9月勉強会より

     患者から家族に伝えたいこと           
                
講師 精神医療サバイバー 広田和子さん


 私の今の生活や行動についてはお手元の資料を御覧になってください。私は生活保護で暮らしていますので、そこから医療費がでますし、全国どこで具合が悪くなっても救急車で生活保護の休日急患用のベッドが無料で使えます。で、私は国からお金がでておりますから国家公務員だと思っておりますし、そのへんの大臣以上の働きはしてるんじゃないかと思うくらい日々相談に追われております。

 しかし、時折、せつないなと感じることがあります。厚生労働省の委員会などに参加していて
も、この瞬間、33万人の方が入院中なんだと思っても何もできないなと、ただただ無力感を感じずにはいられません。
 見かけは元気なんですが、いつ入院してもおかしくない生活で、12時間くらい横になっているような生活を送っております。たくさんの抗精神病薬を飲んでおりますので非常に喉が乾いて疲れます。本日はそういう観点から家族に伝えたいことということで、私の母に対して こうだったらいいなと思ったことや、日々の相談活動の中で仲間がそれぞれの家族について感じていることを中心にお話できればと思いますが、途中で質問や感想を挟んでいただければと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
     
○精神医療と家族

 私は昭和21年に産まれまして非常に貧しい日本と共に生きて来ました。祖母にも貧乏人といわれてきました。それを差別だと感じたことはありませんが、そういう体験をしてきました。当時は今より茶髪でしたから「あいのこ」といじめられることもありましたし、家庭では長男の弟の方が女の私よりもごはんの量が多かったなどいろんなことがありました。

 15歳ごろ教師は高校に受かるくらいの学力はあるといわれていたのですが、私はそれを断わりました。貧乏してきた辛さを体験してるから自分の兄弟にはそんな思いをさせたくないと就職で入社試験を受けました。もし、そのときに親戚を頼って進学していたら私の人生は違うものになっていたはずなのですが…。  

 当時、中学生は「金の卵」といわれていましたから、就職するには今と違って有利な時代でした。一度は受かったといわれたのですが、後日、担任に知らされたのは「お前、会社落っこったぞ、お前のお袋が悪いんだ」ということでした。母は自分が悪くないことを証明するために聞き回ったところ、家庭調査とういものがあって近所に聞いて回られたんだと、近所の方は「広田さんのお嬢さんはいい方なんだけど、親の夫婦喧嘩が絶えない」「毎日、朝鮮漬けばかりたべてるから朝鮮人なんじゃないか」ということで落ちてしまいました。

 そのときに母は「うちは朝鮮人じゃなくて日本人よ」といいました。当時15歳の私は「朝鮮人でも日本人でもどっちでもいいけど、仮に朝鮮人だとしてなぜ就職できないの?」と、同じ日本人でありながら民族差別を体験してしまいました。なかなか珍しいことだと思います。

 私がはじめて差別を体験したのはそのときです。それは精神障害者になってみて皆が差別され
てると騒ぐのですが、15歳のときの体験から、差別は別に精神障害者だけじゃない、誰にだってある。時代によって違う。今、キムチを食べているから朝鮮人だということで就職できなかったら大変な人権問題ですが、40年前はそういったことが普通に行なわれていました。

 結局、下請工場に就職しまして定時制高校と両立しながら働いていたのですが、難しくなってきました。朝6時に起きて工場に行って夕方4時半まで働いて、かけ足で5時半から授業を受けて9時に授業が終わって家に戻ると夜の10時です。食事をして入浴して、それから自分の衣服を縫うといった非常にハードな生活をしておりました。両立が難しくなったのでエレベーターガールに転職したりなどして卒業いたしました。それから民間企業に就職して8年ほど行っておりました。

 その間にいろいろありましたが、高校2年のころには父が一切帰ってこなくなったことで私は 10代にして一家の大黒柱になりました。そのときには感じてなかったのですが、今にして思えばものすごく疲れていたはずです。ですから、本人が「疲れてる」と口に出せたら、それはものすごくいいことだと思います。疲れを疲れという風に親にでも他人にでも誰にでも言えることはものすごく大事なことだと思います。

 しかし、私は疲れているという自覚のないまま働いていました。父が出ていって1円の仕送りもないですから借金が火だるまのようにできて、結果的に借金を返すために父が転がり込んでいた赤ちょうちんの女中さんを今から33年前にやっておりました。

 ちなみに、そのときの体験が今につながってます。人に出会ったときにお客さんなんだから相手が朝日新聞の記者であれ港湾労働者であれ同じような対応をするという人との付き合い方、人は肩書きや身分ではなくて人間性なんだということを20歳にして知りました。その頃は昼間民間企業で働いて、その後市電に乗って赤ちょうちんに行ってお酌しながらお客さんのグチを聞いたりしてました。

 でも、今一人で飲みに行ける店って少ないですよね。年間3万人の自殺者といいますが、これは交通事故の3倍なんです。中、高年の男性が多いのですが、良く考えてみると私にはそういうグ
チをこぼせる店がありました。私はこの活動をやめたらおでんやでも始めようかと思うのですが…居酒屋じゃなくても友だち同士でぐだぐだいえる場所が必要ですね。皆様も家族会で集まったときに皆で同じ思いを共有できるように、一人でもいいから自分が心を打ち明けられる人がいればいいと思います。

 結果的に25歳で父が亡くなってお通夜や葬式で三日間眠れなかったということがありました。それから30歳までいろんなことがありましたがとにかく会社には行けていました。で、30歳ぐらいになって朝起きれなくなりまして、それが、精神病院へ行く一つのキッカケとなりました。眠れなくなって朝起きれなくなって会社に行けなくなって、出社拒否ということで結果的に会社をクビになりました。

 会社に原因があったわけでもなく、私も仕事ができないわけではなかったのですが、母との生活
に疲れていました。私の母は大正4年生まれでしたから、例えば、出かけようと思うとやれ忘れ物はないかから始まって生活保護を受けているのに派手な格好をするなとかいうようなことをずっと言われておりました。もう一つには母が祖母から非常に差別されて育ってきたというのがありましたし、父に捨てられたという恨みを小さい頃から聞かされて育ってきました。そういったこと一つひとつに非常に疲れておりました。今、20数年前に出社拒否になったのは何だったの?と聞かれたときに、やっぱり母との関係に疲れたのではと答えます。それにしても日本人って褒めるの下手ですよね。皆さんは病気の本人を「褒めてあげてください」とお願いいたします。

 数年後、服薬しながら復職いたしました。当時は私の代わりに母親に薬を取りに行ってもらっておりましたが、あるとき、医師から「あなたはたまに薬を飲み忘れることがあるんじゃない?」と言われました。どうやら母が医師に伝えたらしいのですが、アレルギー体質だと言ったにも関わらず先生の判断だからということで注射を打たれてしまいました。

 それからが大変です。ムズムズする、ジッとしてられない、座ってられない、寝ていられない…という状態になり、横になっているのは一日1〜2時間くらい、後は22時間よだれをたらしながら歩き回っておりましたし、視力も0.1から0.01に下がりました。何を飲んでも食べても鉛のような味がするという幻味も体験しました。これはアカシジアという副作用でした。疲れること、口が乾くこと、三大副作用で、あとは、舌がペロペロ出る、目がつり上がる、身体が硬直する、便秘になる…いっぱいあります。行動障害とか多動障害という病気もあるのですが、まず精神科にかかわっている方がこういうことを言ったら、広田という人がこれはアカシジアだと言っていたということを思い出してください。

 そのアカシジアのせいでて緊急入院しました。もうこの病院は信用できないから横浜市大病院に
行きたいと言ったときに、医者に「今のこの状態はどこの誰が診てもどうしようもありません。私のミスでした。私に任せていただきたい、緊急入院してください」と言われて絶望的な気持ちで鍵と鉄格子の閉鎖病棟に入院いたしました。

 私はその後、薬の調整ができて退院いたしましたので「精神医療サバイバー」、精神医療から生
還してきたという意味で、こう名乗っております。
 会場の中でご本人が精神障害で入院されたという方はどのくらいいらっしゃいますか?その中で入院生活がイヤだったと言われた方は?そういう方を「精神医療サバイバー」といいます。

 で、親が恨まれてる方は?それは本人が悪いわけではなくて、そういう医療水準が低いことが問
題なのです。お腹が痛くなって救急車で運ばれて手術で盲腸が治ったら恨むことはないんです。精神科だけなんですよ、恨まれるのは。ということは恨まれるだけのヒドい医療なんです。そういう体験をしたということを、ご本人に家族の方が聞いてください。そして、いっしょにグチを言わないで欲しい。私の場合のように精神科には内科や外科では起こりえないことがあります。家族は家族で大変だと思います。ですが、こういう精神医療の中でヒドイ体験をしたということを、ぜひ、わかっていただきたいと思います。

 1960年代にアメリカが月に行ったわけですよね、でも、私は月に人が行かなくてもいいから、もっと薬を開発していただいて、鍵や鉄格子をなくしていただいて他の医療並にして欲しいと思います。それが、家族である皆さんに対する最大のお願いです。

 多くの仲間が、ご本人が精神病院のつらい話をしたとき、率直に謝っていください。「私達は知らなかった。知らなかったけどそこに預けるしか方法がなかった」と。もし、今、家族会に入っていることを本人に黙っているのなら、「いい医療にするために今がんばっている」と言ってあげてください。そして、そういうことのためにみんなががんばらないといけないし、そういうことを病院に伝えていくことが大事です。ひいては、安心してかかれる精神医療にしてくださいと伝えていってください。一人で言えないのなら家族会として声を上げてください、それが私の最大の願いです。
(会場から質問がでました)

質問 今、親に対する気持ちは?

回答 私は人を恨むって気持ちが湧かないんです。今でも母ってあわれな人だったなぁって思います。弟から亡くなったって聞かされたときも「あ、そう」とは思ったのですが、亡くなる予感はしていたのでそのくらいだったと思います。母が良く言っていたのは「人のためにいくら尽くしても、結局、落ちていくときは一人よ」それはそういう人生を歩んできた母の体験から出た言葉ですから恨むことは一度もなかった。もっと楽しく暮らせたのにとは思いますが…母との生活に疲れたとは言いましたが私が出る手もありました。

 母のことを晩年は下の名前で呼んでました。つまり、もう私が親、母が子供という関係でした。それが親戚の人たちは気に入らない。自分の親をお母さんとも呼ばないなんて!。でも弟は「そう呼ばなければいられないほどの心境をわからない奴が口を出すな。そんなのほっとけ」と言ってくれました。

 また、ある意味では私も弱かったです。一家の中で何かがあったときは弱いところに出てきます。
ただ、注射の副作用で入院したときには一瞬だけ病院を進めた兄弟を恨みましたけど、見舞いにシュークリームや花束を一杯持ってきてくれて面会に来てくれたときに病院の人に言われたのが「広田さん、精神病院に面会に来てくれる人は少ないのよ。ましてや物を持って来てくれる人は少ないから皆に分けないで食べてください」そのときに私は始めて精神科が内科や外科とは違うことに気がつきました。単に鉄格子があるだけじゃなく中に入ってる人まで違うんだ。そこで、恨むのは筋違いだなと思いました。それからいろいろと自分で勉強を始めて、この国の精神医療の遅れに気がつきました。それはこの国の問題なのです。小泉首相もせめて精神障害者に1000億円投資してみなさいよっていう世論をあげなきゃって思います。現在でも204万人いるんですよ。家族まで入れれば1000万人は行くと思います。読売新聞購読者より多いくらいです。

 ですから、皆さんは恨まれたら大変な思いをしたんだなと、そう思っていただきたい。それで自分を責めない方がいい。だって、家族を不幸にしようと思って精神病院に入れているわけではないですよね。良くなって欲しいと思うから預けているわけですよね。でも結果的に悪くなって帰って
きたとしたらせつないですよね。そういった状況を私は変えて行きたいと思っているのです。

○精神の病と偏見

 先日、横浜で世界精神医学会大会がありまして、薬の大量投与時代から少量投与になって精神分裂病が統合失調症に名称変更されて、いかにも病気が治るって大宣伝しておりました。元々、「統合失調症」に病名が変わったのは、例えば、御家族には精神分裂病だと知らされているのに、本人には自立神経失調症と伝えられることがあるように、認識が違うということからきております。

 また、病名だけではなく治療方針についてもきちんと知らせていただきたいと思います。私の場合もアカシジアを引き起こした注射を打たれたときにも、インフォームドコンセント、どういう状態だからこの薬を処方したのかという説明を精神科医から受けておりません。これからは治療についてのインフォームドコンセントを行なって欲しいと願っているところです。

 しかし、この間ホームヘルパーの研修で統合失調症に変わったことを知っているかと聞いたら全員手が上がって、統合失調症になりたくない方って聞いたら全員手が上がります。いくら病名が変わってもいきなり治るとは私には思えません。治らないとはいいませんが、病名が変わっただけで喜んでいる場合ではないと思います。

 皆さんの中で自分自身が精神病について偏見を持ってらっしゃる方はいらっしゃいますか? 一言いわせていただくと、家族の偏見ってものすごいんですよ。よく病識がないっていう表現を使いますが、インフルエンザになってる人が受け入れられるとか入れられないとかいいませんね。精神病だって同じ<病気>なんだから、その<受け入れられる>という表現自体が古いんです。いいんですよ。受け入れられなくても、学校教育で精神病を教えてないんですから仕方がないんですよ。それに、皆さんも家族会に参加するまでは病識って言葉を知らなかったんじゃないですか?

 だから皆さんも家族が評論家になってはだめだと思います。家族会に入ったときの初心を忘れないください。何も知らなかったときの自分を忘れないと家族だけが頭でっかちになってしまいますし、それで、本人の病気がよくなるわけでもありません。一番大事なのは家庭環境が良くて薬を飲み続けることが再発を防ぎます。それは障害を持っている本人だけではなくて一緒に暮らしている御家族にとっても大切なことです。

質問 統合失調症に病名が変わったことについて、当事者の立場としてどのように感じられましたか?数年前に広田さんの講演を聞いたとき、「スキゾフレニア」に変えようと発言されてたのを聞いてこれはいいと思っていたのですが…

回答 私の知っている人たちについていえば、精神分裂病のままでよかったという人と統合失調症に変わってよかったという人が半々くらいいて、真ん中はどっちでもいいと、精神障害者以外の人に聞いたところでは統合失調症というのはわからないと、精神失調症の方がまだわかりやすいという意見もありました。私個人としては精神の病だけでいいと思う。精神の病の中の妄想症候群とか幻覚症候群とかでいいと思います。いまはメンタル・イルネス(精神の病)でいいと思ってます。要するに今何の薬を飲んでいるかがわかればいいだけであまり病名にはこだわるよりは治ることがいちばんですよね。
 当事者が良かったと思わなければ病名が変わった価値もないですよね。皆さんのなかで精神分裂病といわれてた人が統合失調症に変わって医者がどう変わったのかという追跡調査をなさったっ方がよろしいかと思います。そのためには大勢で声を上げていくことが必要です。

○精神障害者であることを名乗る

 私などはこの瞬間こそ講演などしておりますが、家にいるときは人が来たときでもずっと横になってて、元気になったときは原稿を書いているという状態です。相談者が新聞などを見て訪れたときでも「この人は何なの?人が来ているのに応対もしないで何してるの?」って言われてしまいます。でも、人が来て応対しなきゃいけないなら一年中応対しなくちゃいけなくなりますから、私は今目的をもって原稿書いてる人間は目的を持って生きることが大事だと言ったら、わかったと言って一晩で帰っていった方もいらっしゃいます。

 私の家に来て生活振りを見れば「広田さんてこんな程度か、家族の方がまだマシだと思えるようになります。洗濯は全自動で全部やっておりますが干すのに2〜3日がかりになります。泊まりにくる人がいるとその人が干してくれますし、汚れているからと部屋の掃除までしてくれます。2、3日家を空けるようなときには隣の方が郵便物を預かってくれてたり家の風通しをしてくれてたりします。
 私の場合、街中では「精神障害者の広田和子さん」で通っておりますし、午前中寝てるってのもわかってくれてますから、たまに午前中に歩いてると「今日は早いじゃないの?どうしたの?」などと言われてしまいます。

 ある日パン屋さんに朝の7時ごろ行ったときです。「5時ごろ目が冷めちゃったからパン食べて寝る」
 「どうせあんた眠れないんだから」「パン食って寝るらしいよ」と広がっていく…
 こ世間っていうのはそういうことなんです。聞かれたときにどう答えるのかということが一番大事になります。
 私は相談に来てくれた人を、馴染みのお寿司屋さんに連れていくことがあるのですが…
 「いつもいろんな人連れてくるけど、ところであんた何なの?」と聞いてきました。
 「精神障害者ですよ」これがチャンスです。
 「精神障害者って何?」と聞き返してくれたらよりチャンスです。
 「精神障害者ってのは精神の病で心療内科や神経科や精神科に入院している34万人と、通院している約180万人を合わせて217万人。つまり日本人の56人に一人はいる病気なのよ。何かあったら相談に乗ります。」
 で、相手があっけにとられている間に私の講義は終わって、それこそ奥さんが薬を持ってきて 「実はゴルフいく前に眠れなくてこの薬を飲んでるんだけど、大丈夫?」って聞いてきました。
 「私は医者でも薬剤師でもないのでわからないけど、前日に眠れないのは遠足にいく前の子どもと同じ、そんなのは不眠症でも何でもなくて、毎日眠れなくなるのが不眠症なの」という感じです。

 病院への講演へ出かけたときには…
 「お客さん、血も流してないのにどうしたの?」ってタクシーの運転手さんに聞かれたこともあります。 「私、精神障害者だからこれから先生のところへ相談に行くのよ」「精神障害って何?」で、先程のような話をするとだいたい相談になります。
 「実は俺も不眠症で眠れないから内科の薬を飲んでるんだけど、そろそろ精神科に変えるように言われてるんだよ。」 「運転手さん変えるの?」
「いや、変えたくないんだよ」 「それは偏見だよ。」 「変えたほうがいいのかなぁ?」
 「変えたくないのに変えたら薬が効かないんじゃないの?」 「変えたいと思ったときに薬を変えればいいよ」
 「そうかなぁ?」 「そうだよ」 もうタクシーは会場には到着してます。 「悪いけど忙しいから後は保健所に行って聞いてくれない」
 そんなことがいっぱいあります。みんな、言う相手がいないだけでいっぱいいます。交番に来た相談を私が受けることもあります。
 そのとき「実は」って言っちゃダメですよ。もちろん本人が同意しないとダメですよ。いざ名乗ろうと思ったときに、「流行の先端です。何かあったら御相談にのりますよ」みたいな形で言うわけです。
実は私精神障害者で…みたいな感じでグダグダ言い出したらイメージを悪くします。そういう風に名乗っていくと、確かに「広田さんはおかしい人だ」と言われたときがありましたが、近所の人とつきあうよりも親戚とつきあう方が疲れます。精神の差別というのは身近なところの方が多い。精神保健センターに出入りしていて、家族会と患者会と作業所と3ヵ所に事務所を置いてますが、作業所と家族会の事務員の方のほうが私より年下ですが言葉づかいが全然違います。他の人に対しては丁寧ですが、私に対しては「元気?」って感じ、だから、一人の人間として合わない、精神障害者だからでしょうか?しかし、私はそれはおかしいと思っているのですが、言ってもわからない。だから近所のほうが全然かわいいものです。

○最後に

 とにかく重要なのは精神障害者本人が意識しないで自分らしい生活を送ることですね。家族は一喜一優しないこと、長い人生の中で今疲れているから休んでいるんだなとそういうとらえ方でいいのではないでしょうか?あと、夫婦円満で平和な家庭、これが一番本人にとっても家族にとっても大事なことだということです。

 また、こういう場所で話すだけでなくて、涙ながらに話したことを毎回忘れないで改善していっていただきたいですね。ともすれば組織の話というのは運動論に流されやすいですけど、そうではなくて自分が抱えている重大な問題を解決していくことがこれからの精神障害者の人に対していちばん大事なことですから、今やっていることは社会的な価値のあることだということでやっていただきたいですし、精神障害を隠すといういい方をしないで、名乗るのか名乗らないのか本人に決めてもらった上で名乗りたい本人のために家族がバックアップしていただきたいというふうに当事者としては思います。
 どうも長い時間ありがとうございました。

○質問コーナー

質問
 友人の家族が精神障害者で給料の半分が入院費になってしまうそうなのですが、なにかいい方法はないでしょうか?

広田 払えなくなったら払わないで、病院の医療相談室にソーシャルワーカーがいれば生活保護について教えてくれます。世帯分離といって本人だけ家族から切り離すことができるのですが、入院費の他に日用品費ってことで本人に22000円くらいのお金が支給されます。ぜひ、そういうことを覚えていただいて将来入院したときにお金がなかったら、ましてや兄弟がお金を出すというのは不自然な話ですから、経済的に難しいということを相談いたしますと生活保護の医療扶助を世帯分離という形で行なうことが検討されるはずです。
 もし、経済的な問題で困難であったらそれはソーシャルワーカーに相談するということです。

質問 自分では一生懸命働かなければと思っているのですが、何かあるとダメになってしまいます。こういうとき誰かにゆっくり話を聞いてもらえればと思うのですが…

広田 いろいろな患者会が電話相談を行なっておりますので、電話番号を調べて娘さん自身がかけてみるのも一つの手ですが、私は尻拭いをしない方がいいと思います。「できないのよ」と言ってみるのも一つの手です。

質問 本人が疲れるからと薬を飲みたくないと言っているのですが、どうしたら飲んでくれるのでしょうか?再発して暴れてしまうのかと思うと気が気でありません。

広田 もし暴れて、警察官ルートで入院するとなると自分が行きたいと思っている病院じゃなくて行きたくない病院の保護室に入ることになるからということを先生に言っていただいた方がいいと思います。
 確かに精神科の薬ってつらいんですよね。あるいは、もっと専門的にどうして必要なのかを伝えてもらわないといけないのかもしれませんね。

質問 何かやる気にさせる方法はないですか?

広田 私も30歳で出社拒否になって37歳で自殺未遂を何度もしたりといろんなことがありましたが、人間って意欲障害みたいな状態ってありますよ。特に今年の夏は暑かったですから薬飲んでなくても疲れるのに飲むと余計疲れるのではと思います。
(途中ですが、紙面の都合で終わります)

                        テープ起こし・菊地太一(新宿社協ボランティア)


勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。
タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。
収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記

 広田和子さんと聞けば泣く子も黙るという印象があった。それは、講演中の迫力がそう思わせるのだろう。しかし、いざ直接会ってみると、むしろあどけなささえ見せる、純真なおばさまといった感じだ。
 しかし、その視点は苦しい時代を生き抜いて来た人ゆえの厳しさがある。家族が「偏見反対」と叫びながらも、その家族にこそ「すごい偏見がある」と。だがその一方で患者本人を精神病院に入院させた親の切なさも理解してくれている。それもこれも広田さん御自身が歩んできた道すがら学んだことゆえに迫力、真実、優しさがあるのだろう。

 さて、その広田さんも言っていた「日本の精神医療の貧困さ」がある。この度、当会メンバーから出た「道しるべ・新宿家族会版」はそれに応えたものとしてスタートした。

 そうした低い精神医療環境の中でも、コツコツがんばっている医師、保健師、福祉士たちがいる。しかし、一方ではまだまだ精神病者の人格さえ認めていない精神科医が多くいることも事実だ。

 私が家族会活動するときのバイブルとしているのが篠田重孝医師の遺稿集である。その中の一節を引用すると「分裂病を不治の病と片付けてしまうことは治療者として“責任放棄”としか思えませんでした」

 これは家族にとっても言えることではないだろうか。もし、親として、わが子の病気を不治の病として片付けているとしたら、その無責任さを恥じるべきである。  
 “いわんや精神科医療・福祉関係者をや”である。                     

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新宿家族会 E-mail: frenz@big.or.jp