幻聴や妄想にどう対応するか

新宿区後援・6月新宿フレンズ講演会
講師 慶應義塾大学医学部精神神経科学教室 新村秀人先生

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 統合失調症について、脳の化学物質や形状の変化の研究、あるいは社会脳といって人間と人間の結びつき…コミュニケーション能力の障害として捉える研究も進んできています。しかし、幻聴や妄想に、家族がどのように対応したらよいかは、答えが一つある訳ではなく、難しい問題です。

【妄想と幻聴について】
 妄想・幻聴が実際にどんなものであるのかは、病気の当事者ほどには、私たちにはよくわかりません。特有のあり方があり、本人の存在そのものを揺り動かす程のものであり、平穏な時に出てくる考えとは違うものです。
 ハッキリと妄想の内容を語れるようになるのは、妄想を順序立てて言葉にできる余裕ができてからです。一番妄想が激しいピーク時は、妄想と一体化しているので、言葉にも呟きにもならない。外からはボーッとしているように見えても、頭の中は大忙しで考えが殺到しているのです。「身の置き処」が見つからないような状態です。そして急に無目的に暴れたりするので驚かされます。これを昏迷状態と言い、入院が必要な状態です。

【幻聴を4期に分けて考える】
 幻聴には病気の進展とともに段階があります。中井先生は、4期に分けて考えます。初めは静かなところに何かザワザワしてきて、それがボリュームアップして緊張が高まり、やがて心に動きが出てきて少しずつ幻聴がまとまってくる。そして、やがて消えてゆく。病期によって幻聴も変化していくのです。

幻聴第1期 亡霊のざわめき、頭の中が騒がしい
 ヴィトゲンシュタインという言語哲学者は、師匠のラッセルにあてた手紙の中で、病気が明らかになってくるときの幻聴について述べています。「今、亡霊のざわめきがちょうど止みました。また勉強を始めなければなりません。」彼はざわめきと戦いながら合間を縫って研究と著作を続けていたのでしょう。

 幻聴と言っても明らかなメッセージが伝わってくる場合だけではなく、「ざわめき」とか「雑音のもとになる何か」に「邪魔される」といった体験の場合もあります。

 こうした「頭が忙しい」状態が続いているときに、突然数時間か数日、すべてがシーンと止んだ状態がやってくる事があります。何も食べなくてもよく、死なないという「不死感」がある。生死すら問題でなく、向こうの世界に容易に行けそうな気がする。病気で食べられない、眠れないといった感覚とは違う。…実はこういう時は非常に危険です。「死ぬとどうなるか、家族はどう思うか」などと考えるのと違い、死の重さがない。生死の境界が希薄になり危うい。ちょっとした拍子で自殺してしまう可能性があります。

幻聴第2期 世界全体が叫びだす、感覚が鋭敏になってくる
 つぎに幻聴の勢いが非常に盛んになって、大きなエネルギーで迫ってきます。内からか外からか分からず、全体から響いてくる。「いま地震があったか」と聞くほど、叫びとも振動ともつかない何か大きなエネルギーに巻き込まれるような衝撃的な体験で、これは普通、1回きりと言われています。これは、入院して保護室に入っているような時期に起こります。

 その時はただジーッと耐えるしかないのですが、それには大きなエネルギーを必要とします。たとえば、1時間歩き回るのと、1時間同じ姿勢で立ち続けるのとでは、動かないでいる方がよりつらいでしょう。体に力を入れてジーッとしているからです。

幻聴第3期 精神に自由が回復してくる、内容が絞られてくる
 
こうしたピークの後には、疲労困憊していますが、少しずつ回復に向います。暴れたり叫んだりする事も収まってきます。

 幻聴は同じ言葉が繰り返し出てくると思うかもしれませんが、この時期の幻聴は連想ゲームのようにどんどん違う言葉が浮んできます。自由連想で新しい事を思いつくためには、ある程度余力が出てきて心の自由が回復していることが必要です。それなりに頭を使う事なので、そればかりしていると疲れてしまう。

 やがて自由連想から型にはまると言うか、内容が少しずつ絞られていって、ある程度のまとまりが出てきます。しかし一方で、妄想や幻聴が繰り返しになってしまうと、中々抜けにくくなってしまうのです。

 だから幻聴の内容もそのようなものとなる」とフランスの精神科医アンリ・エイが言ったように、人間が家族・友人・町・国という共同体から村八分にされる事は非常に恐ろしい事です。幻聴・妄想は自分だけが仲間外れにされる内容のものが多いのは、背景に他者との結びつきをもつ生活から「外れたら嫌だ」という恐怖心があるからではないかと考えられます。

ラジオから流れてくる言葉のように、他人事として聞こえてくるものは、幻聴ではないかもしれません。幻聴とは「これが幻聴です」と、自分と簡単に切り離せるものではないのです。

幻聴第4期 安定期、消える前兆

 幻聴は、意味のある言葉より意味のない言葉、聞こえる時間が長いより短い方、会話している人数は少ない(1人の)方が軽いと言われます。「風呂に入っているとき、寝る前、新幹線から下車直後…静かなところで幻聴が聞こえたら、幻聴が消える前兆です」。つまり幻聴が少なくなってきた人は、日中の物音がいろいろするときでなく、静かになったときだけに幻聴が聞こえると言います。

 「そういえば、だいぶ前から無くなっているなぁ」と後から気づく形で消えていくのが一番自然な形です。幻聴がだんだん型にはまり、穏やかになり、ボリュームも頻度も減ってきたら、当人に「消える前兆だよ」と伝えるとよいでしょう。

治療者は「幻聴がありますか?」という質問をしてしまいがちですが、診察のたびに聞き、家族も「幻聴がある?」と毎日聞くのは良くありません。幻聴のことばかり話題にして暮らすのは、注意と集中の悪循環(森田正馬)を促進する事になります。

【恐怖が土台にある】
 さて、「病識」があるとはどういうことでしょうか。本人が「私は統合失調症です」とか「幻聴があります」とか、病気や症状の名前を知っているという表面的な理解が病識なのかというと、少し違うような気がします。

 苦しいところを通り抜けて、良くなってきた今の自分が、病気の勢いの強かった時期を振り返って「今とは違うな。あれは病気だったんだ」と気づくこと、それが病識ではないかと思います。

 病気の早い段階で「これまでと違う。何か変だ、医者へ行かなければ」と思う、それが病覚(病感)です。しかしだんだん病気が進んで強まってくると、感覚に圧倒されて「違う」という感覚が持てなくなってしまうのが、この病気の難しいところです。ですから家族が病気と気づいたら、早いうちにためらわず精神科の受診を勧めて下さい。

【幻聴・妄想・暴力への対応】
 幻聴を「きみの幻の声」「あなたが幻聴と呼んでいるもの」「幻聴さん」というように呼ぶと、自分の中に一体化しているものでなくて、ちょっと自分の外に置くという効用があります。「幻聴はなんで夢に出てこないのだろうね?」と聞かれたことのないことを聞き、これまでと違った見方を持つことを促します。幻聴という自分の体験に距離をとる事ができて、幻聴に気づくヒントになるかもしれません。

 また「もしそう言っているなら、それは辛いだろうね」と仮定形を使い、辛さには共感しながら、「僕はそういう経験はないが、不思議だね」と視点を変えていきます。「空耳とどう違うのだろう」と固定化したやりとりを崩すように仕向けると、「いや、違う」と反論するかも知れない。「どこが違うの?ラジオの混線と同じで、間違って入ってきたのかな?」と聞くと、「いや、絶対違う」と意地になるかも知れない。でも、それでよいのです。本人が考え始めることが大切です。一人で考えていて堂々巡りをして、考えがグルグル回っているのをちょっと外すキッカケを作るといいのです。「そんなこと、ある訳がないじゃないか」と否定すると、何の変化も生じません。

 妄想を言葉にできるくらいの距離ができてきたら、妄想をまとめて捨てられる時期と言えます。「そういうことだったの。よく話せたね。そうだとしたら不思議だね。」「不思議だけど、そうなのです」「不思議だね~」こんな会話はその一例です。

妄想は病気の本体ではありません。自分の存在する社会・世界・宇宙全体が恐怖そのものになるのが病気の始まりにあるので、それに比べたら妄想・幻聴は後から来るものです。

【暴力について】
 病気の勢いがある急性期には、恐怖に追い詰められ、やむにやまれず暴れてしまうことがあります。親や誰かを恨んでいるからではありません。その暴力をいかに抑えるかについて少し述べます。

 まず、暴力が習慣にならないようにする。暴力を振るうと何かいいことがあると、それにより解消しようという癖がついてしまい、繰り返すようになります。

 また暴力を起こさない雰囲気を作る事も大事です。音に過敏になっている可能性があるので、驚かさないようにします。受け手がつい大声になり、引きずられて興奮するのは避けて、こちらがトーンダウンし、相手を穏やかに包み込むように、興奮を次第に抑制していくようにします(これを、ディエスカレーションといいます)。心の中で「よほど辛いから暴れているんだね」などとつぶやくと、こちらの心がゆるみ、余裕が出てそれが相手に伝わります。興奮を止めてもらえて、本人がほっとする事もしばしばあるようです。
                                      ~了~
 参考文献:『こんなとき私はどうしてきたか』(中井久夫著・医学書院2007年)

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

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新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 梅雨空の下、九州熊本周辺では大変な被害が出ている。「これまでに経験したことのない大雨」による被害だ。その様子はテレビで見る映像でも如何に水位が増加したかが分かる。日本の気象の歯車が完全に狂ってしまった。

 さて、今月は新村先生から我々にとって非常に関心の高い「幻聴」「妄想」について伺った。統合失調症患者ならほとんどの人が体験している症状だ。

 かのベテルでは「幻聴さん」ということで上手くやり過ごしてると言う。しかし、初期の段階(急性期)では親たちは焦る。新村先生が言うように「特有のあり方があり、本人の存在そのものを揺り動かす程のものであり、平穏な時に出てくる考えとは違うものです」。

 人によっても出方が違うし、本人を現実とは異なる次元へと引き込んでしまう。そして脅迫し、あるいは誇大妄想の根源となるようなことを聞かされる。

 新宿フレンズではかつてヤンセンの「バーチャル・ハルシネーション」という装置を借りて皆が体験したことがあった。酒場のような雰囲気の中で、陰口が始まり、やがて罵声に変わり、本人(私)がどこまで耐えられるか、と言った内容だった思う。

 新村先生は、「幻聴に対しては、肯定も否定もしないで中立を保って「なるほど」「ふーん」「不思議だね」と合いの手を打つ事です。」と言う。たしかにそうだ。

 この病気の特徴に「反論は無用」というキツイ掟がある。いくらこちらが反論しても、現実とは異なる次元にいる人に何を言っても無駄であることを早く体得すべきあろう。それが本人とっても幸せに結びつくハズだから。