子羊といっしょ5(くまさんと子山羊 その1)

 

シオンの話は長い。
老人の話が長いというより、宗教者の話が長いというより、シオンの話が長いのだ。
200年以上も教皇をしているのに、何をそんなにまだ話すことがあるのか、とにかくシオンの話は長い。
朝の5時から過酷な訓練メニューをこなしてきたシュラにとって、朝の礼拝は貴重な休憩時間である。聖域に来て間もない彼には、シオンの説教など、何を話しているのかまったくわからない。ギリシア語であることがかろうじてわかる程度だ。おまけに長々と説教しているものだから、当然まぶたは重くなり、黒い上下の睫毛が重なってしまう。よだれを垂らしながら舟をこいでる子分を、隣に座ったアイオロスは周囲を気にしながら肘で小突いて起こした。

「シュラ、寝るんじゃない。」

「あ・・・すみません。」

「眠いのはわかるが、寝てるのが見つかったら教皇に怒られるぞ。外にでて顔を洗ってこい。」

シュラは『はい』と小声で返事をすると席を立ち、こっそり礼拝堂から抜け出した。

手洗いで顔を洗うと、タオルを持っていないことに気づき、シュラは顔を振ってしずくを落とし、上着の裾で顔を拭く。

このまま戻ってまた礼拝に参加しても、絶対に眠ってしまう。そう確信したシュラは何とか礼拝に参加しなくてすむ方法を考え始めた。

教皇の間に来るのはまだ数回目である。

いつもの手洗いに行ったら掃除中だったので、他の手洗いに行ったら迷った。

シュラは考え付いた言い訳の素晴らしさにニヤリと笑うと、礼拝堂の外に置かれた椅子で、再び睡眠の続きをとることにした。

 

子供の声で目を覚ましたシュラは、周囲を見回した。
聖域に子供はいるが、中央の教皇の間で子供を見たことはない。しいて言うなら自分くらいである。それは自分が黄金聖闘士の候補者であるから許されているわけで、自分だけの特権であるはずだ。

自分以外の候補生が気になり、すっかり目がさえてしまったシュラはもう一度周囲を見回し、耳を澄ます。
子供の小さな声は上のほうからする。
シュラは見上げた方に子供の姿を確認すると、目を粒にした。
紫のおかっぱ頭をした自分よりも小さな子供が、大理石の階段を一所懸命おりようとしているのである。シュラが驚いたのは子供ではない。その子供の後を追うように、熊が二足歩行で階段を一段一段飛び降りているのである。熊はぬいぐるみであった。
教皇の間で仕事をするものならば、この子供が教皇の弟子、ムウであることは誰でも知っており、子供ながらに強大な超能力を持っていることも知っている。ぬいぐるみが動いたくらいでは驚きもしない。

唖然としているうちにムウは階段を下り終わり、くまのぬいぐるみを抱えると、階段の一番下の段に腰をかけた。
当然シュラは初めて見る二足歩行するぬいぐるみに興味を持ち、ムウに近寄る。

「おまえ、なに?」

あまりにもへたくそなギリシア語にムウはシュラが何を言っているのかわからず、ぬいぐるみを抱く腕に力を込め不審の視線を向けた。

「おまえ、なに?わかんないの?」

ムウはくまを抱えたまま立ち上がると、階段の一番端まで移動する。無視されたシュラは眉を吊り上げるとムウを追った。

「シカトしてんじゃねーよ!!」

スラングだけはきちんと発音できているシュラではあったが、教皇の間育ちのおぼっちゃまであるムウがそんな汚い言葉を知るはずもなく、くまに半分うずめた顔から大きな紫の瞳をのぞかせると、またしても不審の視線を向ける。

「おれはシュラ。おまえは、なまえ何?」

ようやく通じたのかムウは紫の瞳をパチパチとしばたかせ、くまから顔を出して返事をした。

「ムウ。」

「おまえもセイント勉強してるの?」

「ムウはクロスだよ。」

「は?」

「きょーこーのおでしさん。」

ボソボソ話すムウの答えの意味するところがわからず、シュラは首をかしげた。しかし相手は小さな子供である。きちんとした答えが返ってこなくてもおかしくはない。

「おまえいくつ?」

ムウはくまを離さず、片手の小さな指を2本折り曲げると、シュラにみせた。
3つじゃ仕方ないかと、シュラは口に小さく笑いを浮かべた。自分のへたくそなギリシア語は棚上げである。

「くま、なんていうの?」

「ムウのくまさんだよ。」

シュラはムウの答えに再び首を傾げ、自分のギリシア語が間違っていたのだと思い、問い直す。

「なまえだよ?」

「くまさん。」

「くまのなまえは?」

「くまさん。」

「あなたのくまのなまえはなんですか?」

「くまさん。」

3歳ならこのくらいのことはわかりそうだが、どうやらギリシア語が通じないらしい。
この子も外国から来たのだろうか。
シュラは何語を話していいのやらと、頭をかいた。

「くまみせて。」

ムウはくまを抱きしめなおすと、プルプルと首を振る。

「みせろよ。」

「ムウのおともだちだもん。」

「おまえ友達いないの?」

「くまさん、ムウのおともだちだもん。」

くまのぬいぐるみしか友達のいない小さな子供からそれを取り上げるのはかわいそうだと思ったが、どうやって階段を下りたのか気になって仕方ない。
シュラがくまに手を伸ばすと、その手に静電気のような衝撃がバチッと走る。このおカッパ頭が何かしたと一瞬に悟ったシュラは、眉を吊り上げると、問答無用でムウのくまに手をかけた。

「ムウのくまさんだもん。やーーだーー。」

「みせろよ!!。」

「ムウのくまさんーーー。」

ムウはくまを握り締め背中を向けようとするが、シュラはくまの胴体をつかみ、嫌がるムウから無理矢理くまを奪う。大きな目に大粒の涙を浮かべ、ムウはシュラから奪い返すべく手を伸ばすが、シュラもくまを高々と持ち上げ届かない。

「かえして、ムウのくまさんかえして!」

「みせろよ。デンチどこだよ?」

ムウのくまを頭の上でぐるぐると回しながら、電池の入っている場所を探すが、くまはただのテディーベアであり、どこにも電池の蓋はついていない。ムウが足元でぴょんぴょんはねるので、シュラはくまを持って一気に階段を駆け上り調べる。
階段の下にいたはずのムウがいきなり自分の足元に現れたのを見て、シュラはギョっとする。今度は走って階段を駆け下りると、またしても目の前にムウが突然現れ、シュラはとられてたまるかと、くまを高々と持ち上げた。

「ムウのくまさんかえして!」

子供のものとは思えない跳躍力で、ムウはくまに飛び掛る。ムウがしっかりぬいぐるみの足を掴むと、シュラはムウを振り払おうと揺らす。くまにぶらさがったムウも一緒にブラブラゆれると、シュラはむきになってくまを引っ張った。


Next