東京ドロップイン・センター
新宿あけぼの会


連絡事務所
〒169-0072
東京都新宿区大久保1−1−2 富士ビル4F
日本障害者センター障都連内
連絡先 stalin@kha.biglobe.ne.jp
(連絡は午前8時〜午後10時までにお願いします)


東京ドロップイン・センターとは

〈安心して気楽に立ち寄る当事者の会です)

 1993年9月1日より、私たち精神障害者当事者のいこいの場として、新宿あけぼの会として発足し、その後東京ドロップイン・センターに発展しました。ドロップインとは精神障客者が気楽に立ち寄れる場所のことを言います。とくに、新宿区は東京女子医科大学病院精神科をはじめ、各大学病院があり、またクリニックもあります。さらに千駄ヶ谷駅近くに代々木病院精神科もあります。そのため、東京都内だけではなく、埼王、千葉、神奈川からも当事者が新宿区内に通院しています。ですから新宿区はじめ、東京、各県の方も参加できる当事者のセンターです。


会報目次
91号 92号 93号(工事中) 94号 95号

91号 会報より 


                 税金ドロボー?  
                                       ある地方公務員

 この4月に転勤となり○○館にきて管理係ということで勤めてきましたが、係長非組で保守的な人間で私には仕事を教えることはせず、私がパソコンができないことをよいことに仕事をあたえないでいる。
 それで、仕方なく縄文土器、博物館法、教育委員会の機構などを勉強?してきた。これらの勉強は写本主義であり、そのとき理解しても時間が経つにつれて分解消滅する性質をもっている。
 尚、パソコン技能受得については、友人とともに秋葉原の中古センターをまわったら、一台15万円程かかるといい、その教授は私の自宅に出張する形をとることであったが、2時30分×2、講師勉強1時間、授業1時間(これら授業料通算したら7万円と)、そして合計7時間もかかるということで断られてしまった。
 それで、私が買った機械を・・・と言ったら、それも困ると断られてしまった。
 また、15万円もする中古のパソコンは保証期間が5〜6日間ど短く、働いている者にとっては全部調査することは不可能である。と、いう経過で私は管理係の実務を殆どやっていません。これも精神障害者であるから、もし、このような障害がなけれぱ仕事ができたことはたしかである。
 しかし、役所というところはいいところであって夏のポーナス満額91万円もらえた。
 これは、「税金ドロボー」になるのかどうか、わからないないが?

(注)本当の税金トロボーは、もっと別の人であり、しかも金額も多いことである.現在、検察庁の捜査を受け逮捕されていることはマスコミにも出ているとおりです。


皆様 始めまして そうださちこ、と申します。

 私は、精神病院を退院して三十年となります。二十歳から十年間、入退院して実質五年位の入院生活でした。今となれば短かったと思いますが、当時は先の見えないつらい毎日でした。胸の内を吹き荒れていたものが三十歳を境にスーッと消えました。
 退院してお薬を戴きながら洋裁をしていました。馬場礼子先生には数年、分析と助言をいただいていました。そのうち縁あって結婚しました。夫は、のこのこ通院について来ました。15年間の幸福な暮らしでした。夫は、老衰の診断を受け亡くなりました。その間、そう、鬱の波は有りましたが、薬の指示を受けながら通院していました。夫が亡くなるとすぐホームヘルパーになりました。一日七時間という介護でしたが今では考えられないゆとりがあったと思います。五年間位は好景気、人手不足で元気に働いていました。バブルがはじけ家政婦協会の仕事は少なくなり私は、ほほえみサービスという有料ボランティアの仕事を重点的にするようになりました。おっとりと、でーんとしていてくれということですが、そこまで人間ができているかどうか、それもけっこう難しいんですよ。今回はこれまで。ちょっと自己紹介まで。どうぞよろしく。


小川公江さんの病気見舞いにいって                       沢田儀雄

 7月3日(土〉、小川公江さんが入院している○○病院に見舞いに行ってきました。行くとき始発駅のホームで家族の方が待っていて下さって一緒に病院に行くことができ、迷子にならずにスムーズに小川さんに面会することができました。
 小川さんは、1996年頃、発病が発見され、97年に入院し今日に至っています。小川さんは、そのとき私がもって行った「東京ドロップインセンター」のニュースと、まず封筒を見て、何回も手にとって、第三種低料金郵便物とか記事の内容について指をさしながら非常に喜んでいました。声が病気のため出すことが非常に困難で本人が必死になって話をしているのですが、私にとって非常に聞きずらく家族の方が「いま、こういうことを言っている」と通訳して下さったので話が通じました。私と小川さんの関係は、私は、「バーサン、パーサン」と呼び、小川さんは私には「このバカタレ」と呼びすてにする程、仲が良く、理念も感情も通じる人間関係であったのです。

社会的にはキチガイ扱いされていた・これは、社会的偏見そのもの

 小川さんが、ある事務所にカンパをもってたずねたことがありました。そこは、一般社会人のいるところでありましたが、「ここに出入りするナ」と言われたことです。本人は私にこの経過を話して悔し涙を流していました。これはまったく社会的偏見そのものであるということです。私自身も、現在は年の功もあっておちついてはいますが、子供のときから大人になっても異常行動をとっていたものです。約40年位前のことですが、ある地位にある人が私に直接「おまえは頭がおかしいのではないか」と言われたことがあります。そして言葉だけではなくさらに「沢田は、頭のおかしい人間である」と文章として正式に書かれたことがあり、しかも1回だけではなく数回も書かれた苦い体験があります。精神障害者は異常行動をおこすものです。これを社会が異常行動は「障害からくるものだ」とあたたかく認めてほしいものです。

小川公江さんは精神障害当事者運動の、しかも女性としての先駆者の一人であること

 小川さんについて、社会的にも当事者の人からもいろいろ悪く言う人達や、いろいろご批判があることは確かです。1992年9月10日、新宿駅近くで秋元波留夫先生をかこんで小川さんや私も参加させて頂いて懇談会を開きました。そのとき、小川さんは当事者としてのつらさを涙を流しながら切々と訴えました。そのとき秋元先生からいろいろアドバイスを受け、そのつらいなかでも、頑張っていこうと、私は今も思いうかべるものです。このときの懇談会の記念写真は、現在もあります。

 そして、小川さんはどんなにつらくても、間違った理念に対して妥協はせず、筋を通し続けてきた当事者でした。そのため逆に快く思わない人達からは批判と攻撃を受けてきた経過もあります。私として感ずることは、小川さんは根本理念をもった先駆者の一人であり、しかも女性の当事者として頑張り抜いてきた人であったということです。

全国精神障者団体連合結成大会を、一番感激した人に小川公江さんがいたこと

 1993年4月、全国精神障害者団体連合会結成大会が開かれました。この結成大会のための実行委員会がつくられましたが私も実行委員の一人でした。結成大会が終了したとき、日頃お世話になっていた代々木病院精神科の看護婦さんが私のところに駆け込んできて、「沢田さ一ん、結成大会は大成功でしたネ」「ウン」と二人で喜び合ったものです。だが、このとき一番喜んでいたのは小川公江さんでした。小川さんは結成大会が終わって帰る人達に向かって「ありがとうございました。ありがとうございました」と繰り返し、繰り返し挨拶をしていたことです。その時の小川さんの姿が今も私の心に大きく印象強く残っています。小川さんの健康を祈りつつ私の報告と致します。




会報92号

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