我があこがる死の眠り

 

十三年前、教皇シオンは暗殺された。当時、まだ幼かった私は、教皇シオン―――我が師の危機に祈ることしか出来なかった。しかし、女神は私の祈りを受け入れてはくれず、師は長い人生の最期を、何とも無残な姿でむかえることとなった。
その後、私は偽教皇によりチベットの山奥へ追放された。二百年以上も女神に祈りをささげつづけてきた教皇も、そして私も女神に見捨てられたのだ。
信じる神に見捨てられ、草木もない、岩と雪と氷しかないジャミールの地に幼い身で追いやられた私は、死ぬことしか考えることが出来なかった。師のいない世界に何の未練もなかったし、何の興味もなかった。

しかし、この世で唯一聖衣を修復できる私は、死んではいけなかった。それが師の言い付けであったから。何があっても死んではいけない。女神をお守りし、女神と聖闘士のために聖衣を治せと・・・。
私達を見捨てた神のために生きなければならないこの身を嘆き、私は毎日天に呪いの言葉を投げかけ、死を望んだ。早く死にたい、早く殺してくれと。しかし、私に死が訪れることはなかった。

我が師を殺した者を、無力な自分を、見捨てた神を、私はすべてを呪った。そして、泣くことにも悲しむことにも、呪うことにも疲れはてたとき、次第に私の体はこの世界から消え始めていた。
もとより誰もないジャミールでは、私が消えたところで驚くものなどいない。精神のバランスを失った私の体は時の砂となり、時空と次元の狭間へと溶けていった。
しかし、それでも私は望まぬ生を貪っていたのだ。死ぬことが出来ないのなら、せめて二度と目覚めぬ眠りに尽きたい、それすらも私には許されなかった。

 

ジャミールに来てから何年経ったのだろうか。
私は一人の弟子を得た。私と同じ、古の大陸の血をひくものだ。そして、それと同時に、私は自分に死が許されたことを知った。この子が修復の技術を継げば、私はこの呪われた生から解放される。私は自分が死にたいがために、弟子を得ることをよしとした。

『はやく一人前になっておくれ。そうしたら私は死ぬことができる。』

私は弟子にそう思うたび、失った師を思い出した。250年もの長い時を生きた師は、死を望んでいたのだろうか?。しかし、師は私を愛し、私と供にする時間を愛していると言っていた。
そして、あんな死に様だけは望んでいなかったことは私にだってわかる。今も師の屍は、あの誰も立ち入ることの出来ない星降る丘に、一人寂しくよこたわっているのであろうか・・・。

今となっては師の本心は分からないが、師は私を自分の生命の終止符として愛していたのではないと確信している。私は一人の人間として愛されていた。
それに比べてこの私は、なんとあさましい人間なのだろう。私は自分の死への欲望のために弟子を愛している。しかし、この子は、そんな私の本心など知らず、私によく懐いていた。

 

師が星を見て大地の吉凶を占ったように、私にも星を見ることが出来た。ジャミールは聖域よりも天に近い。多くの星が、師の言葉が正しかったことを私に教えてくれた。
聖戦が近い。そして私はこの聖戦で死ぬ。自分の尽きようとする命の星を見て、私は弟子に感謝した。ようやく死ぬことができるのだ。

私は自分の死期が近いことを弟子に打ち明けた。しかし、この胸の痛みはなんだろうか。
あれほど焦がれた死を迎えるというのに、何故に胸が痛むのだろうか。
弟子の涙で潤んだ大きな瞳に見上げられ、私の心に失われた感情というものが蘇ったようだった。私が死んだら、この子も私と同じ孤独の苦しみを味わうのだろうか・・・。

私はいつのまにか、この子をより深く愛していたようだった。そして、愛されていることを知った。神に見捨てられた私が、誰かに愛されることなどもう二度とないと思っていたのに・・・。
私は再び神を呪った。あれほど死を望んでいたのに、今は死ななければいけない運命を呪わしく思う。私はとことん神に嫌われているようだった。

 

激しく回り始めた運命の輪を止めることは出来なかった。東よりその歯車の一つに導かれたものが、死んだ二つの聖衣とともにやってきた。
その者は、友の為に死をもいとわなかった。
私は彼の生き様に、師に教わることのなかった聖闘士としての生き方を教わった。

私は女神の為に死ぬのではないのだ。

私は女神のために闘うのではなく、女神のために聖衣を治すのではなく、私は女神の為に死ぬのではないのだ。そう思うと、私の心に長いこと覆い被さっていた靄が晴れていった。
祈るだけですべてが救われるなら、何世紀も前に、この世から苦しみも悲しみも消えているはずである。私は神に何を期待していたのだろうか。いや、私はすべてを神のせいにし、神を呪うことによって自らの無力な姿から目をそらし、可哀想な自分に酔いしれていただけなのかもしれない。

今こそ私は闘おう。私の為に。私の愛する者のために。この子が平和に暮せる未来の為に・・・・。

 

聖域に戻った私は、初めて神の姿を目にした。胸に黄金の矢に刺し、苦しむ女神の姿は、我ら人間と何ら変りもない。人間の運命をもてあそぶ女神に言いたい事は沢山あったが、女神もまた、誰が決めたのか分からない運命にもてあそばされていたのだ。女神も運命と闘っていることを知った私の口から、呪いの言葉が出ることはついになかった。

 

聖戦を迎え、私は生きたまま地獄に落ち、そしてこの身を太陽に焼かれた。神を呪いつづけ、師に背いた私に相応しい最期だ。

憧れつづけた死の眠りの、なんと安らかなものよ。

今こそ私は死ぬことができる。そして、愛する者の為に死ぬことができる事を幸せに思う。


End