新宿家族会 勉強会講演記録CDができました。

講演者 曽根晴雄さん
   
全国精神障害者団体連合会常務理事
    新潟県精神障害者団体連合会副会長

新潟県の山村で生活する曽根さんが語る精神障害者としての体験や日ごろ感じている生活のしづらさなどは、同じ病気を抱える人の思いと共通するものがあると思います。
ご家族が、このCDを何度も繰り返し聞いて、当事者が日ごろ感じていること、悩み、不安を理解し、正面からご本人と向き合って生きていくことによってご本人の回復が期待できるものと思います。


「統合失調症を回復させ、社会参加し、そして働けるようになりました」と語る
講演中の曽根さん

慶應義塾大学精神神経科学教室 
水野雅文先生のご推薦の言葉

 当事者の方がご自分の体験を一生懸命に整理しながら話されている様子に感動しました。録音も清明で聞きやすく、是非多くの方にお薦めしたいと思います。中でも、最後の質疑応答は、当事者の病気との取り組みや日常生活が鮮明に伝えられており、改めて精神障害者について考え直しました。
                                                                         

CD内容 曽根さんの講演と質問への回答 61分

体  裁 12cmオーディオCD 

頒  価 1,000円 (送料200円別)

発  行 新宿家族会・フレンズ編集室

申込方法


写真で見る曽根晴雄さんの履歴

昭和27年6月12日生まれ
昭和46年3月新潟県立六日町高校卒
昭和46年4月1日〜52年10月まで新潟鉄工所で工員として働く

昭和47年・商業簿記3級を取得。しかし、このあと昭和47年12月11日分裂病(統合失調症)を発症する。
←19歳の頃の曽根さん(発症前)
はつらつと、夢ある、生き生きとした曽根さん。
工場に勤めて初めての社員旅行での1コマ。



27歳の頃→

統合失調症治療中
ぼんやりとうつろな顔
元気がない。明るさがない。
27歳なのに19歳の時よりも子どもっぽく見える。
←36歳の頃 ようやく家業の農業を手伝えるようになった


まだ、病気の気配が残っている。
顔つきが優しく、現実社会を生抜けるような逞しさがない。
「この季節は日本中がレジャーで沸きかえる頃ですが、自分は少しも辛くはありませんでした。トラクターが運転できることが嬉しかったからです」

41歳の頃、考古学発掘作業で働く→


まじめな曽根さんは人並み以上に働いた。これは曽根さん一人で400個の土嚢を2時間半で積み上げたもの。
疲れて、昼食がのどを通らなかった。





←新潟県精神障害者団体連合会副会長になって、当時の厚生省に精神障害者の福祉の向上を求めて陳情を行った

ほとんど回復したかに見えるが、現在も安定剤は飲みつづけている。

医学専門紙で曽根さんの回復例が紹介された →(写真右下)
また、医学書院「精神医学」で曽根さんの述べた言葉が紹介された。

 =曽根さん3つの方針=
1.肉体には労働や運動を与える
2.頭脳には本から知的刺激を与える
3.感情は友達をもって、温かい人間関係の中でお互いに敬愛し、かばい合う中で豊かになること

病歴:約30年になる・・・・

  その後曽根さんから次のようなお便りが届いた。立派な納税領収書と共に!

「精神障害者はお勤めでなくて商売で道をひらけるか」

 曽根晴雄のやくわりは、ボクのところは田舎だ。長岡市でも精神障害者働くところそんなにないと思う。ボクは田舎のさらに「ざい」に住んでいる。行政区は生まれた時は「村」だった。そのあと「町」になり、今は「市」になった。昔の村の区域では道路の赤青の「信号機」ひとつしかない中山村(ちゅうさんそん)に住んでいる。でも今二〇〇八年二十一世紀を生きている。

お酒、タバコ、自動車は、のめなかった、もてなかった。
 でも努力すれば道はひらける。その見本をつくるのが小さな小さなボクのやくわりです。朝太陽が東の空に昇り会社へ勤めにでる。そして一日会社で働き、夕方太陽が西の空ヘしずみ、退社して家に帰りプライベートタイムになる。これが二十世紀までの普通の働き方。お金を手にいれて結婚し、子供を育て、学校へだし、土地、建物を手にいれる。マイホームを手にいれる。そして定年まで勤めて退職し、自分の好きな生き方をやる。そして、この世から消えてゆく。基本はお勤めをやる。そして1ケ月働いて1ケ月生活するお金をかせぐ。それが使命だ。

 今ボク55歳ですが、51歳、52歳、54歳、55歳と4回所得税を払った。日本国憲法に「国民は納税の義務を負う」とありますが、税金を払ってやっと憲法上の国民になれた。そして、たくましく、強くなてきた。社会にもどりつつあります。
 恥に耐え、病気のたいへんさにつらい思いしてもすこしづつ力をつけてきた。

 学校時代は芽がでなかった。春の田植えの農作業1か月、秋なさ木で乾かして刈りとり、米にする2か月。1年12か月のうち3か月つぶれると1年を9か月ですごさなくてはならなかった。9歳くらいから家の仕事をしていた。

 人間、障害者、廃人までおちても20年、30年、37年間すこし小さな努力つづけると運命が変わりつつあります。



※CD記録第2弾 大石洋一さん