アクティヴリスニング・積極的傾聴

---------聴き上手になるために-----------

2月勉強会より 講師 慶應義塾大学精神神経科 水野雅文先生

 皆さんは自宅でご家族の方と一緒に住んでいることが多いかと思うのですが、そのときにどのように話しかけたらいいのかとか困ったり、本人を目の前にするとどうしても情緒的な部分が出てしまって、コミュニケーションを取りづらいこともあるかと思います。どこの家でもある話しですよね。

 実際、私たちでもそうですけれども、強い語調とか、折角重い口を開いたときでも「また言ってる」っていう感じで無視されてしまうような場合も時にはあるかと思うのですが、そうすると気持ちがメゲてしまって話すタイミングを失ってしまう…良くある体験だと思うんですよね。

 イギリスで精神病院を閉鎖した頃、患者さんを地域、つまり家族のいる自宅に返したり、単身でアパートに住むことになった方とどちらが再入院しやすいかという調査が行われたことがあります。結果は、家族の元に戻ったほうが再入院率が高かったそうです。

 もちろん、入院にはいろんな理由がありまして、単に精神科の病気の症状が悪くなって再入院する。これは非常に明確ですけれども、他にも、家族の方の体調が悪くなってお互いの距離を取るための休息入院といった形ですとか、いろんな入院があると思います。

 一人で住んでる方でも社会的な困難があるから入院したほうがいいかなとか、グループホームなどに入所されていた方が他の利用者さんとトラブルを起こして一時非難的に入院する方とか…いろんな再入院の仕方がありますので、入院イコール病気の悪化ばかりの問題ではないのですが、再入院という観点から見た場合、家族の所に戻った方のほうが再入院する率が高かったそうです。

 そこから、ではどうしてだろうかということで始まったのが感情表出という概念の研究です。 以前にストレス脆弱性モデルといって、ストレスと脳の病気のなりやすさの問題、この2つが大きなファクターとなって病気の成立や再発に関係しているというお話をしたかと思うのですが、ご家族の方から御本人に向けられるいろいろなメッセージが、時には励ましとして非常にポジティブに働いたりもするのですが、中にはネガティブに批判的になったり、トゲがあったりなどということが積もりつもると本人にとっては非常にストレスになるものです。

 こういうことは血液検査で数値を見せられてどうこうということではありませんから医学の領域でもそれが本当に心理的な問題であり、そうしたものが脳の問題に対して影響を及ぼしているということが理解されるようになってきました。

 現在ではこの家族が患者さんに向ける感情表出が再発率に非常に影響しているということが、精神科の専門家の間でも広く受け入れられてる問題になっているわけです。これは統計上の話しですが、きっとご家庭の中でのコミュニケーションというのは日常大きな問題として感じてらっしゃる方も多いかと思いますので、今日は最初に他のどんな場面でも、たとえば感謝の気持ちの表わし方とか、頼み事を上手に断わる方法ですとかいろんな場面に応じたメッセージや気持ちの表わし方についての練習など、アクティヴリスニング(積極的傾聴)という方法を理解しながら練習してみたいと思います。

 まずはじめに、互いに相手の考えを上手に聞き出すためには、まず相手の話しに関心があることを示すことが大事です。これは必ずしも患者さんと家族を想定したものではなくて人と人が話す時の基本的なコミュニケーションの技能ということです。ですから、当然コミュニケーションの仕方というのは大げさに話をする方と、相手から視線を外さずにじっと耳を傾けているようなやり方までいろんな表現の仕方があって、それはそれぞれのやり方で本来はいいと思います。

 ただ、相手の方がここぞというときにどういう反応をするのかということや、陰性症状で比較的言葉が少なくなってたりとか、御自分の希望を言いづらい状況になってる方、一生懸命話を聞き出したいと思いながらもどうしても相手から見て一生懸命話を聞いていると思ってもらえない状況ではなかなか話の趣旨は伝わりにくいと思います。

 元々こういう技術は一般的には日本人には得意でないと思うのです、外交等を見ていても敢えて相手に言葉以上のものとか何となく黙ってても相手に伝わりそうなもの以上を説明して伝えてその上で話を引き出すというのはあまり練習していません。育っていくなかであまりそういう教育は受けてないと思うんですよね。これをまずご理解いただいて、それぞれのご家族に合わせた形でよろしいかと思います。

 そのときにも調子のいいときにも普段はどのように話しているかとか一生懸命話したいときにはどのようにしているかという最大公約数的な部分を知っておくことが相手には伝わりやすくなるというのが一つあります。

 それから、逆に私たちのほうは患者さんが本当は思いついているんだけど言えないときにどういう風にそれを私たちが分かり得るのか、患者さんのほうが何となく習得してそれを御自分の方でも本当に大事なことだけはちょっと視線をかえて、手を上げたり大きな声で話しかけたり説明するというような、そういうアクションが引き起こされれば大きな収穫だろうと思いますので、それにはこちらがどうしたらいいだろうかということをちょっと練習してみたいと思います。

 それは例えば幻覚や妄想など症状がどの程度なのかうまく聞き出せないときにですね。たとえば、お薬を飲んでいるのかどうか、なかなか机の上に出しておいても、私などもこの間薬はずっと机の上に出ていたし、飲んでいたはずですとおっしゃったご家族の方がいらっしゃったのですが、飲んでいるかどうかと言うことをご本人から聞き出すのにも口あけて確かめるわけにもいきませんから、疑ってなくても確認ってしづらいですよね…そこで御本人からもお薬は飲んでいるけれどもこうなんだって言ってくれれば、これは薬を飲んでいると、とっていいものだと思えるのですがそういう部分に関しても何となく普段の会話が少ないとちゃんと飲んでるのかしらという疑問がでてくるみたいです。

 それからムスっとしてたりとか黙ってたりとか、あるいはすごくイライラしているというように相手が見えるときですね。それからそういうときに口論になってしまったときどういうふうにして事態を収拾したらいいのか、非常に困ってしまって立ち往生してしまってそれ以上話が続かなくなって、別々のところへ行く…と、よくあることだと思うのですが、これも非常にお困りになるというお話がありました。

 それから一見御本人に元気がなくて何か不安があるのかしらと見えるときも不安になるようです。それと、ウチの子は全然外出しないのだけれども、その理由が家族から見てても全然分からない。これは家族教室などでも陰性症状ですと一言で片付けられてしまうことが多いのですけれども、そうは言ってもどうして出ていかないのか?症状で出ていかないのならそのように御本人が言ってくれれば確かにそうなんだなって思いますよね。自分は元気がないからとか、身体がだるいから、眠いから出ていかないんだって御本人自ら言って、じっとしているってことは、大体何も言わなくて、じっとしていることが多いものです。そういうときにもアクティヴリスニングといいますが、じっくりとお話を聞いていただいて、何で出ていかないのとか、どういうことがあったら出ていきたいのか、そういう聞き方をしていくことで動きが出てくるんじゃないかって思います。

 それから、家族の方との関わりを避けているように見えるときですね。何となく視線もあわないし食事も家族皆が終わった後にのそのそっと出てきて、食べ終わったら何もいわずに出ていってしまったりという場面では、なかなかご本人の様子が充分に把握できないなとご家族が感じられて不安になります。皆さんのご家族でもいろんな場面でそういった経験があるかと思うのですが、その辺をどうやったらコミュニケーションの技術を広げられるかという話を今日はしてみたいと思います。

 まずは日常生活のなかで、どんな問題点があり、また何を目標としているのかをちゃんと決めることは簡単なことではありません。
 で、なかなかひとりでは決めることができないことも、誰かと相談しながらだと問題点や目標がはっきりするということもあるわけです。何はともあれ一人で考えてないで誰かと話をしながら、あるいは人の話を聞きながら考えごとや目標の設定をして行きましょう、ということが…、アクティヴというのは積極的という意味です。これは音というのは波ですから物理的なもので、皆さんの鼓膜には達しているんですけれども、そこに注意を向けて聴き取っているのかというとこれは別の問題ということになってきます。ですから、注意を向けて聴いてるというのがリッスンなんですね。そういう意味でのアクティヴ・リスニング、日本語では積極的傾聴と表現しております。どういうことか一言でいうと「聴き上手」になるというか「話し上手」でもあるわけですけども「聴き上手」になって相手が言いたいことをどういう風にして読み取っていくのかということを目標にしています。

 私たちも患者さんの家を訪問したりとか診察室で話をしている中で一生懸命聴き出そうとするわけですね。本当に何をするんだったら外出してみたいの、とかいろいろ聴いてみると、例えば、もう一年も二年もおうちにいる子がですね、自動車の免許をとるんだったら行ってみたいとか、ちょっと今の具体的な生活状況からは少し飛躍があって、現実的でないことですね。でも、御本人がやりたいと思うこととやれるってことは最初の時点は必ずしも一致しなくてもいいわけなんですね。ですから、それを言い出すきっかけとか、本当はそう思っているけど、でも二年間家にこもりっきりだし、ここで車の免許を取りに行くんだったら外出してもいいよなんて、とっても親の顔見たら言えませんよ、なんて思ってる方もいらっしゃるわけなんです。

 ですから、入院している患者さんたちに伺っても、退院したらどうしたい?って聞くと別に退院なんかしたくないし、ここにずっといたいと言いながら、ま、退院したら結婚したいね、なんておっしゃるわけです。これは日常生活からするとものすごく飛躍があるわけなのですが、それが出てきたらそれをいきなり否定したり、「何言ってんの」で終わらせてしまうのではなくて、そこを話の一つの端緒にして、じゃあたとえば結婚するんだったら、まず最初に相手に出会う場面に行かなくちゃならない。だったらデイケアに行ってみましょうとか、そういう人の集まるところに出かけて行って、知り合いを作る。

 しかし、デイケアに行っても、行って帰ってくるだけで、そこで一言も喋らずに帰ってくる方もいるかと思うんです。行ったら異性の友達を作る前に同性の同年代の友達を作る練習をしましょうとか、友達を作る前にいつも会うあの人に挨拶をする練習をしましょうねっていう風に、目標をダウンサイズにしていくわけですね。ですから、車の免許にしてもいきなり教習所ってのは大変ですから、最初は教習所はどんなところかと見学に行こうって、一回連れ出すってのも方法でしょうし、遠いから嫌だって言い出したら、近くのコンビニまで外出する練習しようかって話に切り替えるような形で、話を切り出す最初のきっかけにするという意味でもご本人がちょっと言い辛いことでも一生懸命言い出せるような状況を作ることが大事になってくると思います。

 で、それにはどうするのかといいますと、相手の方が安心して話せる雰囲気と状況がないといけませんですよね。こんなことを言ってしまったら怒られてしまうとか、またお金がかかること言ってるとか、そんなことできるわけないじゃないなどと、頭ごなしに言われる様な気配を感じたら言えません。ですから、どんなことを言ってもそれですぐにネガティブな反応とか否定的・批判的な返事が来たりはしないんだっていうことが、無言のメッセージとしてあるいは普段の繰り返しとして患者さんに伝わってませんと、それは大変かなと思います。

 私たちだったら最初にある獲得目標があったら最初に会った瞬間から「これどう?」って言いません。まず「今日の天気はいいですね」から始まって、別の話をしてだんだんだんだん本論にいくわけですね。しかし、患者さんはそういう器用な行動をなかなかできない状況なわけですから、そこのところにいかずにいきなり本論に入ってくる可能性が充分あるわけですね。そのときに私たちはびっくりしないで、良く言ってくれたという意味でのメッセージを落ち着いて返す必要があるわけですから、そこのところのコツが大事になってまいります。

 タロウさんという人がいたのですが(「精神科リハビリテーション・ワークブック」(中央法規出版)51ページ参照)御両親は年頃だからガールフレンドを欲しがっているのではないかと考えたんですね。じゃあスポーツクラブとかそういった女の子と知りあえるところに行ってみれば?と提案したんですよね、ところが、タロウさんはあまりこのことに積極的ではなくて、御両親にはそれがとても不思議でした。そこで、家族ミーティングのときにタロウさんにこのことを聞いてみました。

 タロウさんの意見としてはガールフレンドが実は欲しいと思ってはいるのですが、もし付き合いがうまくできなかった場合には、自分はそのストレスに耐えられないだろうという風に思っていて、つまり振られたら困っちゃうとか、お付き合いして欲しいと言っても相手の方がウンと言わなかったら落ち込んじゃうんだろうなとかいった、先回りした心配があったようでした。そこで、むしろタロウさんとしては同年代の男性の友達を作って、例えばスポーツを見に行ったりとかカラオケに言ったりした方が普段の生活が楽しめるなぁといった風に考えていたようです。

 ですから、周りがきっとこうなんじゃないかと推測していることと御本人が考えていることっていうのはしばしば違っていて、むしろ御本人が考えていることのほうが現実的だったりすることもあるわけですね。で、少しお話しした後にタロウさんの目標として「同年代の男性の友達を見つけて、月に2回くらいカラオケに行くことにしましょう」というようなことになりました。ここから具体的に友達を見つけるにはどうしたらいいでしょうかという話になるのですが、皆さんの若い頃を思い出してみてもそれ程特殊な事とか難しい事とかをあえて考えてやらなくても、何となく若い人は理由もなくというか日常的にやっていることですが、当事者の場合、改まって具体的にどういう事にしようかということになると、そこはなかなかうまくいかないという方が多いんですよね。ですから、普段何気なくちょっとふらっと外出して何となく友達と楽しくやれるというごくごく日常的なコミュニケーションをしたくてもできなくて、どうやっていいかわからないという事が引き金になってだまりこくっちゃっている方もたくさんいるんじゃないかなと思います。

 で、ここで一生懸命聞くという積極的傾聴のステップについて2つのポイントがあります。一つには、話して、相手が言っていることをよく聴き、それを私たちが理解していることを話し手につたえること。聴いているということ、向かい合って話をしているということだけでは、相手の方に「聴いている」が伝わっているという確証には至らないというわけですね。

 話をしているだけでは、私たちはお互いにうなづきあったり普段の話の脈絡を追いかけてこの話に対して、相手がこういう返事をするっていうことは、これは相手が話をわかってるから話が進んでるんだな、という気持ちになれるわけで、一々この人話わかってるのかしら?とそう思わなくてもわかりますよね。 

 しかし、この病気の方というのはその辺りの符号というかサインというか表情・目の合わせ方・言葉の調子・うなずき方といったところの言葉で発せられてない部分を読み取る事が非常に苦手になってらっしゃる方が多いんですよね。あるいは、せっかく言葉で言っても、妄想とか幻聴などのように聞こえていること以上に詮索したり、ちょうどいいところにピントがあわないんです。ちょっと届かなすぎてわからなかったり、取りすぎて余計に考えてしまったりして、そこの読み取り方がうまくいかないものですから、こちらは相手を充分理解していること、一生懸命聴いているというサインを他の方同士のコミュケーション以上に意識的に見せないといけないということがあると思います。それが一番目の項目です。

 二つ目には話したい内容がより具体的になるように、こちらから質問するということです。つまり、先ほども言いましたようにこの話をするにはこうしてこうしてというふうな話の順序立てとか、プログラムとかをなかなか立てにくい方が多いわけですよね。よくデイケアのプログラムに料理教室があるのですが、これは料理を食べるのを目的にしているのではなくて料理を作るプロセスの練習として、たとえば五人前の料理を作るには何をどのくらい買ったらいいのかとか、何をどのような順番でといった手順とか、話の全体の枠組みそれを考える枠組みとしての意味もありまして、そういう意味では話の内容としてもいきなり結論を言っちゃったり、それから結論に達しなくても、もう少しテンポよく話してくれればこちらも飽きずに聴いていられるのにな、と思うことがなかなか本論に達しない。向こうは言いたいことを言うのにずーっと周りの周りの周りを話していたりとか、そういうことがあるものですから、そこの所を明確にするには、こちらから少しあちらの言いたいことを慮って、ときにはこちらから質問をするということをしながら話を聴き出すということが大事になってきます。

 話している内容に興味があることを示すと、二人しかいないときは相手しかいないわけですから、自ずと相手しか見てないわけですけれども、実際に日常生活のなかで相手を見ているかというと必ずしもそうではないです。テレビを見ている人と台所仕事をしながら会話しているなんていうのはいくらでもあることですが、これではすごく大事な話であるかどうかは、もちろん内容を二人がものすごく認識してお互いに時間がないからというような切羽つまった状況で集中するということはありえても、でも当事者はそこが苦手なわけですから、本当に大事な話を聴いていて、一生懸命話を聴いているんだっていうサインを見せようと思ったら、ある程度机を挟んだり、机を斜めの位置にしたりして、話してる相手を見ながら話をするということです。文字通りにいうと当り前のことなのですが、話している内容に興味があることを示すということですから、例えば相手の話に興味があるということは、ただフンフンと聞いているのではなくて「それでどうしたの?」って必ず聞き返しますよね。もう「少し詳しく聞きたいな」というのを声と表情と顔の様子で出します。そこのところが相手にも伝わることが相手の方がただ向かい合って話しているだけでなくて、この話に相手が注意を払ってくれているのだということを感じられて、安心して話をする場面を作るということになると思います。

 次に話をよく聞く。例えばテレビを消すとかいう風にしてなるべくみんなが話し合いに集中できるようにするということが書かれておりますけれども、テレビに限らず何か別のことをしながらだと、やはりなかなか相手の話は聴けませんので、よく集中できるような状況を作ってあげることが大事ではないかと思います。訪問しても3人くらいでテレビをつけっ放しだったりとかという場面にも遭遇いたしましたが、これから話をするんだっていう状況を、一日中でなくてもいいですから話をするときだけでもそういう状況を作ることで話を一生懸命聴こうとしてるんだな、いつでも私が話をしたいと思うときにはテレビを消して聴いてくれるんだなってことが伝わればいいと思います。

 三番目には、話をきちんと聴いていることを示すためにあいづちをうつというのがあります。なかなか日本人というのは動作で示すということをいたしませんので、2~3人くらいの間で相槌をうちあっているのも奇妙な感じがしますが、それをするだけでも、いつもと違うな?お母さん今日何か聴いて来たんだなというのが出るんじゃないかと思いますので、その辺りを使っていただけるといいのではないかと思います。

 四番目には、何が一番の問題点で、目標が何であるのかを明確にするような質問をすると、つまり、言いたいことと話せることというのは、私もこういう所で話をしておりますと、こういうことが言いたいのにうまく話せなかったり、別の話にいったりということがよくありまして、皆さんも相手の顔を見てしまうと用意していたことが言えないということがあるのではと思います。それは皆さんがそうなのですから、ご本人はさらに言えないんですよ。とりあえず言いたいことを言っていてもそれが本人の話したいことなのかは分からないんですよね。いつも言ってるからこれが言いたいことかと思ったら必ずしもそうではないですから、本当の所はどうなのかということをこちらからも問題点を明確にするように聞き直してあげたりとか、あるいは少し先回りしてでも想像して聴いてあげると、そういう事が必要になってくると思います。

 たとえばカラオケに行こうというような場合、いつも言ってるからカラオケに行きたいんだなと決め付けるのではなくてボーリングなどいくつか他にも候補をあげてあげたりとか、他にも代替案があるということを思いつくのが苦手になってしまっていますから少し具体的にしてあげるのも大事だと思います。

 五番目には、相手が話したことを自分がきちんと理解しているとか、話が通じているんだということを、ちゃんとフィードバックしてあげるということですね。これも大事なことだと思います。親しいほどいちいち確かめたりしませんから、ちゃんと話聴いているのかなぁ?通じてるのかなぁ?っていうことはどうしても残ると思います。そこを一々確かめるというのはやっとの思いで話した側にとって、確かめることは大変な行為です。ですから、聴いている方が確かめてあげる。たとえば「…ということは、あなたはスポーツが好きな友人を欲しいと思っているのね?」と確かめることが大切だということです。

 以上、五つのポイントがあります。これは自宅に戻っても実践していただき、他の家族とか御本人にも要点を伝えていただければと思います。

 それでは、今までお話ししたことを元にロールプレイをしていただきたいと思います。まず、4~5名くらいに別れてグループを作っていただいて、次に当事者の御本人と、ご家族(父・母・兄弟など)、医療福祉の専門家ということで今回は訪問看護の方でいきましょう。そのように役割分担をしてください。

 御本人役は二十歳でなんとなく病気になって、半年くらいお薬を飲んで幻聴や妄想は取れたんだけども、何となく元気がなくて自宅でゴロゴロしていて家族としてはもっと若者らしく外で活動して欲しいなと思っている状態ですがなかなかうまくいかなくてこれは薬が多いんじゃないかとか本当はよくなっているはずなのになんとなく怠けているんではないかと気を揉んでいるところへ普段お世話になっている病院の看護婦さんがやってきましたという状況で、その看護婦さんが話を切り出していただきます。テーマとしてその口の重い若者から彼が今何を食べたいのかということを聴き出す練習を先ほどの五つのアクティヴ・リスニングのポイントを使いながら行います。 

 最終的には御本人が、これは役ですからあまり頑固にならないで程々のところでおとしどころをつけて「それじゃあ」っておもむろに話だしていただいてめでたしめでたいという形にしていただきたいとお思います。そのときにそれぞれの方がうまく役割をとっていただいて、本人と話すときだけが積極的傾聴じゃないんですね、家族同士の間でもうまく相手の話を聴きながら進めていただきたいと思います。で、訪問した看護婦さんは最後に良かった点、これは役割ですから聴き方の下手なお父さんという場合もあると思うのですが下手なりのうまさ加減、たとえば、あのときお父さん身を乗り出して聴いたの良かったですねという感想をフィードバックしていただいてお互いがどういうことを褒めあったらいいのかという練習をしていただきたいと思います。

(全員グループに分かれてロールプレイ)

 別の役割をやってみることで、お互いのいいところを見たりするわけです。実際にやってみていかがでしたか?なかなかむずかしいんですね。練習して得たものを家に持ちかえって、使ってみるわけですが、なかには会話する以前の問題があるとおっしゃる人もいるでしょう。これだけで全部解決するわけではないです。ただ、例えば症状を問題にして話をするとき、あるいは症状に対して薬を飲まなきゃいけないという話をするときとかは、話を切り出すときに「あなた、医者いかなくきゃだめよ」というのではなくて、アクティブ・リスニングをして「なんで行きたくないの?」というところから始めたり、あるいは「お薬を飲まないのはどうしてなの?」とか。薬を飲むと頭がボーッとしてしまうとか、言葉にできない不快感というのもあると思います。診察室で5分間でうまく言うのはむずかしいです。家で練習しておいて、うまく聞き出せるような話の持っていき方をして、家族の方が言葉にまとめておいたほうが伝わりやすいかもしれませんから、いずれにしても、どんなときもコミュニケーションの初めの一歩として、このアクティブ・リスニングの技術をぜひ使っていただきたいなと思います。

 では、訪問看護のナース役の方から気づかれたことなど、質問も含めて。

Aさん 美味しい石狩なべの店にいこうというのに、なぜ嫌なのか、いろいろ聞いていくうちに、「お金がないんでしょう」ということを心配していることがわかったんです。「お金の心配なら大丈夫」ということで、一件落着しました。

先生 とてもリアルですね。全く違う次元で、そういう思い違いみたいなことはよくありますね。それをどういうふうに聞きだせるかはポイントになってきますね。うまくいったときのことを参考にして、いろいろな切り口で聞いていくといいと思います。

Bさん うちの場合には、店に行くにしても、同年輩の人たちが楽しそうにいたりすると、物怖じして出られなくなる。引っ込んじゃう。ディスニーシーのオープンCMにも、自分はいっしょにいく相手もいないしというので、目をふせてしまったりするんですよね。

先生 きっと元気で学校に行っている方の中にもディズニーシーのCMがいやとか、彼女いないし、と思ってみてる人もいると思います。みんながそう楽しくしているわけでもないし、ということを話してもいいんです。

Cさん 私たちのグループでは、私は家を一歩も出ない息子さんの訪問をしました。せめて家の中で会話でもできれば、そこからと考えて。なかなかむずかしかったですが、彼はニューヨークに行きたいと・・ それからお父さんの帰りが遅くて、なかなかいっしょに話せる時間がとれないということがあって。

先生 目標を聞き出せればしめたものです。そこから、そのために明日はどこそこに出かけてみようとかね。
お父さんの帰りが遅いのは万国共通みたいです。家族の方みんなが、お父さんは仕事を早く切り上げて、お母さんが好きなことをする時間をがまんして、その子のために、というふうにしても、それは長くは続きません。それぞれがあまり無理なくやっていくことは大事だし、家族の中でお母さん一人だけが犠牲になってというのも持ちませんね。そこをうまくバランスをとりながら、ご本人をうまく元気づけていけたらいいですね。

Dさん 話をする関係が成り立たないとリスニングというのもなかなかむずかしいと思うんです。非常に口数が少なくて、聞いても返ってこないということがあるんですね。アクティブリスニングということ以前に、解きほぐす問題があるのではないかと・・・ ここでは、そういう話になりました。

Eさん ロールプレイにナース役が入っているのはなぜかなと・・ 

先生 ここで練習したことを家に持ち帰って活用していただきたいわけですが、ナース役を入れたのは、家族の方の役をした人のこういう応答がよかったとか、そういうことの意見をナース役の人から見てもらって、お互いに話あってほしい、そういう目的です。

Fさん 患者さんの役をやったのですが、いろいろ聞かれるのが嫌だなとも感じました。すごくいろいろ聞かれてイヤだがら、わかった、うん、それでいいみたいな。必ずしもアクティブリスニングというのがいいのかなと・・

先生 ここは非常に大事なポイントです。最初に「尋問じゃないんですから」と申し上げたのが、このことですが、聞き方としてはパッシヴ(受動的)でもいいんです。目的はご本人が話し出してくれたり、思わずちょっと言ったことが本人にしてはたいへんな思いをして言ったキーワードであるところを、「ああまたいつものように何か小さい声で言っているな」と思って通り過ぎるのではなくて、そこに注意を向けたり拾い上げるということがアクティブリスニングのポイントです。アクティブインタビューではないんです。さっき、距離感のことも出てきましたが、どういうふうにしたら、その人がしゃべりやすいかは個別の問題になりますから、その方にあわせた雰囲気とか、ご家庭にあった、芸風をつくりだす、という感じでやっていくことが大切です。

Gさん 一つドキッとしたのは、みんな、本人を外に連れ出そうとしているんですよね。先生の課題は「何が食べたいか、好きな食べ物を聞いてみる」、そういうことだったんですよね。家族はおもてに連れ出そうと・・ これは患者にとってはすごく重く感じるんじゃないかと思いました。

先生 それもすばらしいご指摘です。必ずしもおいしいもの、豪華なものを食べるよりも、昨日の残り物でも家族がそろってニコニコ食べるほうがうれしかったりということもあるし、外に行きたくないから一生懸命閉じこもっているわけですから、そこを無理やり引っ張り出されるよりも、外に行けないぶん、みんなが楽しい話を持ってきてくれたりだとか、とても大事なことですね。

Fさん 家族以外の第三者の人に、ある程度考えをまとめて話をする機会を持つということは大事なことですね?

先生 それを短期間にすべてすませなきゃということではなくて、診察や訪問という場面というのは、ごく限られた時間ですから、それ以外の時間に専門家の役を家族が代われるというか、家族の方はおうちの中の当事者の方の専門家であればいいわけですから、そこに特化した問題に頭をしぼって時間も使っていただければいいわけですね。普段から話を聴いて蓄えておいて、訪問や診察の機会があれば、誰かが代わりにまとめてもいいし、このことだけは練習して自分で言ってみようねとか、ダメだったらまた次の機会というのでもいいですね。うまくいかないときも多いですが、うまくいったときのパターンを覚えておくといいですね。 

Gさん 訪問看護について教えてください。

先生 地域によって異なりますが、精神科病院がいちばん活発にしていると思いますが、看護婦さんが訪問して、治療的な介入をなさったり、一人暮らしの方なんかですと、お薬を飲んでいるかなとか、治療とか相談とかするサービスです。まず主治医の先生に確かめて、ご自分のところにそういうサービスがなければ、そういう公的なサービスを紹介してくださる方もいらっしゃるでしょう。それから平成14年度から市区町村で精神科の居宅支援事業など、地域によっては訪問看護を取り入れるところもあるでしょうし、生活面の支援を採用するところもあるでしょうし、地域で異なりますが、だんだんそういうサービスはふえていると思います。都心部などで外来に力を入れている病院では、かなり採用しているのではないかと思います。主治医の先生に聞いていただくか、あるいは保健所に聞いてみても情報が得られると思います。居宅支援事業も、生活支援を提供するところと、もう少し治療的に、家族介入や行動療法的な技能を持っているような専門家を養成して、そういう方を派遣しようという事業を考えていくとか、様々なようです。ホームヘルパーの方に精神保健の講習をするようにもなっています。
(途中ですが紙面の都合でここで終わります)
テープ起こし 菊池太一 渡辺信喜(新宿社協ボランティア)

勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。詳細

タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。詳細

収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記

  ニカ月ぶりに編集後記を書く。そうしている間もテレビからは疑惑やら癒着やら、汚職といった言葉が頻々と聞こえてくる。
 とても一国の国会議員の言動とは思えないその政治姿勢にはあきれ返るばかりだ。さらに、それを擁護するがごとき一政党の醜態。日本の将来が見えるような気がする。
 そんなテレビから教えられた二人のオピニオンがあった。一人は樋口恵子氏の言葉。「障害を持つことが恥ずかしいのではなく、障害を持つ人を助けないことが恥ずかしい」と。先進国なら先進国ほどこの意識が高い。それはその国の文化レベルにも通じるものがあると、どこかで聞いたことがある。
 前段の一議員の私利私欲にまみれた政治姿勢から、この文化意識のかけらも見られない。そういう文化程度なのだ。
 もう一人は村上龍氏。「自立を語るとき、何によって自立するのかを述べる必要がある」。なるほどと思った。ただ「自立せよ」だけでは「努力せよ」とだけ言っているのと同じこと。手足をもぎって「さあ、走れ」にも似ている。走るには手足が必要だ。自立するにも、そこに何らかの道具なり、技術なり、環境がなければ何遍「自立」を唱えても手足をもぎられたダルマの如く一歩たりとも動けない。自立とはそういうものなのだ。  ・・・