満月に恋して

 

降るような星空。

聖域の夜空はまさにこの言葉が良く似合う。
標高が高く、空気が澄んだ聖域の空は澄みきっている。
夜ともなれば俗界から隔絶されたこの地は星々が輝き、世界のどこよりも美しい光で地上を照らす。
今も古代を生きるこの地では人工的な灯りが少ないため、その光を一身に感じることができた。決して電気が通っていないわけではない。だが、聖域の人々は電気よりもランプや蝋燭の明かりを好む者が何故か多かった。
さらに古代を好む人間達はその灯りすらも捨て、星の輝きと月の灯りだけで夜をすごすのだった。
それほどまでに聖域の夜空は地上に、現代人が忘れかけた神秘的な夜の明るさをもたらしている。

神話を生きる彼らにとって、まさに星は生活の一部なのだ。

深夜12時。教皇のみしか立ち入ることが許されないスターヒルの近くで、二人の少年が瞬く銀河を見つめていた。
黄金聖衣を賜ったばかりのアイオロスとサガである。
アイオロスはプロテクターを、サガは白いキトンにフードのついたローブを纏っていた。
二人ともまるでなにかに憑かれたかのように、首を傾けたまま視線だけを夜空にさまよわせている。

「なぁ……なにか分かったか?」

「いいや。まったく……」

満天の星に向かってアイオロスが憮然と呟いた。こたえを返したのは夜空ではなくサガであった。サガもまた星にこたえているかのように上を向いたままだった。

「あっ!」

二人は同時に声をあげた。
4つの瞳に右から左へと光の筋が流れていく。

「困ったな。今のはどういう意味だろう」

サガが困惑に瞳を揺らして呟いた言葉は、夜空に吸い込まれた。

「あーあ、やってらんねぇ! やめっ! やめっ!」

アイオロスは頭の後ろで手を組み、何時間かぶりに顔を星の海からあげる。

「もうやめようぜ、サガ。どうせ今日も分からないって。まったく、やっとキッツイ修行も終わって聖闘士になったと思ったら、今度は勉強かよ! 星見ていったい何が分かるんだっての!」

右に左に首を回しながらアイオロスは文句をいった。

古来より、聖域は星の動きで諸行事を決め、吉兆を占ってきた。
星の動きにて凶事を悟り、星の瞬きにより世界の運命を、聖域の運命を知るのだ。
それは教皇の役目であるが、黄金聖闘士もまた凶事や吉兆を星から教えてもらわねばならないのだ。
また、彼らのうち一人は後に教皇として星見を行わなければならなかった。

アイオロスはまだ星の海の中にいるサガの肩を叩いた。
サガがゆっくりと顔を下に下ろし、眉尻を下げた。

「しかし、教皇さまに叱られてしまう」

「明日やればいいだろう? 気長にやれってジー様も言ったしさ。明日にしよ、明日!」

ジーさまとは教皇シオンのことである。

「俺たち、まだちょっとしか生きてないんだぜ。二百ん十歳のじーさんにはかなわないって!」

アイオロスはそういうと、そのまま崖の斜面に脚をかけ、トンッと地を蹴った。
二人がいた場所は、スターヒルには及ばないまでも、それでも標高の高い崖のような山の中腹にある出っ張った、僅か2メートルの奥行きしかない場所だったのである。

アイオロスは軽快な足取りで適当な足場を見つけては軽やかにそこに脚を付き、羽がはえたように飛び上がる。
サガはもう一度星空を見上げた後、その後を追った。

 

 

「それじゃ、また明日」

サガは軽く手をあげてアイオロスに別れを告げた。
サガは十二宮へ、アイオロスは聖域郊外にある家へ。

普段アイオロスはすぐに背を向けるのだが、別れを告げてもなおアイオロスは考えるようにそこにたたずんでいた。
サガはこういう場合、別れる相手が背中を向け歩き始めるまで動かない。
アイオロスはそんなことを気にするでもなく、さっさと背を向けるタイプだ。

「どうした、アイオロス?」

なかなか帰路につかない彼を見て、サガは首を傾げた。アイオロスは苦笑いを浮かべながら、

「ちょっとな……」

言葉を濁す。
彼にしてはらしくない。
サガはますます目を丸くした。

「あのさ……今日、サガんところに泊まっていいか?」

「え?」

「だめか?」

「いや……私は構わないけど」

「そうか……よかった」

アイオロスの顔に笑顔が浮かぶ。
サガはまったくもって彼の意図がわからずキョトンとしたままだった。
そんなサガなどまったく気にもせず、アイオロスは意気揚揚と家とは反対の方向へと歩きはじめた。

「ちょっと待って。いったいどうしたんだ?」

アイオロスの後を追い、真横に並んだサガはきいた。途端にアイオロスは顔の中央に皺を寄せ、顔をしかめた。

「明日は満月だろ?」

ついっと顔を斜めに上げる。目の前には大きな月が神秘的な輝きを放っている。
サガは首をかしげたまま無言でアイオロスに話の先を促した。

「うちにチビがいるだろう?」

「弟のことか?」

「ああ。チビがな、ここ数日泣き止まないんだ……昨日も五月蝿くて眠れなくてさ……」

心底うんざりしたようにアイオロスはため息をついた。

「それと満月がどう関係あるんだ?」

「原因が満月なんだよ」

「満月で泣くのか?」

「満月っていうか、丸い形の月だな。満月の前後の夜は、もうそりゃすげぇのなんのって……。一晩中泣きっぱなしだぜ」

「私は……子供のことはよく分からないが、あの年頃の子は泣くのが仕事というくらい泣くんじゃないのか? 別に満月だからとか……」

「いいや、違うんだ。そりゃ確かにウチのは、俺の弟か? て疑っちまうほど泣き虫で寂しがりやで弱虫で、毎日泣いてるんだけどさ。満月はまた別なんだ、別!」

アイオロスは立ち止まって身体をサガに向けた。サガは瞳を瞬かせ、首を傾げた。

「アイオリアはな、満月が怖いんだと。それで夜になるとビャービャー泣きやがるんだ」

思わずサガはぷっと吹き出した。

「満月が怖いなんて、おかしいな」

「だろう? よく分からないけどさ、あの丸くデカイのが怖いみたいなんだ。しかもほら、月って自分達を追ってくるように見えるだろう? 前に夜、散歩に連れて行かされたときなんて、そりゃもう……」

思い出すのもいやだとばかりに、アイオロスは顔を歪める。サガはクスクスと笑った。
アイオロスはその様子に、むっと顔をしかめた。

「お前なぁ、笑い事じゃないんだぞ。夜中に隣でチビに泣かれてみろ。たまったもんじゃない。昨日も家に帰ったらビャービャー泣いてて、寝不足なんだぜ」

サガはごめんと謝りながら、クスクスと笑いつづけた。
最強無敵の黄金聖闘士の弱点は満月が嫌いな小さな弟なのが、おかしくてたまらなかった。しかも、

「アイオロスは弟……アイオリアだっけ?、と一緒に寝てるのか?」

と、笑いながらたずねた。
彼が弟と一緒に寝ているのも、サガにはおかしかった。
自信に満ち溢れプライドが高く、後輩や部下にも厳しいすぎるほど厳しいアイオロスが、小さい弟の面倒を見、それに振り回されている上に、一緒に寝ているとは想像できなかったのである。
サガが知るアイオロスは、「甘ったれるな」の一言で、自分の弟ですらつきはなすように見えた。

アイオロスは益々むっとなり、語気を荒げる。

「仕方ないだろう! 俺は毎日昼間は聖域にいってるから、教皇が夜くらいは面倒をみろってさ。んで、チビも俺が帰ってくると、脚にくっついてはなれないんだ……。絶対、あいつは俺と血がつながってない。俺はあんな惰弱な人間じゃないからな!」

「だったら家に帰ってやらないとな」

アイオロスは絶句した。
月明かりを受けて輝くサガは、満面の笑顔を浮かべていた。それは美しいとアイオロスに思わせるほどのものだったが、それとは裏腹に、彼の口からでた言葉は アイオロスにとって奈落の底に突き落とされたといってもいいほどの衝撃的なものだった。

「お前、親友がピンチなのを見捨てるのか?」

アイオロスは頬を引きつらせながら、ようやく言葉を吐いた。だが、サガは心外だという風に瞳を僅かに見開いた。

「見捨てる? 別に見捨ててはいないだろう」

「見捨ててるじゃないかよ! 俺は困ってるんだぜ!」

「でも、お前の弟はお前が帰ってこないと寂しがるのだろう? 世話をしてくれる人がいるからといっても、やはり肉親の愛情にはかなわないよ」

アイオリアとアイオロスの両親は、アイオリアが生まれてすぐに事故で他界していた。だからアイオリアにとって唯一の肉親はアイオロスだけなのだ。

「愛情!? 俺はあのチビに愛情なんてもったことない。変なことを言うなよ!」

「分かった、分かった。そう熱くなるなよ、アイオロス」

「お前は全然分かってないぞ、サガ! 俺がどれだけあいつに迷惑をかけられているか……夜も眠れない、俺の気持ちがお前に分かるか!?」

「昼間、居眠りしてるじゃないか。だったら平気だよ」

アイオロスは自分の苦労を理解してくれない親友に息巻いた。だがサガは、アイオロスの肩に手をかけると、ぐっと力を込めて身体を回転させた。

「いいから、今日は帰ったほうがいい。弟が待ってるんだろう。そんな話を聞いたら、私はお前を双児宮に泊めることはできないよ。もしどうしても帰りたくないというなら、悪いけど他をあたってくれ」

サガはそう言って、アイオロスの背中を押した。


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