家族・当事者座談会 ~たくさんの願いを込めて~

新宿区後援・8月新宿フレンズ拡大家族交流会記録
座談会出席者 新宿フレンズ 交流会参加者

今月はフレンズ紙と同様の記載です

 新宿フレンズ恒例の8月座談会は、出席者30人弱が3グループに分かれて話し合い、その後、各自が全体に発表しました。そのお話の順序を変えてテーマ別にし、発言者のプライバシー等に配慮し、内容に多少の編集を加えてあります。
 家族や当事者としての苦しみを抱え、よく頑張って来られたと思います。家族会で同じ仲間として、心置きなく悩みや悲しみ、その中での工夫や希望を語って、共にその体験を学び、共に歩み出す力にしていきましょう。

【病気と薬】
A(父親):30代の娘は、20代はじめに就職しましたが、半年で退職、その後は勤めても、「疲れる」と言い、長くて1年余りしか続きませんでした。親に反抗し始めて、暴力的になり母親に椅子を投げたりしました。妄想・幻聴は無かったので、心療内科ではうつ病と診断されて抗うつ薬を飲みましたが、改善されませんでした。
自立したいと言い出して1人暮らしを始めましたが、過呼吸を起こして転院先の病院では統合失調症との診断でしたが、本人は「病気ではない」と言っています。その後、自分で「入院したい」と言い出して任意入院、また過呼吸を起こして入院し、今ようやく落ち着いてきたところです。
今は回復期と思われるが、どう回復していくのか。不調のときの過去を引きずっていて「治らないんだ」と後ろ向きのときに、いかに励ましていったらいいかと考えています。

B(母親):息子は大学を休学中です。子供時代に海外勤務で各地を転々としたのですが、息子はどこでもうまく適応して困る事はなく、まさかこんな病気になると思いませんでした。しかし帰国子女の親のエッセイに「過剰適応の内部崩壊」という言葉を見出して、「これだ!」と衝撃を受けました。
初めての入院は1か月経たずに退院、学校にも行けて学生生活を楽しんでいましたが、昨秋、学園祭を任されたのがストレスになり、半年近く入院中です。今は薬をしっかり飲んで病識を持てれば…と願っています。減薬につれて話もいろいろできるようになりました。
私は息子が高校時代に前駆症状があったときに、病気を受け入れられなかったのです。その時、薬を飲んでいたら…と、悔しい思いがあります。

C(娘・当事者):私は母親が病気で家族の立場でした。母はもともとうつ病で、それが非定型精神病に変り、認知症と統合失調症の混じった感じの症状でした。母の介護中に父が亡くなり、私は1人っ子のため保護者になりました。それで自分の具合が悪くなって幻聴が出ても、「私が病院にかかると、誰が母をみるのか?」と、医者に行くのを我慢していました。
D(父親・役員):Cさんから幻聴の話を伺い、そんなタイプもあるのだと知りました。是非それを話してください。
C:私はだんだん妄想が強くなり、恐い思いの中で幻聴が始まりました。幻聴の分類では機能性幻聴というパターンだそうで、物音に被さって言葉が聞こえる、あるいは音楽が聞こえる。例えばこのエアコンの音も、「空耳」というか、遠くで音楽が鳴っているように、聞こえるか聞こえないか程度の音が被さって聞こえます。そしてうつがひどくなり、通院し始めて、統合失調症が自分の症状に似ていると思って、その薬を出してもらいました。

E(母親):30代前半の息子は統合失調型人格障害です。この会でも他にはお1人ぐらいであまりおられません。私もはじめて「スキゾタイパル・パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder)ですね」と医師から聞いて「え?何それ」と思いました。
息子は20歳のときに「変だな」と自ら心療内科に行きましたが、2回で終わりました。仕事を辞めて引きこもり、アルバイトは1年ぐらい勤まっていました。正社員の話があって入社しましたが、うつ病のようになり、双極性障害かとも思われました。その後4時間のアルバイトをオープンで行っていますが、今はあまりよくありません。今日も早朝から遊びに行っています。

F(母親)本人が現状に前向きになりません。幻聴はありません。最大の問題は、休学中なのに、復学やバイトには向き合わず避けていることです。医師は「もう23歳で社会活動不参加が病気だから、薬を増やす事を考えている」と言いますが、薬で改善するか疑問です。本人は「どうにかしたい」という切迫感は全く無く、図書館、映画、イヴェントなどの遊びには行きます。薬を増やした方がいいのかどうか迷っています。
【新宿フレンズとの関係】
G(母親):息子は高校の時に不登校になり、「死にたい」と言い始め、自分で病院を探して、1人で行ったのですが、2回で通院を止め、薬も飲んでいません。「自力で治す」とも言いました。息子から聞いたところでは、医者は双極性障害だといったようで、妄想はないらしく、幻聴は1度だけ出たといっていたことがあります。不登校になってから昼夜が逆転し、それでも何とか卒業はできました。浪人中で、この春から1人暮らしをしています。自立とは言えず、アルバイトは2,3日で辞めてしまいますが、親掛かりでもいいと思っています。
主人は単なる挫折だと思っているらしく、私は病気かどうかわからないが、息子は2度、自分で医者に行っていることを思うと、挫折だけなのか疑問です。私は大豆がいいときけば食事に大豆を入れ、漢方がいいと聞けば息子に飲ませたのですが、「こんなものを飲むのは死ぬほど辛い」と言われ、どうしていいか分かりません。
夫婦の考えが違って、どうするか、止まってしまっています。主人も一緒に何かしてほしいと思います。新宿フレンズへ来るのも、大きな壁があってとても辛いのです。

H(母親・役員):私の主人もフレンズには最初の1回のみでした。その他の引きこもりの会なども、どれも1回きりでした。でも私は、却ってやりやすかったですね。夫婦は協力してできればいいですが、たとえ夫でも、人を変えるって難しいです。母親のほうが、子に対して大変手間のかかることをするのに適任かもしれません。それで、私の場合、息子の病気に関しては、すべて私がやって来ました。
ご主人が協力的でなかったら、ご自身が勉強して強くなってください。ご家族も当事者の方も新宿フレンズで触れあい、互いに情報発信して学ぶことで、心が元気になって帰れる、それを繰り返しているうち、もっと元気になってゆきます。

I(父親):昨年5月に、息子が統合失調症で入院、1年後の今年に再入院で、暗中模索状態です。皆さんの話を聴いて、一生懸命していくしか未来が無いと思って、今日は学びに来ました。

J(父親):新宿フレンズのホームページで、去年6月の幻聴の講演を読んでよかったので、娘と参加しました。娘はいま、幻聴で集中が出来ません。この病気は100人が100人違うので、ある人に合う治療でも他の人に合わないのですが、幻聴は経験者しか分からないので、経験した人の話を聞きたいです。幻聴が起きたときの対象法と専門の先生を探しています。

J(女性当事者):小さいときから社会が怖かったのです。人よりも不器用で社会に出たら、人と同じ事をしないといけないという恐れがありました。大学に入り、勉強とバイトを両立できなくて、バイトは2,3日で「他人に迷惑がかかる」と思ってしまい、ストレスをかかえて辞めることを繰り返しました。働くのに集中しようと決心して保育園のパート補助を半年しましたが、母ががんになって辞めました。
幻聴は雑音か、誰かが話しかけてくる感じで、ひどくなると勉強も何もやれなくなります。生活リズムが作れず、後先を考えられず、物事を整理できず、がんばれません。「楽しい」と思う気持ちを失くした感じがします。自分と同じ様な人と会えて、気持ちを語り合えたらいいなと思います。私は病気と生きてゆく覚悟は出来ているのですが、父に頼っている事も多く、もっと気持ちを強く持たねばと思っています。

K(母親・役員):Jさんは回復途上ですから、アルバイトも勉強もあまり焦らず、楽しそうな趣味から、ゆっくりなさってみたらどうでしょう。
私は今こんなケロッとした顔をしていますが、ここに最初に来たとき、最初から最後まで泣いていました。会の後、フレンズの人が、私の肩を抱いて「みんな同じよ。辛い思いをしているの」と言ってくれました。
 それまで「育て方が悪かったのか、私が忙しすぎたから、悪い母親だったのか…」と自分を責めていましたが、「フレンズには、こんなに沢山の一生懸命考えているお母さんが一杯いて、その親が全員、悪いわけが無い」と思い、「私だって一生懸命考えているんだから、悪い親ではない」と考えることにしました。「クヨクヨと後ろを考える暇があったら、今できる一番いいことをしよう」と思ったとき、「とにかくフレンズで勉強しよう、薦められた本は信用して買って読もう、フレンズの講師の先生の治療はどんなだろう」とか、この会を信用して、できることをやろうと思いました。
わが家もインターネットで新宿フレンズを見つけたのは夫なのに、最初来ないで、その後も2回しか来ませんでした。夫婦で気持ちが揃えばいいけれど、自分だけでも、ちゃんと学ぼうと思って、フレンズで病気や薬について知り、親の対応を学ぶとかして、時間はかかりましたが、息子は寛解する事が出来ました。

L(母親):娘は高校生の時に、統合失調症を発症しました。10年以上の間、薬を飲み、通院していましたが、何か気に入らない事があったか、通院しないといい出しました。それから2、3ヵ所、嫌だと言っては通院先を変えましたが、2年前に入院施設のある病院に変って、15年目にして初めて3か月入院しました。
娘は薬さえ飲めば、1人でも生活できますが、「友達が欲しい」と申します。デイケアなどで友人が出来たほうがいいと思うのですが、「デイケアには行かない」と言っています。
失敗談ですが、親心で治してあげたい一心で、自然療法・サプリメントのクリニックに行きましたが、このとき抗精神病薬を止めるのは絶対良くないと分かりました。そんな愚かなことをしましたが、コンボのリカバリー・フォーラムで新宿フレンズを知り、初めて家族会の存在を知って参加するようになりました。

D(父親・役員):薬を止めたときに、ダメだと気づいたのはどんなときですか?

L:幻覚妄想が出てきてしまったのです。私は「飲まないときは、分からないようにでもして飲ませたほうが良い」という最初の医師のアドバイスを今でも実行しています。

M(父親・役員):娘は15年前、人格障害を発症しました。8年前にはオーバードウズ(大量服薬)で入院しました。その入院先の先生に、この新宿フレンズを紹介されて通うようになりました。

K(母親・役員):新宿フレンズ講演録2010年7月の「統合失調症と似た病気・パーソナリティ障害など」は、M役員の紹介の先生によるものです。皆さんも「こんな先生の話を聴きたい」、「皆にこの話を聞いてもらいたい」と思う医療や福祉関係の方がいらしたら、ぜひご紹介ください。
【減薬や生活・対応の工夫】
N(母親):娘は大学に2週間行っただけで不登校になり、向精神薬のお世話になりました。大学を卒業して勤めて3か月で発症、薬は増えました。それから10数年間、ようやくジプレキサが10?から7.5?になり、減薬できました。
辛いときは親も子も辛い、歳月がたってやっとここまで来たかという感じです。いま、
娘は就労移行事業所に週4回通っています。本人から主治医に「朝、寝覚めが悪く、ふらふらする」と言ったら減薬になりました。母親が何年も前から減薬を頼んでいても駄目でしたが、本人から体の調子を言うことが一番良いようです。

O(母親):30歳前の子どもは、統合失調症で4年近く入院。昨年退院してほぼ1年です。減薬をお願いして、ようやく抗精神病薬のリスパダールと副作用止めのお薬のみになりました。
今は家の中だけの暮らしですが、機嫌よく、自分の部屋を掃除して気持ちよく生活しています。外に出られたらと思いますが、焦りすぎて変になっても困ると思い、訪問介護の男性看護士に週1回、保健所員に月1回訪問していただいています。薬は飲まなければ駄目だと思い、栄養、運動も大事です。秋からの外出を期待したいと負っています。

P(父親):子どもは10代半ばで発症し、ようやく大学を卒業しましたが就職できず、アルバイトも1,2日しかできませんでした。1か月半入院し、退院して約半年になりますが、薬を飲まずに隠していた事が分かりました。妄想が消える事はありませんが、妄想は深刻に受け取らないようにして、さらりと流すと、本人にはそれがいいようです。
入院していた病院に通院するのがストレスのようで、もとの主治医のところに戻そうかと考えたりしていますが、入院するまではほとんど病院に行っていなくて、親が薬を貰いに行っていましたので、転院は迷っています。

Q(男性当事者):私は18歳で在学中に統合失調症を発症しました。今は障害者施策協議会委員で食生活アドヴァイザーです。病気は、医者と言うより薬が直すのです。でも薬は原因療法でなく対症療法で、病気を押さえつけるだけですから、栄養・休養・運動が健康の3つの基本です。この3つの基本で寛解しました。

【就労・復学・自立への歩み】
T(母親):大学を卒業して就職活動中の息子は、耳が聞こえません。耳が悪いと音でなく気配を察知するのでしょうか、夜必ず起きるので、子どもが小さい頃、親の私は、一度も朝まで眠り通した事がありません。補聴器をつけたら夜中に起きることなく眠れるようになりました。その後手術をしましたが、息子はなぜか障害者枠を使おうとせず、各種の支援を受けずにきました。
「自分はサイコパス(Psychopath精神異常者)ではないか」と言い出して、カウンセリングを2年うけて、そこで紹介されたクリニックへ3年通院し、今年3か月入院しました。この病院で退院時に薬を飲むことと、デイケアに行くことを約束させられて、これを守っています。2泊3日の旅行も2回しました。
私が今考えていることは、息子を管理しすぎていないか、障害者もまた自立してゆかねばならないが、子を見守らねばならないと思い過ぎると、親離れ、子離れの弊害にならないかということです。

U(母親):大学生の息子は休学中です。大学では文科系のサークルに入ったのですが、人間関係が複雑で発症したのかもしれません。テストは「何か頭がもわもわして書けなかった」そうで、全部白紙でした。プライドが高く、「芸術家になる」と言い出して、父親に「もっと堅実な考えを持て」と諌められました。
それからドクターショッピングし、ようやくいい先生が見つかったのですが、3回目から診療時間が短くなってしまいました。家でゴロゴロ寝ていることがあっても、高森先生のお話を思い出して、否定的なことは言わないようにしています。
いま飲食店のアルバイトを週2回行っていて、研修が良かったのか、マニュアル化した仕事なので続いているようです。復学ができるかどうかがハードルだと思います。

S(女性当事者):最近、死にたいと思わなくなりました。以前は辛い事があると死ぬことで物事を解決できると思っていて、一人暮らしで何度も自殺未遂をしました。しなくなったわけのひとつに、死のうとしても、胃洗浄をして苦しいのに簡単に死ねない、「どうも割に合わない」と思い出したのですね。
またカウンセラーに「死なないと約束してください。約束を守ろうとするから死にません。」と言われ約束したら、騙されたのか、約束したからか、しなくなった。今は「何かに直面したときは、解決策を見つける」という大人の対応ができるようになりました。

W(男性当事者):私も海に入り、あの世行きをしようとしましたが思い止めました。すると医師が「生きるのに未練があったね」と言い、母は「何ていい事をいってくれる」と言ったのです。私は「もとはと言えば、親が悪いんだろう」と言ってもらいたかったが、親にそんなことを言ってもしょうがないですね。
大学を出て役所に勤めていた時に具合が悪くなって、休職して2か月半で戻ったのですが、何かと理由をつけられて結局、退職に追い込まれました。「レールから引き摺り下ろされて、地獄をこれから這うのか」という思いがあったんです。
薬は、たしかに対症療法だが、ないよりマシです。入退院を繰り返さないようにきちんと飲んでいます。今の主治医はいい。カルテ開示を頼んだらしてくれたので、こういうように診断されていたんだなとわかりました。
学習塾の仕事もしたのですが、夜型の仕事は良くない。ここ数年、派遣で働き、今年一杯は確保できたことが、ありがたいなという気持ちです。今の仕事は朝方に近づいています。

V:当事者同士の夫婦です。これから地に足をつけて生活したいと思っています。

R(女性当事者):20代の頃、身体的な病気から精神の病気へ移り、精神科に20年助けられて、ようやく自らの生に対し自分で方向性を決められるようになってきました。主治医は病気ではないと言っています。
子供から大人になるには時間がかかります。苦しみの許容範囲を越えたからこそ病気になったので、薬は苦しいときには絶対飲んでほしいと思っています。焦らず、薬の力を借りつつ疲れたときは良く休むことで、やがて、社会とつながる事が出来る。精神的に大人になると、壁を乗り越える事が出来る。時間はかかるが一歩一歩生きてほしい。

X(母親・役員):娘は大学生です。7歳からひどい強迫性障害で日常生活が遅れませんでした。小児統合失調症と診断されて、山盛りの薬を飲んで寝たきりとなり、小中学校も行けませんでした。アスペルガー症候群と病名が変わって、減薬してから、だんだん動けるようになって来ました。行く医者によって診断名も違うのが今の状態です。
小中学校とも通信簿は1すらつかず、全部斜線です。そんな子に高校に行けなど言えないと思っていたところ、不登校の子の都立チャレンジスクールが7校あると聞きました。東京にいてラッキーだったと思います。突然、そこに本人が「行ってみたい」と言い出して、作文・面接のテストで入って、楽しくなり、4年かかってもよいところを無休で3年で卒業、大学受験もして大学生となりました。
ところがやはり、倒れるまでがんばる完璧主義がある。「全部Aをとりたい」と、くたくたになってやる、「就職活動もしなければ」と疲れ果てる、倒れて、自分から入院しました。それでも「秘書検定のテストのある日までに退院させてくれ」といって、ついに暴力・暴食で、体重が1か月に10?増えました。
しかし昨日、よく考えたらしく「自分は就職活動をやめることにした。知人のショップで働くことに決めた」と。すると楽になったらしく、暴力・暴食もなくなりました。自分で決めないとダメで、これで落ち着くと思います。こうしたことが何かのきっかけで起きる、これを繰り返していくのだろうと思います。
私自身も発達障害があるのですが、いま就労継続支援B型「ゆあフレンズNecco」を運営しています。皆さんも、今は大変でも元気になるときが来ると思うので、皆でがんばっていくしかないと思います。家族会の良いところは、私は一生付き合っていける仲間と思って、仲間が沢山いて、Neccoの仕事を50歳から始めて、生きがいが出来て楽しくやっています。Neccoは高田馬場にあるので、気楽に遊びに来てください。
                                         ~了~
◆ゆあフレンズ
 新宿フレンズのフレンズを使って協力関係を持った就労継続支援B型作業所 発達・精神サポートネットワーク ゆあフレンズです。特に資金面等での関連性はありませんが、夜の家族会のお茶の世話や会場取りなどでは新宿フレンズが大いに世話になっています。
 新宿フレンズのパンフレットには「平成23年度より精神障害の一つとして認められた発達障害について、「新宿フレンズ」は「ゆあフレンズ」を応援しています。ゆあフレンズは発達障害者を中心とした作業所で、喫茶店・ネッコをはじめ、PC訓練など数多くの作業を行っています。」と述べられています。
ゆあフレンズ Tel 03-6233-7522
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平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 「コントロールされています」とは阿部首相がオリンピックプレゼンで福島原発について語った言葉である。ニュース番組では、続いて福島の1日300tの汚染水の液漏れを説明している。嬉しいニュースの陰で日本は大丈夫かと疑念を抱かざるを得ない。

 今年も拡大家族交流会が暑い八月の第二土曜日に持たれた。テープ起こしから皆さんの声を読んでいると、その症状なり対処の仕方は十人十色という表現がぴったりの様子がよくわかる。

 家族の悩みや苦労を聞いていると、9年前にもなるが篠田重孝遺稿集を皆さんで読んだ拡大家族交流会のことが思い起こされる。残念ながら篠田医師は亡くなってしまったが、書いてあることは全くと言って色あせていない。

 お母さんが「心配で、心配で」と新宿フレンズの講師の先生にすがるように質問する。篠田氏の文章では「深刻になればなるほど治りにくい」ときっぱり言い切っている。そして、その母親が家族会から一歩離れた途端に家に病人がいることなどオクビにも出さない。身体、知的の障害者団体では家族会に入って3年経ち、5年経ちすると家族はどんどん明るくなっていく。しかし、精神障害は逆であるという。

 こうも言っている。二回の再発は許される。しかし、三回以上の再発は医師をはじめ、家族、当事者の手抜かりがあったものであると。特に日本の精神科医療の医師不足を挙げている。また家族が精神科医療への暗いイメージと回復に向かう喜びを忘れてしまっていると。

 氏の没後23年。今でもインターネットから氏の情報が読める。新宿フレンズにも1冊蔵書としておいてある。まだの人はぜひ読まれることをお勧めしたい。