新宿区後援・8月新宿フレンズ講演会

    
2018 恒例・拡大家族交流会 

新宿フレンズ8月定例会参加者全員

今月は全文紹介しています

会長 今年は猛暑の中、いつもの会場とは違うこともあって参加人数は約30名と少なめですが、その分、前半はじっくり話し合えました。4つのグループに分けましたが、多かったのは、親亡き後と就労についてのグループでした。

【当事者と語ろう】

役員1(母親)初参加の方は、当事者の大学時代の同級生、友人の立場です。

Aさんの話によると、ご友人は大学で事件を起こして停学となり、卒業できなかったそうです。実家は地方でAさんには数年連絡もなく、通院はしていたらしいのですが引きこもっていたようです。

20代半ば頃から年に数回、上京してきて1、2か月仕事をして、また戻るという生活を10年近い今に至るまで続けている。「どうしてちゃんと就職しないのだろう」と心配で、今日の参加になりました。詳しい状況や病名など情報が少なくて何とも言い難い部分があり、現状では悪化しているようには見えないが改善状況も見えず、同じ生活パターンを繰り返していることを、友人として心配しているそうです。

(友人)私は彼に何とか定職について人生を歩んでほしいと思っていますが、この会に来て、彼のペースを考えていなかったのかな…と思いました。自殺とかしないでほしいなと思っているので、彼の幸せを考えることを大事に、彼のペースを見守りつつ無理のないように支援したいと思います。

【親が生きているうちにできること】

役員2(父親)総計9名のメンバーで、病気の悩みの中で子供の状況や将来などを話し合いました。

(父親)50代の娘は、2歳年上の女性と暮らしています。食費と光熱費で1か月15万円くらい援助していますが、私が亡くなるとどうなるか。あと10年くらいで、いま私が妻と暮らしている家も処分するでしょうから、その費用で賄っていけばよいかと考えています。

(母親)息子は30代後半でパニック障害です。今のところ病院への通院や服薬も忘れるくらい執筆に集中しています。5年間使ったパソコンが壊れて私が買いました。文章を新しいパソコンに移し、アマゾンから出版してもらうようです。早く出版できればと願っています。

(父親)息子は30代半ば。病院になかなか行きたがりません。昨年は「病識がない、通院しない」グループに参加し、通院して病識を得ていくことが大切だと思いました。それと並行して将来に向けて取り組まないと、財産管理や日常の生活など1人暮らしに苦慮すると思い、どのような手立てを親が準備すべきかを学びました。

(母親)息子は10年続けた掃除のアルバイトを今後も続けると思います。以前、「親がいなくなったらどうするの?」と聞いたら、「なるようになるさ」と深刻に考えていないようです。終活ノートを書き終えたら息子に見せて、今後どうするかをちゃんと聞いてみたいと思います。アルバイトで収入面では安定しているのですが、友達が全くいないのが悩みです。

(母親)40代半ばの息子は、20年前に自分からクリニックに行きました。作業所に通い出して15年くらい、簡単な作業やパソコン入力でわずかな収入を得ているだけで無年金です。生真面目な性格ですので、作業所は10年くらい無欠勤で友達や先輩が沢山いて見守られながら過ごしています。その友達も薬のせいか、糖尿病など病気になったのを見ているので、「食生活に気を付けなければ」と自分で言っています。友達はいるものの、経済面では親がいなくなったらどうしようと悩んでいますが、「生活保護を受けて、いい仲間に囲まれて生きることも悪くないな」と言っているので、親としてほっとしています。

(父親)40代の息子が病院に通うようになったのは一昨年の春からで、2年余通院しています。月に1回通院し、服薬は朝と夕方です。ここ10数年仕事は一切していなくて引きこもり状態で、親と同居で朝昼晩すべて一緒に食事しています。たまに大声を出したり喧嘩となる場合もありますが、手を挙げるまでに至ってないので、まあ良いかと思っています。近くの交番には一度だけ息子のことを伝えて、「何かあったらよろしくお願いします」と話しました。

自分の部屋はあまり片付けないのに、変なところにうるさく洗い物など潔癖です。もう少し外に出る回数が増えてアルバイトでも始めてくれればと願っていますが、「今年中にはなんとかなる、来年は…」と、本人は逃げ口上です。家内は、就労支援とか保健センターの世話になる必要があると思っているようですが、私はまだそこまで悪くないと思い込んでいて、親が死ぬまでは見てやるという気持ちです。

(母親)娘が当事者で一昨年の春に入院3か月、その後、デイホスピタル★注に通っています。Gさんと保健所で知り合い、誘いあって新宿フレンズに来ています。最初は自分の娘はすぐ治ると思っていましたし、病気のことも知らず周りに話せる人もいませんでした。

退院したらすぐに仕事に就けるという感覚でいたので、「障害者手帳を」「自立支援を」と言われても、本人もすぐに働くと言っていましたので「そんな必要はない」と思い、こんなに長くこういう状態が続くとは思っていませんでした。申請して障害年金も今年から受け、国民年金も免除となり、自立支援の1割負担も助かっています。本人は年金で心のゆとりができたようで、障害者手帳もフル回転して無料の都営、都バスで行くように工夫し、映画館などあらゆるところで割引を使っています。デイホスピタルでは知り合った10代の人に「手帳もらっていないの? 年金は20歳になったらもらえるといいね」とか大っぴらに言っています。高森先生に「働けないから手帳や年金をもらってもよい。働けるようになればもらう必要はない」と言われたことを心強く思い、福祉の制度を最大限活用して、少しでも良い方向に治っていくようにと願っています。

*デイホスピタルとは、厚生労働省の大規模デイケアに認可されている施設です。地域や家庭から孤立しないために、昼間だけ入院にも劣らない手厚い治療をしながら、集団活動を通して多職種スタッフ(看護師、作業療法士、臨床心理士、精神保健福祉士など)とリカバリーを目指します。

(父親)次男が発症したのは15年前です。長男が車に乗せて精神科病院に連れて行きました。次男に「僕は何も悪くないのに、なんで病院に入院するのか」と言われ、その時に私は「親父を、家族を信じてくれ」と伝えて入院させました。2週間後、「お父さん、この病院には僕と同じ人がいっぱいいるよ」。その言葉で、次男が病気を分かってくれたとほっとしました。子供は病院にいる間に洗濯はやるし、薬も飲むようになって、その後とても順調です。病院には6、7年世話になり「通院が大変です」と紹介状を書いてもらい、近くの病院に通うことにしました。

2、3年前に、空いたアパートがあったので、グループホームとどちらが良いか聞いたところ、「アパートで良いよ」と1人独り暮らしを始めました。主治医から「自分でアパートを探してきたのは、あなたが初めてですよ」と怒られたような感じでしたが、医療チームを作って1年半くらいかけてアパート暮らしの訓練をやってくれました。今も毎週、看護師が訪問してくれて大変助かります。最近、病院のケースワーカーに「就労も頑張ろうよ」と就労も進んでいます。この病気は、親が期待し過ぎても無理と分かっていますが、内心嬉しく思っています。

【通院・病識がない】

役員3(母親)メンバーが最初は1人だったのですが、それを見て入ってくださった方から、とてもよいアドバイスを頂けました。最初の方は帰られたので、代わりに話します。

(母親)さんの話によると、娘さんが2人とも40代で統合失調症を発症。長女さんは病識があるのですが、薬の副作用で遅発性ジストニアが出て、手がうまく使えないとか足がこむら返りをしたような状況になるなどして減薬を進めたとのことです。

その時に、次女さんが一所懸命調べてくれたそうですが、その後、海外留学に行き、帰ってきた後に「個人情報が洩れている」という話になり、「迫害されているから難民申請する」と、ある国に受け付けてもらって3か月間海外に行ったのですが、連絡が取れず、「お金がない」と電話があり大変だったそうです。

帰国してもパソコンから「盗聴されている」と120万円かけて調べ、「母親が食事に化学物質を入れている」と缶詰しか食べない時期もあったとのこと。病識がないのが問題で、1回だけ行った病院に問い合わせたら「個人情報だから家族には話せない」と言われたとか。全く通院しないし、このくらいなら病院に行かなくてもよいのでは?とも思い、迷っておいででした。アドバイスがありましたのでお話して頂きます。

(父親)その方は、通院ができない、病識がないということで、私の体験を交えてお話したところです。やっぱり治療しないと悪化しますね。

我が家は統合失調症の40代の娘です。発症して10数年経ちます。妻が色々調べて新宿フレンズに来るようになって2年目です。最初は町のクリニックに通っていて、私は妻に任せきりで「そのうち治るだろう」と思い、本人も苦しそうではないので、気にもかけていませんでした。

ある日突然強い妄想が出てきて「あるプロジェクトがあって、指令を受けるためのカプセルを喉に埋め込まれた。それを取ってもらう時期が来た。病院に行くと秘密裏に除去してくれる」と10何回か足を運びましたが、当然受け付けてもらえません。最初のうちは本人が行くだけでしたが帰りが真夜中になり、「迎えに来てください」と病院から連絡が来て行ったりしていました。

だんだん酷くなってきて、新宿フレンズに移送会社を紹介してもらい、ある医療センターに入院させようと手続きまで取って当日連れて行ったところ、この病院には向かないから入院させられないという話になり、移送会社の方が「東京の病院なら」と連絡を取ってくれ、「急患で受け付けますから連れてきて下さい」と入院につながりました。それから入退院を3回繰り返しています。病識がなく、いつも悩みながら過ごしています。

 入院をさせるのは簡単ではなく、事前に入院をさせたい病院の先生に相談して、「こういう状態だから、連れて来た時には入院させてください」ということを前もってお願いしておくことが大事です。本人は病気と思っていないので、自ら入院や通院をすることは絶対ないので、親がその道筋を開かないと、この病気は快方に向かわないと痛感しています。

(母親)妄想が体系化されていて、現在の妄想は、「音楽関係の仕事をしている彼がいて、この12月には結婚したいので彼が来るから、お母さんたちに会わせるからね」と、あるはずのないことを言います。退院してからも「今日、彼が来るからね」と本人は信じているので、健気にも身支度をしますが来るはずはありません。それを見て、この病気は本当に可哀相だなと思いながら、新宿フレンズに来てからは受け止められるようになり、今では、「次はどんな話になるのかな」とどっしり構えることができるようになりました。

 病院では主治医に恵まれていて、「外来通院の前日までのことを電話で報告してください」と言われており、これは本当にありがたいことです。必ず先生に電話連絡をし、診察時は私も呼ばれて入り、先生は私が伝えたことを必ず質問してくれるのです。本人は全て「調子はよいです」「大丈夫です」なので、病識のない患者には、必ず家族などの支援者が診察に付き添うことが必要だと痛感します。(注・「退院後の暮らし」グループでしたが、ご夫妻なので、まとめるに当たり移動しました)

 

役員3 Jさんの話の中で家族に対し「個人情報だから話せない」という医師がいたそうで、確かに個人情報は厳重に管理されなくてはなりません。ですが精神疾患ことに統合失調症は病識がない場合など家族の支えが大事で、個人情報の利用に「ご家族等への病状説明」を明記している精神科病院もあります。ただし電話などで簡単に教えることはないでしょう。病院に聞くにあたっては、情報の開示が当人の利益になることを、家族はきちんと説明しなくてはならないと思いました。

【退院後の暮らし−デイケア・作業所・就労・自立】

役員4(母親)このグループは、妹の立場、夫婦1組、母親の立場8名の11名で、アルバイトのこと、作業所へ通えるようになったこと、リスパダール・コンスタを注射していること、食べることを拒否していたが転院先のサポートによってバニラアイスを食べスポーツドリンクを飲めるようになって病状が改善したなどの話がありました。

それぞれ違うと思いますが、私からは「当事者は現状を良いとは思っていないということを、支える人は理解して」と話させてもらいました。また「他所の家の現状が良くなっているから、うちの子もできるはずだ」という比べ方をしないで、今の当事者の状態を見据えて、今は休む時とか辛い時期、ちょっと押す時期など子供のペースをしっかり把握すること。親ができることは、子供が今できていることをほめて認めることから元気にさせ、心の栄養をつけたいとお話ししました。

(母親)いま20代半ばの息子が発症したのは3年前で、今は週3回1日2時間勤務で、郵便物を仕分けしたりコピーしたりする仕事です。息子の現状は辛い状況で働いているので心の栄養不足。もっと休ませてもっと褒めて、気持ちを聞きながら、ゆっくりやっていきたいと、今日は良いアドバイスをもらいました。

(母親)30代前半の息子は発症して4年になります。1年前に辞めたアルバイトは仕事が多くてすごく負担になり、本人も一所懸命、続けるために病院で薬が変わったり強くして副作用が出たりとか大変で、今はB型作業所です。

仕事に就ければ…という本人と親の願いがあって、障害年金をもらうと仕事をしたくなくなるのでは…という気持ちもあり、本人もまだ手帳をもらう気持ちもはっきりしていません。年金で心に余裕ができたという話があり、今は仕事ができないからもらうという考え方もあると思ったので、息子に話をしてみようと思います。

 サポートセンターは2日から3日に増やします。そこでB型作業所を紹介してもらい、いろんな方やスタッフとも話ができて、この1年間で元気になったことを自覚して言葉にしてくれて嬉しく思いました。

(母親)10代後半の息子は発病2年くらいで、まだまだ回復途中、1年遅れで通信制の高校に行っています。週に1日か2日学校に行き、少し勉強をし、高卒資格を取りたいという気持ちはあるようです。引きこもりがちで家でゴロゴロしている時間が長いですし、私がそれを心配してしまう。経験されている方は「まだまだ長い道のりだよ」と思われるでしょうが、私もほめたり認めたりを続けながら、長い目で見ていきたい。フレンズで毎月先生のお話を聞いて、自分の気持ちの平穏を保ちつつ頑張っていきたいと思っています。

(母親)息子は高1の時に、学校へ行けなくなったことをきっかけに、自分から行きたいと精神科にかかりました。本人によれば中2くらいからだいぶ不調があったようで、5年くらいになります。薬で陽性反応はすぐに収まったのですが、陰性症状がずっと続き、表情が固く、気になっていました。通信高校を2回変わって一浪して今年大学に入ったのですが、結局1週間で行けなくなりました。

人との付き合いが上手くできなくて、小さい時はそんなことは全くなかったのに、今は「友達の作り方がわからず浮いている、人からも見ても自分はおかしいと思われているし、普通ではない」と言い出しました。「自分は障害者として生きたい」「年金や手帳を取りたい」と言い、さっそく手続きをし、本人は安心したみたいです。地域活動支援センターに行きましたが年齢層が高すぎて、働く仲間は誰もいませんでした。薬のせいか寝る時間がすごく多く、以前に当事者の方から「脳が疲れているから、寝るのも大事だ」と聞いていましたが、昼の3時頃に起きるので、どこにも行けない状態で引きこもってしまう。

本人も気になりだしたようで、医師に相談して何回か薬を変えたり抜いたり。エビリファイに変えた時、一瞬活発になって、いきなり自転車で買い物に行ったりして、医師は統合失調症ではなく双極性だと言いました。その後しばらくエビリファイを飲んでいたのですが、表情が固くなります。

今週になって、エビリファイを改善した陰性症状に効くという新薬のレキサルティを飲んだところ、見事に次の日から、睡眠時間が6時間半くらいでカッキリ起きるようになりました。本人に聞いたら、「今まで頭がモヤモヤしていたが、すっきりした」とのことです。そして表情が柔らかくなり、ほとんど部屋にこもっていたのに、私が台所にいるとゲームやユーチューブの話をして、ずいぶん明るくなりました。レキサルティは息子には合っているのかなと思います。今は朝の8時くらいに起き、活動時間が増えたので、本人も体調が良くなったようで、障害者スポーツのバスケットやフットサルへ今度行ってみようかなと思っています。

(母親)今日は夫婦で来ました。長男は30代前半で統合失調症です。発症時期はよく分からないのですが、高校受験辺りに勉強が手につかなくなったという頃からかもしれません。20歳の頃に私の実家に息子が行って「隣の人が自分を監視しているような気がする」という話が出た時に、私は病気のことを調べ、息子も調べた形跡があるのです。ですが、その時には息子は健康そのもので病院も薬も大嫌い。「自分で何とかする」という自信があり、病院には一切行かず、だれにも相談しない状態が続きました。

結局、大学受験で失敗して引きこもり、引きこもりの家族会にも行ったのですがそのまま月日が経ちました。そして昨年の12月に家で「殺される」と大暴れして「警察に電話するしかない」と、そのまま措置入院になりました。最初は拘束もありましたが面会で「拘束はされたが人間として扱ってくれている」と言い、今まで医師にかかったこともなく風邪薬も飲まないくらいでしたが、自分で薬も飲んでいると聞いてびっくりしました。薬を飲むことで苦しい思いがなくなったという確信が生まれて、医師からも退院前に病気についての説明をしてもらい、「自分の苦しさはこの病気のためだった。薬を飲んだら、なくなっていくのだ。」という病識が生まれました。

 薬はリスパダールです。退院にあたって病院は遠いので、地元のクリニックに転院したほうが良いとなったのですが、「注射でないと受け入れられない」と言われ、嫌がっていましたがリスパダール・コンスタを注射して退院しました。

退院した次の日から妄想が起きて、その日の訪問看護は「怖い人が来た」と怯え、帰ってもらった後、嵐の中に飛び出して行って自殺未遂をしかけました。前の病院の医師に電話をし「薬から注射に移行する段階で、薬の量が足りなかった可能性がある」と言われ、服薬したら妄想がなくなり不安が解消して落ち着きました。本人も「薬の量が足りなかったら不安になる」という確信が生まれたわけで、結果オーライかもしれません。

今は2週間に1回、注射を受けに病院に通い、減薬の許可をもらったので、毎晩、リスパダールの錠剤を2?、1?と交互に飲んで、後は精神安定薬を飲んでいます。割と少なめの薬の状態です。

 普段は寝ている時間が長いので、作業所などに通えるようになったら良いと思いますが、その子その子のペースを大切にという話を聞いたので、できていることをほめながら、毎日笑顔で過ごしたいと思っています。

(父親)新宿フレンズは妻がネットで探して、しっかりと現状を受け止めて情報をきちっと掴んで息子と向き合おうと、今日2回目の出席をしました。色んな人の話を聞けて勇気をもらった感じです。

措置入院の件は「こんなことが人生に起きるんだ」と仰天しました。警察や救急車が来て、近隣の方も外に出てきたような状態になりました。

退院をして7か月経って、非常に強い性格の長男が全く変わってしまいました。おとなしく表情が出ない。話すと返事はありますが、薬の影響なのか言葉もとろい。本人も何かをしたいと言いながら、手が動かないような状態です。

良くなるまで待たなければならないというのは分かっていますが、いつになったら意欲が出てくるのか、どんな経緯があるのか、どんな時にどんなことをしたら良いのか何となく分からない。人それぞれだとは思いますが、周りの方々の経験を聞きながら、私たちは息子に何をしてやれるのかを学びたいと参加しました。

(叔母)定年で自由になっていろいろな国を歩いてみたいと思っていた時に姉が亡くなりました。姉の娘が当事者で、まさかこんなに精神医療にどっぷり関わるとは思いませんでしたが、これも1つの在り方かなと思えるようになりました。

8年前に姪は1年半通院していたのですが悪化して、今の病院に入院しました。第1回目の入院が3年くらい。良いことが何もなかったな、という感じの病院です。それまで何でも食べていたのに食物を突き返すことが増え、病院のドアを蹴飛ばし、物を壊すたびに始末書を書かされていました。病院を抜け出しては捕まって保護室に入れられることを繰り返し、2回目の脱院時は警察に捜索願を出し、病院からは「このまま戻らなければ退院」とまで言われました。なんとか夜11時くらいに戻ってきて、またすぐに保護室に入れられて、それからはまったく食べることを拒否して、4か月間、隔離拘束が続きました。

私はこの拘束がとても辛く、あらゆるところに相談に行きました。医療110番とか、とにかく「心」と付くところに行って相談しました。家族会もいくつか行き、相談に乗ってもらい、新宿フレンズにも来るようになりました。「食事をすれば拘束を解いてくれるのに、どうして食べないの?」と聞きましたら、本人は「これは私が悪いからこの拘束を受け入れなければならない」と言いました。そこまで追い詰められていたのかと思い、私もうつ的な気持ちになってしまいました。しかし、様々な家族会に参加することによって、みんなが心配してくれ相談に乗ってくれて何とか乗り越えてきました。

 何とか病院を変えることが大事だと、家族会に来ている医師が親身になって下さり、最終的にその病院に任意入院させてもらいました。拘束を受けず食べ物も食べて、2年前には退院して生活訓練所に通うことができました。その後2か月半経ち、環境が変わって入院になり、1年経過して今年3月にまた生活訓練所に戻りました。今は慣れたみたいです。表情も変わり、今年の1月には大阪で開催されるドリームバスケットを見たいと医師にも相談し、行けたことは本人も自信になったようです。医師が本人の意思を尊重してくれたことが嬉しいです。これからも寄り添っていきたいと思います。

(妹)50歳前の姉が統合失調症です。発症はたぶん20歳くらいと思います。母が2年前に急死して、姉は実家で兄と暮らしていますが、兄は姉と関係が良くないため、それまで何もしていなかった私が突然面倒を見ることになりました。

姉は母が亡くなったときは急に不安が強くなり病状が悪化、今は落ち着いています。食事の世話はヘルパーですが、入浴も促さないと入らず、洗濯や掃除も私がやるなど身の回りの世話と通院の付き添いが必要です。私は子供がいて、来年は仕事に復帰するので、今後の姉の生活について色々と情報を得られたらと思います。

 

(母親)30代の娘が統合失調症で、発症は10代後半でした。副作用が出たので薬を変えたのですが、すごく活発になってしまって、あちこちに出かけて帰りが夜中になるなど本人も生活に疲れたようで、去年の秋に自分から望んで入院。結構太っていたのですが、規則正しい生活と間食が少ないためか、体重が減りました。

今は落ち着いて安定していて病院の活動に参加し、自宅では歯を磨かなかったのですが、歯科のチェックも受けました。小遣いを入院中も欲しいとのことで1週間分と外出時のお金を渡します。本人は本やレターセットを買って楽しんでいるようですが、無駄遣いが気になるところです。

入院までは地域活動支援センターに通っていたのですが、本人はそこに戻りたい気持ちと、ちょっと自信がないということもあって入院生活が居心地良く、一歩出ることがこれからの課題です。

(母親)20代の息子が3年前に発症しました。高校を卒業してすぐに留学し、しばらくホストファミリーのところで生活して英語の勉強をしながら大学を目指して、すごく頑張って成績もそれなりでした。ただ、ホームステイ先を転々と変えることが気になっていました。大学に入学できたのですが、ある時から大学に行っていないことに気づき、すでにその頃から妄想が始まっていたのだろうと思います。

ですが、その時はそれが真実に思えて「何言っているんだろうね」と聞き流し、学校に行かないとビザの更新もできないので帰国を促したのですが、「ネットの仕事をする」と帰りません。その後、SNSで自殺をほのめかしたのをきっかけに「とにかく帰ってきなさい」と帰らせました。

それから半年くらいうつ状態になり半分引きこもり状態でしたが、私は大学で挫折したことがショックで落ち込んでいると捉えていたので、まさか統合失調症を発症しているとは夢にも思いませんでした。急激に悪くなり、家族でも「精神科に連れていくべきか」と話し合っている時に、息子が本来の息子の姿でなくなった。その時のことは今でも思い出したくないです。救急車をよび、医療保護入院になり、まさかそれから2年も入院するとは思いませんでした。

最初は救急病棟に入り、3か月くらいで退院すると周りの患者から聞いていたのですが、急性期の症状が激しくなって身の危険もあったので隔離室に入れられて、そこで自分の頭をガラスに打ち付けるなど、激しい症状が出ました。

 そういう状態から抜けて一般病棟に移され、祖父母も心配して365日家族で交代しながら病室に通って見守ってきました。2年間、医師から一度も「退院してよい」という話はなく、最終的には本人が外泊時に「戻らない」と言い張り、先生には「家族で看ます」と伝え、今年の5月に退院させました。

今は、病院のデイケアと訪問看護師に週2回来てもらって、たまにバッティングやスイミングに一緒に行きます。自宅は民泊をしているので、気分が良いと宿泊客の外国人と触れ合っています。最近は、地域の自立訓練センターに行ってみたいと言い出したので、見学に連れて行こうかと思っているところです。

(当事者女性)新宿区民です。今日は練馬の家族会からはしごで来ました。新宿区の保健所の家族教室にも参加し、そのアフターケアの会にも行っています。

(母親)20代の息子は今年の2月に発症。今は落ち着いて、薬の量を少しずつ減らして様子を見ているところです。大学病院の主治医が移動になるため「他の病院を探してください」と言われ、どこに行って良いのか分からない状態です。

私自身も、まだ息子の病気を受け入れられず、日々葛藤しています。主人が新宿フレンズを調べ「行ってみたら」と、初めて参加しました。これから情報を頂きながら勉強していきたいと思います。

会長 長い時間、お疲れさまでした。毎年繰り返し行われている拡大家族交流会ですが、皆さんそれぞれに悩み、苦労、心配ごと、そして嬉しいことなどがお互いの仲間の中で話し合われて、明日の生活に生かされていくものと思われます。
 家族会とはこの交流会で話され、学んだことをご自分の家庭の中に持ち込んで、患者さんとの接触の中で生かされてこそ価値のあるものと思います。どうか、今日学んだことを実践してより良い生活を築いてください。

★フレンズは、「昼の会」(第2土曜)の後も「夜の会」(第4水曜)の後も、自由参加で近くの店に移って夕食やお茶をして、個人的にお話ししたい方と相談したり、雑談を楽しんでいます。お時間のある方はどうぞご参加ください。
                                           〜了〜


平成17年4月からの新宿フレンズホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿フレンズでは4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿フレンズ会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法        

 
新宿フレンズへのお誘い 

 新宿フレンズでは毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 


編集後記 

  災害王国・日本!そう言いたくなるように次々と災難が我々の生活を脅かす。台風21号の風の威力を改めて感じた。あのトラックがミニカーのように倒れ、道路を滑っていく。民家の屋根があれゆあれよと舞い上がっていく。

 一方、ようやく台風21号が去って、一段落かと思いきや、北海道の地震の映像も凄まじい。厚真町付近の山々の赤茶けた山肌を見た時、これが現実かと自分の目を疑った。近隣の
人を亡くした農夫は「彼と台風被害のあと、これから出直そう、と語ったばかりだった」と。

 そして、精神障害者にとって、こんなことをお国の人たちがやっていたことに怒り心頭であった。障害者の水増し採用である。我が息子も未だ採用が決まらず、作業所通いを続けている。ある民間企業の人事担当者が言った。「我々がきちんと法律通りに障害者を雇っているのに、国の役人がこんなでたらめをやっていたのか」。災害王国・日本である。

 さて、今月の編集後記である。恒例としている拡大家族交流会。今年も多くの参加者が様々な意見を述べてくれた。それらの意見を集約してみて言えることは、皆最初は全くの初心者というのか、要するに病気に対して知識がないところから始まると言うことである。薬にしても暴力にしても、お金の使い方にしても、家族は体験を積みながら自らの意見を持って来る。つくづく思うのだが、この知識をもっと早い時期に学べないものかと思うばかりである。そこに家族会の役割がどうあるのか。難しい。                                 

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新宿家族会 E-mail: frenz@big.or.jp