アテネの休日

今度こそ、今度こそシオンをまいたムウとアルデバランはアテネ郊外のショッピングモールにいた。
生まれて初めて地下鉄にのり、午前中に行ったマクリヤニの3倍の広さはあろうかというスーパーマーケットに、ムウの目はかつて見たこともないほどに光り輝いていた。
食料にしか興味を示さないムウにアルデバランは
「他に店も沢山あるんだし、自分の服とか買ったらどうだ?またアテネへ来るときにミロたちから服を借りるのも何だろう?」
と言ってみたが
「もう来ることもありませんから、いりません。それより、このヨーグルト美味しそうですね」
と相変わらず後ろ向きな答えしか返ってこない。
そしてもう二度とアテネへ来ることができないという異様な境遇を普通に受け入れているムウに、アルデバランはやはり同情せざるを得なかった。
買い物を終えて再び地下鉄に乗ると、またしても窓から外を見て喜んでるムウにアルデバランは頑張って笑いをこらえた。いくら外を見ても地下鉄だけにそうそう車窓の景色はかわらない。
しかし、ムウは「すごいですね」を連呼しながら外を見ているのだ。

テセイオン駅で降り地上に出ると、空は既に暗く、西にほのかに赤い光が残っているだけであった。
ムウとアルデバランはアポストル・パヴル通りをアクロポリスの方へ進んだ。カフェやタベルナが並び、通りに面したテラス席は客で埋まり始めている。
アルデバランは迷わず一軒の店に進み、入り口で名前を告げるとすぐに席に案内された。
店内のテラス側の席で、全窓のガラス扉はあいている。薄闇の中に浮かび上がったライトアップされたパルテノン神殿が見えるよい席だ。
ムウは周囲を見回してシオンがいないことを確認すると、肩の力を抜いて息をついた。
ワイングラスを重ねて乾杯し、しばらくして出てきた料理に目を輝かせると、ムウはふと気付いて首をかしげた。
「アルデバラン、このお店は注文しなくても料理が出てくるのですか?」
アルデバランが頼んだのはワインだけである。なのに料理が運ばれてきたのだ。
「いや、この店は予約しておいたんだ。シュラがここは景色もいいし料理も美味いと教えてくれたんでな」
「予約?」
「明日来るから席とっておいて、料理はこれ作ってくれってお願いしておいたんだ」
「ああ、なるほど。……わざわざ有難うございます」
「8時までに帰らなきゃいけないからな、料理の途中で帰るのは嫌だろう?」
「はい、嫌です!有難うございます」
「まぁもう日が暮れたから、これなら人に見つからずに瞬間移動できるしな」
「では、ギリギリまで食べられますね」
小学生ではあるまいに、門限8時というのも異様であったが、最初シオンから提示された門限が5時であったことを考えるとマシなほうである。シンデレラだって魔法が切れるのは夜中の12時だ。門限破りをムウに勧めたところで、うんと言わないことはアルデバランはよく知っている。
夜はこれからだというのに帰らなくてはならないかと思うと、アルデバランは思わずため息が出そうになった。
ムウがじーっと自分の顔を覗き込んでいることに気付き、アルデバランは首をかしげ、ムウが指差す自分の後ろを振り返った。
「あれ、何ですか?」
「あれ?」
「花持ってる人です」
花籠を持ち、各店のテラス席を歩いて回っている男が気になったらしい。
「あれは花売りだ」
「はなうり?」
「花を売って歩いてるんだ」
「そんな仕事もあるのですか」
「もうすぐこっちにも来るんじゃないか?」
アルデバランが言う通り、花売りの男はムウの視線に気付きすぐにやってきた。
ムウはポケットから小銭を出し、男から赤いバラを1輪買う。
この場合、どう考えても自分がムウに花を買うほうが絵になるとアルデバランは思ったが、ムウも男だけに「お前が買うのはおかしい」とは言えない。
しかも
「はい、アルデバラン。花好きでしょう?」
と、ムウは意地の悪い笑いを浮かべてアルデバランにバラの花を渡したのだ。
ムウが何を期待しているのかよく分かっているアルデバランは、バラの花のくるくる回して頬を引きつらせながら無理矢理笑った。
「可愛い女の子からではなくてすみませんね」
「……ムウから貰った方が嬉しいぞ」
「おや、本当ですか?」
いつもより余分に回し、アルデバランはもう一度無理矢理笑うと
「これで勘弁してくれ」
と言って花を水の入ったコップの中に挿した。


Next