「不安」について考える

12月家族会勉強会  講師 慶應義塾大学医学部精神神経科 水野雅文先生

 きょうは不安についてのお話です。不安というのは、こころの病の中では、身体の病気でいうところの「痛み」と比較されたり喩えられたりすることがあります。それほど、どんな病気でも、あるいはどんな人にでもあり得るものです。一般的には体のどこかが痛いからといって、いちいち病院にいくものではありません。しかしちょっとでも痛いと病気と疑ったり、少しの痛みでも「いやだな」という方がいますね。ですから、不安についてもなかなか人それぞれ、受け止め方、対処の仕方には違いがあると思います。

 そういうわけで、不安というのは非常に一般的なテーマです。一方、統合失調症ゆえの不安ということもありますが、大事なことは統合失調症の方が不安になったからといって、それが全て統合失調症の原因や増悪とか、統合失調症の症状として不安を感じているという問題ではありません。不安は誰にでもある心の動きが、むしろ、統合失調症が重くなって、心の動きが硬くなってしまったときには「不安である」とはおっしゃらないようです。もちろん内面的には感じていらっしゃるのかも知れませんが、そこは直接聞いてもあまり語ってくれません。不安というのはある種、心の健康な動きとして見ることも大事なことと思います。

 おそらく、皆さんの中に歯がいたくなったことがない、という方がいないように、不安を感じたことがない、という方もいないと思います。そこで、きょうは皆さんとのお話し合いの中で不安というものについて考えてみたいと思います。皆さんにお聞きしますが、どんなときに不安を感じますか?

参加者から

1、精神障害者の事件や事故のニュースを聞いたとき。

2、本人の病状や将来のことを考えるとき。

3、相手に問題投げかけたとき、思い通りの答えが返ってこないとき。

4、一人で部屋にいるとき。

5、安心を得たいと思っているとき。

6、いままで知らなかった、未知のことに出会ったとき。

7、自分の判断が間違っていたかという疑問が起こったとき。

8、原因のわからない病気の症状が出たとき。

9、対人関係の場で不安を感じます。

10、他人から拘束されていると感じるとき。

 はい、ありがとうございます。ここにたくさん不安を感じる時を示していただきました。拝見してみますと、実にどれも私たちの身の回りで起こりうることですね。しかも、これらは統合失調症の方に限らず、誰もが感じる不安です。つまり、不安というのは一般的な状況の中で、いくらでも起こってくることで、必ずしもこころの問題のトラブルに巻き込まれなくても起こりうる問題です。特に、自分がぜんぜん知らないできごと、未知の出来事に出会ったときに起こってくるようですね。それは身体的にも物理的にも、あるいは空間的にもです。

 私たちが臨床場面で伺ったりとか、論文で知る上では、統合失調症が始まるときというのは大変強くて、不気味な不安が起こるということはいわれています。いままでに体験したことのない未曾有のできごとが差し迫っているような事態を感じて不安感を抱くとされています。

 ある論文を読んで知ったのですが、阪神大震災に遭った統合失調症の患者さんに、地震に遭ったときと最初に病気が発症したときに感じた不安感ではどちらが恐怖を感じましたか、と質問したところ、それは後者、つまり病気が発症したとき、と答えたそうです。ですから、発病のときに体験する恐怖感というのは、それはある種大変な恐怖だろうということが想像できますね。

 しかし、この不安というものは黙っていると相手にはわかりません。でも私たちは相手が不安なのかな、と感じたりとか察したりとかします。それから自分の家族が不安な状況にいるときには、いろんな様子を見て不安を察したりします。自分があの子と同じ状況だったらさぞ不安に感じるだろうと想像すると、これはだいたい想像がつきます。中には想像だけでは見えてこない不安の様子というのもありますが、だいたい様子を見ていると不安なんだろうということが見えてくると思います。そこで皆さんにもう一度お聞きします。家族の方がどんなとき不安を感じているのだろうと想像しますか?

参加者から

1、身体の動きが速いとき。

2、目の動きで判ります。

3、表情がなくなる。(無表情になる)

4、しゃべらなくなる。

5、よく(余計なことまで)しゃべるようになる。

6、縮こまってしまう。

7、部屋の隅に居たがる。

8、閉じこる。

9、立ったり座ったりする。

10、会話の内容が定まらない。

 大体出そろったでしょうか。「なるほど」というものばかりですが、また、よく見ると、必ずしも不安のときばかりの行動というわけではありませんね。例えば立ったり座ったりとかしゃべらなくなる、というのは怒っているとか、イライラしているとかそんなときにも同じような態度となります。ですから、不安は様々なことと重なって表れます。不安以外のほかの心の動きと一緒に出てくるわけですね。しかし、これを見ている限り、これもやはり心の病になっていてもいなくても、誰しもこれを見つけたら、この人は不安なんだろうと察することができる、つまり「不安のサイン」だなとわかります。これは皆さん共通のことだと思います。

 いま、皆さんにいろいろなご意見を出していただいて、これまで自分が気づいていない不安のサインもあることにお気づきになったこと思います。不安という感情がとても一般的で、必ずしも病気のサインと限らないけれど、しかし厄介なもので、どうにかしたいものであることをご理解いただけたのではないかと思います。そして、誰かに気づいてもらうと、とても安心するということがあると思います。さらにそのサインの表れ方には多様なものがあるということがお分かりいただけたと思います。皆さんもこれからご家族の不安のサインについて、不安のときの癖とかを熟知しておくことは重要なことだといえます。

 それでは、不安の対処についてお話ししたいと思います。皆さんが患者さんに対して「不安ですか?」「不安なのね」というように早めに状況を汲み取って声をかけられると、ご本人はとても安心すると思います。ですから、不安の原因について相談ができたりとか、あるいはそれに対して具体的な解決策が出てくるとか、それで全てが解決しなくても、不安を共感してくれる人がいるということでご本人は心強いと思うに違いありません。

 こころの問題の解決策として、俗に“カウンセリング”と呼ばれている方法がありますが、カウンセリングの基本は「共感」だといわれています。カウンセリングというのは、その方のいろんな心の動きですとかを「そういう気持ちになる(不安をもつ)のも無理ないね」という意味で治療してあげるとか、「自分もそういう場面になったら同じような気持ちになるだろう」と共感してあげるということです。そうしたことで相手(当事者)の感情を鎮める方法を上手に示してあげる。これがカウンセリングの第1歩です。不安のサインの出し方は人それぞれによって異なります。どうして欲しい、ということも違っています。その辺を皆さんがコツを掴んで対応していっていただきたいと思います。

 もちろん、不安の対処方法としてお薬での対処するということもあります。それは「抗不安薬」という読んで字の通りのものです。不安に対抗するお薬ですね。これは大勢の前でお話をするときドキドキするとか、緊張するとか、あるいは演奏会のとき手が震えてしまうとか、このように様々な場合に使うお薬です。若干筋肉が緩んだりしてリラクゼーション効果があります。ですからあまりたくさん飲むと、安心感が増して眠くなってしまうことがあります。それは副作用というよりは、利点をうまく活用した使い方ということになります。

 いろいろなお薬がありますが、不安という体験そのものが誰にでも起こってくるということは先ほど申し上げた通りですが、そういう意味ではこの抗不安薬も誰が飲んでも同じような効果が得られます。ただ不安というのは先ほど分析しましたように、ある特定の状況とか、苦手の場面とか、そういったことがはっきりとあることが多いですから、そういう意味では毎日きちんと飲まなくても、不安というのは波がありますよね。ですから、そういう波が来そうなときにちょっと早めに飲むとか、あるいは明らかに緊張しそうなときにあらかじめ飲んでおくなどすれば、お薬の総量を減らすことができます。そういう使い方が望ましいだろうと思います。

 ただ、不安にはいろんな不安があって、以前にあった場面、つまり具合が悪くなった場面と同じような心境とか状況になったときに、バッと不安がこみ上げてきます。これは私たちがよく患者さんから伺うことです。このときに、「抗精神病薬」のほうを増やす先生と「抗不安薬」で治療する先生と大体二分されます。これの区別は難しいことで、もともとの病気がとても悪くて、不安感が強く出ているか、それともいろんな不安な状況があって、ストレスがかかっていて、だからこそ過去のつらいことか、先々のこと、いやなテーマを思い浮かべて心がさざ波だっているのか、ということをよく考える必要があります。

 もし、不安であれば、いわゆる不安がターゲットであれば副作用がある抗精神病薬を使うよりも抗不安薬を増量することでいい効果が現れるということです。しかも、抗不安薬のほうが即効性があります。20分、30分で気持ちが落ち着いてきます。ですから診断が統合失調症だからといって抗精神病薬を飲みなさい、と考えるのではなくて、抗不安薬を上手に使っていくことでいろんな対処のしかたが生まれてくるだろうと思います。

 そういう意味で不安というのは、いろんな心の動きのサインですから、できればそれを早めに察知するということが大切なことです。でも、最初にお話しましたように、不安というのは必ずしも病的なものではないわけです。不安は病気の症状としてだけ表れることではなくて、どなたかが言われたように安心なときこそ不安になる、ということがあります。これは不安について大事な一面を言い当てていると思います。例えば、不安の強い方というのは、やはり健康に対する欲求が強いとか、人一倍成功願望が強いとか、ということがあります。こういう方はうまくいってるときに足をすくわれるような事件とか事故に見舞われることに不安を感じるというようなことがあります。  

  森田正馬という先生が森田療法という治療法の中で、「不安は不安、あるがまま」ということを言っています。つまり、不安は不安のままほっときなさい、ということですね。不安がない人という方はいません。そういうことはあり得ない、ですよね。誰でも不安をもっている。だから外国にも何百年も昔から「杞憂」などという言葉があるわけです。

 禅とか仏教的観念からすると不安は当然起こってくるものとして捉えて、ことさら、それを排除しようとはせず、少々不安が残っているのも健康な生に対する欲求があるからこそ不安が生まれてくるもの、という考え方が伝統的にあります。これに対して、ヨーロッパ的というかキリスト教的な発想からからすると、不安のような問題を邪悪なものとして捉えて、こういうこころの動きは異物として排除すべきと考えます。そういう歴史的、文化的な背景があると思います。

 不安がなくなるまで、不安を徹底的に「ゼロ」にしないと自分は健康だと思えない、少しでも不安があるから病気だとすると、お薬に頼るなどでお薬の量が増えるという結果を生む可能性もあります。皆さん嫌なことを捨てたい、忘れたいと思っても、忘れたいと思っているうちは忘れられないということがありますね。あのことさえ忘れられたら私の人生はバラ色なのに、と思っているその瞬間は思い出しているわけですね。(笑い)

 ということは心理学的に考えて、忘れるようとする努力は思い出す努力とイコールであるわけです。ですから、どうしたらそれにこだわらずに済ませるかというと、別なことを一生懸命やりなさい、ということです。森田療法の入院というのは、森田先生のお宅の庭の手入れとか床の掃除とかをやらされるわけです。そこで、もし間違いとか手抜きがあると、森田先生が大声で怒鳴って叱ります。それは目の前のことをしっかり行っていないで、自分のこころに浮かんだ心配事ばかりを考えているからだ、ということです。

 目の前のやるべきことにこころを集中してしっかりおやりなさい、と叱咤されるわけです。そういう意味では不安というのはゼロにすることに努力するのではなくて、少々あってもそれは健康な証拠だという捉え方ができるわけですね。不安というものをあまり排除すべきものと考えないで上手に付き合っていく、ということと、それは「いいサイン」なんだという考え方のほうがよろしいと思います。

 今日は不安をこころの病理として捉える視点ではなく、健康な側面というか、誰もが体験するこころの動きとして考えてみました。それに対して精神的な病気の初期に起こる不安というのは一種独特な、ある種恐怖体験と言われていますが、これはなかなか思いをめぐらすことは難しいことで、どうも調子を崩したときに思い出すということがあるようです。ですからそのときに思い出しての不安であれば、ご家族がそれに「共感」してあげることが大事です。また、病気そのものの再発ということであればお薬での治療が必要です。

 それでは、私のお話はこの辺で終わります。 (紙面の都合で終わります)

勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。詳細

タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。詳細

収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記

 2004年の正月は静かに明けた。そして毎年変わらぬ近所の神社へ初詣に出かけ、賀状を眺めて元日は過ぎた。あっという間の正月休暇であったが、そんな中で昨年一年間の家族会内の話題を振り返ってみると、地域医療と就労支援に終始していたことを感じた。
 折りしも先日、新宿区精神保健福祉連絡協議会就労支援部会の最後の委員会が開催され、小生も参加させていただいた。そこで示された統計データによれば、一般企業の障害者雇用実績で、身体・知的障害者の雇用が80%を占め、精神障害はたったの3.1%であった。企業へのアンケートによれば、精神障害者の雇用は「人間関係・コミュニケーションが不安」「能力、適正が不明」というものだった。
 いずれにせよ、精神障害者の就労は個々人の病状や環境、経験、その他あらゆる要因が異なることから、一律の就労は困難な課題である。しかし、行政がこの問題に予算をつけて検討会を催し、前向きに考え出したことはおおいに歓迎すべきことと思う。我々家族会内部からも、具体的な就労支援活動の話題も出るようになり、それらが合流したとき、もしかすると本流となって動き出すのかもしれない。そんな夢も見た正月であった。