Valentine's Sex

人馬宮の寝室でアイオロスは腕の中でまどろむサガの青銀の巻き毛に口付けた。

サガがその気配を感じてまどろみの中から目を覚ましす。

「サガ、知ってるか? 女神がいらっしゃる日本では、バレンタインにチョコレートをあげるんだって」

「……なんでそんなものを……?」

「星矢が言うには、菓子メーカーの陰謀なんだって言ってたな」

「チョコレートしかだめなのか?」

「そういうことなんだろうな。でもたまにはそういうのもいいと思わないか?」

そう……、とサガはだるそうな声で興味も無さそうに小さく呟く。

「特に手作りっていうのが愛情が篭っていて人気があるらしいんだ。俺も、サガの手作り……」

アイオロスがサガの顔色を伺おうと首を傾けた。だがその瞼は閉じられ、口元からは規則的な吐息が漏れている。

すでに情事を数回重ねた後だったためサガは眠りの神の誘惑に勝てなかったのである。

アイオロスは唇に笑みを浮かべ、その寝顔を愛しい気に眺めた。

今の話はサガにとっていつものくだらない話の部類になるのだろう。おそらく目を覚ましたときには忘れているに違いない。

まぁ、いいか。どうせ他のものを貰えるだろうしと、そう考えを改めてサガの頭髪に優しくキスを落とし、アイオロスも瞼を閉じたのであた。

それから数日後の14日。

アイオロスは小さな包みと真っ赤なバラの花を持って双児宮を訪れた。

しかし、

『作業中につき立ち入り禁止』

私室への出入り口となっている扉に大きく書かれた張り紙を見て驚愕に目を見張った。

今朝、トレーニングに出かけたときにはなかった張り紙である。

アイオロスは仕方なく双児宮に入るのを諦めた。

しかし午後になって再び訪れても、それはアイオロスの入室を阻んだままだった。

アイオロスは扉の前で瞳を閉じて思考を巡らせていた。

ここで足を止めるのは、本日3度目である。すでに日はかげり夜の気配があたりを満たしている。

ふとアイオロスの頭に豆電球が光り、彼は大きく頷いて笑顔を作った。

そのまま双児宮をぐるりと周り大きく開けたテラスを覗くと室内からは灯りがもれ、中に人がいることが分かる。

そしてテラスにはアイオロスの入室を妨げる張り紙はなかった。

なんなく双児宮の私室への侵入を果たしたアイオロスは首をかしげた。

室内は普段と異なる香りに満ちているのだ。

香ばしいく甘い香り。

チョコレートである。

リビングからダイニング、そしてキッチンへと行くにつれてその香りは濃度を増していく。

そしてキッチンへと入ったアイオロスは、そこでようやく目的の人物を発見し瞳を輝かせると同時に苦笑を浮かべた。

キッチンの作業台の上に置かれたチョコレートの山と格闘しているサガの姿に、なぜ「立ち入り禁止」であったのか理解したのである。

サガは机に置かれたテキストを見ながら銀色のボールをしっかりと抱え、ゴムベラでグルグルと夢中になってチョコレートをかき回している。そしてボールに指を入れて一掬いチョコレートを取ると味をみる。

指をくわえた途端サガの眉間に数本の皺が刻まれる。

「また失敗だ……」

サガはゴムベラを無造作にテーブルの上に放り投げ、がっくりと肩をおとした。その様子はサガが今日何度もそれを失敗し、かなりイラついていることが容易く想像できた。

そしてサガはチラリと壁にかった時計に目をやる。

時刻はすでに8時を過ぎている。

「もう……間に合わんか」

イラついた表情には諦めと疲労、そして悲しみの色が混ざっている。まさに燃え尽きたとでもいわんばかりに憔悴感を漂わせたサガは、椅子に腰をかけると両手で顔を覆った。

それはどんなささいな事でも手を抜かず一生懸命真剣にやってしまうサガが、今までどれほどこの作業に精魂注いだのかを物語っていた。

「サガどうした?」

アイオロスが戸口から声をかけると、丸まったサガの背中がビクリと震える。そしてゆっくりと現れた顔には悲壮感すら滲んでいた。

「ア、アイオロス……」

「もしかして俺のためにチョコレート作ってくれたのか?」

「ちが……っ」

サガは慌てて否定をするが、この状況ではまったく意味がなく口をつぐみ俯いた。ぎゅっと唇をかみ締めるサガをアイオロスは優しく見つめた。

「アイオロスが……手作りが欲しいなんて言うからいけないんだ」

ややあってサガは僅かに口を尖らせチラリとアイオロスを上目遣いで睨む。アイオロスは驚きと嬉しさを隠しきれなかった。

「なんだ。あれ、覚えていたのか」

「『覚えていたのか』だって?人のことを起こしてまで、話したくせに!!」

「そうだっけ? でもすぐにまた寝ちゃっただろう。だからてっきり覚えてないかと思ったよ」

「ああ、まったくその通りだ。あんなこと覚えてなければよかった……」

サガは憮然とした表情で俯いた。

その理由はこの状況を見れば明らかである。

アイオロスは微笑ましくサガを見つめながら苦笑を漏らした。

「お前、以外に不器用だもんな」

そうアイオロスがくくっと笑って言うと、サガはカチンとなった。

「お前が手作りがいいって言うから、作ってみたんだぞ! それを……この馬鹿ッ!」

「まぁ、そう怒るなよ。で、これのどこが失敗なんだ? 美味そうじゃないか。あとは固めるだけじゃないのか」

アイオロスはサガの真後ろからボールの中身を覗き込んだ。そこには湯銭から上げられた溶けたチョコレートが綺麗な螺旋を描いていた。

「もう固まり始めてるし、それに美味しくないんだ。……それどころか不味い。甘すぎるんだよ。それにその前に作ったのは固まらなかくて失敗したし、さらに前のは湯銭に失敗した。それから固まったと思ったら白くなってしまったのもあったし、途中で固まってしまったのもあれば、まったく味のないチョコができたのもあった。テキスト通りにやってもどうしても上手くいかんのだ」

サガは相変わらず憮然としたまま指先でそれを掬い、その指先につくチョコレートを忌々しげに睨み付けた。


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