シオンさまとくまさん その1

 

長々しい祝辞にシオンは飽き飽きしていた。
彼にとってはかれこれ二百四十数回目の誕生日など、まったくめでたくないのだ。
それどころか、本当に自分が三月三十日にどこかで誰かの腹から産まれたという事実も怪しというのに、一体何がそんなに喜ばしいことなのかと、シオンは玉座に座り仮面の下で不機嫌な顔をしていた。

「……長いのじゃ」

シオンの呟きに、恭しく頭を垂れて祝辞を述べていた神官は口を噤んだ。

「もうよい、皆の心はしかと受け取った。仕事に戻れ」

と言ったが、本当は

『余の誕生日などめでたくない。いちいち話が長いのじゃ。その祝辞はもう聞き飽きた。同じ内容を毎年毎年毎年毎年何度も何度も何度も何度も長々と繰り返すでない。余はムウで遊びたいのじゃ!』

と言いたかったのだ。
だが、そこは教皇ゆえにぐっとこらえて席をたった。
突然謁見の間から退室してしまった教皇に、集まっていた聖闘士や神官たちは全呆然としたままシオンの背中を見送っていた。

ただアイオロスだけは

「だから、ジジーの誕生日なんか祝わなくていいって言ったのに」

と悪態をつき、隣に座していたサガに睨まれたのだった。

 

一分一秒でも惜しい愛弟子との時間を割かれたシオンは、歩く時間すら勿体無いのか瞬間移動で姿を消した。向かった先はもちろん愛弟子の部屋だ。
シオンに付き合い朝の五時から起きているムウは、今は1回目の昼寝の時間である。
しかしシオンには寝ているムウを無理矢理起こし、寝起きの不機嫌な顔を見るも楽しみであった。

「ムウや〜〜〜ぁ」

弟子馬鹿丸出しの猫なで声が陽光の降り注ぐ明るい部屋に響く。
子供用の小さなベッドに近付くと、シオンは小首を傾げた。まったく反応がないのだ。

「ムウや、起きるのじゃ。もう昼であるぞ」

小さく膨らんだ薄い羽根布団をつつくと、その膨らみは簡単に潰れてしまった。ベッドの中にムウはいなかったのである。

「およ?!」

シオンは驚きの声をあげると、仮面の下でだらしなく笑った。

「ほうほう、余を驚かそうと隠れたのであるな。余が戻ってくることを察するとは、流石は余の弟子であるのぅ。ムウは可愛いのぅ。何でこんなに可愛いかのぅ」

頬が緩みすぎてずれ落ちそうになったなった仮面に慌てて手をかける。仮面の下では目じりは限界まで垂れ下がっていた。
一昨昨日、二歳になったばかりの可愛い可愛い愛弟子は、この細く垂れ下がった目に入れても痛くないのは当然で、シオンは鼻の下までだらしなく伸ばし、どこかに隠れているであろうムウを探すことにした。

「ムウやぁ〜〜ここかのぅ?」

シオンはまとめられたカーテンの裾を捲ってみたが、小さな弟子はそこにはいなかった。反対側のカーテンを捲ってみてもムウはいない。
部屋にはベッドと小さな机と椅子しかなく、念のためシオンは机の上に置かれた小さな花瓶の中を花をどけて覗いてみたが、当然ムウがいるはずなどなかった。

「ふむ、余の部屋かのぅ。ムウもなかなかやりおるのぅ」

シオンはそう呟きにやりと笑うと、ムウの行動範囲である自分の寝室へと瞬間移動で姿を消した。

「ムウやぁ〜〜〜、ここかのぅ〜?」

威厳も減ったくれもないシオンの猫なで声を聞いたら、卒倒しかねない者が多々いることであろう。それほどまでの弟子馬鹿振りである。
ムウの小さな小宇宙を探してみたが、まったくかんじることは出来ず、シオンはカーテンを捲り、クローゼットを全て開き、サイドボードの引出しの中も調べたがムウはいない。

「ふむ、執務室かのぅ。余を二度も欺くとは、ムウは大物じゃのぅ」

シオンはだらしなく笑い、執務室へと姿を消す。しかし、執務室にもムウの気配はなかった。

「ふむふむ、気配を消すとは大したものではないか。ムウやぁ〜ここかのぅ?」

ソファーの上のクッションを捲ってみたが、当然ムウはそんなに小さくいはずがなく姿はない。

「ここかのぅ?!」

次に執務机の下を覗いてみたが、そこにもいない。

「むむむむ……ここか!」

執務机を勢いよく引いてみたが、もちろんいない。

カーテンを超能力で捲ってみてもムウの姿はなく、シオンはない眉を寄せた。

「なるほど。かくれんぼではなくおいかけっこであるか。何としても捕まえねばならんのぅ」

シオンは大きな紫の瞳を輝かせ自分を見上げる小さな愛弟子の姿を瞼の裏に浮べて、いやらしく笑う。軽く小宇宙を燃やし意識を集中すると、教皇の間のどこかにいるであろうムウの気配を探し始めた。

が、ムウの気配はなかった。

シオンは仮面の口元に手を当て目を瞬かせる。二歳の子供が完璧に気配を消せるはずもない。もう一度小宇宙を研ぎ澄まし、今度は気合を入れて意識を集中しムウの姿を探したが、愛しい愛しい弟子の姿は何所にもなかった。

仮面の下でシオンの顔色が青くなる。
慌てて瞬間移動でムウの部屋に戻りベッドの中へ手を入れてみると、シーツは冷たかった。ムウは大分前から部屋にはいなかったのだ。
頬をかすめる春の風にシオンははっと顔をあげテラスへ飛び出る。
張り裂けそうになる心臓をおさえながらテラスの下を覗いててみるが、緑の芝生しかない。
転落防止用にテラスには柵が張られているのでその心配は不要であることをシオンは知っていたが、自分の弟子だけに、柵などいとも容易く通り抜けてしまうことも知っていたからだ。

突然姿を消してしまった弟子にシオンはうろたえまくっていた。
再び執務室にもどり、執務机の引出しを全部ひっくり返してみたが、ムウは隠れていなかった。寝室のクローゼットも中身を全部引き出してみたが紫のおかっぱ頭は出てこない。
部屋を散らかし始めた教皇に気付き、あわてて駆け寄った神官は、胸座をつかまれ思わずちびりそうになった。

「余のムウはどこじゃ?!何所へ隠した?!」

「む、ムウ様ならお部屋に……」

「おらぬから聞いておるのじゃ!こたえよ!」

「ぞぞぞぞぞぞ、存じませぬ!」

怒鳴られて少しちびってしまった神官は返事をすると、床に膝をつき倒れこんだシオンに仰天し、大声を上げた。

 

食堂で早めの昼食をとっていたアイオロスとサガは神官に呼び出され唖然とした。
シオンが寝室の床に泣き崩れているのである。

事情はすでに神官から聞いており、『教皇様が悲しまれているから慰めてください』といわれていたが、声をあげてこの世の終わりのように泣くシオンは予想外であった。

「教皇、ムウなら腹が減ったら帰ってきますよ。リアだって、いなくなっても飯の時間になれば帰ってくるんですから」

苦笑いをしながらアイオロスがそう言うと、シオンは頭を振った。

「もう昼の時間じゃ。なのにムウは帰ってこぬ……。余のムウが、余のムウがぁぁぁ……、ぉーぃぉぃぉぃぉぃぉぃぉ……」

銀色の仮面の瞳からこぼれ落ちる涙に、アイオロスはギョっとしたが、隣のサガはもらい泣きしていた。

「教皇様、なんておかわいそうに……きっとムウは無事でございます。女神にムウの無事を祈らさせていただきます」

というと、サガは跪いて天に祈り始める。

「天気がいいから、きっと遊びにいったんですよ。あ、教皇のプレゼント探しに行ったのかも!ムウは教皇が大好きだから。外は探したんですか?」

アイオロスの言葉にシオンはまたしても首を振った。

「余のよびかけに応えぬのじゃ……、聖域中を捜してもムウの小宇宙がみつからぬのじゃ……ああ、ムウよ……。どこへ行ってしもうたのじゃ。ま、まさかライオンに……余のムウは美味しそうじゃからのぅ、ライオンに食われて……ぉーーいぉぃぉいぉい……」

「聖域に野良ライオンはいないと思うけどなぁ……。あ、野良犬に食べられちゃったとか!」

「余の、余のムウが……余のムウが……犬の餌に……をーーーぃおぃおぃぉい……」

更に激しく泣き出したシオンにアイオロスはあわてて前言を撤回する。

「ムウは美味しそうじゃないからきっと元気ですよ!あ、十二宮に遊びに行って、どこかの宮で寝てるんじゃないですか?!」

「余の、余のムウが……余のムウが……十二宮に……?あの小さなかわゆい足でどうやって階段を下りるというのじゃ?はっ……下りれぬから、足を滑らせて崖から落ちてしまったのかも知れぬ……をーーーぃおぃぉいぉい」

「ムウは丸いから落ちたってボールみたいにぼよーんってはねますよ。この間リアも人馬宮の階段から落ちましたけど、額切って血だらけになっただけですから」

「額を切って血……ち……だらけ……」

「ぅわ!きょ、教皇!大丈夫ですか!?」

シオンが呼吸を詰まらせ蹲ったのを見て、アイオロスはおどろいて声を上げた。殺しても死なないと思っていたクソジジィが、人並みに弱っているのである。

「アイオロス、教皇様を心配させてどうするんだ!お医者さんを呼んでください!!教皇様が大変です!」

サガの一点の曇りもない青い瞳ににらまれ、アイオロスは困ったように頭を掻いた。

かけつけた神官たちに体を支えられ、シオンは長身をベッドに横たえた。ベッドサイドでは、サガがシオンの手を握り、一所懸命女神に祈っている。

アイオロスは神官に事情を話すと、こってり油を絞られ、これ以上関わっているとろくなことがないと、教皇の間から逃げ出したのだった。


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