白羊家の食卓9(中華の鉄人 その1)

 

昼食の仕度をしていたムウは、慌ててエプロンを外すと、光速で白羊宮を飛び出た。そして、現れた人影を満面の笑みで向かいいれる。五老峰の老師こと童虎である。シオンと同じくピチピチ18歳であるが、東洋人ゆえか、黄金聖闘士一若く見える。

「ようこそいらっしゃいませ、老師。」

「ほれ、ムウよ土産じゃ。しばらく世話になるからのぅ。」

「しばらくどころか、ずっといてください。シオン様も喜ばれます。」

「シオンが喜ぶわけなかろう。」

「いいえ、絶対喜ばれます。お願いです、帰らないで下さい。」

童虎の袖を握り締め、ムウは必死の形相で童虎に訴えた。ムウにとって童虎は女神に匹敵するほどの救世主である。何故なら、シオンのセクハラを厳しく取り締まってくれるからだ。
童虎は手を伸ばしてムウの頭を撫でると、日焼けした顔に不敵な笑みを浮かべた。

 

いつも通り、白羊宮に昼食をたかりにきたミロは、濃厚な旨味臭に腹の虫をギュルギュルと鳴らした。台所からは炒める音が聞こえる。

「よっしゃ、ナイスタイミング!」

ミロは小さくガッツポーズをして、勝手に食卓につくと思わず声を上げてしまった。
何故か八宝菜が机の上に五皿も乗っているのである。しかも大皿だ。20人前くらいはあるだろう。
ミロは青い瞳をパチクリさせ小首を傾げると、台所の方へ声をかけた。

「おーい、ムウ。今日の昼食は野菜炒めだけか?」

「それは、八宝菜じゃ。」

台所から現れた童虎にミロは驚くと、慌てて席を立ち頭を下げた。

「お久しぶりっす!何やってんですか?」

「ムウの修行じゃ。」

「で、今日は野菜炒めだけですか。肉食いたいんですけど。」

「つべこべ文句を言わずに食うのじゃ。」

童虎に一睨みされ、ミロは唇を尖らして席につくと大皿を手前にひき、フォークで八宝菜を食べ始めた。

ミロが一皿を目半分ほど食べたところで、半居候その2アイオロスが、これまた昼食をたかりに現れた。

「なんだ、この野菜炒めの山は?」

「野菜炒めではありません、八宝菜です。」

大皿を片手に台所から出てきたムウに、ミロは目を輝かす。しかし、ムウがテーブルに置いたそれは、またしても八宝菜であった。

「つーか、何でまた同じもの持って来るんだよ!」

ミロが唇を尖らせて不平を口にすると、ムウがない眉をピクリと吊り上げた。

「まあ、ムウ怒るな。私もなんでこんなに野菜炒めがあるのか知りたい。」

ムウをなだめて席につこうとしたアイオロスは、台所から皿を持って現れた童虎に気付き、すぐさま腰をあげて一礼した。

「当たり前じゃ、何度も練習せねば覚えぬからのぅ。」

童虎がそう言ってテーブルに置いた皿も、また八宝菜であった。

「ムウや、飯じゃ。飯をもってこい。」

童虎に命じられ、ムウは台所からいそいそとお釜を持ってくると、丼に白いご飯をよそる。ようやくムウも席につくと、黙々と八宝菜を食べ始めた。

「で、何でこんなに野菜炒めがあるんですか?」

大皿、およそ4人前の八宝菜を平らげたアイオロスは、次の皿に手を伸ばしながら童虎に尋ねた。ミロももぐもぐと白菜を噛みながら肯く。

「修行じゃ。こーんな不味い八宝菜、八宝菜として認めんわい。」

アイオロスとミロは首をかしげた。何がどのように不味いのかがわからないのだ。ムウの作る食事は少なくとも、十二宮で一番美味い飯である事には間違いないし、アテネ市内でもこれだけ美味い中華を食べられる所はそうそうない。

「十分美味いっすけどね」

ミロは自分の言葉通り、ご飯の上に八宝菜をかけて、2皿目を空にした。

「これがのぅ、成功作じゃ比べてみよ。」

童虎が差し出したのは最後に持ってきた皿だった。ミロとアイオロスはそれを一口ずつ口に運んでよく味わう。

「野菜がシャキシャキしておるし、餡もちょうどよい。塩加減もいい具合じゃ。」

しかし童虎の説明つきでも二人には、今まで食べていた八宝菜と成功作の八宝菜の何が違うのか良くわからなかった。美味いことには変わりない。再びアイオロスが尋ねる。

「これは老師が作られたんですか?」

「わしが作ったら意味がなかろう。ムウじゃ。」

「はぁ。」

「八宝菜はこれで合格じゃのぅ。」

童虎の言葉にムウは小さく安堵の息を漏らした。

 

執務を終えて愛しいムウの待つ白羊宮に帰ってきたシオンは、出迎えがいないことに気付くとない眉をしかめた。原因は分かっている。
シオンは不機嫌を全身で表し、白羊宮に乗り込むと、原因であるその男のいる場所へと直行した。

「童虎よ、お前がいつ聖域に戻ってきても大丈夫なように、天秤宮はきちんと整備されておる。さっさと帰れ!」

しかし、そう怒鳴りちらしたシオンに注意を向けたのは、見上げている孫弟子の貴鬼だけで、当の童虎も、出迎えを忘れたムウもシオンの声にまったく反応を示さない。

「シオンさま、ムウさまは今、料理の勉強中なんだ。邪魔しちゃダメだよ。」

「は?何をゆうておる小僧!」

「ムウさまはシオンさまにおいしいご飯を食べさせてあげたいんだって。だから邪魔しちゃダメだよ。」

貴鬼はそう繰り返し、シオンのローブの裾をぐいぐいとひっぱった。
自分のためという事に、シオンは一瞬喜びを覚えるが、師事しているのが240年来の天敵である童虎というのが兎にも角にも気に入らない。

「邪魔じゃ、シオン。さっさと風呂に入ってこい。」

腕組みをした童虎が振り向きもせずそういうと、シオンは目くじらを立てる。

「邪魔なのは貴様じゃ!ここは余の宮じゃ!帰れ!今すぐ帰れ!余のムウを見るな、汚れるではないか!」

意地でもムウを童虎からはなそうと手を伸ばそうとした瞬間、シオンは全身をぐいと引っ張られ、そのままずるずると後退した。まだ8歳の貴鬼にこんな能力があるはずもない。半居候のアイオロスとミロとアルデバランに取り押さえられたのである。

「はなせ、無礼者!」

「はいはい、教皇、風呂入りましょうね。ムウは夕飯作っているんですから、邪魔しちゃダメですよ。」

アイオロスはなだめながらミロとアルデバランに顎で指図し、シオンを風呂場へと引きずってゆく。

「シオンさま、オイラがいっしょにお風呂はいってあげるから、ムウさまの邪魔しちゃだめだよ。」

貴鬼と一緒に風呂場に閉じ込められたシオンは、現状では形勢不利と判断し、この場は一旦退却することにして渋々孫弟子と風呂に入ることにした。

 

教皇を台所から追い出したアイオロスとミロは、老師がテーブルの上に置いた皿の中身を見て、眉をしかめた。またしても八宝菜なのである。

「老師、野菜炒めは昼食に食ったからもういいですよ。」

「同じものを何度も作らねば、修行にならぬ。嫌ならば食わなくともよいぞ。」

冷たく童虎につっぱねられ、ミロは唇を尖らす。

「そうだぞ、ムウがせっかく作ってくれた食事に文句が言うなら、帰れ。」

ミロを見下ろし、そう言ったアルデバランの顔はいつになくご機嫌である。老師がセクハラ大魔王のシオンを撃退してくれることが嬉しくて仕方ないのだ。
他力本願ではあるが、相手が妖怪教皇であっては仕方ない。

「なぁ、ムウ。野菜炒め以外も作ってくれよな!」

台所を覗いてミロは注文をすると、その鼻先に大皿を突きつけられた。ごま油とネギの香に、ミロはおもわず感嘆の声を上げる。ムウにチャーハンの乗った皿を渡され意気揚々と食卓の上に置くと、アイオロスが苦笑いしていることに気付き、ミロは小首をかしげた。そして、人の気配に振り返ると、大皿を両手に持った童虎と目が合い、昼の野菜地獄を瞬時に思い出す。童虎が持った二つの皿には、チャーハンが山と盛られていた。

アイオロスから事情を聞くと、アルデバランも苦笑いを浮かべる。

「老師、ムウの料理のどこがいけないというのです。ムウの作る飯は、どれも極上ですよ。」

「それはのぅ、お前たちの舌が貧しいのじゃ。」

童虎の黒い視線は鋭くアルデバランに突き刺さる。アルデバランは困ったように頭をかくと、一心不乱に中華なべを振っているムウの後姿に、心配そうな視線を送った。


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