8月 新宿区後援事業 新宿フレンズ定例会

      拡大家族交流会

            先輩の体験談から学ぶ確かな看護



 毎年8月の例会は、年に一度の拡大家族交流会。今年も2グループに分かれてざっくばらんな話し合いがなされました。おかれている状況に仲間が共感をもって耳を傾け、困っていることを相談すると様々なアイディアが出されたり、社会資源についての具体的な情報交換がなされたりと、内容は多岐にわたり、大変充実した時間となりました。今回はその様子をご紹介します。
今月のホームページの表記は完全版をお送りします。

 Aさん(親):30代の娘が発症したのは12年ほど前。学校を出て勤めていましたが、2年目に「会社でいじめられている」といい、「社内の精神科医に診てもらう」といったときは、親は何かの間違いかと思ったくらいでした。会社を辞めて本人は「仕事を干された」と、弁護士に相談したり、病院の精神科にも行きました。

 しかし、そこから紹介されたクリニックには行こうとしないので、近所のクリニックに親が行き、水薬を出してもらい、こっそり投与したら落ち着いて通院を始めました。その間、激しい急性期があり、被害妄想が著しい時期が2〜3年続きました。5年前には入院もしています。

 いろいろ薬を変え、結局、効果があったのは、最も古い定型抗精神病薬、つまり旧薬です。暴力に対しては鎮静作用の強いコントミン(クロルプロマジン)が効き、関係妄想には、これも旧薬の幻聴や妄想に効果があるといわれるセレネース(ハロペリドール)でした。娘は「私は古い人間なのね」と、冗談も出るくらいに回復しました。悪い方向に行き始めるとどんどん行ってしまうけれど、今は良い方向に行っている感じです。

 「きょうだいの結婚式に出たい」といって薬を増やしたため、一時期はCP換算1000mgを越えました。結局は出席できなかったのですが、そのあと落ち着いてきて、2年前くらいから減薬ができるようになって、今はCP換算700〜800?。これを500〜600mgまで減らせたらと思っています。仕事復帰は、まだ考えていません。難しい入社試験でも、受けるとパスするのですが、勤務し始めると続きません。

 減薬や増薬も、医師は短い時間での診察ですから、細かいコントロールまでは診られないでしょう。親が生活の中で良く見て、医師と相談することが大事だと思います。

Bさん(親):40代前半の娘は15年ほど前に発症し入院もしましたが、医師からは長い間、ノイローゼと言われていました。1年ほど前に医師が変わり、統合失調症と初めて、はっきり言われました。

 自営業だったので娘を社員にして、5万ばかりの給料を払っていましたが、この不況で仕事も減り、娘に手伝ってもらえる仕事もなくなりました。給料も払えなくなって、結婚もできず、親も老いてきましたから、娘は今後どうなるのかと不安です。

 先日、マンションで1人住暮らしをさせたら、不安になって入院になりました。すぐ退院できたのですが、その間に患者同士の話で障害年金のことを聞き、自分で申請して厚生障害年金の3級、ちょうどこれまでのお給料とほぼ同額を受けられることになりました。面倒な申請書類も自分で全て手続きできる力があると分かりました。

 デイケアは嫌がるのですが、英会話を習ったり、友人がメールをくれて時々外に連れ出してくれます。

Cさん(親):デイケアばかりでなく、自治体が関係する勉強会や、お金はかかりますがカルチャースクールもあるので、外に出て楽しめるといいですよね。「リハビリだから行かなければ」というのではなく、「私が楽しんで利用できる場所」と考えると気分も楽だと思います。また老後に備えて、金銭的に余裕があればですが、個人年金を積み立て、2ヵ月毎の年金の給付されない月に給付になるようにしておくという方もいました。

 どうしても一人暮らしが無理なら、精神保健福祉士などが様子を見てくれるグループホームもあります。以前と比べると親亡き後もいろいろと手を尽くしてくれるようになりましので、区の障害福祉課や、地域生活支援センター、保健センターなど相談できる場所をいくつか持って、「こういうときはお願いします」と、親も当事者も顔見知りになっておくことは、安心できて心の安定にもなります。

 デイケアが嫌というのも、1ヵ所だけ行って気に入らないというのではなく、いくつか見てみると「いいな」と思うところが見つかるかもしれません。実際、場所によってだいぶ雰囲気が違います。ヤング・デイケアに行っていたという方もいますよね。

Dさん(当事者):僕はヤング・デイケアには年齢が少し上でしたが、中部精神保健福祉センターの仲間に入れてもらえました。体育館で運動したり、料理を習ったり、映画を見に行ったり、仲間で出かけたりしました。退所してからも仲間との付き合いが続いています。

Eさん(親):30代半ばの息子が統合失調症です。学生の頃、幻聴があり「悪口が聞こえる」と、外に出ても誰もいない。本人がおかしいと気付いて受診しました。リスパダールを服用すると落ち着き、無事に大学も卒業し、就職もしてコンピュータ関連のきつい仕事でしたが、昨年11月まで10数年、勤めていました。

 「仕事をやめたい」と言い出したとき、私は薬さえ飲んでいれば大丈夫という気でいたので、全く再発とは思わず「次の仕事を見つけてから辞めなさい」「悪口くらい我慢しなさい」と言っていました。ですが、だんだん朝起きられなくなって会社を休んだりして、頑張ったけれども、とうとう休職になりました。

 それからは自宅療養しながら通院し、ホッとしたのか散歩に出かけたりもしていました。ところがこの春になって不安定になり、話しかけても返事がなく、幻聴・幻覚も出てきました。たぶん薬の量が少なかったのでしょう。家出を突然しまして、探してはくれないが見つかったときの連絡が早いと、病院に言われて捜索願を出しました。一週間で帰宅しました。

 その後は毎週通院していましたが、服薬量を増やしても良くならず、「殺される」と言ったり、眠れなかったり、食事をとらなかったり、父親への妄想からコンピュータに水をかけて壊したりしました。外来では無理で入院する必要があると思いました。

 息子の二度目の家出の間に、いくつかの病院を見学し、H病院で個室が空いていると聞いて自宅に帰ると、家出した息子が帰ってきていました。本人を説得して入院させようとしましたが、聞き入れてくれません。移送会社にお願いしたら、第三者の言うことは聞くのか、すんなり入院することができました。任意入院でしたが、翌日には本人が退院したいと言い出したため、医療保護入院に切り替えて治療しました。

 入院中に生活は規則正しくなり、眠れないときは頓服を飲みました。ですが、母親が見舞うと「もう離婚した?」などという妄想がしばらく続き、私とも話したがらない。そこでリスパダールを11mgまで増やしたら、ぴたりと妄想が止まって、そのあとは父親とも面会するようになりましたし、親の離婚の妄想も出なくなりました。

 妄想があると相当苦しい。それが消えることで楽になる。すると、周りの人や薬剤師と話をして服薬が大事だという話を聞き、そうやって聞いた情報は信じられるようです。

 だいぶ良くなって外泊を経て一昨日退院しました。2か月の入院でした。もっと早く入院できれば、こんなに大変ではなかったかもしれません。

 会社は休職中の疾病手当てが出ていて、籍はまだありますが私は復帰させようとは思いません。徹夜の仕事や、休みがとれなかったりときついこともあり、本人が勤務を嫌がっていたのです。あとで会社の方に聞いたところによると、本人はみんなと昼食をとるのも嫌がっていたそうです。人間関係が上手ではないため本人がいじめと受け取った。だから同じ会社に行かせようとは思っていません。本人も別の会社で働きたいと思っているようです。

 今は週に一度の通院です。医師は薬の治療についてよく考えていて、心理状態についてはソーシャルワーカーがよく聴いてくれます。入院中から続けて病気について学習する教育プログラムに参加していて、本人も役に立つと言っています。ピア(仲間)関係も大事ですね 。

Cさん(親):病院によってはチーム医療システムで、退院後のケアもしています。こういうことが進んでいくとよいですよね。

Aさん(親):チーム医療は進んでいる病院もあれば遅れている病院もあるし、ソーシャルワーカーはきめ細かく対応してくれるけれども、ワーカーが忙しくてつかまらない病院もあるとも聞いています。チーム医療という点ではクリニックは病院にはかないませんね。だから悪化したらスムーズに病院に入院と切り替えられれば、治療がうまくいく可能性も高くなるでしょう。娘もいろんな人に相談できるようになってきました。ここ10年で医療や福祉も変わりましたから、今後も進展はあると思います。

Fさん(当事者):当事者の集まりがあれば参加できるのにな、と思っているところです。

Dさん(当事者):杉並区地域生活支援センターの「オブリガード」は当事者のピアもしています。夕方からなので、昼間の作業所を終えてから参加することもできます。

 自分がやっていたこと、やりたいことができると気持ちいいですよね。作業所の中でパソコン関係をやっているところもあるので、探すといいかもしれません。世田谷区の「さらぽれ塾」は、スーツを着て就職に役立つ技術を学んでいます。

Cさん(親):関心があれば、一度区役所に行って調べてみたらいいと思います。他の区でも行けるところもあるようです。

Gさん(親):中村ユキさんの漫画『わが家の母はビョーキです』の案内を見て、フレンズを訪ねました。20代の娘が6月に入院しましたがもうすぐ退院で、発病と思われる時期は昨年10月です。

 学校を出て会社に勤め、1年目は良かったのですが、2年目に先輩が辞めて負担が増えたことを悩んでいたようです。でも私は、若者の普通の悩みと思って、「いま悩んでおかないと、この先困るよ」などと言っていました。そのうち、やっぱりつらいからと自ら心療内科のクリニックに行き、月に1度通院していました。

 本人はつらいながらも3年半頑張った時に、ドクターから「そんなに大変なら辞めてもいいのでは」と言われて退職しました。しばらく失業手当をもらって休んでいましたが、今思えば、寝てばかりで元気がなく、被害妄想的な会社の悪口を言っている状態で、仕事辞めたのに変だなあとは思っていました。

 その後、再就職して通い始めたのですが1ヵ月くらいで辞めてしまいました。そんなはずはないのに本人は「ハメられている」と言うし、時々記憶が飛ぶようで、私がすでに伝えたことにも「初めて聞いた」などと言うので、おかしいなと思っていました。次の就職がなかなか決まらなくて、イラついている感じでした。

 昨年暮れに私が留守中に、被害妄想からか、夫の服をズタズタにし、コンピュータに油をかけてしまいました。薬の影響かと思い、初めて娘の主治医を訪ねたところ、「薬は出していません。診察の時はニコニコしていますよ。破壊行動は統合失調症かもしれません」と言われ、それは初めて聞いた病名でした。

 でもその時点では病気と思わなくて家で過ごさせました。スピリチュアルなことや、「人間は生きる年数が決まっている、私は77歳まで生きる」などと言いましたが、幻聴はないようでした。

 騒いだ時に数日間のつもりで娘を親戚の家に預けたら「飲み物に化粧水を入れられた」と言って、突然帰ってきました。ピリピリして怒りっぽく、空笑もあるので、もしかしたら先生が言った病気かなと思って、夫と本を読んで、保健所に相談に行きました。「統合失調症ではないか、早く病院に行ったほうがいい」といわれました。

 本人は病院に行きたがらないため、受診させるのに2ヵ月かかりました。いくつか病院を紹介され、「病識がないと通院が続かないから、薬の大切さを知るために入院したほうがいい」とも言われました。悩みながら家族みんなで「ドライブに行こう」と嘘をついて病院に連れて行きましたが、騒ぐこともせず、あとからも恨まれもしませんでした。

 ジプレキサ20mgを飲んだら、本人も落ち着いたと言い、表情などが硬く、芯が変わってしまった感じがしていたのですが、元のソフトな感じの娘に戻りました。そろそろ退院ですが、退院後の生活について相談したいのです。

Cさん:退院後のポイントの1つは、きちんと服薬を続けること。よくなったからと止めてしまうのではなく、必ず医師の指示に従うことが大切です。病識はどうでしょうか?

Gさん:病気という意識は持っていないかもしれません。ただ、「薬を飲んで落ち着けた」といっていました。

Cさん:薬を飲めばよくなるという実感は「病識」の手前の「病感」かもしれません。「病気だから薬を飲まないといけない」と、自覚できればいいですね。

 それから、昼夜逆転しないように。また、ジプレキサは太りがちですから、清涼飲料水や甘いもの、油ものを控えるなど、食事に気をつけるといいかもしれません。

Gさん:太ってきましたし、あまり食べなかったのに食べるようになりました。薬を変えたほうがいいのでしょうか?

Dさん:「薬を飲むと太る」と言うと、女性は薬を飲まなくなってしまうことも心配です。選べる薬は多くはないので、今の薬が体に合っているのなら、まずは今の安定を考えてはいかがでしょう。焦って薬をいじるのももったいないかもしれません。長期的な目で考える必要もあると思います。

Hさん(姉):弟が発症して25年、今は両親もいないので、私1人で見ています。何でも聴いてくださる家族会は新宿フレンズが初めてです。発症した時期に私は家を離れていました。

 今の病院には昨年4月から入院しました。本当はもっと早く入院しないといけなかったのに、説得ができないし暴力的なので難しく、警察や保健センターに相談してもダメでした。入院させるのにかなり苦戦し、1年近くかかりました。

 入院中の今は、過去の妄想ががっちり残って、それに新しい妄想が入ってくる状態なのです。弟のことをよく知っている私からすると明らかに妄想なんだけれど、医師は「そういうこともあるよね」と、妄想だと分かってくれません。

 今一番困っている妄想は、「自分の得意分野で一流の会社から目をかけられた」というもので、入院してから出てきた新しい妄想です。開放病棟なので親戚の家に電話をして「就職が決まって車が必要だから、お金を貸してほしい」と言ったりするので、親戚から問い合わせが私に来てしまいます。

 こういう妄想の話を主治医に言うのですが「どこが不安定なんですか」と言われてしまいました。ワーカーさんにはお伝えしてワーカーさん経由で主治医に伝えてもらおうと思っています。

 また、開放病棟なので勝手にどこかに行ってしまって、地方の警察からの連絡を受けて、私が引き取りに行ったということもありました。

 退院後のことなど、入院中の今のうちにいろいろ調べています。過激さが取れれば何とかいけそうなのですが、あの過激さでは私だけでは今後は無理だと思います。妄想があって活動的な状態が25年続いていて困っています。

Eさん(親):薬が効いていれば、新しい妄想は出てこないし幻覚も止まります。うちの主治医は、「新しい妄想が出るような状態は、その薬のその量では効いていない、ということだ」と言っていました。

Iさん(親):息子は3年ほど引きこもっていましたが、その時の診断は神経症でした。長い間手洗いをしていたことがあって、水道代が月5万円の時もありました。あとから聞いた話では高校時代、人の視線が怖くて、昼休み時間にご飯も食べずにトイレで時間をつぶしていたそうです。

 息子が病気とは思わず、気力が足りないだけと思っていましたが、他の家族会にも参加していろいろ勉強していくうちに、そういう問題ではないと理解できるようになりました。

 そして1ヵ月前に自殺未遂をし、医療保護入院をしました。まだ保護室ですが、食事は皆さんと一緒に食堂でいただきます。本人は「入院しても何も変わらない」と言いますが、親から見れば落ち着いてきて、目元、顔の表情も穏やかになってきています。退院後はどうすればいいのか、勉強していきたいと思います。

Jさん(親):息子は2度の入院経験があります。1度目は4ヵ月間入院し、2年前に2度目の入院をしました。今は、週に3日デイケアに通っています。

 去年、コンビニでアルバイトをしましたが、病気のせいもあるのか、たくさんの仕事の内容を覚えられず、接客業でもあるし、2ヵ月で辞めてしまいました。本人は「働きたい。体力、気力、集中力が欲しい」と言っています。大学に行けなかったので、今も大学に行きたい気持ちがあるようです。

Kさん(親):息子も高校を中退していますが、高校卒業の資格を取りたいと諦めてはいません。いつか実現できたらいいね、と希望的に話しています。

Lさん(親):息子は大学受験の時、食事もしないで勉強していました。手洗いを頻繁にし、お風呂も何時間も入り、受験前に1ヵ月入院しました。その時、強迫神経症と診断されました。

 受験当日も夜中の2時ごろから4〜5時間お風呂に入っていて、親が声をかけてお風呂から出しました。受験には行き、合格したにもかかわらず、「人の視線が怖い、大学は行きたくない」と言って、浪人しました。

 今も大学には行ってないのですが、大学への夢は捨てていないようです。視線恐怖は薬ではなかなか治らないし、親としては、合格しても通学できないとなると、どうしたものかと思っています。

Kさん(親):視線恐怖が治りにくいとのことですが、私の息子も引きこもりで、医療に結びついて外に出られるようになったものの、電車に乗っては途中下車し、嘔吐したこともありました。視線恐怖症だったのでしょう。電車はドア近くに立ち、外を見るようにしていました。

 その息子も、月日はかかりましたが、以前よりも電車に乗っても、症状が緩和されてきました。主人と歩いたりして体力がつき、作業所に通ったりして、人間関係を学んだり、今はもともとの趣味を楽しめるようになってきました。自分に自信が持てるようになってきたのではないかと思います。

Mさん(当事者):私は1ヵ月の入院経験があります。両親と3人で暮らしていて、父親が母親の介護をしています。家賃は出していませんが、障害年金で生活しています。1日の食事代は1000円でやってますが、赤字で貯金を崩しながらやっています。 父親は私がガスを使うのを嫌がるので、自炊はしていません。1日6時間、週に4日くらいの仕事を探していますが、なかなかみつかりません。

Nさん(親):この不況ですから、仕事を見つけるのはとても困難だと思います。給与はどうしても低くなってしまいますが、病気をオープンにして就労支援センターやハローワークの障害者窓口などで相談して、粘り強く探すしかないのかもしれませんね。

Oさん(親):夫婦と次女、次女の子供の4人で生活していました。次女が私に対して攻撃的になり、私のものを捨てるようになったので、怖くなって私だけ家を出ました。

 主人は、優しい言葉かけだけでは治らないとやっと分ったようで、「早く入院させろ」といいます。次女を医療に結び付けなくてはいけないと、ようやく家族全員が気づき、保健所に相談したら、保健師さんが自宅まで来てくださいました。

 その後、病院にも相談に行きましたら、医師からは「家族から入院を勧めてください」と言われます。しかし我が家では、次女が怖くて、誰も病院の事を言える人がいません。病識のない次女ですので、医療につなげるのは難しいです。来週、別の病院に相談に行ってみます。

Pさん(保健師):病院の先生の対応は、同じ患者さんを診ても、それぞれ違います。ご家族の訴え方でも違ってくると思いますし、他の病院を探すのも1つの方法です。ご家族が当事者さんに対し、遠慮せずに怖がらずに声かけをして、医療に結び付けてみてはどうでしょうか。

Cさん(親):医療につなげるのがどうしても困難な場合ですが、家族には抵抗しても他人の言うことは良く聞く場合がありますから、Eさんのお話にあったように、費用はかかりますが移送会社をお願いする方法もありますね。フレンズのHPの勉強会のページ(講演会録08-12)を見ていただけるといいと思います。

Qさん(親):20代の息子は、学校を出て就職したのですが10日くらいで仕事場に入れなくなり、クリニックに行って1週間分の薬をもらっても飲まず、結局、退職しました。

 再就職して5年間、タバコもお酒も飲まないマジメな子で「良く頑張っているね」といわれて働いていましたが、この2〜3年、仕事が過重になり、疲れがたまったのか表情が悪くなりました。

 今年になって批判的、攻撃的な言い方になり、とうとう辞めてしまい、就職活動をしたり1人暮らしを考えたりしていましたが、表情がとても険しくなっていました。

 そして1ヵ月ほど前に病院に行った帰りに、駅で溜まり水をなめたり、女性にくっついて歩いたりと不審な行動が出て、救急車で入院しました。来週退院の予定ですが、親としては不安なのです。

Rさん(親):お子さんが退院を知って喜んでいらっしゃるのなら、退院を延ばさないほうがいいでしょう。今はどの病院も退院促進をしていますので、病院とは揉めないほうがいいです。「何かあったら、ぜひまたお願いします」と丁重に頼んでおくようにしたらどうでしょう。

Cさん(親):お母様としては、病識がないようで自宅で服薬が続くかどうかなど、ご心配なのですね。病院にそのあたりを含めて、退院についてご相談してみてはいかがでしょうか。

        *

 今日の会では、まだ医療と結びつかない方、入院中の方、退院後の心配、服薬や副作用について、病識がない、仲間が欲しい、福祉や就労、親亡き後まで、幅広い相談がありました。

新宿フレンズは、この秋から『こころの元気+』のコンボ(NPO法人地域精神保健福祉機構)の主催する「家族による家族学習会」に参加して、家族支援の勉強を体系的に学びます。今までもフレンズは毎月勉強会・相談会を開いてきましたが、「同じ立場の家族が疾患・治療・回復・対応の仕方等に関する正しい情報と家族自身の体験的知識を共有する」という学びを通して、よりいっそうよい治療が出来ることを目指しています。 

なお、新宿フレンズのメーリングリストで、ピアによる勤労意欲の電話相談について以下のお知らせがありましたので、ご紹介します。

●精神障がい者とその家族のための働くことについてのピア相談

働きたい気持ちを実現するために…ピアによる電話相談です。

ピアとは、仲間、同士という意味で、自らも同じ病を経験し、さまざまな働く経験を持つ相談員がお話を伺います。就職先の紹介はできませんが、きっと少しでも明るい気持ちになっていただけると思います。次のー歩を一緒に考えましょう。

*関東以外の、各地の相談の電話番号は、HPまたは事務局にお聞きください

■関東ブロックピア相談

080−3711−6901(火・土)11:00〜17:00

■ピア相談事務局

080−5547−4908

月・木・金 10:00〜16:00

■特定非営利活動法人・全国精神障がい者就労支援事業所連合会(http://vfoster.org)

                   

★ メーリングリストに、詩を投稿してくれる中根 茂さん。そのうちの2篇をご紹介します。


    早朝の詩

静けさの中、神秘的な空と空気

澄み渡る大地、我、虚空と一体となる

生きているすばらしさ、この地球に感謝

大地が蠢(うごめ)く前に


静けさの中、小鳥のさえずり

誰一人いない大地、我、虚空と一体となる

生命の息吹、今日も一日生きていることに感謝

大地が蠢く前に


静けさの中、目をつむり

大地の呼吸と息を合わせ、我、虚空と一体となる

地球の脈動に生きていることに感謝しつつ

今日、一日を大切に生きることの尊さ

大地が蠢く前に


     秘境

人々は秘境にただずむ時

その広大さに感動し

自分が歩んできた人生なんか

ちっぽけなんだと思うようになる


人々は秘境にただずむ時

数千億年という、その大地の形成に感動し

地球の鼓動に自分の呼吸を合わせ

母なる大地に自分の身を置くようになる


人々は秘境にたたずむ時

これまで生きてきた価値観が

小さいものだと思うようになる


スケールの大きさ 人類のはかなさ

秘境というものは、人生の価値観を変えるものだ


平成17年4月からの新宿フレンズホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿フレンズでは4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法        



新宿家族会へのお誘い 

 新宿フレンズでは毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 


編集後記

 選挙が終わり、そして夏も終わった。野党であった民主党が圧勝した。日本もようやく二大政党時代になったのか。しかし、日本の選挙では、圧勝の後に必ずと言っていいほどの落胆が来る。民主党は「政治を国民の手に」と謳っているが、真価を見せてもらいたいものだ。

 わが新宿フレンズも夏の恒例行事になった拡大家族交流会を持った。家族会の真の意味ともいえる家族交流会は、体験より得た知識の宝庫の蔵出しである。

 精神障害者家族は誰もが言う「ああ、もっと早く知っていれば」。そこから得た教訓・知識こそ、この病気の核心であろう。愛する身内の心の問題について考えること、それは介護者自身の問題でもあるからだ。

 この家族交流会でも話題になり、メーリングリストでも話題になっているのが「再発」だ。十年、何のトラブルもなく、安定していた当事者が突然再発する話題があちこちで出ている。わが息子の場合は退院後十一年安定して、回復を見せていたが、突然再発した。

 よく考えるとそこには理由があった。本人にとって「薬なんてどうでもいい、死んだほうがマシだ」といった人生のイベントと出会ったからだ。

 水野先生のいう人生のイベント。「入学」「就職」「結婚」「出産」等の出来事は当事者にとっては高いハードルなのだ。こうしたハードルは人生の途中に必ず訪れる。その際、我々家族は当事者が抱え込む心の恐怖、心配、不安、それらをしっかり見透かし、心のケアーを行う必要がある。これは医療や薬では解決できないことなのだから。              

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新宿家族会 E-mail: frenz@big.or.jp