掲載: 2003.7.18


「北陸線沿線に住む鉄おぢさん」さんから、碓氷峠の最新状況に関するルポをいただきました。

撮影・文章:「北陸線沿線に住む鉄おぢさん」さん、2003年7月10日(掲載画像、文章全て)
※記事は「北陸線沿線に住む鉄おぢさん」さんから寄稿された内容を、ほぼそのまま掲載しました。碓氷峠club66.7としましては、「北陸線沿線に住む鉄おぢさん」さんのご意見に全て同意するわけではないことを予めお断りしておきます。



廃線から6年近くが経過し、その歳月を感じさせる箇所が増えてきました。
一方で再来年のトロッコ列車運行開始(横川−坂本間)という希望はありつつも、碓氷峠が今後どうなっていくのかという危惧が少しずつ大きくなっていくのは否めません。梅雨真っ最中、濃霧の中で垣間見たせいかも知れませんが、どことなく荒廃の二文字が迫りつつあるような危うさを感じてしまいました。


軽井沢駅より碓氷峠方向を見る。
この時期にありがちな濃霧です。早朝で暗いので少しわかりにくいですが、大部分のレールが撤去されています。ただし撤去は廃線後まもなく開始されており、現在の状況になってから結構経ちます。

軽井沢駅の旧2・3番ホームから碓氷峠方向を見る。
上り線や機回線は撤去されていますが、下り線は碓氷峠−横川とつながっています(矢ケ崎踏切に車止めはありますが、レールは繋がったままです)。上り線は、軽井沢駅から上り11号トンネルの手前のバーチカルカーブあたりまでレールが撤去されています(そこから先は横川まで繋がっている)が、線路敷は残っています。上下線とも架線は軽井沢駅からバーチカルカーブ手前まで撤去されています。この様子は並行する旧道より目視できます。
※碓氷峠club66.7からの注記
新線は立入禁止です。管理を委託されている松井田町ならびに所有者のJRにより立入禁止が明示されています。現状維持保存の観点、事故防止ならびに悪戯・盗難防止の観点からも立入はしないでください。特にトンネル内や橋梁上を踏破し、その画像をホームページ上で公開するなどもっての他です。

同じく、長野方向を見る。
新しい軽井沢駅舎が見えます。ホーム上屋などは昔のままですが、旧1番線と機回線のレールは撤去され、敷地は「旧軽井沢駅舎記念館」の車両展示場と、カフェレストランに転用されています。・・・EF63がいないのはやはり寂しい(EF63の展示は旧1番の先端、碓氷峠に一番近い場所の方が相応しかったのではないでしょうか)。

画像奥は、レールを撤去した跡地を利用して2002年12月にオープンしたカフェレストラン「ビストロ ケイ」。地元産の低/無農薬食材を使った創作料理の店だそうです。碓氷峠寄りには、蕎麦処「志」(「峠の釜めし」も販売)があります。2003年5月には、2軒の間をつなぐ屋外デッキ席がフードパーク「ケイ ステーション」としてオープンしました。2軒共有の休憩スポットとのこと。
残念ながら、まだ利用したことがありません。

軽井沢駅旧1番線(ただし、線路は展示線前後で切られて孤立)では、アプト式電気機関車10000(EC40)形やEF63形2号機が保存展示されています。
10000形は、ここでの保存展示(昔は画像奥のレンタカー会社敷地奥で展示されて、レンタカー会社の心ない扱いによって些か悲惨な姿でした)にあたって綺麗に塗装補修されました。屋根のおかげで状態は良好のようですが、埃が積もっているのがわかります。清掃ぐらいして欲しいもの。

EF63形電気機関車2号機。
展示にあたって、現地で塗装補修されました(ちなみに屋根上は青)が、天候の厳しい場所での屋外展示が祟って、遠めにも塗装の痛みがわかるようになっています。

塗装の艶はすでになく、赤錆が流れた後や、下地のひび割れがあります。
今後の保存を考えれば、10000型と同様、展示屋根をつけるべきなのかも知れません。

展示物?に加わった「マルタイ」(マルチプルタイタンパー。線路の道床をつき固める保線車両)。
この車両が碓氷峠で作業したことがあるかどうかは未確認。
せっかく空いているスペース。どうせなら489系・169系電車の先頭車両あたりを保存展示して欲しいなど思ってみたり。(横川側ではどうやら無理そうなので・・・)

草軽電鉄デキ13。
「旧軽井沢駅舎記念館」の正面前に保存展示されています。
ここに移設される際に塗装補修されましたが、現在も状態は良好のようです。

「旧軽井沢駅舎記念館」の全景。
新駅舎建設に伴い取り壊された旧駅舎を、創建当時の姿で再築したもので、新駅の長野寄りに隣接しています。再築と言っても、当時の設計図を元に外観の再現を重視した新築です。内部は資料館になっています。
画像左端に写っているのは「碓日嶺鉄道碑」の縮小レプリカです。レプリカとしても由緒あるものなのに、説明板等一切無いのが残念。 


旧道C82付近の崖崩れ。
幸いにして小規模なものでしたが、土砂や木の一部が旧道上に流れてきています。夕方には、旧道上の土砂は撤去されていました。
なお、画像上方向が、1950年に熊ノ平駅構内で発生した土砂災害現場になります。

沿線の除草や枝伐採が為されていないため、旧道からは碓氷線が見え難くなりました。碓氷線新線がどうなっているか心配です。

アプト式旧線の碓氷第3橋梁。
濃霧の中に威容が浮かび上がります。
新線上り線−アプト式旧線跡地を遊歩道として利用した「アプトの道」は、現在ここまで開通しています。
橋の下を流れる碓氷川に沿って碓氷湖まで至る遊歩道は、土砂流出などのため通行止めになっていました。
碓氷川渓谷は相当部分が土砂や流木で埋まり、谷には家電ゴミなどの産廃や訪問客が捨てたゴミ等が散乱しており、観光地としては理解に苦しむ有様です。

アプト式旧線の1号トンネル入り口。
旧道を降りきった地点。「アプトの道」がトンネルに入っていきます。画像ではわかりませんが、このあたりで既に65パーミルを超える急勾配、画像奥の軽井沢へ向かって登っていきます。
右側、幟が立っている道を登ると「玉屋ドライブイン」。
このあたりの小道にも雑草が目立ちます。階段の一部には、崩壊箇所もあるようです。夏以降の行楽シーズンを控えて、しっかりと整備して欲しいもの。また、各遺構や石碑についての簡単な説明板も本来ならばあってしかるべき。
碓氷峠の現在その2へ


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