私闘厳禁!!

 

アイオリアは白羊宮で足を止めた。宮の主人はチベットの山奥に帰ってしまったのか、人の気配はない。宮にもうけられた私的なスペースに足を踏み入れると、澄んだ金属音が彼の耳に入ってきた。おそらく主は聖衣を修復しているのだろう。世界で唯一、聖衣を修復できるその男は、大破した青銅聖衣に新しい命を吹き込んでいた。

部屋の外からアイオリアはしばらくムウの仕事を眺めていた。黄金の工具が聖衣に触れると、星が瞬くように発光する。ムウはアイオリアを無視しているのか、それとも気付いていないのか、一向にその手を止めない。

「ムウ、お前に聞きたいことがある」

獅子の声で、ムウはようやく手を休めた。額に落ちた髪を払うと、その髪と同じ菫色の瞳をアイオリアにむける。

「なんですか、アイオリア。深刻な顔をして。あなたらしくありませんよ」

ムウが知るアイオリアは13年前の少年のまま止っていた。記憶の中の彼は、いつもミロやアルデバランと喧嘩をしては、兄に怒られているわんぱくな子供であった。

「どうして教えてくれなかったんだ」

アイオリアに最早昔の面影はない。眉間にしわを寄せ、その表情はどこか影がある。

「何のことですか?」

ムウの声は静かで、そして冷たかった。

「決まってるだろう!教皇、いやサガの事だ」

「・・・それはもう済んだことです。よろしいではありませんか」

「おい、ムウ。まて」

アイオリアが声を荒げても、ムウはどこ吹く風。表情一つ変えず、きびすを返す。慌ててつかんだムウの肩は、聖闘士にしては細かった。

「何でおまえはずっと黙っていたんだ」

もちろん13年間入れ替わっていた、教皇の正体のことである。

「しつこいですね。あなたには関係のないことです」

肩越しにアイオロスにむけたムウ瞳に感情の色はなく、およそ人のものとは程遠かった。あまりにも無関心な態度に、アイオリアの怒りは限界に達した。

「関係ないだと?!俺だって兄を殺されているんだ!しかも逆賊という汚名まで着せられて」

「アイオロスの事など私の知るところではありません。その手を離しなさい」

「何だと?!もう一度言ってみろ」

肩をつかむ手に力が入る。金属をも瞬時に砕く獅子の爪が食い込んでも、ムウは顔色一つ変えない。

「その手を離しなさいと言っているのです」

「俺に質問に答えるまで離さん」

アイオリアはムウを引き寄せ、その両肩をつかむ。アイオリアに睨まれても視線をそらす事なく、ムウは紫水晶の瞳を彼に向ける。元から感情など存在しないのかもしれない、そう思わせるほど暖かみのない人形のような表情である。

「何でお前は俺たちに黙っていたんだ?」

「何であなたは私に聞きにこなかったのです?」

「それは・・・」

ムウの質問にアイオリアは動揺した。質問は核心を突いていたのだ。ムウが何かを知っているという事は気付いていた。だが、監視下に置かれている状態では、容易に聖域を抜け出す事はできず、また、ムウに話を聞きに行くための努力を彼はしなかった。

「私がジャミールにいたことを知らないとでもおっしゃいますか?」

「お前がすべて知っているとは思わなかったから・・・・」

「では、私と老師が教皇の召集に13年間一度も応じなかったのをどう思っていたのです?」

紫の瞳に映った自分の顔からアイオリアは目をそらした。まるで心の底まで見透かした瞳を、今の彼に凝視する事はできなかった。

「あなたはアイオロスを正義と信じることが出来なかった。教皇に逆らうことが出来なかったのでしょう」

その通りである。しかし、他人に自分の非を指摘されると、なかなか素直に認める事ができない。

「違う!!!俺は・・・」

「では、何故真実を追究しなかったのです?。自分に嘘をつくのはおやめなさい」

ムウの冷淡な声は、獅子をなだめるのではなく逆上させた。先ほどからまったく変わらぬムウの表情が、アイオリアには自分を馬鹿にしているようにしかうつらない。

「お前に俺の気持ちがわかるか!」

白羊宮の前で、あれほど冷静にと自分に言い聞かせたはずだった。しかし、誓いは空しくアイオリアは怒りに任せて、ムウを壁へ叩き付けた。ムウは抵抗しない。壁に後頭部を叩き付けられ、壁に背を擦りながらその場へ倒れ込む。ムウは頭に血ののぼったアイオリアを見上げ、口を小さく釣り上げて冷笑した。

「命をなげうって貫いた兄の正義を疑うような男の気持ちなど、分かりたくもありません」

「黙れ!!」

壁にもたれているムウの服の襟をつかみ、アイオリアは力に任せて床に叩き付けた。ムウはそれでも抵抗せず、自分にのしかかり鉄拳を繰り出そうと腕を上げるアイオリアを鼻で笑う。

「答えろというから答えたのに、今度は黙れですか?何とも身勝手な・・・・」

私闘が禁じられている事を知らないわけではない。それすら忘れさせるほど、アイオリアは怒りに震え拳を振るった。しかし、ムウは避けない。アイオリアの拳は当る事なく小さな顔の目の前で止った。貴鬼がムウを庇うように両手を広げ、突如二人の間に割って入ったのである。テレポテーションで現れたのにもかかわらず、アイオリアが拳を止める事が出来たのは、彼もまた黄金聖闘士の一人であるからだ。

「ムウさまに何するんだ!!」

小さな戦士はアイオリアに臆する事なく、彼の敬愛する師に暴力を振る男に憎悪の視線を投げつけた。そして、振りかざしたアイオリアの手を掴む者もいた。

「やめないかアイオリア!私闘は厳禁だよ!!」

魔鈴である。貴鬼と魔鈴が白羊宮に来た事にアイオリアはまったく気付かなかった。ムウが抵抗しなかったのはそのせいかもしれない。 アイオリアは魔鈴にたしなめられ、ようやくその拳をおさめた。

「ムウさま大丈夫?」

貴鬼はムウの手を引っ張り、彼の上体を床から起こした。

「一体どうしたっていうんだい?」

魔鈴は床に倒れるムウと、怒りの収まらないアイオリアを見比べて、ムウに尋ねる。ムウは着崩れた服を直し、乱れた髪を整えると、長い睫毛のまぶたを伏せて静かに答えた。

「有難う、貴鬼、魔鈴。危うくアイオリアに犯されるところでした・・・・」

「は?」

鳩が豆鉄砲を食らった顔とは、まさにこの事であろう。ムウの一言にアイオリアは口をあんぐり開けて硬直した。そんな彼とは対照に、魔鈴は一気に小宇宙が高まる。

「アイオリア・・・・あんたって男は・・・・・」

「お、おい、魔鈴?!誤解だ」

「問答無用!!!」

魔鈴の小宇宙が爆発し、アイオリアに襲い掛かる。暴れる魔鈴に小首をかしげ、貴鬼は床に腰を落としたままのムウの瞳を覗きこんだ。

「ムウさま、犯されるってなぁに?どういうこと??」

「相手が嫌がっているのに、無理やり子供を作ろうとすることですよ」

「ムウさま男なのに??」

貴鬼は再び不思議そうに頭を傾ける。目の前の師は間違いなく男であり、彼にとっては世界で一番男らしい男であった。

「世の中にはそういう人もいるようですね」

「ふーん、そうなんだ。それってヘンタイ?」

「そんな言葉どこで覚えてきたんですか?」

「星矢が教えてくれたんだよ」

「そうですね、ヘンタイでしょうね」

「アイオリアはヘンタイなんだ」

「星矢達にも教えてあげなさい」

ムウは貴鬼のほかには見せた事ない、慈愛に満ちた微笑みで弟子の頭を優しく撫でた。ムウの声はともかく、甲高い子供の声が聞こえないほど、アイオリアの耳は遠くない。ましてや自分の事とあってはなお更である。

「おい、ムウ!貴鬼に何を吹き込んでるんだ、ぅわ、コラ魔鈴やめろ!!誤解だ、誤解!!」

しかし、今のアイオリアは魔鈴の攻撃を避ける事に手一杯で、白羊宮を元気に飛び出して行く貴鬼を止める事はできなかった。

 

アイオリアが魔鈴に引っかかれた顔の傷を自分で手当てしていると、ノックもせずに足で扉を蹴破り、馬鹿笑いしながら侵入してきた者がいた。黄金聖闘士である彼の部屋に殴り込んでくるツワモノは、同じ黄金聖闘士以外ありえない。ミロである。ミロはアイオリアの情けない姿を目にするや、腹を抱えて更に大声で笑った。

「ぎゃはは、お前、ムウをレイプしようとしたら魔鈴に見つかって半殺しにされた挙句、縁切られたって、本当だったんだな、ぎゃははははは」

「だから、それは誤解だって言ってるのに・・・・」

笑い転げる同胞の誤解を解く気力すらなく、アイオリアはため息を一つ吐いた。私闘が禁じられている事を一瞬でも忘れた自分が悪いのである。しかし、その酬いはあまりにも酷かった。

悪事千里を走る・・・。

 


End