精神病の回復の考え方は簡単です    曽根春雄

1 人間的に成長すること

2 精神的には弱々しい、ひ弱だ、ピリピリビクビクしている、自信がない。そういう状態から、たくましい、強い、しなやか、自信があるという状態へもっていく。
これは経験を積んで少しずつ良くなって行くもの。

3 何かやっていること、何か趣味を持つこと
 
一番いいのは、働いてお金を得ること。これはすごく自信がつく。工場やお店や会社に勤めるというように働きに出るか、もう1つは、みんなが気づいていないのか、やれないというか、「自分で商売をする」こと。雇ってくれないなら、自分で商売をすること。

4 遊びに行ける所を持っていること
 
具合の悪い人に、「遊びに行って来い」といっても無理だ。病院のデイケア、保健所のデイケア、地域生活支援センター、作業所へ行ってみるのも一つのやり方、そしてそこで友だちを作ること。 

5 精神の病をわずらった人の行政窓口は、市区町村の役場に保健師さんがいます。保健所に精神保健担当の保健師さん、相談を受ける医師もいます。

6 精神障害を持ちながら働く制度に「職親制度」があります。
 これは期間が6か月間で、延長も可能な場合があります(注・自治体による)。職親に1日2千円のお金が下り、本人には交通費程度が出ます。会社やお店や工場で働くのを援助するための制度です。
 制度としては本人に交通費程度しか出ないから、社長や店主などが雇い主としていくら出してくれるかは、話し合いによります。僕の例ですが、お酒の小売り店で職親制度を使ってきっちり6か月働いてみました。就職訓練ではあるが働いているということで、店の親父さんが1日千円の賃金を出してくれました。
 職親制度を使って働いてみるのも1つの方法です。

7 障害年金については、精神障害をわずらってお金のない状態では、家としても困るし、本人も困る。
 障害年金というと、ものすごく症状の重い人をイメージしますが、病名と病気の状態や、保険料を納めていれば申請して通れば受けられます。国民年金の障害年金は1級と2級の2段階があり、厚生年金では1級、2級、3級の3段階があります。
20歳前から精神病をわずらって20歳前に受診していた人は、保険料を納めてなくても、病気の状態によって受給することができます。

 詳しいことは、社会保険事務所や市区町村役所、病院のケースワーカーさんに聞いてください。

 地域でアパート生活をしていて、障害年金1級の人もいるし、病院に入っていて2級の人もいる。「障害認定」というのは、僕はぜんぜん分かりません。

 それでも、精神の病気をわずらって働くのは、病のため頭が回らず、大怪我をすることもある。僕も鉄工所で働いていて目を怪我し、今も黒目に濁りがあります。精神病をわずらってからは、考古学の遺跡発掘のときは、朝の通勤で原付バイクごと崖の下に落ちたこともあります。職親制度を使って働いたときは、ワゴン車の外で待っている社長さんに、僕が車から前かがみでビールケース30数箱を渡す作業をしていて腰を痛めました。1か月3万円もらって、針やマッサージの治療に5万円くらい払ったのを覚えている。
 なので、具合が悪くて働けないときは障害年金をもらって生活し、働けるときは給料や賃金をもらって生活したらどうかと思います。

患者として思うこと 町のボランティア講座で講演  2002年12月12日

                               曽根春雄
  
お医者さんは「こういう病名・病気の人は、こういう症状がある・こういう特徴がある・治療は」というお話をしますが、私は患者ですから「どうしたら病気を回復させることができたか」「病気の時はどうなるか」「症状はどんなことがあったか」。そして、「どんな経験をしてきたら、どういう風に快復したか」そういう話をいたします。

 具体的には、病院への入院、通院が決まるときの話、睡眠薬について、薬の量と副作用、薬を飲んだ時の患者の体とその時の気持ち、それから私の病気の時の症状。私は患者ですから、現実の中で発病し、精神科に行き、再発と快復を繰り返しながら、友達・先生・社長・師匠・親戚・行政の力を借りて、いろいろなことをしてきた。そういう中で気づいたことや分かったことを、少し聞いてください。

 精神科の病院で、先生が何人もいるのはどういうことか。それは、必ず自分にぴったりの先生の所に行って病気を治せということ。

 そこで2つの医師の型がある。1つは見立てとさじ加減のうまい先生。俗にいう「薬の調合のうまい先生」。もう1つは根気よく話を聞いてくれてアドバイスをする、問診のうまい先生。中には両方うまい先生もいる。

 ここで主治医を決めるコツは、前もって看護師さんに「いろいろな先生の診察を受けて、最後に主治医を決めたいと思います」と言って、いろいろな先生に掛かってみること。そして「この先生」と決めていく。これを許可してくれる婦長さんもいる。ノーと言われる所もある。

 精神科では手術がない。入院といっても、お薬を飲んで寝ているだけだ。ということは、病気の症状をきちんとつかみ、主治医の先生にきっちり報告し、薬を飲む。その時に先生の見立てとさじ加減が合っていれば、病気が快復していく。そうすると患者は、先生を心の中で「あぁ、この先生は名医だ」と思う。するとますます薬が効いてくる。

  私の発病の時は、大暴れをして診察を受けに行った。若い先生は「入院させないとだめだ」というが、年をとった先生は、「入院して具合の悪い人を見ると、ますます具合が悪くなるから、通院で治しなさい」と言った。

 そして結果は、年をとった先生の方針で行くことになった。

 今から30年前の、入院治療中心の時代にそういう医師がいた。この先生は院長先生となった。見立てとさじ加減プラス人間の大きさを感じさせる先生だった。

 次に私の症状について。私の具合の悪い時はどうなるかと言いますと、電話を掛けられなくなる。何回やっても電話番号を間違える。だから、目が見えなくなって間違うと思って眼科へ行く。視力検査をして、ちゃんと見えているという結果が出る。

 それから、お酒の小売店で働いていたときですが、お店のレジで千円札と1万円札を間違える。お札の色や数字について頭が錯覚を起こす。話をするときも、馬鹿正直者・正直者・普通・嘘つき・大嘘つきとありますが、薬を飲むと馬鹿正直者になる。するとなかなか人間関係が大変になるという状態になる。

 それから、待って何かをやる、休んで様子を見てから何かをするということができなくなる。「今すぐやらないといけない」「今すぐ解決しないといけない」という思考パターンになる。先に行って決めよう、動きや変化を見てから決めようということができなくなり、今すぐ、直ちにというパターンになる。

 精神科のお薬ですが、患者さんはなかなか薬を飲みたがらない。飲むのを拒否する人もいる。何でだと思いますか?

 発病、再発したときは、強い薬が大量に出ている。薬が毒だと思って飲まない人もいるけれども、薬を飲んでも体がどうしても苦しい。体が難儀だ、肩や首筋が凝る、のどが渇く、目が吊り上がるという、大変な思いをする。

 そんなのは嘘だと思う人、もしくはその程度を知りたい人は、1回だけ飲んでみてください。死ぬことはありません。患者が毒だと思って飲まないのを見て、患者の目の前で飲んで見せる看護師さんもいる。

 しかし、1回飲むだけでどうなるか、1発でわかる。病気の人は、1日3回、ずっと飲み続ける。その大変さが理解できる。

 簡単に言うと、風邪をひいても3日くらいで治る。でも、風邪をこじらせると大変な思いをする。精神病は神経をこじらせてしまうから、ひどさの程度が違う。

 睡眠薬について言うと、精神病院に入院した人で、退院した後も睡眠薬を飲む人が多く、飲まない人は珍しいのではないか。私の例では、病気が再発して睡眠薬を出してもらった。主治医の先生に常習になるから止めなさいと言われたから止めたが、苦しんだことは苦しんだ。3日間ウトウトしただけで眠れずにいたが、その後は睡眠薬がなくても眠れるようになった(注・昔のバルビツール酸系睡眠薬は依存性が高かったが、今の睡眠薬の依存性は低い)。

 私の家は今でこそ貧乏をしているけれども、昔は少しばかり良かった。今から90年前に私の家に嫁にきた人の実家のお医者さんが、新築祝いにくれた柱時計がある。眠れない時にその音を聞いていた。

 その家には世話になった。そこの家は内科のお医者さんなんだけれど、私の祖父様の母親と、先生の父親が兄弟というつながりで、病気が再発したときに話を聞いてもらった。朝の6時頃、タクシーを飛ばして行って、話を聞いてもらったこともあった。それで快復した面が大きかった。先生の父親は郡史にも載っていて名誉町民にもなった。その家の今の代の人は、国立大学の教授をしている。積善の家には必ず余慶ありというが、それを地で行っている家。

 話を元に戻します。精神病が発病・再発した時は、薬を飲んで寝ていること。そして自分の場合、テレビは見たくない、新聞も見たくないという状態になった。皆さん、何でだと思いますか? それは、事件や争う場面が嫌だったからです。まぁ今の世の中は、人に食われるか人を食って生きていくかという、2つに1つの世界なんだけれども。

 普通、発病・再発して入院になると、看護師さんが観察して先生に報告する。それから先生の回診がある。それで薬が決まると思うんだけれど、家でも親が観察して主治医に報告し、薬をもらって療養すると、本当に楽々と療養できる。それはなぜか、なんでだと思いますか?

 精神病院では、狂っているから部屋で排泄をする人がいる、1日中部屋が臭くなる。みんなポッポしているからケンカがある。そして物が消える、つまり他の患者が勝手に使ってしまう。中にはいびきのすごい人もいる。そういう中で快復していかなくてはいけないから、精神病院は大変さがある。

 自分の仕事については、25歳で鉄工所を退職し、その後しばらくしてお酒の小売店に勤めた。それが36歳の時だった。ここは職親制度を使って6か月働いた。朝9時半から夕方の7時半までお店の留守番、それでも大してお客は来なかった。冬はスキー場のホテルへ、店主がビールを積んだ車を運転して行き、私はその助手席に乗っていった。夕方7時頃お店を閉めて出発し、ホテルへビールを配達してから帰宅するのは、夜の10時半頃だった。

 もう1つ思い出に残るのは、考古学の遺跡で発掘の作業員をしていたこと。夏のカンカン照りの中、土を掘っていた。冬は、夏場に出た遺物を洗ったり石の分類をしていた。

 3か所の遺跡で働いた。体がガンガンになるから、鍼を打ったりマッサージを受けて働いていた。顔は大福みたいなふっくらとした顔だったけれど、汗をかくから顔がシワクチャになる。汗が顔にシワを作ることが分かった。今は年月が過ぎたから元に戻り、シワがなくなった。肌も骨も常に新しくなっていくものだからシワも消えた。(注は新宿フレンズ)