新宿区後援事業
11月講演会より 

 発達障害中心の作業所をつくる ゆあフレンズ

          講師 理事長 金子磨矢子さん 理事 滝沢武久さん 
                   スタッフ 山本純一郎さん 高岡洋平さん 
                   利用者  鈴木裕子さん   (本文中敬称略)

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Neccoたくさんの出会いに支えられて  金子磨矢子(理事長)

【発達障害だった娘】

 娘は7歳のときから重症の強迫神経症を発症し、小児統合失調症と診断されました。当時の私は病気のことは何も知らず、薬を飲めば治るという医師の言葉をひたすら信じ、山ほどの薬を飲ませてしまいました。ひどいときは寝たきりになり車椅子を何回も使いました。高熱が続いたときは混迷状態といわれました。

 ある時、テレビでアスぺルガー障害(社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害。自閉症スペクトラム)の番組があり、この症状は娘そのものだと気づいて、翌日、自閉症協会を訪ねました。

 その後、娘はアスぺルガーの診断を受けて、徐々に薬を減らして元気になりました。しかし統合失調症が誤診だったかというと一概にはそうとも思えず、個人的な感想ですが、発達障害を持っている人は、精神の病気になりやすいのではないかと思っています。精神科医を誤診や多剤処方で訴える運動をしている人とも出会いましたが、私はむしろ、発達障害を認めない医師に対しては「精神の治療がうまく進むように、一緒に協力してやってほしい」と話しています。

【私自身も当事者】

 私自信も診断を受けてみたら、やはり高機能広汎性発達障害と診断されました。考えてみれば私の先祖は代々、発達障害ではないかと思っています。亡くなった父や祖父なども私とそっくりの人たちでした。

 私は家族を含め、比較的良い環境で育つことができたので、酷いいじめにも合わず、長い目で見てくれる友だちにも恵まれていました。結婚して子供が生まれ、育児が大変で疲れ果てて10カ所ぐらいの精神科を回ったり、思いがけなく脳の病気をして手術を受けたりもしました。

【居場所を求めて作業所つくり】

 私は親の会だけでなく、複数の当事者会に入っていました。今はネットが盛んで、ミクシィなどにも当事者のグループがいくつもあります。

 そこで当事者同士が知り合って、最初はオフ会を居酒屋やファミレスで、さらに人数が増えて区のセンターを借りたりして、月1回ほど会を開いていましたが、「いつでも行ける居場所がほしい」が、全員の悲願でした。

 そこに新宿フレンズで薮下敦子さんが、自分の息子さんのために地域活動センターを作ったという講演をされました(2010.2月号)。そして「ぜひNPOにしなさい」と言ってくださった。思い切って場所を探し、昨年の11月に西早稲田のビルの2階を借りることができたのです。

 その頃、新宿フレンズに来ていたアメリカの学生エレンと、『家族という視点』という本を書かれた滝沢武久さんとの対談の場に、その部屋を提供したところ、なんと滝沢さんが、作業所作りに協力してくださるという話になりました。滝沢さんは、何十年もソーシャルワーカーとして作業所を作って、順調に動き出したら次の作業所をと幾つも作ってきたという方で、「就労継続支援B型が作れる」と教えてくださいました。

 ちょうど昨年の12月3日に、なんと自立支援法の適用に発達障害が加わったのです。しかも同じビルの上の階の部屋が空きました。こんな偶然が重なることなんて、これはもう進むべきだと決心しました。

 4月から一般社団法人ができ、9月1日から6年間の就労継続支援B型という認可がおりました。事業所名は「ゆあフレンズ」、同時に仕事の一部として、カフェもオープンしました。名前は「Necco カフェ」です。

 作業所には、発達障害に限らず、鬱や操鬱、統合失調症の人も来ています。それは私をはじめ、大人では発達障害の診断を受けていない人が多いのです。発達障害の診断をできない医師が圧倒的に多いことにもよるでしょう。統合失調症で入院中の人の中に、発達障害の人が多く含まれていると思います。「同じ幻聴でも種類が違う」と聞きますが、幻聴のない統合失調症も、幻聴や妄想のあるアスペルガーもいます。

 自立支援法で「発達障害も障害と認める」という1行が入ったことは大きいのですが、しかし法律が先にできても、医師がまだ分かっていない、福祉も追いついていないという状況です。

【Neccoで美味しいコーヒーを】

 精神の病気の場合、学力は問題のない人が多いのです。仕事をしているうちに初診があると厚生障害年金になるのですが、仕事を辞めて国民年金に入っていなかった人は年金も出ません。すぐに会社をやめてしまわずに初診だけでも受けた方がいい。いろんな制度を変えていくことは必要と思いますが、意外に年金が受けられない人が多いので気をつけてください。

 発達障害は、できる事とできない事がデコボコで、今まではできない事を一生懸命やらせていたのです。それで心を痛め、自信を失くすよりは、良いところをのばし、良い力を集めて助け合っていきたいと願っています。

 私はメンバーの中でスキルとしては一番何もできない人間ですが、場所だけを作ったのです。思えば人のつながりは不思議なもので、みんなの力でできたのです。新宿フレンズに来なかったら、ゆあフレンズはなかったと思います。新宿フレンズ会長の岡嵜さんには副理事長になって頂いています。

 ゆあフレンズは、利用者の定員20人ですが、フリースペースやイヴェントに来る人は延べ数100人になりました。新宿区の方が多くなっていますが、どの地区からでも来てください。

亡き兄を思い、作業所・グループホームを作り続けた半生 

 滝沢武久(理事)

 以前に新宿フレンズ家族会でした講演(2006年6月号)原稿をもとに書き加え、『家族という視点』(松籟社)という本にしました。それ以来、何か手伝える事があれば…と思っていました。

そして、金子さんが「発達障害の人たちの集いの場を作りたい、沢山の障害関連の本を持っていて、それを皆さんに見てもらいたい」という希望を語ってくれたのです。「場を維持するにはお金が要る。就労支援B型という作業所にして、行政の支援を得られる形に」と協力することにしました。

 日本でも、昭和55年くらいから地域で精神障害者関係の小規模作業所ができてきました。病院や施設に入ると地域から離れてしまう。障害者が地域社会で生活するためには、小規模地域作業所にはとても重要な意味があるのです。

【兄の発症と私の仕事】

 私には精神障害の兄がいました。家族は織機の家内工業で子供は6人。末っ子の私が小学校4年の時、父親が交通事故で急死して、長男で23歳の兄は後を継ぐように言われました。兄は「サラリーマン生活を続けたい」と悩み迷いましたが、結局、家業を継ぐことを強いられ、2年間、夜中まで働き続け、とうとう具合が悪くなり神経衰弱と医師にいわれ、鍵や鉄格子のある精神病院に入りました。55年前のことです。

【精神保健医療と福祉の壁】

 私は社会事業大学を出て、郷里の群馬県内の精神病院に就職しましたが、これが兄の嫌がった、こころを癒す病院とはとても思えない、あまりにひどい実態に驚き、すぐに転じて神奈川の保健所の精神衛生相談員となりました。私は、自分の兄の発病の経験から家族支援をしたいと思ったのですが、しかし相談されても、その頃は精神病院しかなく、保健所は入院先を案内するだけ、しかも医療技術や内容も余りなく薬と収容隔離が中心でした。

 兄も、結果的には長期療養となりました。初発から35年間、5つの病院で7回診断告知をうけて、5つの病名−神経衰弱、躁鬱病の疑い、精神分裂病の疑い、非定型精神病、広汎性発達障害等など。精神医学や精神科医療は市民や家族にとっては何が何だか分からないのです。身体の病気の診断は、熱とか痛みとか具体的な症状があるから、病気だと分かりやすい。ところが精神の病気は検査の方法がほとんどない。30年前くらいは3大精神病といわれた、躁うつ病・てんかん・精神分裂病は、今は300ぐらいに拡大分類されています。

 昔は社会の中で働けない人に対し、医療者のパターナリズム(父権主義:親切心でやってあげるという考え方)で、強制入院をさせていた。病気の症状で犯罪をおこしたら、心神喪失者はこれを罰せずという医療観察法は、本当は本人の権利を認めないものです。昭和40年までは、ほとんどが強制入院措置や入院後の行動制限、鉄格子の設置等々を受け入れていたのです。

【地域で暮らせるように】

 私は18年間勤めた公務員を辞めて、先進ヨーロッパの精神科状況を調べに行くことにしました。30年ほど前になりますが、既にヨーロッパでは当事者は地域で暮らしていたのです。日本でも知的障害者などが利用していた作業所やグループホームです。

 日本では、ようやく家族会で精神障害者福祉を要求して頑張る人も出てきましたが、それ以上の大きな声にならなくて、政治家は政策を転換しない。それで、私は帰国後、全家連に就職し、家族の希望を組織化して政策的要求にしようと16年間、全家連役員と共に政府に働きかけてきました。

 先進諸国では昭和50年代から長期入院型医療のマイナスを察知・把握し、地域医療型への転換を図りました。とりわけ有名なのは、イタリアが1978年にバザーリア法を制定、20年をかけて精神科病院の入院治療を2000年には全廃したことです。病院の代わりに地域精神保健サービス機関、協同組合方式の作業所などで対応しているのです。

 私は全家連を辞めて、参院議員の八代英太氏に「身体と知的障害者福祉は八代さん、精神障害者福祉は私がやるから」と、政策秘書を5年間やらせてもらいました。精神の障害は体験した当人や家族でなければ分かり難い。症状しか知らない精神科医・看護士のグループからは「家族はなぜ治療でなく、障害という形で諦めてしまうのか」といわれました。

 身体・知的をまとめて作った障害者基本法に対し、全家連は、精神は別の法律にしてほしいと、精神の病気は治らないとか危険とかの誤解がハンディキャップとなっていること、長期入院は社会性をなくすことなどを述べて、陳情・請願し、ようやく精神保健福祉法ができました。これで家族の作り上げた作業所を基にして、ようやく精神障害者の福祉が認められ、社会復帰を目的にした作業所がやっと認知されました。

【病院・家族から地域へ】

 家族内か病院でしか暮らすところがない医療・福祉制度が問題だと思い、作業所を川崎に作り、平塚にも作り、生活の場としてグループホームも作りました。旧来の病院生活しか知らない関係者からは、「精神障害者は何かおこす心配があるから、24時間ケアが必要になる」と言われましたが、むしろ当事者の入居者はしっかりしていた。兄も病院を変え診療所を利用し、結局、平塚の作業所を使い、アパート生活をするようになりました。全家連は精神保健福祉法の中に、精神障害者手帳制度を作り、障害基礎年金を受給して暮らせるように制度を整えていきました。

 家族は、精神保健福祉法に「保護義務」があると、「家族が全て面倒を見なくてはならない」と思い込んでしまいます。面倒を見ている親はだんだん高齢化し、気苦労ばかりでうまくいかない。当人も自分の考えや願望を持っていてもなかなかできない。病気の症状を治療するだけでなく、仕事や住まいを得て社会復帰しなくてはならないのです。金子さんと出会ったとき、居場所だけでなく、仕事と就労支援を考えて、一緒にゆあフレンズNeccoの立ち上げをしました。

最後に皆さんにお願いするのは、Neccoでコーヒーを飲んでほしいのです。本も沢山揃えてあります。書籍や名刺・出版などの仕事を頼んでほしい。一緒に考えていろんな仕事を作ってください。

当事者も目標を持つことが大事です。社会で働いて生活していく事は重要です。自立ができれば家族との関係も良くなる。兄は末弟の私の世話を受ける気にはなれなかった。どこの親子関係でも同じです。自分の子供だけを良くしようとしてもうまくいきません。仲間や第三者や専門家が必要です。

【スタッフ・利用者さんの話】

山本純一郎(スタッフ)

 私はコンピュータ・エンジニアで休業中でしたが、最近また仕事を始め、Neccoのホームページも作っています。

 ネットのミクシィで、片づけができないとか仕事が計画通りできない等の私と同じ悩みを持つ人が集まって、最初は居酒屋でオフ会をしていましたが公民館でするようになり、その幹事をしていました。

 家族会や当事者会があるのを知らなかったのですが、発達障害の場合は、統合失調症やうつなど二次障害があることも多く、フレンズの夜の家族会も私とぜんぜん変らないと親近感を覚えました。

 発達障害の人も、2000年ぐらいから全国各地で当事者主体のNPOを立ち上げようという動きが出て、当事者会が全国で活発になってきています。大阪の会にも顔を出していたら2009年からNPOになり、2010年の1年間はそこに雇用されていました。

 気がついたら、いろんな人とつながっていました。当事者3人、高円寺でルームシェアをし、相模原でハウスをつくりたいなど、自分たちでいろんな活動をしようとしています。

 そんなときに金子さんと知り合い、同じような思いを抱いて、だんだん多くの人を巻き込んで大きくなっていく感じです。当事者として顔を出して活動できること、行政とつながっていろんな問題を要求していけることもすばらしい。「私は健常」という人も仲間になって支えあっていきたいと思います。

高岡洋平(スタッフ)

 私は精神保健福祉士(PSW)の資格を持っています。小中学校でいじめられた経験をしたことから、人を傷つけたくない、将来は人のために何かしたいと思っていた矢先、祖母が認知症を経て亡くなりました。

 その際に、老人ホームを見て福祉の仕事に触れたことがきっかけで、福祉系の大学に進学しました。しかし仕事場では大変苦労をし、特に話を聴いているように見えないといわれて、人間関係の構築に悩みました。当時は気づかなかったのですが、発達障害を持っていたのですね。

 介護の仕事を3年ほどした後、PSWの資格を取ろうと、アルバイトをしながら夜は専門学校に通いました。8年ほど前です。その学校の勉強の中で発達障害のこと、ADHDのことを知りました。後に就職した際に、自律神経失調症とうつになって精神科に通うようになりました。その間にADHDの診断も受けました。

 転職を繰り返し、これを続けてはよくないと、1年前に発達障害の当事者会を探しました。巡り巡ってNeccoに出会い、時々遊びに行っていましたが、この9月から精神保健福祉士として勤務することになりました。当事者&支援者として、仕事ができるようになった喜びと共に、仲良くしていた当事者さんと一定の距離をおかなければならなくなり、試行錯誤している最中です。

鈴木裕子(利用者)

 高校生の時に母が統合失調症を発症し、今は殆ど寛解しましたが疲れやすく、居間の横の寝室で寝ていることが多い状態です。下の弟も同じ病気なので、真剣に親亡き後を考えています。そんな時、中村ユキさんのブログで新宿フレンズを知り「夜の会」に初参加し、それから時々来ています。

 私は発達障害がありますが、クローズで働いていて、人間関係がうまくいかず悩んでいます。数年前に発達障害当事者の勉強会に参加して、金子さんと山本さんの講演を聴きました。

 西早稲田にNeccoができたことを知り、遊びに行ったら、あまりに居心地がよく、会社の帰りに週2,3回入り浸っている状態です。おしゃべりをしたり、疲れたら寝転がったりすることもできます。家庭の居間以外でくつろげるところは少なく、疲れやすい人は社会参加がしにくいのです。

 「もやい」(ホームレス支援団体)の湯浅誠さんが「人には、金銭の溜め以外に、人間関係の溜めが必要」といっていますが、それができにくい人もいます。Neccoのように、同じような障害を持つ人同士がつながれる場所があるのは、とても意義のある事だと思います。     〜了〜

平成17年4月からの新宿フレンズホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿フレンズでは4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿フレンズ会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法        



新宿フレンズへのお誘い 

 新宿フレンズでは毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 


編集後記

 あっという間に冬本番が来てしまった。。風の冷たさ、朝晩の冷え込みには少々閉口する。

 今月は新宿フレンズと深く関わりのある「ゆあフレンズ」のお話だ。関係で言えば金子理事長が新宿フレンズ役員、そして同じく新宿フレンズ役員である私奴が副理事長を務めている。メンバーにも新宿フレンズの会員が何名か登録している。

 滝沢さん(理事)がゆあフレンズに来たきっかけは、エレン・ルビンスタインというアメリカからの留学生との縁である。彼女は新宿フレンズに足しげく通い、来る時は必ずお菓子などを差し入れて参加していた。私が滝沢さんからエレンとの対面を頼まれて、場所はどこ?となったとき、思いついたのがゆあフレンズであった。

 そして、滝沢さんが理事に就任、ゆあフレンズの実質上のゆあフレンズ推進役となった。滝沢さんの精神に対する思いは我々のそれと比べると雲泥の差がある。それもこれもお兄さんが罹患したことに端を発すると自ら述べている。それは家族を思う気持ちの表れであろう。ソーシャルワーカーとなり、ヨーロッパの精神医療の現場を直接見てきて、全家連の役員になり、と、絶えず精神と関わってきた。

 滝沢さんがゆあフレンズに思いを語ったとき、「なぜ私がゆあフレンズを成功させたいか」について、ゆあフレンズの理事らの多くが当事者であることを上げている。やはり、当事者であることが当事者の本当の要求なり改善をいえるものであるということか。

 当事者の金子さんが会議に遅れて来た時怒ったことがある。いま、分かった。当事者の辛さが。自らの浅ささに土下座の思いである。    

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新宿家族会 E-mail: frenz@big.or.jp