アテネの休日

聖域から人目につかぬよう走ってアテネまで出てきたカノンは、ビルの屋上に立ちシオンの妖気を探してみたが、まったくみつからなかった。
いくらアテネが首都とはいえ、妖気を出している者などシオンしかいないであろうから、探すのは容易いはずであった。
カノンは勝手にくっついてきたミロを睨みつけた。
「おい、教皇の気配がないぞ。本当にアテネなんだろうな?日本じゃないのか?」
「ん?妖怪レーダ壊れたんじゃん。教皇じゃなくてアイオロス探してみたら?」
無責任なミロの発言にカノンは眉毛をピクリと吊り上げたが、所詮ミロはミロに過ぎない。あらためてアイオロスの小宇宙を探してみると、すぐに見つかった。
観光客でにぎわう旧市街の土産物屋が並ぶ通りで、ミロとカノンは思わず顎が外れそうになった。
15メートルほど先を歩いているゲイのカップルは、高そうなスーツを着た腰よりも長い銀色の髪の男と赤いバンダナを頭にかぶった長身の男だ。そう滅多にいる組み合わせではない。
沢山の観光客の中からようやく見つけたシオンとアイオロスが、何と手をつないで歩いているのである。
「みたか!今のみたか!!」
興奮の余りカノンは素っ頓狂な声をあげてしまったが、ミロも驚きの余り笑う余裕すらなく、首がもげんばかりに頷いた。シオンがあとをつけているであろうムウとアルデバランの姿はない。
「これはスクープだぞ、スクープ!大事件だ!教皇と次期教皇がアテネでお忍びデートかよ!おい、ミロ。カメラ持ってるか?」
カノンの問いにミロは首を横に振った。
「ち、役たたずめ」
「写真撮ってどうするんだよ?」
「アイオロスに高く売りつけるか、聖域中にばらまく決まってるだろう」
「おいおい、それってゆすりだろ」
「別に一般人から金まきあげるんじゃないんだ、問題ない。というわけでカメラ買ってこい」
「え、俺金ないよ」
「仕方ない、盗むか」
カノンの瞳がギラリと光り、ミロは冗談ではなく本気で盗みを働くのだと察して慌てた。
「おい、つまんない犯罪するなよな」
「万引きは犯罪じゃない」
「犯罪だぞ、ボケ!まったく仕方ないなぁ……」
ミロは仕方なく少し大きめの土産屋に入り、コ●ックのレンズつきフィルムを手に取ると、レジの女の子に声をかけた。
「ねぇ、おねーさん。このカメラって妖怪写る?」
「は、はぁ??」
「羊の妖怪、写るかな?」
「さ、さぁ……。うちは人間用しか売ってません」
観光客に英語ではなく、同じギリシャ人にギリシャ語でからかわれたと思った店員は迷惑そうな顔をした。ミロはわりと真剣に聞いたつもりだったのだが、ここはやはりアテネ市内であった。
なけなしの小遣いを払いカメラを手に入れると、ミロはビリビリと袋を破いてカノンに渡す。
「これ人間用だってよ。教皇は写らないかもな」
「アイオロスさえ写ってりゃ、あとは何とかするから問題ない」
カメラをかまえるとカノンは、シオンの手を引いて歩くアイオロスの姿を建物の影からこっそり写真を撮った。

自分の行く手を塞がれたことのないシオンは、人通りの多い道をうまく歩けず、ついにアイオロスに腕をひっぱられた。
アクロポリスの敷地内のように決まった場所へ人が流れてゆくところは、その流れに乗るだけよかったので問題なかったのだが、土産屋が並び人が不規則に行き来する細い道ではそうはゆかず、何度も人にぶつかったり、気迫で無理やり道をあけたりとシオンのいらいらは募るばかりで、このままでは「うろたえるな小僧」が炸裂すると察したアイオロスがシオンの腕を掴んだのだった。
アイオロスは老人の手を引いて歩く程度にしか考えていなかったのだが、シオンの見た目はピチピチの18歳であり、傍から見ると貧乏人とお金持ちの謎のゲイカップルである。
しかもカノンとミロにつけられていることを知らないアイオロスは更に墓穴を掘る行動に出た。
「これだけ人がたくさんいると見つかりませんね、そのへんのタベルナに入って、ムウたちがここを通るの待ってた方が早いんじゃないですか?教皇、じゃなくてシオン、人あたりして疲れたでしょう?」
アイオロスが言うとおり、大混雑というわけでもないのにシオンはすっかりひとあたりしており、アフロディーテに書いてもらった眉は寄りっぱなしである。
どうせ金を払うのはシオンであるから、アイオロスは値段もみずに通りに面したタベルナの客引きの店員に声をかけ、テラスの奥の方の席を用意させた。
「アルデバランはでかいですからね、通ればすぐにわかりますよ」
「しかし、余がここに座っていたら見つかってしまうではないか」
「顔かくしていればいいじゃないですか」
「ふむ、そうじゃのぅ。アイオロスや新聞をもってこい」
アイオロスはシオンに手を出した。金をよこせということだ。シオンは瞼をパチパチと瞬かせ小首をかしげる。
「どうした、アイオロス。はよういかぬか」
「金ですよ、金。金下さい。新聞って無料じゃないんですよ、しってますか?朝勝手に届くんじゃないんですよ」
「ふむ、そうであったのぅ」
「使えるお金下さいよ。金貨出したら怒りますからね」
「馬鹿にするでない。そのくらい知っておるわ」
シオンはテーブルの上に手のひらをのせ、少し持ち上げるとその下から帯のついた札束が現れた。
「ほれ、必要なだけ持ってゆくがよい」
シオンから札束を手渡され、アイオロスはぎょっとする。500ユーロ札の束なのだ。
「ちょっと、何考えてるんですか!?これ偽札じゃないでしょうね!?」
「無礼者、本物じゃ」
「教皇、じゃなくて、シオン。あんたは車でも買うつもりですか?!」
「ごちゃごちゃうるさいのぅ、あとは何とかせい」
シオンが少し笑いながら自分以外を見ていることに気付き、アイオロスは慌てて振り返った。メニューを持ったタベルナの店員が苦笑いをしながら立っているのだ。ギリシャ語の会話は、当然店員もわかっている。
「あ、この人、すごいお金持ちなんで、気にしないで下さい、ははは」
わざとらしく笑うアイオロスに店員は銀行で両替してくることをすすめ、アイオロスはそれに従った。


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