屋外展示車両

下記に掲載されている写真と記事は全て、碓氷峠鉄道文化むら設立準備室の許可を得て、関係者立会いの元で取材したものです。

撮影:1999.2.28

1999.2.28現在、上記のように配置されています。
階段を設けている箇所があり、間近に見ることが出来るようになります。
   
キニ58 1 DD51 1
[キニ58 1]
1963年(昭和38年)製造
非電化区間の小荷物を運ぶ目的で製造された車両です。
普通列車、急行列車に連結されて活躍しました。1986年(昭和61年)の列車による郵便・荷物輸送の全廃に伴い、現役を引退しました。

[DD51 1]
1961年(昭和36年)製造
非電化区間の貨物・旅客両用の万能ディーゼル機関車で、本線用の大型機関車として始めて凸型車体が採用されました。現在でもJRの非電化各線の第一線で活躍しています。
この1号機は、秋田地区に投入され、奥羽本線で活躍し、現役を引退しました。

   
EF59 1  オハユニ61 107
[EF59 1]
1963年(昭和38年)改造
山陽本線 瀬野−八本松間の急勾配に使用された補機で、EF53から改造されました。この区間は上り列車方向に一方的に上る勾配で、補機を必要とする列車の最後尾に連結されました。勾配区間を過ぎると、走行中に連結を自動開放する装備も持っています。現在は後継のEF67にその座をゆずり、1984年(昭和59年)に現役を引退しました。

[オハユニ61 107]
1955年(昭和30年)改造
大正時代に製造された木製客車を鋼体化改造した客車です。
全国各地のローカル線に投入された普通・郵便・荷物合造車です。
   
EF60 501
[EF60 501]
1963年(昭和38年)製造
電気機関車といえばすべて茶色だった時代に、ブルーにアイボリーのストライプも鮮やかに颯爽と登場した、寝台特急牽引専用機関車です。。
当時、動くホテルと呼ばれたブルートレインのはしりであった20系を牽引するために特別な装備を持ち、P型と呼ばれていました。ブルートレイン牽引を後輩のEF65 500番代にその座を譲り、一般貨物機として晩年は活躍しました。
   
EF63 1  ナハフ11 1
[EF63 1]
1962年(昭和37年)製造
ご当地、碓氷峠専用補機。昭和38年10月にそれまでアプト式という歯車を噛み合わせていた方式を、通常の粘着運転に切り替えるために開発された画期的機関車。
碓氷峠の登坂、降坂に拘わる数々の特殊装備を持っています。
(特殊装備の解説は「碓氷峠とは」ページに掲載されています。)
昭和62年に現役を引退しました。

[ナハフ11 1]
1957年(昭和32年)製造
軽量客車といわれる、今日の客車構造の基本となった車両です。デビュー当時は、全国各地の特急・急行用として活躍しました。晩年は急行・普通列車と活躍しました。
   
EF62 1
[EF62 1]
1962年(昭和37年)製造
EF63によって近代化された碓氷峠を越えて上野−長野間の通し運転用として開発された信越本線用電気機関車。
線路路盤の弱い信越本線で使用するため、軽量化に主眼において設計された結果、独特な構造の台車、屋根上の一部がFRP(強化プラスチック)で構成されるなどの特徴を持っています。EF63と同様に、碓氷峠の登坂、降坂に拘わる数々の特殊装備を持っています。

   
EF15 165
[EF15 165]
1958年(昭和33年)製造
戦後の貨物用標準電気機関車として大量に増備された、昭和の物流を支えた名機です。直流区間のほとんどに足跡を残しています。この165号は晩年、高崎に所属し、高崎線、上越線、両毛線、吾妻線などで活躍しました。
 
EF53 2
[EF53 2]
1932年(昭和7年)製造
戦前を代表する本格的本線旅客用電気機関車です。東海道本線で特急、急行列車の先頭に立って活躍しました。
晩年は、東北線、高崎線で活躍しましたが、1963年(昭和38年)、全機が前述のEF59に改造されて補機として活躍しました。
なお、展示のEF53 2号機は1987年(昭和62年)にEF59 11号機から復元改造されたものです。
   
EF58 172
[EF58 172]
1958年(昭和33年)製造
戦後の旅客用標準電気機関車として、貨物用のEF15とともに大量に装備されました。平坦直流区間ではほとんどの線区で見られた機関車です。
この172号は宇都宮に所属し、東北、高崎線で活躍し、昭和天皇のお召列車の先頭に立ったこともありました。縁取りを銀にする、お化粧塗装は、お召列車牽引当時を再現しています。
   
EF80 63
[EF80 36]
1966年(昭和41年)製造
取手以北が交流によって電化された常磐線の直通運転用の製造された交直両用電気機関車で、1台車1電動機を採用しています。貨物・旅客両用で、ブルートレインから貨物列車まで、万能機ぶりをいかんなく発揮しました。就任から引退まで他の線区で使われることなく、全機とも常磐線、水戸線で過ごしたのも特徴です。1986年(昭和61年)に引退しました。

[オハネ12 29]
1958年(昭和33年)製造
軽量客車の寝台車で、ブルートレインの基本となった車両です。デビュー当時は、全国各地の特急・急行用として活躍しました。晩年は急行・普通列車と活躍しました。 
   
EF70 1001
[EF70 1001]
1964年(昭和39年)製造
田村以北(現在は長浜)が交流によって電化された北陸本線で、重量列車を牽引するために製造された交流電気機関車です。
1001号は、高速貨物・寝台特急客車を牽引するために、一般型から改造され、高速から安定してブレーキが掛けられる装置をもっていました。
現在は、京阪神圏の直流から北陸圏の交流へ直通出来る交直両用のEF81型にその座を譲りました。
 
EF30 20
[EF30 20]
1968年(昭和43年)製造
下関−門司間の関門海底トンネルを通過するために製造された交直両用電気機関車です。
本州側の直流、九州側の交流を直通出来、なおかつ海底トンネルの塩害からの腐食を防ぐために車体がステンレスで作られています。
関門トンネルでは、貨物から寝台特急客車まで、機関車牽引列車はすべてこの機関車にお世話になっていました。
現在は、後継機である交直両用のEF81 300番代 400番代のその座を譲りました。
この他の屋外展示車両の搬入予定車は、以下の通り。
[DD53 1]
[キハ20 457] [キハ35 901]
[スエ30 9] [マイネ40 11(オヤ41 2)] [オシ17 2055(オヤ17 1)]
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