5月家族会勉強会
   
地域精神保健と生活臨床

      
講師:東京都立精神保健福祉センター 

                             所長 伊勢田 堯先生

 



はじめに
 皆様の勉強会にお招きいただきありがとうございました。そして生活臨床に関心をもっていただいたことにも感謝申し上げます。この精神分裂病という病気はなかなか理解することが難しいですね。そして、どう対応していったらいいかということもわかりにくい。私の出身は群馬大学です。この群馬大学で取り組んだ生活臨床というのは、外国の物まねでなく自分たちの頭で診断と治療体系を考え出したということが特徴です。これは私の先輩が始めたことで、私はそこで訓練を受け、実践しているということですが。いまの風潮は外国からこういう方法がある、やってみてうまくいった、うまくいかなかったとかというスタンスが多い。それ自体は積極的意味がありますが。生活臨床では、自分たちの周りにいる患者さんたちをよく見て、どういう法則性があるか、どう対応していったらいいか自分たちで考えたわけです。わが国では、自分たちの頭で考えるのがあまりにも少なすぎると思います。

 世界から見ると、日本が考え出した精神科の治療というと森田療法、それから禅だといわれています。私は1988年にイギリスに留学しまして、若い研修医に「タカシ、世界の精神医療の中で日本の特色には森田療法と禅だということになっている」と教えてくれたことがあります。彼等は宗教的な関心が高いのでしょうか「禅の治療」があると言うのです。つまり言いたいのは、日本が独自に考え出した治療法があまりに少なすぎるのではないかということです。

 日本は外国崇拝が横行しています。それなのに、どうしたわけか、日本の精神医療体制は世界からホントに取り残されて、まるで「蚊帳の外」にあるように見えます。イギリスに留学した際、日本が精神医療の面では鎖国状態であると感じました。そして、その時点でも先進国との格差は、これからますます広がっていくに違いないと思いました。私の予想は、残念ながら当たってしまいました。

 いま私は宿題を課せられて「精神疾患の再発予測と予防」という論文をまとめているところなのですが。それで外国の文献を覚えたてのインターネットの検索で調べてみたら、関連する論文が200近くもありました。それから慌てて、今年1月から土日は全て、それから連休もそれに当ててこれら横文字の論文を170ほど読みました。そしたら世界がいろんなレベルで発展している。いろんなことを考えて、いろんなシステムを創り出している。興奮しながら読みました。夜中、興奮して目が覚めることがあった位です。いろんなことで挑戦しているんですね。翻って日本はどうかというと、ほんとに腹立つことばかりです。肝心なことを外国から学んでいないのではないかと思えるのです。

 私は意地を張って「統合失調症」という病名を使わないようにしています。それは名称変更の経過で誤魔化されたような気がしているからです。誘導的なアンケートを含めていろんな意味でこの名称変更には抵抗があります。「統合失調症」というとなんの病気かわかりませんね。主語がないでしょう。主語が。私は「精神機能統合失調症」だったら賛成しました。統合失調症はどんな臓器にもあります。肺が統合失調症を起こすと「肺不全」です。心臓が統合失調症を起こすと「心不全」です。肝臓が統合失調症を起こすと「肝不全」。腎臓が統合失調症になると「腎不全」といいます。言い換えれば「統合失調症」イコール「不全症」という名称なのです。これでは何の病気だかわかりません。「精神」ということばをタブー視してはならない。「偏見」に負けていると感じてしまうのです。

 それに気になるのが、名前だけ変えて、全体を変えている気になっているのではないかという心配です。去年の8月に世界精神医学会が横浜でありました。ワールドカップと同じように、始めてのアジアでの精神医学会で、再度今世紀日本で開けるかどうかわからないほどの大きなイベントでした。ギリシャは、世界精神医学会を契機に島流しの精神医療から地域ケアに大転換しました。日本もそうならないかと期待しました。「いままでは日本は隔離収容の精神医療でした。しかし、これからは脱施設化で地域ケアを中心とする精神医療に切り替える」という宣言をするものと期待しました。して欲しかった。国際的にそうした約束して欲しかった。

 しかし、やったことは精神分裂病を統合失調症と改名します、というだけでした。これは実態を変えないで済む「改革」です。「精神病院」を「精神科病院」と呼ぶ。精神科病院と呼んでも実態が変らなければ、世間の目は変りませんよ。実態を変えないで名前を変えて誤魔化しているように見えます。私は昨年日本でも著名な海外の友人に宛たクリスマスカードに「これがJapanese Innovation(日本的改革)だ」と書きました。そうしたら、「やはり、それは変だよ」という返事が返ってきました。

 そして72,000人の社会的入院をなくそう、ということが、世界の精神医学会で記者会見の目玉でした。72,000床が72,000人に審議会でなってしまったということも、これが日本の政治の実態ではないかと思います。私はもっと大きな、崇高な理想を掲げてもらいたいと思います。生活臨床がやった理想、世界が挑戦している理想です。社会的入院を出すなんていうのは、当たり前の低い目標ですよ。

 精神病床数では日本だけ突出しています。人口1万人当たり、日本は28床。もう世界にはこんな国はありません。どの国も10床以下です。私は2000年にパリの精神障害リハビリテーション学会に出席したのですが、フランスの人が言ってました。「ヨーロッパの中でフランスは脱施設化が遅れてしまった。で、10年かけて精神病院をなくす」と言ってました。アメリカのようにバサッとはやらない。徐々にやると。それでも日本の徐々とはだいぶ違いますけどね。

 フランスは人口1万人対11床で、それでも世界から遅れてしまったという認識ですから。進んでいる国は3床とか4床です。病床を減らす代わりに、地域で訪問して支える。それは脱施設化と地域ケアの理念は病気になったら、日本のように家族や地域から切り離して、治して地域に戻す、というやり方ではなくて、病気になったところに保健婦とか医療チーム、いろんな職種のチームが出かけて行って、治療や生活支援を行うというやり方で進んでいます。もちろん、もう病院はいらなくなったという意味ではありません。病院治療は依然として必要なわけで、むしろ、機能強化が必要です。地域ケアと密接な連携をとった高度の医療が出来るような発展が望まれているわけです。

 そしていろんな試みが行われています。その一つに、早期発見、早期治療があります。症状が出た早い時期に介入していって治療を行う。それから発病も早く見つけてやろう、というのはオーストラリア、ニュージーランドで、万対3床とか4床の国でやっています。日本の7から8分の1です。発病前から働きかけるようなやり方で、発病を減らしていこうというところまできています。そのように世界中でいろんな意欲的な取り組みが行われています。それがとても面白くて、読んでいると興奮してきます。日本は、社会的入院を10年間で出すということです。7万2千人出すといっても、また7万2千人入りますよ。どんどん病気になる人が出てくるのですから、なんら変わらない。玉虫色で実質が伴わないという心配があります。それに、治療が必要でなくなっている人を退院させようという目標ですから、士気が低いとしか言いようがない。

 それに、わが国では、一般医療の中で精神科医療の地位がものすごく低いという、別な大きな問題もあります。精神科の価値は一般科の医療の半分なんです。むしろ精神科は一般科よりも手間がかかるんです。X線や血液検査だけで精神科は診断できません。せめて一般科並にすれば精神科の医療は相当改善されるはずです。

 法律で「統合失調症」が決められたら、私もこの病名を使いますが、変な病気ではないんですよ。ケンブリッジに留学していたときも家族会に定期的に参加したのですが、大学の薬理学の教授が会長をしていまして、毎月1回第3水曜日に会合を持っていました。やはりイギリスの家族の方も偏見に負けた時期があったようですが、ある時期から「病気でなぜ悪い!」と開き直ったようです。向こうの人は間接的な言い方はしません。「ナショナル スキゾフレニア フェロシップ」「全国精神分裂病友の会」と堂々名乗っています。「悪いことをしてなった病気ではない。恥ずかしい病気でもない」と啓発活動を行っています。「Walk for Schizophrenia・分裂病のために歩こう」という行動を毎年10月31日でしたか、世界的に行っています。

 そういうことで日本はなかなか変わらない。昨年度で終了した「障害者プラン7ヵ年戦略」も、名前だけはかっこよかったですよね。そこでは数万の入院患者を退院させるとしていましたが、それが2,3万になり、結果は5千ほどでした。こんどの7万2千人も同じ結果になるんじゃないかと心配です。こういう隔離収容の治療はある面では楽なんです。隔離収容の治療はそんな高度の医療技術は必要でもない。先日もアジアの関係者が集まった会議がありましたが、日本の精神医療は外国の人から、もの笑いの対象になってしまった感があります。薬の量の多さ。外国から比べて2、3倍のようです。

 香港の医師から「なぜ日本はこんなに薬が多いのか。日本の患者さんはそんなに興奮しやすいのか」という質問がありました。地域ケアが発展している台湾の医師からは「日本は街もきれいで、潔癖症みたいだ。だから汚い精神障害者が街を歩かれては困るから、閉じ込めているのか」という、日本の精神医療の現状に海外から皮肉を込めた質問がだされました。日本はOECDでインドネシアに近代的な病院・研究所を建てたようですが、現地では使えないのだそうです。中で使う資材がなく宝の持ち腐れになっているのだそうです。そうした日本の感覚では、欧米だけでなくアジアからも取り残されていくのではと心配になります。ということで前置きが長くなりましたが、本題に入っていきたいと思います。

普通の病気と同じように
 資料を見ていただきたいのですが、これが群馬大学で昭和33年から始めた取り組みです。いまから50年近く前からのことです。生活臨床のフィロソフィが大事です。精神科の患者さんも他の科と同じように治療したいと、できたら入院による社会的な中断は最小限にとどめたい。「普通」がキーワードです。病気という側面では、他の病気と同じに考える。当時、他の科目として対照にしたのが結核でした。現代だったら糖尿病、高血圧症、成人病と比較して精神分裂病を語ることができますが、当時は結核が国民病で、特に若い人たちが罹患して、その社会復帰が問題になったわけです。それを一般科と同じように治療していこうというモデルにした訳です。

 世界でみてみると、イタリア、スウェーデンが精神病院をなくし、フランスがそれに続くといっております。総合病院の中で治療するということです。群馬大では昭和33年からそのような取り組みをはじめたわけです。「普通の病気と同じように」です。その上に、できたら「普通の生活ができるように」という目標を掲げました。これはすぐに出来るという簡単な目標ではありません。しかし、目標は大きくもつことが大事です。この目標を大きく持つことは、家族の皆さんが患者さんを支えていく上でも大事です。すぐには実現できないものでも、大きい目標、夢を持って生きることがとても大事なのです。「社会的入院」なんていう低い目標ではわれわれは飛躍的な成長は、望むべくもないのではないかと思います。

 精神病院をなくして、地域ケアを実現させるというような、すぐに出来ないにしても大きい目標を掲げれば、紆余曲折があっても進歩していくのではないかと考えます。それを実現するのには、どうしたらいいだろうか。そのためのシステムはどうするか。医学はどう進歩すればそのようなことが可能になるのか。というような進歩の「動機」が生まれます。その代わり、大きい目標を掲げたら大変な苦労があるでしょう。しかし、困難に直面すると新しい技術が必要になってきます。新しい見方が必要になってきます。それを「生活臨床」がやったのです。NHKの「プロジェクトX」もそうですね。国産ロケットを作れという大きい目標があって、新しい技術が生まれる。しかし、日本は物を作る技術は優れていますが、システムを作るのは苦手ですね。精神医学というのはシステム作りですから、困ったものです。

 生活臨床が始まったころは収容時代です。私が医者となったのが昭和44年です。その当時外来で精神分裂病の患者さんを診るというのは冒険でした。あるとき患者さんが事故を起こした。そしたら先輩の医師からすごく叱られました。「君はなぜ入院させなかったのか」と。「自殺でもして死んでしまったら元も子もないぞ」と。当時外来で診療するというのはとても勇気が必要でした。精神分裂病の外来治療は今日ほど普及していなかった時代でした。そんな状況で開放病棟にするとしたんですからすごいですよね。その考え方は何かというと「結核と同じように」ですから、結核病棟でやっていた「自由度」を群馬大学でも導入しました。

 自由度1度から5度まで。1度は絶対安静、2度は病棟内では自由、3度は院内の散歩ができる、4度は許可を得て外出ができる、5度は自由に外出できる、というのが結核病棟にありましたので、これに倣ったわけです。今でいうインフォームドコンセントです。「納得づくで」決めていくというやりかたです。診察の場では患者さんから「どうすれば自由度をあげることができるか」と聞いてきますから、患者さんの目標が出来るし、励みにもなる。それは、患者さんを無理やり閉じ込めるのではなく、そういう話し合い、納得づくで決めていこうという姿勢です。患者さんが無断で離院すると、当時は自転車で患者さんのところに駆けつけました。そして話しを聴く努力を尽くし、病棟での生活もよく観察しました。すると、患者さんはどういうときに興奮し、どういうときに落ち着くかが読めてくる。

 群馬大学ではこのようにして開放病棟にしました。他でも開放にしたところもあったようですが、病棟は開放したけど、看護室にカギをかけていたなんて話を聞きましたが。群馬大学はいつ患者さんが看護室に訪ねてきても受け入れていました。そして保護室を廃止します。まず保護室の便所を廃止しました。今でも保護室は独房的状態で、ご飯食べるのも排泄するのも同じ所です。これをなくしました。感動的だったのは1968年鉄格子の廃止ということで、外にコギリを持った医者と看護婦が、そして内側からは患者さんが一本一本鉄格子を切っていったのです。そして完全開放にしていったわけです。

原因を手当てする
 江熊要一先生、私の恩師ですが、この先生が佐久病院で完全開放をやった実績を買われて群馬大学に戻されて、生活臨床を同僚と創り出された指導者です。すごく献身的で、アイディアも豊富で、ヒューマンな先生でしたが49歳で亡くなられました。この先生が病院では安定しているが、自宅に戻ると悪くなるという患者さんがいたのですが、患者さんと一緒に外泊してみたんですね。自宅近くの村に入ると患者さんはそれまでの笑顔が消えて、緊張してくる。近所の人の声が聞こえてくるんですね。「アイツまた帰ってきた」などという悪口が聞こえてくる。こういう話を病棟で聞けば、被害妄想とか幻聴とみなされます。先生はとっさの判断で、患者さんと一緒に近所を挨拶して回ったのです。「病気が良くなりましたので帰ってきました。よろしくお願いします」と。そうしたら患者さんの表情も穏やかになり、ずっと長い外泊ができたのです。

 このことから、患者さんの悪化にはそれなりの原因があり、それを解決すれば分裂病の再発も予防できると考えたのです。その次に、この患者さんが悪くなったのは、田植えができなくて困ったいうことがありました。そこで、医局員を動員して田植えを手伝う。当時のお医者さんはすごいですね。田植えができたのですから。そしたら、その患者さんは病状が良くなったそうです。しかし、毎年医局員が田植えをするわけにはいきませんから、そして考えたのが耕運機を買うという案です。当時、耕運機を入れたのはその村で2番目だったそうです。いままでは馬鹿にされる存在だったのが、近所の人から耕運機を貸してくれないかと頼まれる立場になってすごく安定してきた。その次は無免許で運転しているのがバレて(笑い)。と、ずっと続くのですが、このように悪くなるには原因がある。「原因を手当てする」これが生活臨床なのです。要するに、その当時は精神分析のように、密室で診察するというのが一般的でした。生活臨床は生活の場面で診断して、生活の場面で治療します。

QOL・生活の質を大切にする
 治療にはもちろん薬も使います。電気けいれん療法も使います。朝日新聞が電気けいれん療法について一面で書いていましたが、あれはおかしいですね。アメリカの精神科治療ガイドラインの中でも書かれています。即効性の治療としては数少ない手段です。薬を長期に飲んでいるよりはずっと安全な治療法といわれています。

 つまり、群馬大学でも身体療法をもちろん使います。それだけではなくて、そういう生活が滞っていて悪くなる。その生活の滞りをサポートする。そういうことによって良くなるという仮説を立て取り組んだわけです。再発予防5ヵ年計画として取り組んだわけです。ところが、3年目あたりから再発がいっぱいでこれは手ごわいと、再発予防五カ年計画という名称を考え直さなければならなくなったようです。そこで、再発予防だけを狙うのではなくて、予後改善計画にし、別の視点を導入するようになった。再発は歓迎すべきことではありませんが、それよりもっと大事なことがあるのではないか。病気になったら病気にならないことが人生の主要な目標になるのか。いわゆるQOL、生活の質の問題ですね。

 ここで、「普通」というキーワードが登場するわけです。病気を持っている人も普通の生活が出来るように支援しようという姿勢です。これは、次のような今日のリハビリテーションの発展と共通するものがありました。病気になったら不幸せなのか。典型的なのはホーキンス博士の例です。彼は筋肉が麻痺していてまともに動くのは頭だけ。この人はキーボードが叩けて、考えていることを伝えることが出来るようになる。宇宙のブラックホールの法則性を見つける。宇宙は生成過程にあるのか、消滅過程にあるのか、こんな難しいことを考えられる人です。障害があってもその人の能力を最大限発揮して、その人なりの充実した人生が送れるようにするのが本来の治療やリハビリテーションのあるべき姿ではないか。世界はそういう動きになってきております。生活臨床はこれを40年前に、再発予防だけに目を奪われないようにしよう、その人が病気を持ってても満足のできる生活をなるべくできるように努力する、結果はいいんだ、努力することが大事なんだ、結果が伴えばもっといいという視点がでてきました。

ストレスの捉え方
 生活臨床で指摘した大事なことに、再発するときのストレスの捉え方があります。皆さんがお考えになるのは精神分裂病になると、ストレスにみんな弱いんじゃないかと、ストレスをなるべく避けようとします。ストレスを避けて安静が大事としています。昔は病気になると1年の休息をとれと言われました。今では1年に及ぶこともある、というような表現に変ってきました。生活臨床では全てがストレスになるわけではない、ということを見つけました。エビデンスを出して証明することは難しいのですが。患者さんの再発のきっかけを見ていると似ているパターン、同じようなストレス、生活課題で再発していることに気がつきました。それ以外のストレスでは再発はしない。そこで、生活課題を大きく分類してみると4つに分けることができました。

 群馬は上州ですから気持ちは優しいんですが、口が悪い。「色、金、名誉、体」と表現したんです。これは、わかりやすい反面、すごく評判が悪かったです。でも、便利な言葉です。「色」は色キチガイということではありません。異性に関することです。異性関係にすごく敏感な人という意味です。「金」は金銭、損得に敏感な人です。ほんの小さなお金のことでも、150円くらいでガタガタっときてしまう人がいます。「名誉」は地位とか資格とかのことです。これが一番多いのです。そして「体」。とても体のことを気にする人です。この4つのことで大体分類できます。一人の患者さんにとってこれら全部に弱いわけではなくて、その人に特徴があるということです。名誉に弱い人は金銭のことではあまり影響を受けない。異性に弱い人は体のことには気にしない、ということがあります。

 外国ではこのような法則性についてはまだ気がついていないようです。個別のニーズに応じてと言ってます。四つ葉のクローバーというのがありますが、その意味はこの4つの課題と一致しているようです。健康に恵まれ、適当な地位について、良い配偶者に恵まれ、程々にお金があるというのが四つ葉のクローバーの幸せの象徴だそうです。我々の人生課題を考えるとそう言えるかもしれません。しかし、当時の精神病理学の本など読んでみると、とても難しく解釈したり、神秘的なものとして捉えたりしていました。生活臨床では、いや、違うと。我々と同じことを考え、悩んでいるんだと反論しました。

指向する課題
 もう一つ重要な発見は、このストレスになるものが、うまくいくと生活が良くなるということにも気がついたのです。我々は悪くなることだけが頭に入るのです。良くなるのはどういうときなのか。先ほどの江熊要一先生の例でもそうですが、気になっていることがうまく処理できれば病気もよくなる、成長もします。それで患者さんにとっての中心的生活課題を「指向する課題」と呼びました。そこで最も中心的な考え方はこの「課題」を実現できるように本人を中心として家族や援助者が努力するということです。これが一番大事なことです。一緒に努力するということです。

 引きこもりという状態がありますが、よく、何も援助しなければそのうち困って本人が自ら出てくるだろうというやり方があります。うまくいくこともありますが、大抵はだめです。困らせばなんとかするだろうというのは我々の甘えです。本人が何で閉じ篭っているか、それはこの「指向する課題」が実現できなくて困って閉じ篭っているんです。本人が目指している課題に対して、例えば「出世だけが人生じゃないよ。ほかにもいいことがある」なんて説教は通じません。出世したいと思っている人に、外からこの指向する課題を変えさせるのは無理。これがうまく行くように一緒に努力することが大事なんです。そこがポイントです。

 本人の希望、関心をもっていること、と言い替えてもいいのです。但し、精神の病気の難しいのは、心のうちとことばとが違うことがあります。これが難しい。出世したくないと言いながら、本心は出世したいという場合があります。これを見分けるのが生活臨床です。生活行動を見ていると判断できます。どういうときに生活破綻して、どういう時に元気になるのか。行動は正直ですから、生活行動を見て判断する。そして、その課題をケナさないことです。「何で、出世なんか考えるんだ」とか非難しない。結婚したい人への援助は難しいですね。相手のあることですから。でも、一緒に相手を見つけようというと良くなるんです。

 半年閉じ篭っている人がいますが、見合いして相手に結納まで交わしながら断わられた。その場合この4つの課題のうちどれに当たるのか。結婚を断わられて名誉を傷つけられたのか、結納金の50万円が返って来なかったんで、金銭のことか。結婚そのものができなくて、異性関係で悪くなったのか。ご両親と金銭のことなら財産全部おまえのものだとか、いろいろやってみましたがダメで、半年仕事すれば我々が嫁さん探しをするといったら、むっくり起きあがって職安へいって1週間後から働き出したことがありました。嘘みたいな話ですが、実際にそんなことがありました。

 江熊先生が相談に乗っていた精神分裂病の患者さん同士が結婚することになったのですが、具合が悪くなってしまった。その原因を調べてみると、仲人が見つからないことがわかって、江熊先生は私の仲人をしてくれたばかりでしたが、「君やってくれ」と結婚したばかりの私がこの二人の仲人をすることになりました。並の精神科医なら、病状が悪くなれば、結婚を先延ばしにしたり、中止しようと勧めると思うのですが。二人には、子供さんも出来て、いろいろ問題もありますが、幸せな生活を送っているように見えます。

 結婚問題で症状を悪くするケースは多いですね。結婚したいという娘さんにお母さんが、あなたのように薬を飲んでいる人は無理といったところ悪くなって、親子関係も悪くなる。私のすすめに母親も同意して、結婚相談所にお願いしましょうと登録したら良くなった例もありました。
 出産の費用がなくて悪くなった例では、知り合いの産婦人科の医師になんとか保険で出産できるようにならないかといったところ、大丈夫だと返事が来てよくなった。これなども金銭問題が解決して回復した例です。

 しかし、こちらから金銭問題を解決しようと障害者年金をもらえるように保健婦さんと援助した例がありました。そしたら2年ほど経って、本人から年金をもらう障害者になって、具合が悪くなった、ということを言ってきました。これには参りました。金銭よりも名誉を気にする人だったんですね。だから、親切にすればいいというものではないんです。その人がどういうことに関心があるのか。そこを解決できるように知恵を出す、というのが生活臨床です。

まとめ・一目置く態度
 最後にまとめますと、生活臨床の基本は「普通に接する」です。最近、身体障害の人に対して周囲の人たちが手を差し伸べるようになりました。かつては身体障害者に対して蔑視する傾向がありました。今は違います。しかし、精神障害はもっと大変なんです。精神障害の人は五体満足ですが、前頭葉の部分に障害があるということが判ってきました。しかし、これは周りからは見てもわかりませんね。前頭葉は意欲、感情、認知などを司っているところですが、これがうまく機能しないわけです。いつでも働かないわけではないですが。

 これはアメリカで疑似体験の装置をつくって、私も体験してみましたが、大変ですね。音が響いて聞こえてくるんです。医師との面談のシーンがありましたが、「薬をちゃんと飲むんですよ〜〜!」という風に医者の声が響いて、迫ってくるように聞こえてくる。内容が聞き取りにくい。色も虹か、プリズムのようにダブって見える。だから、周りの状況を的確に認識して、それを的確に判断して、適切な反応をするのは大変困難であることがよく分かりました。如何に患者さんたちが、困難な状況で生活しているのかが分かりました。

 我々は外見だけで接しますね。しかし患者さんにとって、周りの状況は、私たちが見えたり、考えるようにはなっていない。だから生活臨床でも、具体的に、断定的に、短い言葉で、繰り返し言うのです。そういう障害をもって生きている人たちは大変ですね。身体障害者も大変でしょうが、精神障害で自殺しないで生きているというのは、それだけで大変なことです。お父さん、お母さんも苦労して今日まで生きてこられたと思いますが、よく考えてみると患者さんは我々よりもずっと苦労しているといえます。そういう人に敬意をもって接することができるかどうか。私はそれを「一目置く態度」と言ってます。

 ベネットというイギリスの精神科医は素直に「尊敬の念をもって接するのでなければ、どんな治療法も効果があがらない」と言っております。服装がだらしなかったり、言ってることが判らなかったりしますが、その背景は怠け者や能力低下ではなくて、前頭葉が十分に働かないでそういう結果なんだと知れば、逆に「ああ息子は頑ばっているんだ」と心から思うことができますよね。精神障害の指導書ではよく「褒める」とありますが、心のこもっていない褒め言葉は逆に馬鹿にされたように受け取られます。「いい子だね」「がんばったね」なんてね。私はそれが出ないように工夫しています。

 繰り返して診察してうちに、もしかしたら、私よりずっと人生でも頑張って生きている、私より優れた人に見えてきた時期がありました。あるいは同じようなことを考えているな、と思えるようになりました。「愛情をもって接すれば」というのも、ちょっと違いますね。私は「一目置く態度」で接するように努めております。皆さんも息子さんや娘さんと接する時に、やって見てください。そして、本人がいやがっていることをやらせるのではなくて、関心をもっていること、やりたがっていることは何か、それを応援する、閉じ篭っている人には応援のサインを送り続けることです。いつかは判ってくれます。

 オヤジもいままでお前のことが判らなかったけど、心配しているよ。定期的なサインを送り続けるのがいいですね。暇なときにではなくて、毎週土曜には電話するとか、手紙書くとか。2ヵ月に一回というのでは誠意が感じられません。ケースや時期によっても異なりますが、毎日では大変でしたら、一週間に一回くらいどうでしょうか。「心配しているよ、親ができることはなんだろうか」というサインを送り続ける。半年、1年続ければ必ず反応してきます。そしたら一緒に希望していることがうまくいくように応援していくというスタンスです。だいぶ時間が押してきましたので、この辺で一旦終わります。ご静聴有難うございました。(拍手)

(紙面の都合で質疑応答は割愛させていただきました。また、編集部ではテープ起し後、誤解を避けるため伊勢田先生に加筆訂正をお願いしました。)


勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。
タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。
収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿家族会フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記 

 「生活臨床」という言葉すら知らなかった。さらに驚いたのは、その内容の先進性であった。先進性が適切な表現かどうかわからないが、いま日本の精神医療の世界ではACT(Assertive Community Treatment)という、欧米で行われている精神科チームワーク医療が注目され、そのコンセプトは「地域医療」とされている。

 注目される背景には政府が「精神障害者の社会的入院をなくし、地域医療へ」という方針を打ち出したことと重なって見えるのだが、もしそうだとしたら、なぜいまさらというヤブにらみの思いが湧く。

 伊勢田先生の講演を聴いて、患者のために役立つことであれば田植えも厭わない「生活臨床」こそ、まさに日本型地域医療そのものと感じたが、今、政府のいう「地域医療」と「生活臨床」とは、どう重なるのだろうか。日本の精神医療の中で、真に「患者のために」といえる制度や医療機関がどれだけ存在するだろうか。

 「患者のための地域医療」として40年前から行われていた「生活臨床」を先進性と解釈したが、これまで「隔離収容」を続けてきた政府が打ち出した「地域医療」は、果たして「誰のための地域医療」か。                           嵜

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