携帯電話

 

処女宮の一角で、サガはボンヤリと宙を見つめていた。

周りは仲間達が酒を酌み交わし騒いでいる。

いつものように処女宮に集まり宴会を楽しんでいるのである。

だがそんな喧騒の中で、サガはグラスを片手にボンヤリとしているのだ。

アイオロスが日本に出張に出てから1ヶ月が経っていた。その間アイオロスからの連絡はまったくなかった。

サガの様子がおかしい理由は、それが原因であるのは一目瞭然である。

デスマスクなどは、辛気臭い様子のサガに疎ましい視線すら投げかけている。

そんなサガを見て、アイオリアとミロは肩を竦めた。

無理にサガを誘ったアイオリアとミロにも責任があるのだ。皆と一緒に酒を飲めば、すこしは気がまぎれるかもしれないと思ってのことだったのだが。

「サガ。もう帰れば?」

ミロが気を利かせていうと、サガは力なく頷いた。

「すまん……、そうさせてもらうよ」

サガがふらりと立ち上がると、カノンは無言で酒瓶を床に置いて立ち上がった。双児宮まで付き添うつもりなのだ。

サガは力ない笑みを仲間たちに送ると、丁寧に頭を下げてもう一度謝って処女宮を後にした。

だがサガが処女宮の階段を3分の1ほど下りた時、突然後ろから呼ぶ声があがった。

「おい、サガッ! サガっ、チョット待て!」

サガが力なく振り返ると、闇夜に白く浮かび上がる仏像二体と神殿を背に、シュラが手を振っている。

「アイオロスから電話だ!! 早く戻って来いよっ、アイオロスからお前に電話なんだよ!!」

サガは大きな瞳を限界まで見開いた。

処女宮に戻ってきたサガに、一同は苦笑をかみ殺した。

サガの頬はバラ色に輝き、瞳は子供のように輝いているのだ。

その手にシュラは携帯電話を渡すと、その肩をやや強めに叩いてニヤリと唇を吊り上げた。

そんなシュラにサガは顔を真っ赤にさせて彼を睨みつけ、プイッと顔を背けたのであった。

サガはニヤニヤと見守る仲間たちに背を向けると、大きく深呼吸をした。そして小さな携帯に鼓動を早まらせ、戸惑いがちに耳にあてる。この胸の音が携帯を通してアイオロスに聞こえてしまったらどうしようか、それよりも鼓動の音が大きすぎて会話が聞こえなかったら……サガはそんなことを心配しながら口を開いた。

「ア、……アイ……」

『あっ! サガ!? サガか? あの馬鹿、すぐかわれって言ったのに……』

小さな穴からアイオロスの低い優しい声が聞こえてくる。たった1ヶ月聞かなかっただけなのに、それはひどく懐かしい。

サガの全身に言いようもない安堵が駆け抜け、全身から力が一気に失われていき、サガはその場にヘナヘナと座り込んだ。

「ア、アイオロス。久しぶり……」

サガは電話の向こうのアイオロスに気取られないよう、勤めて冷静に振舞った。

『ああ、元気か?』

「もちろんだ。アイオロスのほうこそ元気……にきまってるよな」

『はははっ、まぁな。そっちはどうだ? 変わりないか?』

「ああ、変わりないよ。皆元気だ」

『そうか……それはよかった』

「だが皆お前のことを心配してる。一ヶ月も連絡をよこさないなんて、黄金聖闘士としてどうかとおもうぞ!」

サガは僅かに声を低めて窘める。電話の向こうでアイオロスが声を詰まらせたのが分かった。

『あ、あのなぁ〜、久しぶりだっていうのに、説教は勘弁してくれよ』

「説教をされるほうが悪い。だいたいなんで電話なんだ! 小宇宙やテレパシーで連絡をくれればよかっただろう」

そのほうがアイオロスの小宇宙も感じることが出来るし、サガはこういう現代的な通信手段があまり好きではなかった。

『う、まぁ、その、あの、あれだ……女神がうるさくてな……。今だって女神の目を盗んで、屋敷の電話を借りてるんだ……それよりも、サガ』

「なに?」

『今、シュラと何してた?』

「今? みんなと楽しく飲み会をしていたところだ」

『みんなと? 他の連中も一緒か?』

「ああ。なんなら、かわろうか?」

一瞬電話の向こうでアイオロスが安堵のような呼吸をした。

『いや、いいよ。今はお前の声だけ聞きたいから。そうか……、俺もはやくそっちで皆と飲みたいなぁ』

そのアイオロスのシミジミとした口調に、サガは思わずクスリ笑みを零した。こうやってサガの顔に笑みが浮かぶのは、数日ぶりのことだった。

『それに……、サガを抱きたい……』

「バカ……」

普段なら怒鳴るサガであったが、このときばかりは笑みを浮かべたまま嬉しそうに呟いたのであった。


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