しているサガにパラドクスは感嘆の声をあげたが、サガに静寂を促され口を閉じる。二つ隣の部屋では貴鬼が寝ているのだ。
「カーテンが家具にあっていないから、これは注文しておかないといけないな。シオン様がもう注文されているかもしれんが、清掃責任者にあとで話しておこう。そうだ、紫龍は髪が長いからベッドや枕から抜けた髪を回収できるかもしれんぞ。全く……シオンさまは何で美しい髪を切られてしまったのか……」
サガは小声でそういうとブツブツと文句を呟きながら家具を拭き掃除する。パラドクスはメモに「部屋のコーディネートチェックも重要」と書きこんだ。
風呂場に行くとシオンのトレーニングウェアーが脱ぎ捨ててあり、サガはそれを手に取ると汚れ具合を細かくチェックし、そして上着に顔をうずめてニヤリと笑った。
「お召し物のチェックはとても重要だ。破けていたり、血がついていないかよぉぉぉく確認しないといかん。アイオロスは乱暴だからな。まったく、シオン様に拳を向けるなど、アイオロスの分際で百万年早いのだ」
「サガ様、それはお持ち帰りになるのですか?」
「いや、私物の持ち帰りは危険だ。私が部屋に侵入していると気付かれる。持って帰っていいものは、交換してもきがつかれないものにしろ。シオン様の場合、歯ブラシだ。同じものに入れ替えておけば、わからん。あとゴミの内容確認は重要だ。ゴミからは生活の全てがわかるからな。白羊宮は人が多いからなかなか生ゴミは難しいが、食べ残しから好き嫌いもわかるし、廃棄した野菜の皮などから食事のバランスもわかる」
流石プロのストーカーは違うとパラドクスは感心し、教えてもらったことを細かくメモにとる。風呂場に這い蹲りタイルを磨いているサガはとても幸せそうで、双児宮で眉間に皺を何本も刻んでいる時とはまるで別人である。
寝室の床に掃除機をかけはじめると外から扉を開く音がして、サガはマスクで顔を隠した。貴鬼が起きてきたのだ。
「貴鬼に見つかりそうになったことはあるんですか?」
「あいつはバカだから問題ない。気をつけなければいけないのはやはり老師だな。大抵この時間は、老師もムウも厨房にいるか外に買い物にいっているから大丈夫だ。同居人全員の行動把握は基本だぞ」
サガはパラドクスに耳打ちするように説明した。するとサガの言うとおり下から職員が貴鬼に挨拶する声が聞こえて、貴鬼が自分たちに気づかず降りたことを確認し、パラドクスは思わず笑ってしまう。
シオンの大切な家具に傷をつけないよう慎重に掃除機をかけおえると、サガはムウの部屋へと移動した。廊下にはもう一台カートが置いてあり、女性の清掃職員が羅喜の部屋を掃除している。
ムウの部屋はベッド以外に使った気配がほとんどなく、洗面台や風呂場も綺麗に掃除がしてあった。使用したバスタオルも几帳面に畳まれてある。
新しいタオル類を運んできた職員に声をかけられ、パラドクスは思わず体をビクリと震わせてしまった。
「どうだい、仕事は覚えられそうかい?」
「は、はい〜〜大丈夫でぇす」
「これ、よろしくね」
パラドクスは「はやくどっかいけ!」と心の中で念じながら、職員からバスタオルやハンドタオルをうけとる。
サガは一応パラドクスにタオルのおき方のマニュアルがあることを教え、カートのサイドポケットからそれを取り出し適当に置いておけと指示を出した。

他の清掃職員たちと作業用の飛行艇で教皇の間に戻ったサガとパラドクスは、清掃用カートを教皇の間のものと交換し清掃作業に出かけた。
「サガ様、教皇の間の掃除もするんですか?」
「この格好が一番怪しまれないからな。掃除は適当にしているふりをしていればいい。今日はシオン様が使っていた家具を探さねばならん」
サガはパラドクスの質問に答え、シオンが昨晩家具を入れ替えた事を話すと、思いがけず後輩から有力情報を手に入れニヤリと笑った。教皇の間にシオンの部屋が出来るというのだ。
「インテグラからの情報なので間違いないです。残業が増えるだろうから用意するって言ってました」
新教皇のハービンジャーは今のところ教皇の椅子に座っているのが仕事であり、実質的に聖域を運営しているのは元教皇のシオンと教皇補佐官のインテグラだ。
「流石は私の後輩だ。やはりシオン様は教皇の間で生活されるのが一番だ。白羊宮はいかん。余計な者が多すぎる」
弟子のムウすら余計だと思っているサガにとって現在の白羊宮は人が多すぎで、シオンが教皇の間で生活することを切に願う。教皇の間の方が遥かに人は多いが、シオンと密接な関係の者がいなくなる分、監視するのははるかに楽になる。
パラドクスに案内させて新しいシオンの部屋に向かうと、黄金聖闘士の気配を感じ、サガは慌てて気配を消して清掃用務室に身を隠した。清掃用のカートは廊下に置きっぱなしでも怪しまれる物ではない。
暫くすると童虎とアイオロスが用務室の前を通り過ぎ、サガは自分の邪魔ばかりするアイオロスに何回目かわからない殺意を抱いた。彼らもシオン用の部屋を見に来たのだ。もちろん目的はサガを探すためである。
五感を研ぎ澄ますと童虎が自分の悪口を言っているのが聞こえ、サガは怒りの小宇宙を懸命に抑える。脱皮する妖怪に変態呼ばわりされる筋合いはないと思っているのだ。
童虎とアイオロスが立ち去ったのを確認し、サガは清掃用カートを押して周囲の気配に気をつけながらシオンの部屋へと向かう。部屋の前には工事中の看板がおいてあり、サガはすぐに見つける事が出来た。
扉をノックして開けると、シオンが昨日まで白羊宮で使っていたダブルベッドが目に入り、工事の者がいないことに気付いて堂々と中に入る。
工事しているのは水回りのようで、洗面所は水道管がむき出しのままだった。
家具の数が足りないので、サガはすぐに部屋を出た。ドレッサーと椅子、ソファーが一つない。白羊宮のシオンの部屋は寝室とリビングがあるスイートルームだが、ここはワンルームなので置き場がないのだろう。
「まったく、こんな狭い部屋をシオン様につかわせるつもりか。壁をぶちぬいて隣の部屋と繋げろ」
サガは不満をブツブツ口にし隣の部屋の扉をノックする。この部屋も工事中の看板が置いてある。
隣室にはシングルベッドとシオンが使っていた残りの家具が置いてあった。サガはドレッサーの椅子の匂いを嗅ぎ、シオンが使っていたものだと確信する。
パラドクスも部屋の中に入り椅子の匂いを嗅いでみたが、特にこれといって何も感じず首をかしげた。
「何か匂います?」
「シオン様の匂いがする。間違いない」
「えっ?!」
驚いてパラドクスはもう一度匂いを嗅いでみたが全くわからなかった。これがプロのストーカーの力かと、その実力の差に彼女は打ちひしがれる。愛しい人を想いポエムを書いているだけでは成長しないと思い知らされた。

サガは昼食の時間に合わせて厨房へ行くと、教皇達の料理が出来上がっており、堂々と中を覗いて確認した。清掃員がチラっと厨房を覗いただけでは、怪しむ者はいない。
廊下の壁を拭きながら五感を研ぎ澄ますと食堂に着席する音が聞こえ、サガはシオン達の会話を盗聴する。パラドクスもサガを真似て聴覚を高めると童虎がサガの悪口を言っているのを聞き取り、思わずサガに顔をむけた。案の定サガは頬を引きつらし、怒りの小宇宙を一所懸命抑えている。
「あれは私をおびき出す老師の作戦だ。挑発にのってはいかん」
「……我慢して聞いているんですか?」
「シオン様を見守る仕事に必要なものは忍耐力だ。……私は禿げてなどいない!」
童虎が「サガはハゲているからシオンの切った髪でカツラを作ろうとしたに違いない」と言っているのが聞こえ、サガは唇をかみ締め怒りをこらえる。
パラドクスは自分の身に置き換えて、春麗が自分の悪口を言い出したらその場で八つ裂きにしてしまう自信があり、忍耐力が重要とメモ帳に書きこんだ。

昼食後、新教皇のハービンジャーは昼寝してしまい、その間にシオンが教皇の仕事に励んでいた。
教皇の執務室のソファーに寝転がりながらその様子を見ていた童虎は、クッキーをバリボリ食べながら「これは院政というやつか」と呟く。
「老師、院政って何ですか?」
「引退した王が実権を握って政治をしている状態じゃ」
向かいのソファーに座ったアイオロスは童虎に教えてもらい、なるほどと頷いた。
「そなたたちも暇ならパライストラで子供たちの相手をしてやらぬか」
「お前がストーカーを始末せぬからここにおるのではないか」
童虎は不機嫌にシオンにそう言い返したが、シオンは書類から顔をあげず仕事を続ける。
「老師、穏便にお願いします。別にサガはシオン様を見ているだけで何かしたわけではないのだから、いいではありませんか」
アイオロスがサガを擁護したので童虎は更に不機嫌になりソファーから身を起こす。
「貴様、あのハゲの肩を持つつもりか!」
「サガはハゲていませんよ……多分」
「いいや、ハゲておる!アホみたいに髪を洗いすぎてハゲているに決まっておる!」
「あ、う……そ、そうなのかなぁ?」
「そうだ、サガはハゲだ!ストレスと洗髪でズルムケじゃ!」
「そんなことはないと思うけど……」
アイオロスは童虎に小声で言い返す。すると若干であるが黒い小宇宙を感じ、アイオロスと童虎は顔を見合わせ頷いた。ハゲハゲと言われたサガの怒りの小宇宙を捕らえたのだ。
「サガもまだまだ修行が足りぬのぅ」
シオンは童虎とアイオロスがサガを追って瞬間移動で消えたのを見てそう言うと、書類に赤鉛筆で×と書きこんだ。
結局童虎はサガを捕まえることが出来ず手ぶらで戻ってきた。サガも気づかれたことを察して瞬間移動で逃げたのだ。結界の強い教皇の間で長距離の瞬間移動は難しいが、新しい教皇の間の建物は巨大で、身を隠す場所には事欠かなかった。

 

Next