Midsummer Night's Dream ...1
冷たく薄暗い教皇の間で、アイオロスは外へと繋がる扉にそっと手を触れた。
数人がかりでないと動かすことも不可能なほど巨大で荘厳な扉が、アイオロスが軽く触れただけで音もたてずにゆっくりと開く。
その隙間から外の熱気が溢れ、アイオロスの視界にギリシャの夕暮れが現れる。
すでに真上には星が輝き、太陽は水平線を赤く染め半分以上を海の中に沈めていた。
「まったく、たまには早く帰らせろっての」
アイオロスは小さく呟くと、その後ろで呆れたようにサガがため息をついた。
「あのな……」
「分かってますよ。要領が悪いからいけないんだろう」
「分かっているなら、もっとてきぱきと……」
「無茶いうなよ。これでも頑張ってるんだぜ」
「頑張っているようには見えんがな。お前の仕事は休み時間がメインで、その間に仕事をしているようにしかみえん。それに……」
サガは一旦言葉をきり、
「教皇が昼休みを3時間もとるなど、前代未聞だ。しかも毎日3時間もだ」
心底呆れたように大きく息をはいて首を振った。
返す言葉も無いアイオロスは、サガの様子を背中で感じながら苦笑いを浮かべた。
シオンがいきなり休暇と称してムウとともに聖域を出てから、すでに4日がたっていた。
次期教皇のアイオロスが必然的に教皇代理を勤め、13年前の約束どおりサガが補佐を勤めることとなった。
しかし厳格な生活を強いられる教皇職に、アイオロスは辟易とし、独自の教皇生活を貫き通していた。それが3時間の休み時間=シェスタであった。
アイオロスにしてみれば、サガと二人っきりで一日を過ごすチャンスである。それを仕事でつぶすなど、もってのほかなのだ。
こうしてだらだらと仕事をするうちに、こなしきれない執務はたまり、神官たちも予期せぬ教皇代理の業務体勢にあたふたとしてしまい、しかも慣れていないアイオロスの段取りが悪いこともあって、こんなに遅い時間になってしまったのである。
遅いといっても、下界では私的な時間はこれからという時刻だ。
ただし、13年間の教皇職での早寝早起きの老人生活が身についているサガにとっては別であった。
「まぁ、そうやかましくいうなよ。俺は俺、シオン教皇はシオン教皇だ。だいたい下界ではシェスタなんてあたりまえだろう」
「ここは聖域だ」
アイオロスが肩をすくめながら階段を足早に降りると、その後に続きながらも間髪いれずにサガが即答する。
「教皇みたいにキッチキチに仕事をするよりも、こうやってマイペースに仕事をしたほうが効率がいいじゃないか。嫌々仕事をしていたら、それこそ効率がわるいだろう」
「私にはお前が嫌々マイペースに仕事をしているようにしかみえんがな」
「分かった、分かった。もうそれ以上ガミガミ言うなって。もう業務は終わったんだから、気持ちを切り替えようぜ、サガ」
振り返ったアイオロスのその表情にはまったく反省の色はなく、サガは大きく深いため息を吐いた。
アイオロスは上から降ってくる説教に笑顔を浮かべながら、サガと同じ位置まで階段を駆け上る。それを視線で追いながら、サガは憤慨したように語気を強めた。「まったく、お前という奴は、いつもそうやって……」
「まぁ、いいから、いいから。明日からちゃんとやるって。だからもうこの話は終いにしよう」
まだまだ説教をしようとするサガの言葉をアイオロスは慌てて遮ると、そのうるさい口に唇を軽く重ね、にっこりと微笑む。
「今日の夕飯はなんだろうな?」
あっけにとられているサガを一人その場に残して、階段を駆け下りた。
我に返ったサガは、顔を夕日と同じ色に染め、アイオロスの名を怒りを含めて呼びながら追いかけた。
アイオロスは一気に人馬宮まで駆け下りると、途中から追いかけるのを諦めたサガがゆっくりと降りてくるのをまった。
「で、双児宮の夕飯はなんだ?」
「冷蔵庫にあるものを適当に食べるさ」
サガは肩をすくめてこたえた。教皇の間から人馬宮までの間に彼の怒りはおさまっていた。
「だったら人馬宮で食べていかないか?」
顔色を伺うように、アイオロスはサガの顔を覗き込む。しかしサガは小さく首を横に振った。
「いつもいっているだろう、双児宮でカノンが腹をすかせて待っている。あいつが暴れると、なにをするか分からんからな。それに人馬宮にいっても、どうせ私が作るのだろう。だったらお前が双児宮に来ることだな」
「ああ、そうだな。いつもみたいに双児宮にいってもいい。しかし、今日はカノンはいないだろう?」
「なに?」
「シュラ達と町にでかけてる。俺がそうさせた」
こともなげにそう言うアイオロスに、サガは目を丸くした。その様子を楽しむようにアイオロスは瞳を輝かせると、胸をはって言葉を続ける。
「それに、今日はお前が料理を作らなくてもいい、ちゃんと準備してある」
「準備?」
「ああ。今日はシュラに命令してカノンを聖域から連れ出したのさ。そして人馬宮には、世話係りに命じて二人分の食事を用意させているんだ」
アイオロスは腕を組みなおし、自分よりもやや背の低いサガの顔を腰をかがめて覗き込み、
「さて……。これでサガが双児宮に帰る理由はなくなったわけだが。それともせっかく用意された食事を無駄にするほど、双子座のサガ殿には緊急の用がおありかな?」
してやったりと、唇を吊り上げたのであった。
アイオロスとサガが人馬宮の私室に入ると、夕食の支度はまだ出来ていなかった。
謝る世話係りの神官達にアイオロスは気にするなと一言いうと、その中の一人に入浴の準備が出来ていることを確認する。
夕飯だけを頂戴するつもりだったサガであったが、アイオロスに風呂に入ってこいと、
「カノンは明日の朝まで帰ってこないことになっている。それも私が命じたから、たまにはゆっくりしていけよ」
半ば無理矢理浴室に押し込められた。
世話係がいる手前、サガは普段のように強引に断るわけにもいかなかった。
脱衣所には二人分のバスタオルや歯ブラシ、サガが普段愛用している香油、そして決してサガの物ではないが、アイオロスの物でもないサガが普段好んできているようなローブが用意されていた。
さらには浴室は心身の疲労を癒すローズウッドの香りが立ち込め、サガが普段使用しているソープ類までもが用意されていた。
「あの馬鹿っ……、神官にいったい何といって、こんなに準備をさせたんだ」
サガにとっては狭い部類に入るバスタブに身を預け頭を抱えながら、アイオロスに悪態をついた。
「今日は帰れそうにもないな……」
そしてこの日、家に帰ることを諦めたサガであった。
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