新宿家族会6月勉強会より
「医師の領域と家族の領域」
       
家族は患者の専門家

             桜ヶ丘記念病院精神科医師 岩下 覚先生

 【「分裂病」というネガティブな言葉の響きの中に、日本の精神医療の難しさや偏見の問題が集約されているということがありますね。・・・・・岩下先生】
 ご講演抄録に先立ち、編集部では今回の勉強会の中で出てきた問題・「精神分裂病」の病名について、この病名ゆえに患者さんは病識が持ちにくい、そして家族は忌避的、あるいは隠蔽しがちであるという事実から、この病名が百害あって一利なしと判断しました。また、各地から改名要請が出たり、政府や医学会が改名検討委員会をスタートさせたといいますが、遅々として進展していないことから、今回、試みとして岩下先生の「分裂病」と言われた部分を「スキゾフレニア」(精神分裂病の英語名)に替えて表現してみました。
 この病名のほうが受け入れやすいということであれば、厚生省や精神神経医学会などの結論を待たずに、我ら新宿家族会の内部だけでも、この病名を共通語にしていきませんか。「隗より始めよ」。できることから、できるところから改善してして行く、それがいつしか一般化し、日本の精神医療の改善にもつながるものと思えるのです。皆さまのご意見をお待ちしております。

 この問題は精神科に限らず、すべての病気にいえることです。それは患者さんがいて、医師がいて、家族がいる、という関係のことです。私は桜ヶ丘記念病院の精神科医ですが、週に1回、総合病院、主にガンの治療をする病院ですが、そこの精神科担当医として出張しています。そこでは、精神科以外の先生から依頼があった場合だけ私が精神科の治療をすることになっています。ここでもやはり、患者さんがいて、医師がいて、家族がいる、という関係が成り立っています。つまり、どんな病気にもこの三者の関係があるということです。

◇医師と家族の違い
 そこで私のような医師は「医療の専門家」ということになっています。医療関係者としては医師のほかに看護士、看護職。OT(Occupational Therapist)・作業療法士、PSW(Psycho Social Worker)・精神保健福祉士、CP(Clinical Psychologist)・臨床心理士といった人たちによるチームワークによって治療ということが行われます。こうした医療関係者は大学なり専門課程の学校で精神医療について学び、医師は医療の免許を取得し、それぞれの臨床場面で仕事をしています。

 ここにAさんというスキゾフレニアの患者さんがいたとします。この患者さんに対して、私たち医師はスキゾフレニアという病気について専門家です。スキゾフレニアはどのような症状が出るか。どんな経過をたどるのか。どんな治療をすればいいのか。こういうことを知っていて、治療の経験を持つスキゾフレニアの専門家です。

 では、家族とはどんな存在か。一言でいって患者さんの専門家といえます。医師がスキゾフレニアの専門家であれば、ご家族は患者さんの専門家です。逆にいえば、医師は初めての診療の時点ではAさんという患者さんについては何も知らない、いうなれば全くの素人です。例えば、Aさんと初めて会ったとき、男性か女性かくらいはわかります。でも最近はわからない場合もありますが・・・(笑い)あるいは年齢がいくつぐらいか、これくらいしか初対面ではわかりません。これ以上の、Aさんがどういう性格の人か、ご家族とはどんな関係になっているのか、普段の日常生活、好きな食べ物、趣味は何かとか、こうしたAさんについての細かいことについては何も知り得ていません。

 私は大学で精神医療を学び、その後医療の現場で過去17年間、スキゾフレニアの治療にあたってきました。その間何千人の患者さんを見てきたとわけですが、初対面では何も知らないわけですし、何千人の患者さんがいても、一人として、全く同じ症状、同じ状況、同じ治療を行った人はいませんでした。これはスキゾフレニアに限らず、すべての病気とはそういうものです。


◇治療の初期段階で
 では、私たち医師や先ほどの医療チーム(OT、PSW、CP等)が行う治療とはどういうことか。それはかつての大学時代に教科書から学んだこと、過去の経験から学んだこととAさんの状況を聞きながら、主なる部分に対してこうだろうと判断を下すということです。ですから、そこには実態というものがないのです。患者さんについては何もわからないのです。

 一方、ご家族は医療の専門家ではないので、医療のことはわかりません。ま、一部のお母さん方は相当病気について勉強されていますが、それは少数派で、特に初めて患者さんを病院に連れてくるようなご家族は医療面では素人ということになります。

 ところが、Aさんのご家族はAさんについては、お母さんのお腹の中にいる時から、どんな状況であったか、お産のときはどんな風だったのか、子供のころはどんな生活だったのか、そしてどんな性格か、Aさんのあらゆることに熟知しているわけです。つまりAさんの専門家のわけです。

 ここで大切なことはスキゾフレニアという病気は人、人間がいて、その人が罹患するわけです。当然のことですが病気だけが存在することはありません。では、その人とは何か。人は家族の中で、学校の中で、職場の中で、あるいは結婚生活の中で、あらゆる場所で人間関係をつくり、仕事を背負い、そうしたことを経て運悪く病気を抱えてしまったということだと思います。ですから、その患者さんの病気の症状、経過、それらは必ずこうしたその人がもつ背景とでもいうか、状況というものが関係しているわけです。家族関係、学校での友人関係、職場での人間関係、こういうものを抜きにスキゾフレニアの治療は考えられないということです。

◇入院治療への導入段階
 ここで、病気の治療について考えてみましょう。医師はスキゾフレニアの治療にあたっては、まず薬物療法でお薬を投与し、あるいは注射をします。そしてカルテを書き、薬の処方箋を書いたりします。つまり、医師の判断によって薬の種類、量が決められるということです。では、医師は何によって判断するか、現実にはある処方を試みして、あれか、これかと決める場合もありますが、基本的な判断は患者さんの生活の背景、病気の状況を知って、それに対応した治療を行うわけです。例えば、働いている患者さんには昼の服用は避けた処方を考えたりというように、患者さんに合ったお薬の出し方をします。

 では、医師はこの患者さん独自の生活ぶり、病状をどのようにして知るかといえば、患者さんからのお話を聞くこともありますが、特に初診ではご家族と同伴で来ますから、ご家族からの説明によって知ることになります。特に精神科の場合、患者さんにとってはこうした状況を医師が聞き出すことは、プライバシーの侵害とも受け取れることがあるわけで、患者さんが自ら進んで診察を受けるというケースはまれなわけです。それだけに、ご家族からのお話をお聞きすることが一般的になります。このことを「治療関係」ともいいますが、私たち医師が患者さんやご家族からお話をお聞きすることがもっとも重要な治療行為ともいえます。

 ですから、ここでまとめると、私たちは病気の知識、薬の知識をもつ「医療の専門家」、Aさんの個別情報を熟知するご家族は、Aさんという「人物についての専門家」
という意味がおわかりいただけたかと思います。言い換えれば、私たち医師はAさんという人物の専門家であるご家族から、Aさんの情報を知ることしかできないわけです。さらに言えば、この専門家からの情報があるかないかによって、治療の内容が変わる場合もあるし、そのことによって、患者さんの治療の進み具合にも大きく影響するということです。

 例えば、私の病院に措置入院(自傷他害の恐れのある患者の場合の強制入院)で入院してくる患者さんがいますが、場合によっては名前もわからない、ご家族との連絡も取れないという状況があります。この場合、白紙のような診断書しかありませんし、患者さんの個別情報がありませんから、治療を施すということが非常に難しいことになります。その患者さんが昨日までどんな生活していたか、どんな悩みがあったのか、どうして保護されるような事態に至ったのか、これらの情報が聞けずに治療に入るのは困難な作業です。

 かつて、こんなことがありました。その方は駅で暴行したということで警察に保護されて私の病院にきました。スキゾフレニアと診断され、自傷他害の恐れあり、ということで保護室に保護されました。ところが、その方は翌日てんかんの発作を出して、痙攣状態になってしまいました。そこで、詳しく検査したところ実際は脳炎だったのです。このように、その方の昨日までの状況を説明できる人がついていれば、こうした誤診はなかったわけです。幸い、その方は翌日そのような症状が出て、検査を受けて、大事には至らなかったわけですが、これが間違うと、全く違った治療を受け、病気を悪化させることになったかも知れません。

 こうした例からも、精神科の治療にはいかに家族や周囲の人たちの情報が大切かお分かりいただけたかと思います。このご家族からの情報なしに私たちの治療はできない、ありえないといっても過言ではないと思います。

◇家族の権限と義務
 もうひとつの問題点は精神科の治療で、入院で行うのか通院で行うのか、ということがあります。ここで、私たち医療の専門家は医学的判断をします。この状態なら通院で大丈夫、あるいは入院でなければならない、と判断を下します。しかし、明確にこの入院か通院かが判断できる患者さんの場合は問題がないのですが、その中間的な状態にある患者さんの場合です。あるいは医学的には入院だとしても、単に医学的だけの判断では決められないケースということが多くあります。むしろ、このケースがほとんどです。それは精神科の特徴でもあります。他の病気の科目では入院か通院かは医学的判断だけでほとんど決められます。精神科はそうはいかないケースがほとんどだということです。むしろ医学的判断よりも、別な要因によってその判断が決めらるということです。

 では、その別な要因とは何か、それはご家族との相談ということです。入院か通院かについて、医学的判断プラスご家族の意向、家庭の状況とか、自宅治療がどこまでできるか、そういう要因が精神科の場合、他の病気と違って、非常にウエイトが高いのです。

 また、入院形態でも、医療保護入院か任意入院か、こうした判断の場合でもご家族の要因や判断が大きなウエイトをもっています。ちょっと横道になりますが、いま国会で審議されている保護者制度の問題とも関係していますが、要するにご家族の権限と責任の問題ですね。これが現行法ではご家族の負担が高すぎるということで法改正が問われているわけです。

 ですから、我々医師が医学的判断で入院だと判断しても、保護者であるご家族が同意しなければ入院させることができないわけです。ここでのご家族の判断、あるいは役割は重要です。中には大きすぎて迷惑だと思っている方もいるでしょうが、現行法ではそうなっているわけです。

 現実に私の受け持っている患者さんのご家族でも、そういう方がいます。私が医学的に入院だと判断しても、ご家族が「いや、うちの子は絶対に入院させない」というご家族がいます。私はこのご家族の意向を無視して患者さんを入院させることはできないんですね。
 ですから、それはご家族の権限として言えることであり、また役割でもあるということです。これは退院時の場合も全く同じことが言えます。医学的に退院できても、ご家族の事情で退院できないというケースもあります。
 
◇再発を防ぐ段階で
 さて、今度は退院した後、再発を防ぐという段階での問題ですが、急性期症状が収まって通院治療になって、投薬を中心とした治療になります。医師は患者さんの再発を防ぐためにいかに薬を飲んでもらうか、という点に注意を注ぎます。それは副作用が少ない薬を探すとか、その患者さんの生活パターンに合わせて服薬の時間、回数を設定するとか、あるいはデポ剤の注射するとかを行います。これらは医師の領域として努力します。

 では、ここでのご家族の領域といいますか、役割というのはどういうことか。医師が患者さんと接するのは、どんなに長い時間をもっても1週間に1回、1時間の診察時間が持てたら丁寧なほうだ、ということが日本の現実です。一般的には2週間に1回、3分から15分くらいというものです。こうした短い接触時間の中で、医師がどれだけ患者さんの状態を読み取れるか、これは至難の技とも言えます。特に安定期に入った患者さんは、再発前の微妙な変化を、この2週間に1回、3分か15分間の接触時間をもっただけで、再発を見抜くことはよほどの名医なら別でしょうが、ほとんど無理といえるでしょう。

 そこで、患者さんの専門家である、ご家族の役割が出てくるのです。昨日と今日ではちょっと顔つきが違うな、薬をきちんと飲んでいるかな、睡眠時間が少ないな、食欲がないな、あらゆる時間、あらゆる行動、あらゆる言葉がご家族なら診ることができるわけです。再発の時には、必ずその患者さんなりのパターンがあります。その変化、パターンの兆しを常に診ることができるのはご家族です。

 私たちがより正確な治療を行い、よりよい治療効果を生むためには、このご家族の日常の「診る」態度、そして、それを医師に伝える役割を担うこと、これに尽きると思います。そして私たち医師は、ご家族からいただいた患者さんの情報なり知識を元に最大限の治療を施すということがお互いの役割であり、領域ということだと思います。難しいテーマなのでうまくまとまらなかったかも知れませんが、私の話はこれで終わります。


質問1 以前、どこかで聞いたことがありますが日本の医療は、「患者、家族は口出すな。(医療の)専門家に任せろ」という説というか、方針があると聞いたが、今日の先生の話とどう関連するのか、しないのか?

先生:もともと日本の医療の歴史にはそういう風潮というか、流れがあったことは事実です。しかし、それでは国際的な医療としては通用しない、という声が高まってきて、例えばインフォームドコンセントも一例ですが、それからカルテの開示ということも最近の動きです。そこには法律的な枠組みの問題があるにせよ、今の精神科の治療においても、治療の方法や薬の内容なども患者さんにキチッと説明して、納得してもらった上で薬を飲んでもらったほうが治療効果の面でもいい結果が認められたわけです。

 昔のように「さあ、飲め」といって薬を飲んでも、その効果は現れないということが研究の中でわかってきたんですね。医師が医療知識を独占するのじゃなくて、ご家族もある程度の知識を持ってもらって、共同で治療行為を行ったほうがいい結果が出たということです。これは諸外国では単に治療効果だけではなく訴訟問題も絡んで、インフォームドコンセント等が一般化してきたということもあるんですね。日本でもその傾向が出てきて、薬の説明や医療内容の説明をするようになった背景もあります。

 例えば、いま病院はどこも医薬分業で、皆さんも院外薬局からお薬をもらっている方が多いと思いますが、その時、薬の説明書なんていうのを出す薬局が多くなりましたね。そのほか、「薬がわかる本」だとか、インターネットで調べるとか、いまの情報化社会では、医者がどんなに隠したり、ごまかしたり(良心的に)しても、患者さんやご家族のほうがよく知っているという状況ですよね。

司会:でも、一部にはまだ、「医者に口出すな」という先生もいるようなことを聞きますが・・・。どうですか、皆さんの中でそんな経験を持たれた方はいませんか?
参加者1:ない。
参加者2:あります。


先生:そうですか。でも、それは病院経営の面からも、今はそういう状況はなくなりつつあると思います。我々医療の現場も客商売という面もありますからね。余程自信のある医師でなければ、「黙ってついて来い」なんて言えないのが現実です。だから、病院によっては患者さんを呼ぶのに「○○さま」なんて呼んでいませんか。

参加者3:そうそう。

先生:花なんか飾ったりね。(会場笑い)だから、日本の医療機関もようやくその辺のことに気がつき始めたということですね。私の病院でも畳部屋は数年前になくなりました。これなんかも今どき畳部屋なんて患者さんが断りますからね。

質問2:それでも主治医の威圧的な態度で転院希望も出せないでいる、という訴えを知人から聞いたことがあるが・・。

先生:それは黙って転院してしまえばいいんです。先ほどもお話しましたが、その辺の権限はご家族にあるわけですから、自由に転院すればいいわけです。ただ、そのことが治療関係の面で、必ずしもいい結果を生むとは限らないということがありますから、一概に言えないことがあります。

 問題はちょっと逸れますが、この転院ことについていいますと、患者さんにとって転院がどうなのかということが重要です。転院すると、患者さんにとってはまた一から治療関係を築き上げなくてはならないわけですから、それは相当なストレスになります。ですから、転院してよくなったという例はあまり聞きません。もしかすると、その高圧的な医師もそれを読んでそういったことも考えられますよね。

質問3:私の息子は先生から病名を教えてもらえないので、薬を飲めと言われても飲めない、といっている。でも、なんとかなだめて飲ませているが、先生は「大丈夫だから」といって、どうしても病名も薬の内容も言ってくれない。どういうものだろうか。

先生:先ほどのお話の通りで、医師が「黙ってついて来い」というタイプの話ですね。我々だって診察を受けて結果を知らされずに、ただただ薬を飲みなさい、と言われても飲めませんよね。だから私は極力診断の結果は伝えられる方には伝えています。これからは情報化の時代だし、そういうタイプのやり方は却って難しくなりつつある状況です。僕なんか言わずにごまかすことの方が難しいですね。

質問4:「分裂病」という名前はいやですね。いつ頃つけられたのでしょうか?

先生:日本では1910年ころ、スイスのブロイラーという精神医学者がつけたものです。その前にはクレペリンが「早発性痴呆」ということで、若くして老人性の痴呆になってしまうと解釈したんですね。これにブロイラーが異見として「精神機能の分裂」と言ったわけです。以来この病気は「精神分裂病」となってしまったのです。それは英語では「スキゾフレニー」とか「スキゾフレニア」という言葉になっています。

質問者:親の立場からすれば「早発性痴呆」のほうが気が楽という気持ちだ。「分裂病」というと怖くなって、患者への告知もしにくくしているのではないか。

先生:その通り。「分裂病」というネガティブな言葉の響きの中に、日本の精神医療の難しさや偏見の問題が集約されているということがありますね。だから全家連でも名前を変えようという要望を提出していますし、精神神経医学会でも名前を変えようと、検討会をもったりいろいろやっています。要はいい名前がないんですね。それは病気自体がまだわからないからです。それがわかれば名前も決めやすいということがあります。これまでにクレペリン病、ドーパミン病、ブロイラー病なんて案も出てきています。

参加者:ほんとにこの病気は患者一人とっても、その発症の時期やその年によってなのか、同じパターンで発症することはありませんね。だから、この病気の性質は全くわからない。

参加者4:そちらさんはお一人で暮らしているそうだが、ご家族が同居していれば、再発を未然に防ぐ可能性もあるように思えるが、一方、家族がいるから再発しやすいという面もあると思う。その辺はどうなんだろうか。

先生:それは基本的には患者さんにはセルフコントロールを持ってもらうことです。だから、独居でも同伴でも、その基本的な問題は変わらないわけです。独居だから、同伴だからという理由だけで判断はできないでしょうね。

参加者5:いま、みなさんのお話を聞いていると私は子供が飲んでいる薬の内容は全く知らないので恥ずかしくなった。こんど早速調べたいと思う。

司会:私もつい最近まで息子が飲んでいる薬の内容を知らなかった。先日、あることからそれを知って驚いた。7種類も飲んでいた。でも、息子は昨年から比べたら格段に明るくなったし、結果がよければそれでいいと思っている。

先生:そういうことです。先ほどのお母さんも、薬の名前なんか覚えても仕方がないです。患者さんがよければそれでいいわけです。

司会:もう、終了時間をとうに回っています。今日はこの辺で終わりたい思います。先生、ありがとうございました。(会場・拍手)
(編集部より・・質問は紙面の都合で抜粋して掲載しています。)


編集後記

 本格的な雨の季節を迎えた。例年の渇水情報を聞くことを思えば恵みの雨である。さらに、この季節、太陽が最も中天にきている。この雨雲がなかったら、日本は灼熱地獄でもあるのだ。ジメジメ、シトシトに感謝しよう。

 「医師の領域、家族の領域」 岩下先生が平易な言葉を使いながらもこの難しいテーマを噛み砕いてくれた。我々家族は「患者の専門家」であるという。つまりプロフェッショナルだ。「プロ」・一般社会でプロと呼ばれるには、それなりの力量、責任、情熱を持った者だけに与えられる称号ではないだろうか。

 フト、己の胸に手を当て「お前は自分の息子のプロか」と問うてみる。情けなくなるほど自信がない。やれ「情報開示だ」、「インフォームドコンセントだ」と自分たちの権利や要求だけを主張し、こちらから医師に何一つ情報も与えずにいた。それでいて「治せ!、治せ!」と医師の胸ぐらを掴んでいたのではないか。

 プロの仕事と言えば、最近テレビの流行語になった「いい仕事してますね」がある。我々家族は患者のプロして「いい仕事」しているだろうか。五年後、十年後、患者たちから「父は、母はいい仕事してくれた」と言われたいものである。          


※勉強会INDEXに戻るには左のMENUの勉強会をクリックして下さい


新宿家族会 E-mail: frenz@big.or.jp