2メートルの道(その1)

 

 貴鬼はアルデバランに信頼を寄せるムウを見て思った。

「ムウさまは大きい人が好きなんだ!」

 そして貴鬼はムウにもっともっと好きになってもらおうと、一所懸命牛乳を飲み、体を鍛えて、毎日女神に心から祈った。

「女神!!どうか!どうか!オイラの背がのびますように!!!」

 祈りは通じて、15歳になった貴鬼は誰よりも何よりも愛する師と、肩を並べるまでに成長していた。

 

 その日、午後から降り始めた雪は、夜にはすっかり聖域を白銀の世界に変えた。
 久しぶりの大雪を、ムウは白羊宮の窓から眺め、遠いいチベットを思い出していた。雪と氷が溶けるのを静かに待ち続けた日々は、もう7年以上前である。
 ムウは手を口に当て、小さくくしゃみをした。すっかりギリシアの気候に慣れてしまった体には、聖域程度の雪でも寒さを与えるに値したのだ。

「ムウさま、体冷たいね。もっと着ないと風邪ひいちゃうよ。」

 薄い寝間着を着ただけのムウに、貴鬼は後ろから抱き付いて囁いた。そういう貴鬼はTシャツにトランクスを履いただけという、真夏の格好である。

「そういうおまえこそ、風邪ひきますよ。」

「これが正しい少年の寝間着なんだよ。星矢がそう言ってた。」

 ムウは自分に頬を寄せて甘えてくる大きな弟子に、呆れてため息を吐いた。
 貴鬼が世間知らずになっては不憫だと思い、ムウは貴鬼が日本にいる女神や星矢の元に遊びに行くことを、度々許したのだが、貴鬼はムウの望まぬことばかりを覚えて帰国し、ムウを困らせることが多かった。
 黄金聖闘士として恥かしくない、上品な大人になってもらうことがムウの願いであるが、魔鈴は貴鬼を見て、『星矢2号』と、よく笑う。

「流石に今日は冷えますね。」

 ムウは口に手をあて、もう一度小さくくしゃみをした。

「冷えるね、ムウさま一緒に寝よう!」

 抱きしめる腕の力を強めて、貴鬼はムウに体重を乗せた。
 ムウは無言で貴鬼の頬をつねると、貴鬼は情けない悲鳴を上げて、手をはなす。つねられた頬に手を当て、上目遣いで自分を見つめる貴鬼に、ムウは呆れ果てて、またため息を吐いた。

「まったく、おまえは何歳ですか。」

「うーん、15歳。」

「どこの世の中に、15歳にもなっても、まだ師と一緒に寝ている弟子がいるというのです。」

「はーい、ここ!ここ!」

 日に焼けた腕を挙げて、貴鬼は元気に答えた。ムウは額に手を当て、頭を振る。

「だってー、ムウさまが冷えるって言うからー。せっかくシオンさまいないんだから、一緒に寝ようよ。お布団、一人じゃ冷たいよ。ね!ね!」

 いまだに白羊宮で暮らしているシオンは、大雪により執務が増えて、教皇の間から戻ることができないでいた。
 シオンがこの場にいたなら、今ごろ貴鬼は宙を舞っていたであろう。貴鬼がまだ小さかったころは、ムウに寄り添って寝ていることを、シオンは黙認していたが、今ではもちろん、そんな事が許されるはずもなく、貴鬼はシオンの留守を狙って、ムウに昔のように甘えていたのだった。

 どこで間違えてしまったんでしょうね・・・・

 ムウは、一向に師離れできない、いや、隙さえあれば自分に抱き着いてくる弟子に、頭を抱えた。

「ねー、ムウさま!何もしないって約束するから!一緒に寝よう!」

「嘘つくんじゃありません。」

「ほんと、ほんと。」

「女神に誓って?」

「うん、うん。」

 体こそ大きいが、貴鬼の顔にはまだまだ子供らしさが十二分に残っている。爛々と輝く大きな瞳を見てしまうと、ムウは「おまえはもう、大人なのだから」と、貴鬼に言うことができなかった。

 

 自分の部屋からいそいそと枕を持って、貴鬼はムウの眠るベッドへと侵入した。
 貴鬼はシーツと布団の冷たさに身を震わせて横になると、早速寝返りを打って、ムウにぴったりと体を寄り添える。
 瞼を閉じて上を向いたまま眠る師は、ジャミールで生活していた頃と、何ら変わっていない。シオンがそうであるように、ムウもまた老いることを知らなかった。師の若々しい端正な寝顔をしばらく眺めてから、貴鬼は念動力で部屋の電気を消した。

「貴鬼・・・・何もしないと約束したでしょう。」

 早速抱きついてきた貴鬼に、ムウは静かに言った。寄り添って寝なければならないほど、ベッドは狭くない。

「だって、ムウさまのお布団冷たいんだもん。」

「だったら自分の布団で寝なさい。」

「それはちょっと出来ないなぁ。」

 ムウは布団の中で貴鬼の手を払うと、寝返りを打って貴鬼と顔を付き合わせた。

「いいですか、あなたは女神に誓って何もしないって言ったでしょう。」

「ムウさまの眼って、暗いところでも輝いてて綺麗だね。」

 互いの睫が絡むほどに、貴鬼はムウに顔を近づけ囁くと、その唇をそのままムウの口に重ねた。
 ムウは驚いた風もなく手を伸ばし、貴鬼の頬が半回転するほどつねる。行動パターンがシオンとそっくりな弟子に、いちいち驚いていては、白羊宮で暮らしていくことは出来ない。
 頬をおさえながら、布団の中でのた打ち回る貴鬼を無視して、ムウはベッドから外に出た。

「そんなに私の布団で寝たければ、一人でそこで寝ていなさい。私は金牛宮で寝ます。」

「あ、ムウさま待って!!」

 貴鬼が布団の中から顔を出したときには、ムウは既に星明りを残して、その麗姿を消していた。

「ちくしょーーーーーー!アルデバランのやつーーーーー!!!!!!」

 金牛宮の主に八つ当たりをしながら、貴鬼はベッドから飛び出て、ドカドカと台所に向かった。そして冷蔵庫を開けると、大きな瓶に入った牛乳を取り出して、一気に全部飲み干す。

「くっそーーーーー!!!絶対アルデバランより大きくなってやる!!!!ムウさまはオイラのものだーーーー!」

 貴鬼の叫び声は、自分以外誰もいなくなった白羊宮に空しく響き渡った。


Next