兄弟姉妹が患者さんにできること

3月勉強会より 講師 東京兄弟姉妹の会 代表  小沼洋行さん

 東京兄弟姉妹の会の小沼です。今日は私と川崎兄弟姉妹の会の中居さんと大阪で兄弟姉妹の立ち上げようと準備を進めている小松さんにもご一緒いただき、3人でお邪魔しました。よろしくお願いします。
それでは、早速お話に入りたいと思いますが、まず、私がこの問題にどのようなことから関わるようになったかについてお話したいと思います。
 私の場合は3歳年上の兄が当事者です。兄は現在回復し、作業所でリーダー的立場で活動しており、全くといっていいほど手がかからない状態です。
 兄がこの病気になって29年になりますが、当初は家を壊しまくったという情況でした。そして母親が心臓病を抱えており、その母親をかばうために私が殴られたりして大変でした。皆さんのご家庭でも、患者さんが暴れるというご経験はおもちだろうと思いますが、当時の私は自分だけがなぜこんな惨めな生活を送らなければならないのかと、絶望感でいっぱいでした。ですから、兄は急性の発病で、昭和49年1月19日という日は忘れられません。これは私の、そして小沼家の「あの日」として刻み込まれています。
 当日は兄が「試験に行く」と家から一旦出て行きましたが、すぐに戻って来ました。その情況は慌てているような、あるいはおびえているような雰囲気でした。そして布団をかぶって寝てしまい、うわごとのように「電車の中にオレのことが書かれている」とか「電車のポスターの位置が違う」というようなことを言いました。私は急に兄がそんなことを言い出したので、まるでテレビの中の世界に飛びこんでしまったかのような錯覚を感じました。
 いまでも、この1月19日の朝の出来事は夢にみます。夢では兄は一旦家を出てから病気になったのではないかと、私は家を出ようとする兄を引きとめるのですが、それを止め切れない状態でいつも夢が覚めます。夢から覚めたときは今でも涙が出ます。それほど兄の発病は突然でした。
 母親は当時慌てながらも、警察とか病院に行ったり、いろんなところに出かけて相談に行きました。しかし、父親は「そんな病気のわけがない。ただ青春期で踏みはずしているだけ」と母親の行動を叱りながら止めていました。ですから兄は当初医療にも福祉にもつながらずにいました。
 そういう情況で兄は発病から約17年間は家にいて、暴れまわるだけの情況でした。しかし兄は暴れるには暴れるだけの辛さなり理由があったのだと思います。それさえ家族はわからず、暴れ出したら家から逃げ出すことしか考えていませんでした。

そんな情況が続いたある日、兄は私の職場に初めて電話をかけてきました。その内容は「オレは今から遠くへ連れていかれる。父さん、母さんをよろしく頼む」ということでした。私は上司に許しを得てすぐに家に戻りました。すると兄は腕に手錠をかけられ、パトカーに乗せられて病院へと連れて行かれました。
 そこから、兄の治療が始まったのですが、今も兄の手にかけられた手錠は目に焼き付いています。そして、病気なのになぜ手錠がかけられたのだろう。なぜ救急車でなくパトカーなのだろうという疑問が残っています。

 現在兄は作業所でリーダー的な存在で活動していますが、そのリーダー的というのは、作業所には様々な考えのスタッフがいますが、中には障害者を理解できないスタッフもいるわけです。そんなとき、兄は病気体験者として、後輩の障害者の気持ちを理解できるということがありますので、その作業所では本来土曜日は休みなのですが、兄が鍵を預かって土曜日を作業所の開放日としています。様々な理由で平日作業所に来られない人のために兄は何でも語れる、何でもできる作業所として開放する責任を任されています。

 そのような兄になって、私はほんとうに良かったと思っています。父親がもう少し早くこの病気を理解し、入院に早く結びつけたならば、さらに情況は良くなったろうと思いますが残念でした。また、一方私自身は兄を入院させてしまったことに対する無念さが当時あり、後悔がありました。兄を精神病院に入れてしまったのだという思いですね。そのレッテルを貼ってしまったのだということです。しかし、いま回復している兄を見ると、考え方次第で、兄の人生にそうした体験があったことは無駄ではなかったのではないだろうかという風にも考えます。また、父親の態度も、父は父なりにそうした形でこの病気への抵抗を示したのではないかと思います。

 兄弟は正直なところ、こうした状況からは逃げ出したいのです。なるなら、自分の好きな人生を歩きたいと思うのが本音でしょう。両親からは兄がどこかへ出かける際には必ず私に「おまえ一緒に行ってやれ」と言われます。すると私の時間がほとんどなくなってしまうのです。まあ、母親が心臓病で動けないということもありますが、兄の買い物、床屋までついていきました。そんな時私はいつまでこんなことをしているのだろうかと思うことがありました。早くこんな人生から抜け出したいという想いの毎日でした。
 さらに、私も大学を卒業する時期を迎え、就職の話になりました。その面接試験で試験官は家族構成を見ながら「3つ上にお兄さんがいますね。何をやっていますか」と聞いてきます。そこで私は答えられないんですね。その時、この病気の問題は兄貴だけの問題ではなくて自分の問題でもあるんだな、と思いました。
 恐らく、兄弟、姉妹というのは就職であれ、あるいは結婚問題であれ、自分なりにこういう場面でどう対応していくべきかを考えさせられるわけで、ここで始めてこの病気が自分の問題であることに気が付くのではないでしょうか。ここで、始めて自分が家族の立場として母親の苦労、父親の苦労が判るのだろうと思います。最初は私もこうした場面では関わりたくない、自分とは関係ないものとして捉えようとしていました。

 ところで、家族会は涙のピラミッドと言われますが、この新宿家族会のような区単位の家族会から地域家族会連絡会、都連、そして全家連というように家族会は組織されています。しかし、個々の多くの家族会では役員さんが高齢であったりします。そして、そういう個々の家族会では相談事を受けたり、グループホームやが作業所を運営していたり、老骨むち打って頑張っています。いや、頑ばらざるを得ない状況です。なぜ、高齢者ばかりが頑ばっているのか不思議に思うことがあります。それは役員さんが生き甲斐などということでやっているのではなくて、ほかに誰も助けてくれなかったから仕方なくやっているという結果ではないかと思います。それが家族会をして涙のピラミッドと言われる由縁ではないでしょうか。
 私の母親は港区で家族会の代表を努めていますが、心臓病をこらえて区役所、警察や保健所などにやっとの思いでいったりします。そこでは「熱心な頑ばり屋のお母さん」と言われますが、母親がどれだけ苦労して行くか、彼等はそれを知ってもただ「頑ばっているお母さん」と言うだけで手を貸したり、こちらに出向いてくれるようなことはありません。日本の福祉関係者の冷たさを感じます。
 それから、家族会運動で一つ疑問に思うことは、私がたまたま日本バス協会というところに勤めていまして、障害者のバス無料パス発行などの障害者対策ということにも関わってきました。そこで、全家連はじめ都連など地方の家族会連合会が精神障害者のバス無料パス発行という運動を進めています。現在東京都、川崎市、横浜市、札幌市といった都市で無料パスが出るようになりました。この運動の橋渡しとして私は全国のバス会社に理解と協力を求める仕事をしました。しかし、一つ自分では納得できない部分があったことも事実です。それは、障害者がこのパスを使ってバスに乗るとき、皆さんは運転手にジロっと睨まれているんです。そして障害者の方は小さく頭を下げて乗っていきます。私はそこまでして無料で乗ることなのか、ということを感じます。
 ですから、無料パスという問題よりも無年金者をなくすことにもっと大きな力を出すべきではないかと思います。受給金額をアップさせるとか、作業所通所者の給料をもっとまともな金額にするとかして障害者の経済的安定を図って、バスの運賃くらいは自らの財布から出すようにすれば、そんな運転手から睨まれたり頭を下げる必要もなくなると思うのです。
 全家連や都連では障害者手帳の普及や制度の改革に勢力を使っていますが、手帳を他人(ひと)様に見せて使うような使い方には賛成できません。そのようなやり方は行政とかお役人の方に顔を向けていて、障害者本人のことを考えているとは思えません。バス、電車、映画館、劇場、全ての場所で障害者がジロっと見られて、頭を下げて乗ったり、入場したりするのは本来の福祉ではないと思います。

 次に医療関係で思うことは医者がこの病気を説明するのに「誰もがかかる病気だ」と言います。家族はそれを聞いて安心するでしょうか。家族が聞いて安心できるのは「誰もが治る可能性の病気だ」と言ってもらいたいのです。誰もがかかる病気だ、で終わらせるのではなく、だけど、誰でも治る可能性がある、ということまで言ってほしいと思うのです。
 さらに精神科のお医者さんの中には患者さんの容態に関係なく、只ただ強い薬だけを与えているとしか思えない治療を行っている先生がいます。
 私の兄が治療中、カリウム低下症になってしまって、内科のお医者さんに見てもらったことがあります。その時内科のお医者さんに現在飲んでいる薬を見せました。そしたら内科の先生は「なんでこんなに飲んでいるのですか」と驚きました。実際はそれでも最初からみると半分に減っていたのです。「こんなに飲んでいていいわけないです」と言いました。

 しかし、精神科のお医者さんは薬を山ほど出します。そして兄の主治医は「副作用が出ますか」と聞いてきます。私は「あなたが飲んでみてください」と言ったことがありました。それは弟として兄が苦しんでいる姿を目のあたりにすれば、そんなことをいう医者には抗議したくなります。日本の精神医療ではこうした山ほどの薬を使うことが全く自然に行われています。こうした現状も改善されなければなりませんね。

 また話は私の仕事のことへ戻りますが、私がたまたまバス協会というところで障害者担当で仕事をしており、そこに様々な障害者の方々が見えます。その中で職場の仲間が怖がるのが精神障害の当事者団体の方たちです。よだれを垂らしているとか、顔や身体の姿勢が変だとか、ろれつが回らないとか、目がうつろだとか、そういう姿に皆さん恐怖を感じてしまうのです。しかし、これは薬の副作用の症状です。

 私は職場の若い者に「安心しろよ、あれは薬の副作用で病気そのものではない」と説明しています。こうした場でも精神科の治療では薬の扱いの問題があります。兄の主治医の説明は「あれは幻聴、幻覚を取る薬で、よく薬が効いています」と答えますが、一般からそうした見方をされているのです。そのことに弟として悔しいです。兄はたしかに乱暴は消えました。しかし、かつての兄の姿はなくなってしまって、人間が変ってしまいました。薬は兄の人間性までもそぎ落としてしまったという感じです。主治医は「いい薬が出ればそういうこともなくなるけど、今は無理」と簡単に片付けてしまいますが、専門医だったらもう少し頑ばってほしいですよね。
 薬というのは単に症状を抑え込むだけのものですね。だから薬をやめると元の病気の兄に戻ってしまいます。したがって精神の場合、医療には限界があるということです。そこで残された道は福祉です。私がいう福祉は制度としての福祉だけではありません。隣近所の皆さんの支え方、お付き合いを含めたものです。朝の「おはよう」という一言、コンビニのレジ係の女性の「こんにちは」の一言で十分だと思います。そんなちょっとした人間愛みたいなものが街に溢れていたら、本人はどんなに楽だろうと思います。本人が楽になれば、それは家族も楽になります。それは、この病気を抱えた本人も家族も強い孤立感をもって生活しています。それを和らげるには、そうした周囲の暖かい一言ではないでしょうか。

 私の母は兄のご飯の食べ方をよく注意します。「もっとゆっくり食べなさい」「味噌汁を飲みなさい」と。兄は「もう食べる気がしなくなる」と私にこぼします。それというのは母親は兄が世間様に笑われないように生きてほしいという「世間並み」を考えているからです。ある意味では世間に迷惑をかけたくない、という気持ちでしょう。しかし、そう注意ばかり受けている兄は、ご飯がまずくなったり、食べる気がしなくなります。それは兄の健康面でも決していいことではないでしょう。こうした時、世間がそうした本人が少し並みからはずれた生き方をしてもそれを認めてくれるような、あるいは受けとめてくれたなら、母親も兄もずっと楽に生きられると思うのです。
 こうした時、兄弟は親とは違った立場で本人と接することができます。兄の苦言を聞いてあげることもあります。親の立場では言えない行政や福祉への要求や批判も言えます。主治医にも兄弟の立場からということで何でも言えると思います。また、本人には生活面の生きていくための知恵とでもいうようなことを伝えることもできます。
 作業所のメンバーさんに「家で何かやってますか」と聞くと、ほとんどの方が「お茶碗洗う」という答えです。しかし、お茶碗をいくらうまく洗えてもご飯は作れません。それより、味噌汁が作れるとか、卵焼きが得意だとかの方が一人で生きていく可能性が高いと思います。兄も一時食器を洗っていました。その時、「いくら食器が洗えてもメシは食えない」とこぼしていました。そんな時、兄弟は気軽に卵焼きの作り方とか味噌汁の作り方を教えることができます。後片付けも大事ですが、その前に、まず料理を作ることから教えることの方が、生活していく上で大事だと思います。
 特に私の場合、母親が病気勝ちでしたから、小さいころは兄に面倒をみてもらって育ちました。だから、今度は私が兄を面倒をみるという気持ちがあります。兄は病気から回復してきましたが、人間的な部分を削ぎ落とされてしまって、かつての兄ではなくなってしまった部分もあります。しかし、病気前の兄を一番よく知っているのは私です。今度は私だからできる兄へのアドバイスをさりげなく返していこうと思います。
 先日も猫の餌を買うのに、兄を連れていきました。すると兄は「あ、そうだ。そこにそんな店があった」「店ではこうするんだ」といって、徐々に世間になじんでいくように見えました。
 兄弟というのはこうしたさりげない行動で、本人に様々な知恵を与えることができると思います。親ではどうしても盲目的な愛情とか、責任感から却って本人を苦しめてしまうことがあります。その辺が兄弟はそうした感情的な部分が薄いですから、さりげない付き合い方、つまり「程よい距離」を保って付き合えるということができるのだろうと思います。
 家族(親)の方は全てを犠牲にしてでも本人を「幸せさせたい」と思って本人と付き合うでしょう。しかし、兄弟は自分のことが精一杯ということもあって、家族のように「全てを尽くして」まではできません。だから兄弟は「幸せになってほしい」というレベルで本人と付き合うのです。それが結果として「程よい距離」を形成しているのかもしれません。
 しかし、私のグループ「兄弟姉妹の会」の会員には兄弟でありながら、境遇として親代りとならざるを得ない人もいます。結婚をあきらめざるを得ないという人、一生本人の介護を余儀なくしている人もいます。それが本人(兄弟)の望んだことならいいのですが、親が亡くなられたとかで、兄弟しか身寄りのない患者さんを抱えた人の話を聞くと残念な気持ちでいっぱいです。そんな時、我々の活動の中で何か手が差し延べられなかったのかなと悔やまれます。我々兄弟も人並みに結婚し、人並みに子供を持ち、人並みの生活をする夢は持ち続けるべきと思います。
 きつい言い方になりますが、やはり兄弟は親とは違う付き合い方で生きていくということだと思います。ですから、そこは第三者の力、行政、地域といった社会資源を活用することだと思います。それは誰か一人だけが犠牲になってはまずいのです。本人、家族、兄弟、そして行政、福祉、地域といった全体でこの病気と闘っていくということだと思います。そして、お互いが持っている夢を捨てないで、お互いが支えあい、応援しあうことも必要です。最近はホームヘルプサービスも始まりましたし、精神保健ボランティアもおります。そうした社会資源を活用して、親や兄弟が一人苦しむことがないような状況を作っていくべきと思います。
 私たち兄弟会でも、会員と一緒にご本人も参加することがあります。話合いの中で、ご本人は気楽にしゃべっているのに兄弟である会員が困った表情を見せる場合があります。ご本人はこの場でこそ自由な発言ができるのだと思います。意外に兄弟の間では言えないこと、知らないことも、こうしたグループの中では自由になれることもあると思います。
 家族や兄弟の方も、こうした場で外部の風というのでしょうか、それに触れることも必要ではないでしょうか。世の中には傷みと暖かさを知っている人がたくさんおります。そうした人と接触をもって、人間性をもつことも大切な治療法でしょう。
薬だけでこの病気を解決していこうとする人が多い中で、ウチの親もそうでしたしが、やはり、薬だけでは無理なんだろうなということがわかりました。兄も作業所に通うようになってから、薬を中断するようなことがありましたが、それ以上にめきめき回復してきたのは作業所で仲間と話ができるようになったことです。それまでのぼんやりしていたこともなくなり、細かいことに気が付くようになりました。だから、薬の力よりも人間関係の方が余程大きな回復力をもっていると思います。これはあくまでも私の兄の場合ですが、そう思っています。
 特に兄の場合もそうですが、患者さんは医師の前では言いたいことも言えないとか、本当のことを隠してしまう傾向があります。だから、薬の選択が間違って行われる場合も少なくないのではないでしょうか。
しかし、福祉制度を利用するといっても日本はまだまだ遅れています。それでも、親や兄弟が一人で抱え込むことは間違っています。利用できそうな社会資源を探して、本人が社会と関係するような状況を早く見つけてあげることが大切だと思います。本人も家族も孤立することが最もまずいことだと言えます。この新宿家族会のように、あそこへ行けば同じ悩みをもつ人がいる、悩みを聞いてもらえる人がいる、そういう場を自分なりに持つことが必要です。

 それから、兄への想いとして、生きているだけで兄は立派だなと思うことがあります。兄が退院するとき、私は一つ決心したことがあります。それは、もう二度と病院へ入れたくないということです。それは特に兄が入院した病院がひどすぎたこともあるのです。兄に差し入れた下着類は患者だけでなく看護士までが奪ってしまう状況でした。返事が遅いと殴られました。そうした実情を家族会に報告しても「そんなはずはない、思い過ごしだ」と取り合ってもらえませんでした。ま、それは当時の家族会への恨みですが、そういうことからも、もう決して兄を再入院はさせられない、と思ったのです。
 そして、兄が退院したあと、私の兄への態度が変りました。兄が調子を狂わせても大目に許して見るようにしました。それは、数年前の兄の症状からすればずっと軽いと思うようにして感情的になるのはよそうと思いました。すると兄も変ってきて、これは薬よりもはるかにいい効果が現われました。兄は自分の病気を自分でコントロールできるようになってきました。例えば幻聴が出るとラジオのスイッチを入れて、これはラジオが言ってることだと自分で自分を説得するようになったのです。

 これは兄が自ら病気を学習したんだなと感じました。ご飯をこぼしても家族はだれも咎めるようなことは言いません。すると兄は自ら気をつけるようになったのです。そして、最近では「オレは回り道をしてしまった。だけどきっと元の道に戻る」と言ってました。だから作業所でイヤなことがあっても頑張っていくんだ、と。そして、後輩たちを励ます意味で、オレが土曜日は鍵を預かって作業所を任されているんだ、ということです。
 いまでは私はそんな兄の存在を誇らしく思います。ほんとに兄には新聞に載るような事件を起こさせないで良かったなと思うこともあります。それは家をひっくり返すほど暴れた兄だけに、余計にその思いは強く感じます。それは家族も同じです。家族も破滅に至らず、きょうまでよくまとまってきたなという想いです。
 だから、「生きているだけで立派です」という言葉が自然に出てくるんです。そして兄貴が自らの病気を学習していることも大きな喜びです。不思議なもので、そのように家族が落ち着くと周囲から手が差し延べられてくるんですね。
 兄が暴れている頃は隣近所の人は我が家の前を避けて通るような雰囲気でした。ところが、最近では「マーちゃん元気?」などと声をかけてくれんです。
 やはり、病気に限らずいかなる理由であれ、その家庭の中が殺伐としていると周囲の人たちも近寄れないないのではないでしょうか。保健婦さんも気軽に家庭訪問してくれるようになりました。かつて、兄が暴れていることは何度頼んでも来てくれなかったのにですよ。
 主治医までが、最初の頃とはうって変わって、「最近はどうですか」などと手紙まで送ってくれるようになりました。要するに、世の中ってそんなものなんだなーってつくづく感じます。家族は楽に構えること、ではないでしょうか。
 ではこの辺で私のお話は一旦終わらせていただき、この後皆さんと対話形式でお話を進めていきたいと思います。ありがとうございました。
 (拍手)

以下省略させていただきます

勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。詳細

タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。詳細

収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記

 小沼さんの講演記録で久しぶりにテープ起し作業をやった。起しながら涙を禁じえなかった。小沼さんは淡々と語っているが、その渦中にあるときの恐怖、惨めさ、哀れさ、それは体験したものしかわからない感情だろう。キーボード打ちながら、私も息子が急性期にあった頃の情景が沸沸とよみがえってきた。

 さて、個人的な感傷はその辺にして、小沼さんがバス協会で障害者対策で勤務されていることは以前から知っていた。しかし、その小沼さんが「無料パス」に批判的であったことは意外中の意外であった。だが、それは嬉しい意外であった。

 私も以前からこの無料パスには理解できない部分があり、息子にも利用を勧めていない。身体障害者や高齢者が生活範囲を広めるために交通機関を無料で利用するというは十分理解できる。しかし精神障害者がなぜ交通機関を無料で利用しなければならないのか。私の息子は百キロにもなる巨体で、最近、毎日5キロは歩くよう勧めている。そして、外出時にはなるべく交通機関など利用するな、と。

 小沼さんの言う「頭を下げてまで」ということも然りだ。精神障害者が最も悩んでいる部分は「自分は一人前ではない」という劣等感であろう。「無料パス」は劣等感増長にこそなれ、ほかにどんな利があるのだろう。