あなたへの思い(Pressent for Mu)

 

 彼は教皇の間に呼ばれた。自分の指導にあたっていた白銀聖闘士は、それが大変名誉なことであることを彼に教えた。教皇の間は、聖闘士でも選ばれたものしかあがることが出来ないのだという。彼よりも、むしろ周囲の大人たちのほうが、突然の教皇の呼び出しに大騒ぎしており、当の本人は、よくわからないまま、神官に連れられて教皇の間へと向かった。

 教皇の間の荘厳さに圧倒されながらも、神官の言葉に従って、彼は跪いて頭を下げて教皇が現れるのを待った。いつの間にか自分の目の前に、人が立っている事に気づくと、彼は慌てて顔をあげた。見上げた白いローブの上には仮面が乗っていた。その特異な容姿を何度か遠くから見たことがある。教皇であった。

「ついてまいれ。」

 教皇はそう言うと、きびすを返して足音を立てずに静かに歩き出した。彼も慌てて白いローブの後を追う。教皇の大きな背中を見ながら、彼は建物の奥へとついて行った。
 他の誰からも感じたことのない、教皇の大きなオーラは、どこか暖かみがあった。そして、それを一度感じたことがあることを、彼は思い出した。ブラジルの教会から自分を聖域に連れてきた坊さんとよく似ている。彼は教皇が自ら自分を聖域に連れてきたことを確信した。

 通された部屋は、全窓から日が燦々と差し込む、明るい部屋であった。大きな部屋には淡い色のカーペットが敷かれ、大理石の執務机が置かれている。豪華で上品な調度品ばかりが置かれた部屋に、彼は驚いて息を呑んだ。

 教皇は全窓をあけて、白い柱が並ぶテラスへとでた。彼はいまだにキョロキョロと部屋の中を見回している。教皇に呼ばれて、あわててテラスへ出ると、目の前の光景に、彼は思わず声を上げた。

 遠くに青い海が広がっている。眼下には聖域があった。

「下を見よ。白い宮殿が12棟あるのがわかるか?」

 彼はテラスの真下を見た。急な崖に白い神殿とそれらを繋ぐ白い階段が見える。

「あれは十二宮といって、女神を守る砦だ。はるか昔より、黄金聖闘士が一人ずつ守護することになっておる。すべて突破できたものは、神話の時代より一人もおらぬ。そなたは2番目の宮、金牛宮を守護するのだ。」

 教皇が指差す先を目で追うと、下から2番目の宮であった。自分が守護する、その意味が彼にはよくわからなかった。

「タウラスよ、そなたに頼みがある。」

 彼は自分がタウラスと呼ばれたことに驚いた。

「金牛宮の前にあるのが白羊宮といってのぅ、十二宮の玄関口だ。あそこは牡羊座の聖闘士が守護することになっておる。白羊宮の隣は金牛宮しかないのだ。だから、そなたはアリエスと仲良くしてやって欲しい。」

「あの、タウラスってなんでしょうか?」

 目を瞬かせている少年に、教皇は仮面の下で笑って答えた。

「そなたはいずれ牡牛座の聖闘士になるであろう。牡牛座のことをタウラスというのだ。そして、牡羊座をアリエスという。」

 教皇の言葉に少年は驚きのあまり言葉を失った。
 自分は聖闘士になれる!。どんなに修行しようと、聖闘士になれないものもいるというのに、自分はなれるのだ。心臓が口から飛び出そうになるほど、嬉しさのあまり鼓動が高まった。

 教皇はテラスから部屋へと戻り、彼もその後に続いた。
そして、部屋の隅に置かれた、装飾の施された白い椅子の前に来ると、そこに乗っていたものをもちあげ、床へとおろす。今まで人形だと思ったいたそれが、二本足で立っているのを見て、人間の子供であることに気づき、彼は目を丸くした。

「この子がアリエスの後継者だ。」

 あまりの小さな聖闘士に彼は更に驚き、自分よりも頭一つ分は小さいその子供を、あらためてじっくりと見た。
 陶器のような白い肌、癖のない真っ直ぐな薄紫色の髪、サクラ貝の色をした小さな唇。白い絹のキトンからのぞく肌には傷一つなく、ひねったら壊れてしまいそうなほどか細い腕をしている。整った顔立ちと、朱色の不思議な眉、紫色の大きな瞳は、人間というよりも、人工物的な印象を彼に与えた。
 それにしても本当に人形のようである。教皇が自分をからかっているのではないかと思い、彼は何度か教皇とその足元に寄り添った、異国の人形のような子供を見比べた。

「驚くことはない、この子はそなたとは異なる能力を持つのだ。」

 あ、動いた!。彼は教皇を見上げた小さな聖闘士を見て、心の中で声をあげた。

「このものが、タウラスである。仲良くするのだぞ。」

 教皇は花に触れるように、そっと薄紫の髪をなでる。
 紫の瞳が再び自分のほうに向くと、彼は小さな聖闘士に手を差し出した。

「アルデバランだ、よろしくな。」

「ムウです、よろしく。」

 あ、喋った!。自分の握手に応じた小さな手を握り、アルデバランは心の中で声をあげた。すると、目の前のムウと名乗った子供は、水晶の音色のような声で小さく笑った。人形のように無表情だった顔に花が咲く。

「私はしゃべるし、動きますよ。」

 アルデバランはムウの静かな微笑に頬を染め、自分の心を見透かされたことに気づかなかった。

 再び神官に連れられて、アルデバランは教皇の間を後にした。

 その道すがら、いまだに右手に残る白い小さな手の感触が、アルデバランに教皇の言葉を思い出させた。
 黄金聖闘士が一人ずつ守護する、12の宮殿。
 もし敵が攻め込んできたら、自分も、あの小さな聖闘士も、一人で宮殿を守らなければいけないのだ。
 あんな小さな体で、本当に教皇の言う女神の砦を守れるのだろうか?。
 もし、とてつもなく強大な敵だったら、あの子が一番最初に死んでしまうのか・・・・

 思わず悪い方向へと考えてしまった頭を、アルデバランはブンブンと横に振った。そして、自分は両親から、立派な体を貰ったのだから、うんと修行して強くならなければと、気持ちを改めて引き締めた。

 あの子が闘わなくても済むくらい、強くなりたい。
 アルデバランは心からそう思った。

 

 

「初めて会った日の事を覚えていますか?」

 教皇の執務室のテラスで、ムウはアルデバランに聞いた。アルデバランがここへ来るのは二度目のことである。昔、手すりの下の間から見た海が、今はその遥か上から見ることができる。
 春風に薄紫の長い髪をなびかせ、隣で遠くを見つめるムウにアルデバランは微笑んだ。

「忘れるものか。たしか、今くらいの時期だったはずだ。花が沢山咲いていたからな。」

「あの日は私の誕生日だったのですよ。」

「そうか、3月27日だったのか。」

 13年間、ギリシャから遠く離れた異国の山奥に隠遁していた自分の誕生日を、しっかり覚えていてくれた事にムウは驚きを隠せず、思わず口元を緩めた。

「シオンさまが私に友達をと、貴方を紹介してくれたのですよ。」

 特異な容姿と、強大な念動力、そして教皇の弟子ということで、同年代の子供達から疎まれていた自分を、シオンが死後、独り取りで残されてしまう事を心配して、アルデバランと引き合わせてくれたことをムウは話した。

「なるほど・・・私はお前の誕生日プレゼントだったのか。」

「ええ、最高のプレゼントです。」

 雄大な風体に似合わぬ照れ笑いをし、紫色の瞳から目をそらすアルデバランを見て、ムウは子供の頃の面影を少し残した穏やかな顔で微笑む。そして、師の心遣いにあらためて感謝した。

「お前達!何をしているか!!」

 突然室内に響き渡った大声に、二人は慌てて振り返り、声の主を見て冷や汗を流した。部屋の主、シオンである。

「タウラス!ムウと仲良くしろとは言ったが、よろしくしろとは言っておらぬぞ!。」

 今にも光速拳を繰り出しそうな勢いで、ローブの裾を蹴散らしながら向かってくるシオンに、アルデバランは両手を上げて、自分がムウに何もしていないことを主張する。

 ムウはアルデバランを追い出すシオンに呆れて、先ほどまで胸に抱いていた、師への敬愛の思いを取り消したのだった。

 


End