掲載: 2000.6.11

東京新聞群馬版 2000年6月10日付
「信越線旧熊の平駅で殉難慰霊祭、土砂崩れ事故から50年」

 JR信越線横川ー軽井沢間にあった旧熊の平駅で1950年、国鉄職員や住民がのみ込まれ死亡した土砂崩れ事故で、犠牲者を供養する「熊の平殉難慰霊祭」が9日、松井田町坂本の現地で行われた。碓氷峠越えの鉄路は廃止されて3回目を迎えたが、参列した内田武夫町長は「観光鉄道として鉄路再生を実現し、その列車で慰霊に訪れる人を迎えるのが夢」と犠牲者に誓い、出席した関係者に「協力してほしい」と呼び掛けた。
 慰霊祭は、日本鉄道OB会坂本支部(武井五郎支部長)が毎年、事故があった9日に実施。事故後50年に当たる今回は、小雨の中、地元の国鉄OBや町、JR横川駅関係者ら約25人が出席して、しめやかに営まれた。
 事故は、50年前の6月9日早朝、前夜に発生した土砂崩れの復旧作業をしていたところを2度目の災害が襲い、国鉄職員や作業員、近くの国鉄官舎の住民が犠牲になり、死者50人、重軽傷者24人を出す惨事となった。その際、官舎の下に押しつぶされながら、乳飲み子を抱えて息絶えた若い母親の姿をモチーフに、当時に国鉄関係者約50万人の浄財で殉難碑が建てられている。この日出席者は、旧熊の平駅構内にある殉難碑と位牌堂周辺の草刈りを行って花を供えた後、一人ひとりが焼香した。
 武井支部長は、「当時を知るOBら関係者も高齢化しているが、できる限り慰霊を続け、事故の悲惨さや教訓を後世に伝えたい」と話していた。




応援団注記:
廃止された旧信越本線の横川−軽井沢間の線路敷地内(旧丸山変電所付近も含め)は全線立入禁止です。熊ノ平構内も一般の方の立入りはできません。アプト式旧線についても、「アプトの道」として公開されている区間以外は立入禁止です。ご理解をお願いいたします。



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