アテネの休日

聖域
きちんと8時前に帰ってきたムウとアルデバランに白羊宮の留守を預かっていた童虎は呆れて笑った。
「ムウや、時間どおり帰ってこずともよいものを。お前は真面目じゃのぅ」
「老師に留守をお願いしているのに、それは申し訳ございません」
「わしのことなど気にせずとも良い。ところで、アテネは面白かったか?」
「はい、それはもう」
「それはよかったのぅ」
珍しく裏のない満面の笑みのムウに、童虎も貴鬼もアルデバランも喜んだ。
「ねぇ、ムウさまぁ、いくらなんでも買いすぎじゃないの?」
貴鬼はリビングのテーブルの上にまで山積みになった食料品を指差し苦笑いした。
無我夢中で買いあさっていたため、更に時間をおいてみると、その量に我ながら買いすぎたとムウは苦笑いを浮かべる。
「入りきらなかった分は、金牛宮の冷蔵庫にいれておいたよ」
アルデバランも苦笑いしながら返事をすると、ムウは早速テーブルの上の食材を整理し始めた。
「30日はシオンさまのお誕生日ですし、来月になったら貴鬼の誕生日もありますから、すぐになくなりますよ」
ムウが馬鹿みたいに食糧を買い込んだのはそのためだったのかと、アルデバランは感心し、貴鬼は声をあげて喜んだ。
「本当、ムウさま!これぜーーんぶ、オイラのご馳走になるの?」
「これを全部食べたらいくらお前でも腹を壊しますよ」
「わーい、わーーーい、すっげーうれしいな!星矢や紫龍も来てくれないかな!!」
「それは自分で女神にきいてみなさい」
「わーい、わーーい」
ぴょンぴょん飛び跳ねて喜ぶ貴鬼に、白羊宮に暖かい笑いが起こった。

貴鬼が運んだ買い物を引き取りに、ムウはアルデバランと一緒に金牛宮へ向かった。
いつもビールしか入っていない自分の冷蔵庫が食料品で満杯になっており、アルデバランは思わず笑ってしまった。
「金牛宮だけに、冷蔵庫はギュウギュウ詰か?ははは」
「アルデバラン、それは笑った方がいいのですか?」
「うん、今のは笑う所だ」
「アルデバランは面白いですね」
ムウはよくわからず笑うと、冷蔵庫に入れておかなくてもいい保存食のみを取り出し、持ってきたダンボール箱の中へ詰め替えた。
アルデバランは金牛宮の入り口までムウを見送り、ムウの頬におやすみのキスをすると、ムウは改めてアルデバランに礼を言った。
「ありがとうございます、アルデバラン。車にも乗れたし、汽車にも乗れたし、美味しそうなものも沢山買えたし、料理も美味しかったし、もう思い残すことはありません」
「……ムウ、アテネにはもっと楽しいところがあるし、となりのイタリアだって飯は美味いしサッカーは面白い。思い残すことがないなんていうな。船に乗ったことないだろう?それから飛行機も」
ムウの穏やかな笑顔が少し翳ったのを見て、アルデバランはほっとした。少しでも未練があるなら正常だ。
「実のところ、シオン様が心配して私をアテネに行かせたがらないのがよく分かるのです」
予想外のムウの言葉にアルデバランは口をつぐんだ。
「やはり、私は見た目が……変ではありませんか。聖域は……まぁ、おかしな人が沢山いますが、やはりこんな真っ白な肌をして、赤く丸い眉化粧をしている人などアテネにはいませんでした。私は、人より多くのものを見たり聞いたり出来ますから……シオンさまが私を聖域から出したがらないのも分かるのです」
今まで「アテネへ行ってみたい」と軽く言っても、シオンを言いくるめてまで行こうとしなかった理由にアルデバランは納得した。
「今日も結構ドキドキしてたのですよ、変な目で見られるのではないかって。そしたら、誰も私の事なんて見ていないではありませんか」
「……まぁ、そうだろうな」
「皆、アルデバランを見て驚いて、振り返ってまで見ているのですよ。なのに、あなたは全然気にした様子もない」
いくらアテネが世界的な観光地で色々な国から様々な人が集まるといえど、やはり210cmの巨体は珍しい。どこにいても一目瞭然で目立ってしまう。今日1日、アテネの色々な所を歩き、買い物をし、その度に通りすがりの人に驚かれてもアルデバランは気にした様子もないし、「すげい!でかい!!」と言われても、笑って「まだまだ伸びるよ!」と冗談を言うほどだ。隣にいるムウを見ているものなど、尾行していたシオンくらいであろう。
「私は突然大きくなったわけではないからなぁ。子供のころからデカイって言われていたし。気にしていたらきりがないだろう」
「すごいと思います。私は通りすがりに『変な眉』って言われたら殴ります」
一般人を殴るというのはムウの冗談なのか本気なのか分からず、アルデバランはとりあえず小さく笑ってみた。
「アルデバランと一緒だと、誰も私のことをみないのですごく気が楽でした。アルデバランは、本当にあんなにジロジロ見られて平気だったのですか?私のために無理してくれたのではないのですか?」
「いや、全然平気だぞ。お前の眉は隠せばいいし肌の色が気になるなら長袖を着ればいいだろう。だがな、私の背はどうにもならん。気にしていたら生きていけん」
「やっぱり、すごいです。今日は本当に有難うございました」
ムウはダンボールをおろし静かに笑って手招きすると、アルデバランはムウと目の高さが同じになるくらいまで腰をおろした。そしてムウはアルデバランの唇に軽く口付けると「おやすみなさい」と言って階段を降りていった。

アテネ
夜中の12時を過ぎてもシオンとアイオロスはホテルから出てこなかった。
酒を飲みながら待ち構えていたミロ、カミュ、カノンは、やっぱり出てこない二人に何度も乾杯をして酒ビンを空にいた。
それもそのはず、シオンとアイオロスはとっくの昔にホテルから外へ出て聖域に戻っており、シンタグマ広場の死角にあたる場所にもう一つ出入り口があることをカノンたちは知らなかったのだ。
3時を回ったところで、カミュが欠伸をし床に転がって眠っているミロをたたき起こした。
「ミロ、帰るぞ。教皇とアイオロスは完全に黒だ!サガも帰りましょう」
口をぽかんと開けたまま何時間も立ち尽くしているサガの肩を叩いてみたが、やはりサガは無反応だった。
「カノン、貴方はどうするのです?」
ベンチに寝転がってるカノンにもカミュが声をかけると、カノンは欠伸しながら上体を起こし、頭をかいた。
「ん、黒だな、真っ黒、黒。教皇とアイオロスはホテルでズボズボのうっふんあっはんだ。分かったか、兄貴?」
カノンがサガにそう声をかけてみたが、やはり反応はない。
「おい、カミュ。お前が連れてきたんだから、責任もって連れて帰れよ」
「いわれなくてもそうします」
カミュは二又眉を寄せて嫌そうにカノンを見たが、カノンは気にした様子もなく椅子から立ち上がり一人でシンタグマ広場から立ち去ったのだった。


Next