魔法の聖典(その1)

 

「やっぱりサガに頼むしかないか。」

 アイオロスは一人でブツブツと呟きながら十二宮の階段をおりていた。

 

 教皇に突然呼び出され、教皇の仕事の代行をいい渡されたのは数時間前のことだった。

 教皇の仕事、特に朝夕の礼拝は毎日休むことなく行われる。
シオンは、勝手に明日の安息日は仕事を休むと言い出すと、その代理、つまり朝夕の礼拝を執り行うことが出きる者を考えた。
一番の適任は13年間教皇として生きてきたサガであるが、彼が二度とそのようなことをしたくないことをシオンは知っていた。
故に、かつて次期教皇に指名したアイオロスに白羽の矢がたったのだ。

 アイオロスは教皇の間を後にすると、彼の一の子分シュラに相談するため、磨羯宮へと駆け込んだ。
しかし、シュラにはアイオロスを手伝うことは不可能だった。シュラは礼拝に出席したことはあっても、それを取り仕切る術をしらない。彼はカトリック教徒である。
シュラは、肩をがっくりと落とすアイオロスに、デスマスク、アフロディーテもカトリック、アルデバランはプロテスタント、シャカは仏教、カミュは(何故か)ロシア正教であることを説明した。

 聖域独特の、女神崇拝とギリシャ正教が混ざった奇妙な宗教を信仰しているのは、サガ、アイオロス、アイオリア、カノン?、ミロ、ムウの6人だった。しかし、アイオリアとミロが礼拝を行うことが出来るわけがなかった。そして、カノンは神を信じているかどうかさえ怪しかった。
残る人間はムウだけである。
幼い頃からシオンに育てられたムウであれば、礼拝の手順を知っているはずである。だが、アイオロスはムウに助けを求めることは出来なかった。シオンの休みということは、シオンはムウに一日中くっついているだろう。その為の休みである。

 アイオロスは数時間悩んだ挙句、双児宮へと向かうことにした。

 

 アイオロスは双児宮まで来ると大きく深呼吸をする。しかし、その表情は暗い。
本当はサガに頼むのは避けたかった。彼もまた、サガが大勢の前でそういうことを、教皇の真似事を二度としたくないことを知っていた。そして、それをさせたくもなかった。

「サガ。聞いてくれ。明日、私が礼拝を執り行うことになったんだ。」

「そうか、それは良かったな。頑張れよ。」

 サガは私室の玄関のドアを僅かに開けると、アイオロスに微笑みドアを閉じようとした。アイオロスはすかさず、そのドアの隙間に足を突っ込み、ドアが閉められるのを防いだ。

 いつも一言、二言の会話だけでドアは双児宮の主によって閉められてしまう。サガは未だに、過去の罪に思い悩み、アイオロスとまともに接することができずにいた。
アイオロスは挟まれた足に走る痛みに耐えながら、自分の足の幅分だけできたドアの隙間から、微笑みながら言った。

「サガ、お願いがあるんだ。だから私を中に入れてはくれないか?」

 アイオロスはサガを何とか説得することに成功し、リビングへとあがりこんだ。

 彼は、サガが出してくれたコーヒーを一口飲むと、顔をほころばせ、口の中に含んだコーヒーの味を堪能した。
コーヒーにはたっぷりのミルクと砂糖が入っている。それはアイオロスが小さい頃から好んで飲んでいた味だった。
アイオロスは、今はブラックで飲める、と言おうと思い口を開いたが、すぐにその口を閉じる。
サガが自分の好みを覚えていてくれたことが、なんにしても嬉しかった。

 アイオロスは顔がニヤけそうになるのを我慢し、サガに事情を説明した。

「アイオロス、礼拝の手順を覚えていないのか?」

「いや、そういうわけではない。ただ、自信が無いのだ。」

 アイオロスは、サガに見つめられて恥ずかしいのか、礼拝に自信がないのが恥ずかしいのか顔を下に向けながら言った。

「だったら、ムウに頼んだらどうだ?」

「ムウは既に教皇とお楽しみ中だ。」

「・・・・・・。そうか。では、ミロかアイオリアに・・・・・。」

 サガはそう言うと、言葉を切った。
ミロやアイオリアに礼拝を取りし切ることなど出来ないことをサガも分かっていた。
13年の間にあの二人にそういうことを教えなかったのは、他ならぬ自分だからだ。

「それじゃ、明日礼拝で・・・。」

 そう言ってサガが閉じた玄関のドアを見つめながら、アイオロスはクルリと一回転するとガッツポーズをした。明日の礼拝が、昔のような関係を取り戻すきっかけになるのではと期待に胸を膨らませた。

 

 礼拝は九時から始まる。
礼拝の時間に合わせて風呂に入り身を清めたサガは、わざわざ双児宮まで迎えにおりてきたアイオロスにつれられ、礼拝堂へと入った。
礼拝堂では既に数人の神官達が礼拝の準備を進めおり、サガとアイオロスは神官から法衣を受け取ると控えの間へと向かった。

「いつ見ても似合わないな・・・。」

 白地に金の刺繍が施された豪奢な法衣を着たアイオロスは、鏡の中の自分につぶやいた。
法衣の高い襟が、アイオロスには息苦しく、首を伸ばしたり横に回す。すると、鏡の中の自分の後ろにいたサガの姿がチラリと見えた。
アイオロスは鏡を前にしたまま、ツツツと僅かに横に移動し、鏡の中のサガを見つめた。

 白地に銀でアイオロスの法衣と同じ刺繍が施された法衣姿のサガは、彼の青銀の長い髪、そして端正な顔と伏目がちな瞳があいまって、なんとも神秘的な雰囲気をかもし出している。
アイオロスは、思わず時を忘れてその姿を見つめていた。

 アイオロスは鏡の中のサガと目が合うと、現実のサガのほうへと振りかえり照れ笑いを浮かべた。

「ははっ、何度見ても似合わないよな。私には聖衣のほうが性に合っている。」

「そんなことはないと思うが。」

「そ、そうか??」

 アイオロスは再び照れ笑いをすると、自分の法衣姿を見下ろした。

「アイオロス。」

 アイオロスはサガに呼ばれて顔をあげた。そして、サガに無言で差し出された首にかける大きなロザリオを見ると、軽く会釈をするように顔を下に向けた。
ロザリオをかけてやるつもりは無かったサガは、アイオロスが下げた頭をしばらく黙って見つめていた。するとアイオロスが僅かに顔を上げ、上目遣いでサガを見て言った。

「どうかしたのか?」

「いや、なんでもない。」

 サガはアイオロスに答えると、そっとロザリオを彼の首にかけた。

「一個でいいのか?教皇はいつも3つくらいかけてるよな!」

 サガにロザリオをかけてもらったアイオロスは嬉しそうに言うと、再び頭をサガに下げた。

 サガの指が、自分の髪に絡まるのを感じたアイオロスは、思わず体をビクリとさせた。ロザリオをかけるのに、頭に触れる必要はない。アイオロスは高まる鼓動の音を感じた。まるで、この部屋全体が脈打っているかのように、自分の鼓動が聞こえる。

 サガの両手が自分の頭を捕らえた瞬間、アイオロスは堅く目を瞑った。一体サガは何をする気なのだろうか・・・・。

「これをしているからおかしいんだ。」

 サガが言った言葉の後、なんとも言えない開放感を頭に感じたアイオロスは、顔を上げた。サガの手には、彼の真っ赤なバンダナが握られていた。
アイオロスは顔を真っ赤に染めて、軽く笑うと、手櫛で髪の乱れを直し、その場を繕ってみせた。

そして、合計3つのロザリオを首にかけてもらったアイオロスは神官が呼びに来るのを待った。


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