子羊といっしょ5(くまさんと子山羊 その2)

 

ブチッ!

「あ!!」

シュラが声あげたのと、布の切れる音がしたのと、ムウが床にしりもちをついたのはほぼ同時だった。ムウの小さな白い手には、二本のやわらかい物体がしっかりと握られている。くまの脚である。シュラは脚のなくなったくまを見て呆然とした。

「ぅぅぅ・・・うわーーーーーーーん!!」

今まで蚊の鳴くような声でしゃべっていたムウが、突然大声で泣き始めた。泣き声は、人の気配のない神殿内に響き渡る。すると、礼拝堂の扉が一斉に開き、中から飛び出てきた沢山の大人に、シュラとムウは瞬く間に囲まれてしまった。

くまの脚を握り締めたまま、この世の終わりのように大泣きするムウを、教皇が抱きかかえるのをシュラは呆然と見あげる。

「どうしたのじゃ、ムウよ。何が悲しいのじゃ。」

「ムウのぅぅぅうわーーーーー・・・・ムウのぅわーーーん。」

シオンの腕の中でムウは号泣し鼻水を流し、よだれを垂らしながら泣き声交じりに必死に訴えているが、何を言っているのかさっぱりわからない。シオンはよしよし、とムウの体をゆさぶり、ムウの薄紫の頭を何度もなでる。
神官がシオンに脚の取れたムウのくまを見せると、号泣し続けるムウの頬に仮面の唇で口付けした。

「よし、よし。くまが壊れてしもうたのか。余をおどかすでない。お前が怪我をしたのかと思うたではないか。」

「くゎさん・・・・・ムウのくゎさん・・・・わーーーん。」

シオンになだめられても、ムウは一向に泣き止む気配を見せないどころか、さらに激しく泣き続ける。
どうしようかと呆然としていたシュラは、いきなり後ろから押し倒され床に這いつくばった。

「教皇!!どうも申し訳ございませんでした!!!」

シュラの後頭部を床に押さえつけ謝罪しているのは、ほかならぬ兄弟子のアイオロスである。シュラはわけがわからず、床に額をつけたまま目を瞬かせる。アイオロスも同じく頭を床にこすり付けているのだ。

「目をはなした俺が悪いんです。シュラはまだ聖域に来たばかりだし、ギリシア語もよくわからないし、悪気があったわけではないんです。」

どうやら自分はとんでもない事をしてしまったらしい。しかし、いまいち自分のやったことの事の重大さに気づかず、シュラは脳にたくさんのクエッションマークを浮かべた。

シオンはアイオロスとシュラには目もくれず、ムウを腕の中であやしながら立ち去る。シオンの後に数人の神官が続くと、礼拝中にもかかわらず解散となり、シュラとアイオロスがその場に残された。

「お前、何でムウのくまを壊したりしたんだよ!」

シュラは痛む額をさすっていると、頭にアイオロスの鉄拳を受けてうずくまった。

「だって、あいつ見せてって言ってるのに、ギリシア語通じないし。」

上目遣いで、シュラはおずおずと答える。

「それはお前のギリシア語が下手だかろう。ムウは赤ん坊のときから聖域にいるんだぞ。」

「だって、おれがくまの名前きいても『くまさん』としか言わないんですよ!」

「当たり前だろう、あのくまの名前は『くまさん』だ。」

「どうしてそんなに知ってるんですか?」

「ムウは教皇の弟子だ。」

シュラはムウが言っていた『おでしさん』が弟子を意味することを知り、一気に顔を青くし、ようやく自分がしでかしたとんでもないことに気づくと、脚が震えだし、その場に座り込んでしまった。

「ど、ど、ど、どうしよう・・・。」

「ま、やっちまったもんは仕方ねぇな・・・。」

「おれ、死刑かな?」

「さぁ、な。壷かもな。」

「つぼ?」

「くまの脚をとったから、お前も脚をきられるかもな。昔、中国にセータイゴーっていうババァがいてな、きにいらない女の手足を切り取って、生きたまま壷に入れたらしいぞ。それかもな。」

「つ・・・・つぼ・・・・・・・・・・・。」

アイオロスが真剣な顔をして言うので、シュラは壷に入った自分を想像し、恐怖におびえ黒い瞳に涙を浮かべる。

「ま、壷に入れられそうになったら、俺とサガで一緒に謝ってやるから、そう心配するな。」

「ほ、本当ですか?おれ、つぼに入らなくても平気?」

「いくらなんでも壷はかわいそうだからな。もし駄目だったら、俺が一思いに殺してやる。安心しろ!」

安心していいものかよくわからなかったが、手足を切られて壷に入るより、一思いに死んだほうが楽そうではある。シュラはいまいち引っかかるものを感じながらも、自分の面倒を見てくれるアイオロスに好意を寄せたのだった。

 

泣きじゃくるムウをなだめ、何とか寝かしつけたシオンは執務室で壊れたくまの修復をしていた。流石のシオンもよる年波には勝てないのか、机の引き出しから老眼鏡を取り出し、もう一度針の穴に糸を入れなおす。
新しいくまを買ってやると言ってもムウは泣き止まず、くまの脚を握り締めたまま号泣し続けるので、修復することになったのである。
自分の贈ったくまをそこまで愛している事に喜びを覚えつつも、そこまで愛されているくまにシオンは嫉妬したが、ぬいぐるみ相手に嫉妬の炎を燃やしても仕方ないので、何とか元に戻してやろうと針と糸を手にとり、修復を始めた。

右足をつけ終わった頃、アイオロスが謝罪に現れたので、シオンはくまと針をおき、老眼鏡をはずして仮面をつけると二人を中に通した。

緊張と恐怖でカチカチに固まったシュラの頭に手をそえ、アイオロスは一緒頭を下げる。

「おぬし、何故にムウのくまを壊したのじゃ?」

なつかしい母国の言葉で教皇に問われ、シュラは頭を上げるとべらべらと母国語で言い訳を始めた。

「ほう、ムウのくまが歩いていたと申すか?」

「歩いていたんです!階段をぴょんぴょん降りてたんです!!」

「それはムウの念動力であろう。ムウはのぅ、お前と同じように、いずれ聖闘士になる者じゃ。他人にはない、特殊な力を沢山持っておる。」

聖域に来てから、シュラは聖闘士の摩訶不思議な力を沢山見てきた。くまが歩いていたのもその力の一部だということに、素直に納得する。

「あの・・・俺、ツボでしょうか?」

「壷?」

「アイオロスが、罰に、手と足を切ってツボに入れられるかもしれないって・・・。」

今にも泣きそうなシュラの発言に、シオンは仮面を揺らして笑った。スペイン語の会話に、アイオロスは何がおかしいのかさっぱりわからない。

「ムウを一人で寝かせておいた余もいかんのじゃ。まさか一人で歩いて出てくるとは思わなんだからのぅ。」

「じゃぁ、俺はツボにはいらなくてもいいんですか?!」

「あたりまえじゃ。しかしのぅ、大きくなったムウにくまのかたきをとられて、壷に入れられてしまうかもしれんのぅ。」

本気で震えるシュラを見て、シオンは再び仮面を揺らして笑う。

「壷に入れられぬよう、ムウと仲良くするのじゃぞ。」

シュラが首がもげんばかりに頭を縦に振りうなずくと、シオンは二人に退室するよう命令した。

廊下を歩きながら、アイオロスはシュラに教皇と何を話していたのかを聞き出し、声を上げて笑う。

「なんだ、お前、本気にしていたのかよ?」

「だって、アイオロスが教えてくれたんじゃありませんか!。」

「いくら教皇が怖いからって、そんなことするわけないだろう。」

「俺のことだましたんですか?!」

「だましたっていうか、こらしめたんだな。あ、でも大きくなってムウが教皇になったら、壷にいれられてしまうかもな。そうならないように、仲良くしておけよ。」

教皇の弟子であるムウが、近い将来教皇になると思っているアイオロスは、意地悪な笑いを浮かべシュラの背中を叩く。
ムウがくまのぬいぐるみを『友達』と言っていたことを思い出し、シュラは壷に入れられないようにするためにも、ムウの人間の友達になろうと思ったのだった。


End