薬に頼らない精神科治療

7月家族会勉強会 講師 翠星ヒーリングセンター総長 八木剛平先生

 こんにちは。きょうはお招きいただきありがとうございました。
 さて、「薬に頼らない精神科治療」ということですが、いま精神科で使われている薬が出たのはフランスで1952年でした。日本で発売されたのが、クロルプロマジンといって、現在使われている薬の元になっているものですが、1955年・昭和30年でした。来年でちょうど50年ということになります。私が精神科の医師になったのが1963年で、その頃はクロルプロマジン換算で100mgから200mgというふうに教科書に書いてありました。それが4~50年のうちにだんだん種類と量が増えてきました。

 スライドを用意しましたのでご覧いただきたいと思います。これは抗精神病薬が何種類使われているか調べたものです。1960年から1999年までの変遷ですが、1種類しか使っていない方はどんどん減ってきています。70年代になるとゼロです。2種類使っている方のパーセントは1種類の方と反比例して増えてきています。そして、80年代になると減ってきます。逆に3種類以上使っている人の数は増えてきています。そんなわけで薬の種類が増える一方ということです。種類が増えることは悪いことではありません。名医といわれる先生はいくつかの種類を混ぜて使います。その目的はといえば、それは薬の全体の量を少なくするためです。ですから名医の処方というのは種類が多くても量が少ないのです。

 次のスライドでは量の推移を表しています。クロルプロマジン換算で70年代は200mgから300mgでしたが、一般的な傾向として20世紀の終わり頃になると、1500mgから2000mgという数字を示しています。ですから私が医師の道に入った当時から比べると、10倍以上も増えているということです。これは国立病院で調査したデータですが、私が厚生労働省の班研究で多種多量療法を見直そうと命じられたもので、そこで出されたデータです。

 日本は民間の精神病院が多く、ベッド数の85%くらいを占めています。病院でそんなに多量の薬が使われているのは民間病院が儲け主義でやっているのだ、という批判がありました。私はずっと民間病院で勤務していましたから、そんなはずはないと思って、それで国立病院に調べてもらったのです。そしたら、国立病院でもこのように多種多量の傾向は同じであったという結果で、民間病院の儲け主義というのは間違いであったということでした。

 では、この傾向はどういうことか。お医者さんに悪意があるわけでもありません。むしろ善意と熱意の表れであろうと思います。善意と熱意があればあるほど薬が増えるということではないか、ということです。患者さんが薬を要求しているわけでもありません。医師が薬に頼っているといえます。ですから「薬が中心だ」とか「薬から始まる」といってるのはお医者さんが勝手に言ってるわけです。

 では、そんな状況の中でどんな弊害が起こっているか。次のスライドで見ますと、まず副作用が増えてきています。これは世界的な傾向ですが、遅発性ジスキネジアといって口がモグモグしてしまう現象です。お年よりになると薬を止めても元に戻らない厄介なものです。それが60年代から70、80年代と増えてきています。悪性症候群もぐーっと増えてきています。こうしたことからおととし全家連も加わって世界精神医学会でこれをなんとかしなければいけない、というシンポジウムが開かれました。

 ということで、薬は使いすぎてはいけないことは理解されてきました。しかし、薬がなかったらどうなるか。先ほど言いましたが薬が出たのが50年前ですから、それではそれ以前はどうであったかを見ればわかります。大昔の精神科医療は宗教でした。このスライドは紀元前のギリシャのアスクレピオス宮殿にこのような建造物があって、ここで眠って夢をみると神のお告げで病気が治ったという、その遺跡だそうです。

 キリスト教の時代になると、てんかんは神聖病と言われて、キリストが手かざしし、悪魔払いをすると治ったということです。一神教の世界ですから悪魔と神の対立で、そこで奇跡が起きるわけです。
 それが嵩じてきて、ルネッサンスの時代・15、6世紀になると、特に女性の場合、悪魔がついたということで火あぶりとか絞首刑にして殺してしまったわけです。しかし、これは親切でやっていることなんです。ですから怖いのです。少なくても10万人、あるいは100万人とも言われていますが、この時代に処刑されたということです。

 日本では京都に大雲寺というお寺がありまして、そこで11世紀の頃、天皇陛下の娘さん・皇女ですが精神病になってお寺に預けられました。ここで静養して泉の水を飲んだりして治ったという伝説があります。
 この伝説のあと江戸時代になって、大雲寺の周りにお茶屋ができまして、全国から精神病の患者が来て静養したと言われています。事実、4つほどのお茶屋がありますが、明治時代になるとお金を出し合ってここに精神科の病院を建てることになります。それは岩倉病院といって今日も残っています。江戸時代、あちこちのお寺、神社が精神科治療を行ったという記録が残っています。このように江戸時代まではお坊さん、神主、神学者といった人たちが精神の治療に当たっていたわけです。

 ですからこうした宗教的な治療は過去の産物ではなくて、各地域に残っています。幸いなことに日本には西洋の魔女狩りのようなことはなかったですね。あれは一神教の特徴だとされて、日本は多神教ですからそれはなかったのでしょう。キツネやタヌキの憑きものなどとして見られましたが、比較的穏やかであったわけです。
 新興宗教の信者はいまでも病室でお題目を唱えたりする方がいます。私も若い頃は迷信だとか非科学的だと相手にしませんでしたが、しかしご本人にとっては意味があるのだろうと思いますし、決して軽んじてはいけないものだと最近考えています。

 それから家庭の介護が非常に大事であることです。このスライドは12世紀後半に描かれた「病の草紙」でいろいろな病気を絵にした絵巻物です。この絵は精神病の人を描いたものでしょう。枕もとに男が寝て、小法師が槍をもって攻めてくるところです。こちらにはご飯が置いてあって、奥さんでしょうか、団扇で扇いでいます。非常にのどかな情景ですけど、男の心の中が描かれています。

 法律としては8世紀にできた大宝律令のなかで「精神病の患者さんが出たら、家族が面倒をみること。みないと罰する」ということが書かれています。
 こちらのスライドはずっと飛んで昭和10年代で、九州の統計です。病気になって、九州大学の精神科に入院して退院した方の半年から10年後の状態を調べたものです。治った人が42%、良くなった人が10%、治らなかった人が25%、亡くなった方が20%とということです。これをみると現在の状況と薬がない時代とあまり変わっていないのです。また、この時代、治療という治療がなかった時代です。電気ショックもないし、入院といってもただ静養するだけです。

 そして、この時代「家庭でどのような看護が行われていたか」ですが、両親で看護しているというのが半数ですね。あとはお父さんだけ、とかありますがやはりお母さんの役割というのは非常に大きいようです。そして当時の論文で大事なことが書かれています。それは、「医者が精神病は治らないとせず、是非とも治してみせるという信念が大事である」と。いまご家族の相談で主治医から「治りません」と言われたという声を聞くこともありますが、患者さんやご家族をがっかりさせてしまう医師もけっこういるようです。戦前でもこういう論文が書かれているのですから、いまの医者は何を考えているのかと思いますよね。

 もう一つ大事なことは「当事者を母に返せ」ということです。「母こそこの信念の唯一無二の持ち主である。病院の治療室から母の懐に返してやることは、本病の治療及び予後に必要のこと」と書かれています。日本はもともと天照大神のころより母の国で、女性の国です。逆にいま家庭で高 EE(こうイーイー)ということが言われていますが、要するに情動表出が多い家庭では再発が多いとか、当事者の経過が悪くなるとされています。それは家族思いが度を越すとなります。欧米では激しい感情をぶつけます。

 アメリカ映画など見ていますと家族同士が怒鳴りあって、あとで「悪かった」といって修まるということになります。日本ではあまりそのようなことになりません。ちょっと陰湿というか「これはあなたのため」といいながらやんわり批判するんです。言われた方は反論できないので、却ってダメージが大きいかもしれません。ですから、家庭の役割、母親の役割は大きいのですが、裏目に出る場合もありますからその辺の注意が必要です。

 もう一つ、この論文で「家庭環境で何がよかったか」を論じています。そこでは自然に親しませるとかいろいろ言ってますが、一番多かったのは「放っておく」「放任」です。要するところうるさいことは何も言わない、ということです。当時は家族の数が多かったですから、のんびりしていたので、その後の回復に良かったのだろうと思います。
 一昨年でしたか「ビューティフルマインド」という映画がありましたが、原作を読みますと奥さんの言葉が最後に出てきます。それは「何が原因で博士は良くなったのだ」と訊かれて「私はご飯を食べさせ、身の回りの世話をやいて一切何も言わなかった」と述べています。これは先の論文が言っていることと同じだと思います。普通はつい言いたくなります。うるさいことを何も言わないことはけっこう大事なことなんだろうと思います。

 それからこれは江戸時代から使われていた水ですね。よく頭を冷やすといいますが、水が非常に多く使われて、古今東西水が治療に多く使われています。背景には身体の穢れとこころの穢れを一緒に流すという思想があるようです。
 それから滝です。それから温泉があります。温泉はいまでも使われているようです。有名なのは宮城県の定義温泉で、いまでも当事者の方が家族に連れられて行かれているようです。実際良くなっている人もいるそうです。

 次は現在地球上でどんなことが行われているか、を見てみましょう。現在も薬を使わずに治療している国が多くあります。これは笛や太鼓に合わせて踊っているうちに気がつくと治っているようなことのようです。(笑い)
 これは国連にある世界保健機構が2001年、統合失調症の経過の最終報告というのを出しました。1967年に始めて、先進国と開発途上国の統合失調症発症から2年後、5年後、15年後、25年後を調査しました。これで見ますと、先進国の方が結果は悪いんです。2年後に途上国で治った方が40%です。先進国の方は治った人が15%くらいです。これは5年後、15年後、25年後、どの時点で調査しても同じ結果がでています。ですから先進国には病気を悪くするファクターがあるというわけです。逆にいえば途上国には病気を良くするファクターが多くあるということだろうと思います。それは何かをいうことは難しいことですが、しかし学ぶべき点が多くあるように思います。

 こちらは日本の観光客が好んで訪れるバリ島の話です。私は爬虫類が嫌いですからあまり行きたくないところですが・・(爆笑)。バリ島のバングリに州立の精神科病院が一つあります。200床くらいだと思いますが、バリだけでなく周辺の島々の患者さんを受け持っているそうです。
 これが州立病院の外景です。町の真中にあって一般救急病院の隣に精神科の病院があります。病院の立地条件というのはその国の精神病に対する態度を表していると思います。日本は郊外に造られるのが一般的ですね。空気がいいということもありますが、町の真中にあるということは偏見がないということでもあります。

 ちょっと変わっているのは門の左側には赤い花が咲いていて、これは当事者に勇気を与えるそうで、飾りではなく心理的な療法としての意味を持っています。実際、患者さんはこの花を見て勇気が湧くそうです。我々文明国では考えられませんが、右に咲いているのが悪魔と闘う植物です。それから門を入るとお寺があります。これは精神科だけでなくほかの病院でも必ずお寺があります。こうした建物の形や位置はその病院の治療についての考え方を表しています。ですから神様のもとに治療が行われているということです。入院する場合はこの神様に挨拶して、退院するときも神様にお礼を言って出て行きます。こうしたことからバリ島の医療は宗教が元にあるということがわかります。その上に近代の医療があるということです。また、農業も医療の一つで患者さんは入院中も農業ができるように農場があります。農場には境界がなく、いつでも病院の外に出て行けます。さらに敷地の中には家族が寝泊りできる宿舎があり、患者さんと家族はしょっちゅう面会しています。

 そこで、日本の病院とこの病院との比較を行ってみました。入院期間別で見てみるとこのバリ島の病院では60%が3ヶ月未満です。東京の病院は60%が3年~10年以上です。バリには慢性の人がいないのです。退院した患者さんの日常はだいたい午前中お寺に行ってお祈りしているそうです。午後は昼寝していると。夜はテレビを見る。それでずっと過ごしているということです。誰も文句言わない。薬はほとんど飲まないそうです。

 発病後5年たってどうなったか、日本との比較を調べました。5年後の経過はほとんど変りがありません。違うのはバリの場合薬を飲んでいる人は4分の1しかいなくて、ほかは全く飲んでいません。また、入院しても非常に短いです。長くて2ヵ月くらいです。では、どうしてこれほど先進国と途上国とで差がでるか。一つは先ほど申し上げた家族のEEが先進国のほうが多いということです。

 それから偏見・差別がバリの方が少ないという調査結果です。高EEの問題はご家族が悪いとされますが、これはご家族が研究対象になりやすいからです。実際は社会全体の問題であるわけです。ですから、病院の診察室なども患者さんは緊張しますし、ハイテンションといえるでしょう。医師によっては薬について問いただすと怒り出す人もいるようですから。病院全体が高 EEですよね。狭くて、患者さんが多いし看護婦さんが忙しく歩き回っていますしね。役所にしても一般企業にしても患者さんにとっては高 EE、ハイテンションですね。いわゆる競争社会です。ほんとはそんなに悪くないのに、周囲が深刻な状況にしてしまっているのではないか、そんな感じがします。

 これは、いままで見て来たスライドから精神医療の構造を示したものですが、下から見ていくと一番古くは宗教があって、それから自然的な治療、それは家庭看護とか水、温泉などです。その次に近代的医療と言われるSST、家族教室など、その上に薬が出てきたということです。歴史的にみるとこういう順番です。今の医療というのは薬が元になって、あとは付け足しだと言われていますが、私は逆だと思います。宗教があって、自然があって、家庭看護あって、それから薬だと。

 ですからこれら全体が調和して働くと効果が期待できますし、すぐに治ってしまうような気がします。ところが近代社会は皆専門化していますね。皆バラバラにやっています。医者は薬を中心に治療を行っていますし、心理学者とかはこっち、作業療法士はこっちと、家庭は家庭でやってる。これらをうまく統合してやっていくのがこれからの課題だと思います。その点、バリ島はうまく調和してやっていると思います。先進国の日本としては学ぶべきものが多いですね。 

 では次に、こういう社会の中で薬を使わないでどういう治療ができるか実験が行われています。スイスでは70年代から研究チームを作って薬は使わないを原則にして、入院もさせない。そのかわりスタッフをたくさん使って家族みたいにして、共同生活をしています。2年間の経過をみてみますと、薬を使った治療と比べて同等か少しいいという結果ですね。
 アメリカでも同じ様な実験が行われていて、2年間の再発率をみてみると薬を飲まなくても同じような結果が得られると発表しています。ただし、これには非常に手間がかかります。スタッフもたくさん必要です。ですから、なぜ薬がもてはやされるかと言えば、要するに手っ取り早く効率がいいということです。それからお金になるということです。製薬会社が儲かります。外国ではものすごいお金を使って宣伝をしたり、学者を使って薬がいかに有効かを言わせるわけです。日本でも最近外資系の製薬会社がバックアップして宣伝するようになりました。

 とにかく薬には功罪がありますから、ほどほどにうまく使えば効果があります。それにはいままで述べたようなことを頭に入れて、薬の効きやすい状況を作って使えばよろしいと思います。私の患者さんで薬を使わないで治療を進めている方がおりますのでご紹介しましょう。  

 一人の方は若いとき発病して、山の様に薬を飲んだようです。一時幻聴が激しく入院治療もしましたが、薬を飲むと元気がなくなるので4年前から薬を止めています。1ヵ月に1回の通院治療ですが、家にいると盗聴されているという訴えをもってます。電話で30分、1時間も私に訴えます。時には私も疑われます。診察室で私に喋ったことが会社に伝わっているから私がもらしてしるのだろうといって怒るのです。しかし、本人は自覚しています。ですから少し薬を飲めばもっと楽になると思うのですが、飲むと元気がなくなるんで、飲まずに会社の悪口を言ってる方が彼らしいんですよ。

 もう一人の方も若いとき発病していま40代後半です。治療はずいぶん遅れて10年前から始めました。当初はデポ剤で治療していました。やはり薬を使うと活力がなくなるというので薬をやめて2ヵ月に1回、私のところへ通っています。普段は家庭にいて勉強しています。具合が悪くなるとお父さんに暴言や暴力を振るうことがあるそうですが、お父さんは息子さんにこれ以上悪くならず勉強をしていてくれればいいとして、満足しています。要求水準を低くすれば、これでもいいわけですね。

 また、こちらの方は1年に3回くらいしか来ません。薬は1ヶ月分しかもっていきません。ですからたまに飲むということだと思います。こういうのもいいですね。自分の調子に合わせて悪くなってきたなと思ったら自分で飲む。薬というのは使わずに済めば使わないのに越したことはありませんが、どうしても使わざるを得ない場合はいま例としてあげたこの方のように、自分に合った飲み方を見つけて使うのが理想です。

 薬は結局ご本人が必要な時に必要な種類と量を飲むようにすることが理想であることです。ちょうどご飯と同じようにお腹がすいたら食べて、その時に応じたものを選んで食べていると思いますが、それと同じように薬も飲めばよろしいわけです。   

 当事者も治そうと思って努力していることを周囲の方は認めるべきだと思います。ほかの病気では当たり前のことですが、統合失調症の場合はなぜかこのことがずっと無視されていたと思います。それは全家連が出した「100人の体験」という本を読んで気がついたことですが、例えば死のうと思って木に縄をかけてぶら下がったら木が折れて死ねなかったのと、その痛いというショックで幻聴が消えてしまったという話がありました。(笑い)ほかにも誕生日に殺されると思っていたのに殺されなかったので自分の病気に気がついたとか、という話もあります。

 そして差別・偏見の問題はストレスの最大の原因となります。病名が「分裂病」から「統合失調症」に変わったのはその意味ではいいことだったと思います。これは世界的にも例がないことでその主体的な活動を起こした全家連パワーはすごいと思いました。当初は単なる読み替えだなと思っていましたが、帝京大学の内海先生が「この病名変更は病気が変わったことだ」と言ってます。単に読み替えただけと思っている医師は失格だとしています。ただし心配されるのは安易に「統合失調症」と決め付ける医師が増えてきている傾向があります。そして薬を乱用して、副作用も増えているということです。精神病でも治りやすいタイプがあって、それは統合失調症とはいわないのです。

 九州で活躍されている神田橋先生は、病気が治るのは自然治癒力の働きであるという理論を打ち立てています。医者がやっている治療は自然治癒力が働きやすい準備をしているだけである。自然治癒力を高める養生が大切であるとしています。養生は日常生活に注意して健康の維持、病気の回復に努めることと辞書には書いてあります。薬も養生を助けるためのもので、基本は養生であるという考えです。それから病気の見方、症状の意味についても次のように述べています。

 「病気とは『いのち』が馴染めないものや、状況を排除し本来の己のあり様を復活しようと奮闘している姿である」。また症状については「症状はすべて、いのちがよくない状態になっていることを教える働きと、回復しようとする自然治癒力の働きとをどこかに含んでいる」ということです。いま薬で症状を取ろうという治療が多いわけですが、そのことが薬の種類や量を増やす原因になっています。症状というのは風邪のときに熱が出ますが、熱に自然治癒力が含まれているということです。極端に高熱の場合は別ですが、これを無理に解熱剤で下げてしまうと自然治癒力まで台無しにしてしまう危険があります。

 逆に神田橋先生は症状を利用した養生ということを言ってます。苦しいときは思う存分のた打ち回れ、死にたい気持もそれは自然治癒力で、「ちょっと死んでみる養生」があるといいます。ただしヨガの先生に聞きましたら死体のポーズというのがあって難しいそうです。訓練みたいなのがあるそうですな。(笑い)

 最後に統合失調症の薬というのはドーパミン神経に働くわけです。かつては統合失調症というのはドーパミンの活動し過ぎだといわれてきました。それを薬で抑えるということでした。これは証明されないで終わってしまいました。私はもともとドーパミンというのは統合失調症を回復させる神経だと言ってきました。薬はその神経の働きを助ける役目を持っているのだという意見でした。では、ドーパミン神経を助けるのは薬だけかといえばそうではなくて、やはり養生が大事です。ドーパミンはおいしいものを食べたり、誉められたり、面白い刺激があると活発になります。ですからこうしたことは日常生活の中で念頭におかれてやっていかれたらよろしいのではないかと思います。だいぶ時間がオーバーしてしまいました。この辺で私の話は終わります。(拍手)

(質疑応答は省略させていただきました)

フレンズ・当事者の講演記録CDシリーズ 

 新宿フレンズへのお誘い 
 新宿フレンズでは毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは学集会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。

会費 3,000円(6ヶ月) また、学習会が終わったあと、有志の方は近くのお店で交流を深め、語り合いの場を設けています。誰でも、何時からでも入会できます。事務局 電話03-3987-9788まで

編集後記

  残暑の中でも風がさわやかになり、こころなしホッとする。暑くて長い夏であった。とりわけ、アテネオリンピックでは連日メダル獲得が発表され、いやがうえにも観戦する手に汗を握った。並み居る世界の強豪選手の中で、大量のメダル獲得する日本人選手を見てその力のすごさに改めて賞賛の拍手を贈った。と同時に、そうした世界で活躍する選手によって、私もおおいに勇気付けられ、日本人であることに誇りさえ覚えた。国内外で様々な暗い事件や戦争が起こっていた今年の夏に、アテネオリンピックは何よりの清涼剤であったといえるかもしれない。

 八木先生の講演会では区立障害者福祉センター多目的ホールに100名を超す参加者となり、当会始まって以来の賑わいとなった。決して広くない会場はクーラーも追いつかないほど熱気に包まれた。

 私たちは精神の治療においては「薬」をまさに金科玉条に考えてきたような気がする。それは医師や先輩の指導なり経験談の多くがそのように語られてきたからであろう。しかし、それが今回の八木先生のお話は薬もOne of them、つまり、治療の一方法であるというお話であった。

 そして、薬以外の治療法の効果の大きさが指摘された。バリ島での薬なしの治療法の紹介があったが、花を見ることで患者は勇気付けられ、回復に向かうという。宗教、自然、家庭、学習、そして薬。こうした治療が可能となるバリ島の風土とはいかなるものか。一度行ってみたいものだ。