病識を持つには、社会に参加するには、そして親亡き後のこと

新宿区後援・8月新宿フレンズ講演会 平成26年8月新宿フレンズ拡大家族交流会
講師 新宿フレンズ昼の会参加者全員

全文紹介

 今年の拡大家族交流会は、参加者が話し合いたいテーマを希望の多い順から3つ選びました。
 
結果は、【病識を持つためには】、【社会に参加するには】、【親亡き後について】となり、参加者約40名の方がこの三つの班に分かれて、役員がリーダーとんなって家族ミーティングをいたしました。その後、合同で前半に話し合ったことの報告を全員で発表し合いました。

【病識を持つためには】

A(役員・父親):非常に難しいテーマではありますが、話の中で出てきたことは、「病識を持つことから回復が始まる」ので、非常に重要なテーマであるという認識は同じでした。

ただ、「病識がなければ薬を飲み続けることができないのではないか」というご意見があり、その辺りから病識自体の話から離れていきましたが、お一人ひとりから話していただきます。

B(娘):50代の母が20年ほど前に統合失調症と躁うつ病を発症しました。妄想の話を聴いてもめげないで、私の気持ちを母に伝えていくことが大事だと思います。母には病気のことを言い続けていますが、母が傷ついてしまわないかとも思って言いにくいのですが、時間と環境を配慮しながら、病気を分かってもらえるように、言い続けていくのが大事かなと思います。

C(母親):20歳前に娘が統合失調症を発症して、20代前半です。病識がないまま今日まで来ていて、時にはリスパダールの水薬を内緒で飲ませたりしました。今は、症状は落ち着いてアルバイトをしたりしています。最近、年金の話をしたところ、意外とすんなり納得して、先生とも話して、「病気なので年金も貰えるのだから、薬も飲まなくてはいけない」と説得しています。薬はちゃんと理解して飲んでいるわけでなく、年金を手にしたときに何をやり出すか分からないところもあり、不安です。

水薬は先生の話では、飲まなくても調子がいいと思ってしまうから止めたほうがいいといわれて、半月ほど飲ませていません。

D(妹):40代の姉が統合失調症で、20代で発症していたと思います。最初は神経衰弱といわれて、統合失調症と診断されず、4度入院。昨年、措置入院して症状が怒りっぽくなったり、暴力的になったりするので、それをおさえるために服薬するのだと病院では言われ、本人も納得して飲んでいました。

退院後は服薬せず、今に至っています。病識を持つことは難しいことで、本人も受け入れ難いことだと、病院の先生からも言われています。本人は統合失調症を認めていなくて、家族、親のせいといって、今も拒否している状態です。

E(父親):息子は20代半ば、5年ほど前に統合失調症を発症しました。最初は妄想だけ、2年ぐらい前から暴力的になり、昨年暴れて手がつけられず警察を呼びました。医療保護入院して1年になります。落ち着いていますが、病院で色々教育してくれて、飲まなければまた暴れるということは分かっています。日帰りや泊りで帰ってきますが、ちゃんと薬を飲みます。病識はあると思います。

そろそろ家に戻るか、グループホームへ行くかの選択をしなければならない。本人は家に戻りたがっているが、また何もしないで居るだけになってしまわないかと思って、この1~2ヵ月で決めなければならないと思っています。

F(当事者・男性):20年ほど前から調子が悪くなって、3ヵ月ほど入院。職場を放逐されて、5年ほど前に今の仕事に就くまで色々仕事をしたり出来なかったりしました。いまカルテ開示という制度がありますが、それを見ながら自分はここでこういう風になったんだとか、思い出しながら読んだ時期もありました。とにかく自分で決めていることは、暴れたら負け、怒ったら負け、驕ったら負け。年に1ミリでもいいからまともな人間になりたい、真人間になりたい、そう思っています。中々うまくいかないが、日々薬を飲んで努力するという感じです。

G(父親):40代前半の息子は結婚して子供もいますが、数年前ぐらいから様子がおかしくなり、親元へ家族を引き取りました。その後働く気力がなくて、少し働いてはダメで、どうもおかしいと診察を受けたら、2、3ヵ所の病院で統合失調症と診断されました。ですが病識は全くなくて、「俺自身は異常でも何でもない、ただ疲れていたり、したいことがあるから家に居るんだ」と言います。

今は、本人だけ引き取り、孫たちと嫁は実家にいます。2度入退院を繰り返した後、薬を飲まず、リスパダールコンスタの注射を続けていたら、状態は良くなりましたが、自分でやるからいいと薬を止めました。悪化の後、ジプラシドン(ジオドンのジェネリック)を4週間飲み続けて、少し戻ってきています。薬が効いてくると、また会話が出来るようになるかなと思いますが、本人は治療に専念できずにいるというのが現状です。

H(夫):50代前半の妻が統合失調症、いつ発症かは分からないですが、実の姉の話では30代前半ぐらいに妄想を抱いていたようです。いま別居をしていて、私の話は聞いてもらえない状況です。幻聴妄想がでたあと、病院に姉に付き添ってもらっていって、インヴェガを処方されました。10日ほど飲んでいたが良くなったので止めてしまったという。先生の話では、薬を飲み続ければ普通の生活が出来るだろうと言われました。なんとか薬を飲み続けてほしいと願っていますが、いかんせん本人に病識がない。どうしたら病識を持ってもらえるかを考えるきっかけになればと思って参加しました。参考になることが沢山あってよかったと思っています。

I(母親):10代後半歳の息子、発症は10代前半と思います。はっきり統合失調症と言われたのは10代半ばで、その後3回入院しました。3回目の入院で、病識を持ってほしいと思っていましたが、家に帰りたいから薬は飲むと言って、服薬をきちんとすることと訪問看護を受けることを条件に退院させました。

その前に高森先生から「暴力はダメだよ」とはっきりと言いなさいと聞いたので、退院前にそれを言いました。私が「痛い」というと、気づくようですが、まだはっきりとした病識ではないです。何かを思い出して弟や父親を怒ったりしても、母親の私に向かってくるので、「直接本人に言いなさい」と言っていますが、言えずに私にしか言わないことが問題だと思っています。イライラ・怒気の具合の伝え方が今まで弱かったようで、主治医へきちんと伝えたら薬を変えてくれました。訪問看護も嫌だと言い出しており、「思った通りを言えばいいのよ」と促してはいます。

J(娘):70代の母が統合失調症で、現在、長期入院中です。病識はないか、限りなく薄いと思います。病識については、周りがそれに多くのことを期待し過ぎると言うことを、どこかで読んだことがあります。皆さんが病識についてどう考えていらっしゃるか知りたくて参加しました。母を見ていて大事なポイントと思うのは、1つは薬を飲むこと、もう1つは、自分の行動を事実として認識してもらうことです。

薬は、直近はしっかり飲んでいますが、2番目の自分の行動の認識が出来たり出来なかったりしています。具体的には他の患者さんを傷つける行為があって、これを行動は行動として認めるが、「私は悪くない」と言います。また上半身の服を脱いだことがあって、主治医と私と本人で面談すると「そんなことしていません」と言います。とにかく「暴力は絶対ダメ」と言って様子を見ています。

この会で勉強になったのは、家族が病気について知らなければ、本人も知るはずがないということです。また病気のせいにしていることを見逃さないことも大事と思いました。

A(役員・父親):ご指摘の2点は非常に重要だと思います。薬を飲んでいるかいないか、それから本人の認識がどの程度なのか、逆にそれを見ている側がどの程度それを認識しているか。この病識の問題はとても難しく重い問題で、最後の最後まで病識を持てない人もいます。今、それが進行中の方は本当に悩ましいと思います。

【社会に参加するには】 

K(役員・母親):人数が多くて全員の話は伺えなかったのですが、当事者で仕事をしたり、社会に繋がってはいるが、友達が出来ない、メール交換したり、悩みを話したり、同性どうしで付き合いが続けられる友人がほしいとか、同じ病気の仲間がほしいとか、そういう話もありました。

L(母親):30代前半の息子が統合失調症で5度目の入院をしています。4度目の入院までは私も主人も会社員なので、子供に向き合うことをしていませんでした。「入院イコール・ゴール」だと、「入院してしまえば、もう大丈夫だ」と思って、戻ってくるとぶり返すことを繰り返してしまいました。父親は避けられていました。

今回の入院では親も変らなければいけないと、そのためにはどうしたらいいかと、この新宿フレンズに参加し、先生にも精神保健福祉士のかかわりが必要だと申し伝えました。この5度目の入院で息子が変わって、どうにか社会に出られるように、私たちも努力をしていきたいと思います。親が変らなければいけないとか第三者が必要だと、皆さんから助言を頂きましたので、少しでも社会に繋がっていけたらと願っている最中です。

K(役員・母親):息子が引きこもっていた頃を思い出しました。私は夫に「仕事から帰って来たら部屋から出て来ない息子の部屋の前で声かけをして欲しい」と頼み、部屋の中に入れてくれるようになったら「息子への質問はしないで話を聞いてやって、一緒にいる時間を持って欲しい」等々頼んで、夫は応えてくれました。その努力の結果、息子は父親を部屋に入れてくれるようになったのです。

M(当事者・男性):10代半ばに統合失調症を発症して、いま30代です。今日は妻と一歩に情報を得ようと参りました。社会と繋がるということがどういう意味かも含めて、伺っていました。僕が考えるのに、家族も社会の一つで、僕はたまたま妻に恵まれていたので、社会的にはつながりがあって、その上でもっと次のレベルに行かなければ行けないと考えています。いまアルバイトはしていますが、そういった意味でもっと社会と繋がっていかなければいけないと、強く感じました。

M(妻):今話したのが夫ですが、去年まで3年連続入院していたのですが、とても快復して働けるようになったのです。家族も社会ですが、生活している中であり得ないことが起こるのですね、家出とか…。いまは私が疲れすぎて、先々週ぐらいから離れて住んでいます。今日分かったのは、周りに居る人が疲弊するタイプの病気で、本人は割りと普通で家族が病み結構傷つくこともあると分かってよかったと思います。それからあり得ない事件が起こるから、どうやって解決するかと思って来てみましたが、そもそもあり得ないから、あまり普通っぽい解決を考えないほうがいいということだけが分かりました。

N(母親):息子が大学に入ったときから誰か後ろについてくるといっていて、その後、引きこもったり、アルバイトをしたりして、いま40代になってしまいました。アルバイトを無断で3ヵ月休み、職場の人から何度も電話がかかってきて、やっと元の職場に行きました。親の私はこれからのことを考えて保健センターに相談に行き、そこで新宿フレンズのパンフレットをもらって参りました。ここに来てよかったのは、私も落ち着いてきて、息子もそのせいか多少落ち着いてきたなと思っています。息子もここにつれて来たいのですが、人を頼るのが嫌いな子で、デイケアもだめで、ここにも中々来てくれないと思います。先々は結婚もさせたくて、無理かもしれないががんばってみます。

O(父親):30代の娘が3年前に統合失調症と診断されました。発症は20代の中ごろかと思います。その間、離人症候群とか、本人は鬱病じゃないかと思っていました。社会とつながるということは時間がかかると、3年間付き合って感じたところです。

最初は、社会復帰とは発症する前の状態に戻ること、すなわち再就職して誰かと結婚して、家庭を築いて幸せな人生を、といった社会の常識みたいなものを考えていました。口では言わなくても親の言動としては、そういうプレッシャーを娘に与えていたのでないかというのが、今の自分の反省点です。

最近は、本人の生き方自体を楽しめるものを身につけること、それが社会復帰だよと。楽しめる人生とは、一人では無理で、そこで初めて人と関わっていくことなどが自然に出てくる話であって、いきなり就労支援だ何だとプレッシャーを与えることはいかがなものかと思うようになりました。本人は人と話がしたい、友達を作りたいというのが現実的な悩みで、それをどうサポートしていったら良いかが現実的な悩みになっています。

P(当事者・男性):統合失調症患者です。自宅のパソコンで社会保険労務士の講座を受けています。また、行政書士の勉強は今年3年目ですが、図書館の本だけで勉強して受かることを目標にしています。

僕の自治体では障害者に農業を進めていて、「たまねぎプロジェクト」というものをやっています。また障害児に将棋を教えるボランティアをはじめて、将棋のインストラクターになりました。日給5千円貰いまして、私はアマ5段です。

家族以外の第三者が必要だというご意見が出ましたが、日本ではなかなか行政機関が家庭に入っていかない。だからこういう家族会以外で繋がりがなかなか出来ないのですね。

Q(当事者・女性):統合失調症で20代後半です。新宿フレンズには参加し始めてちょうど1年になります。今、病状は大分安定しています。

もともとの性格で、社会が怖くて、働くことが怖いと思ってしまって、社会不安障害に近いぐらいです。アルバイトで失敗したらどうしようとか、働けない人間は生きている価値がないとか思いつめてしまいます。働きたくないから社会に出ないのではなく、働きたいが怖くて社会に出られない、そういうものをずっと抱えて生きてきました。

病気は家族と病院の方々に支えられて良くなってきましたが、これから人生をどうするかは自分次第と思います。働くことをあきらめてはいけないと思っていて、この家族会は、人と繋がる、触れ合うことを続けたいと思って参加しています。病気もあるし、もともとの性格もあるけれど、上手くバランスをとることを悩みながら探っていきたいと思っています。

【親亡き後について】

R(役員・父親):親亡き後というのは、親が生きているうちに何とかしようということですが、親を拒否する人もいるというのが、この病気の難しいところです。その場合、こっちの土俵に持ってくるのは難しくて、何とか工夫して相手のふところに入っていく。めちゃくちゃ言われても、苦しいが我慢するしか仕方のない時期もあります。私などは「今日はお父さん疲れているから、ご飯作ってくれない」と、色々な作戦でやっています。

うつ病で強迫性障害の妻と、統合失調症の息子が喧嘩ばかりするので、息子が家を出てアパートに1人で住むようにさせて、結果的にはそれが自立のきっかけになりました。生きているうちに経済的にも自立させるのがいいと思い、仕事も春から特例子会社に就職。8時間労働で5日間ときつくて、初めはぐったりしていましたが、慣れれば大丈夫なのですね。この病気は甘やかす感じになりやすいところがあります。こちらが8時間を4時間というふうに譲ってしまうと甘えてダメになってしまう時もあり、まだ無理な時もありで、親は、子供の状態を良く観て、その辺りの判断が必要ですね。

S(母親):20代前半の息子が、10代の終り頃に統合失調症と診断され、母親の私も数年前に鬱病になってしまいました。親が死んだらお金しかないと思っていましたが、この家族会で、親が生きているうちに息子が相談できるような場所を複数持てるように繋いでおくのがいいという話を聞きました。それで、地域活動支援センターとか作業所とかデイケアとか、医師とかに、困ったこととか心配なことがあったら、すぐ電話することとか、友達を複数持つことなど、親の力でそのように向けさせていくことが重要だと思いました。お金だけでないと分かり、大変参考になりました。

T(母親):20代前半の息子が統合失調症です。発症は10代半ばで、高校時代には寛解状態になり大学受験はしたのですが、一人暮らしをしているときに、私が気がつかない間に再発してしまいました。ただ周りに理解のある教授や仲間がいて、そのまま大学を卒業することが出来て、いま大学院に進んでおります。

病院が大学の中にある保健管理センターの精神科に通っていて、大学の教授と保健管理センターの先生が協力して、教授だけが病名を知りながら支えてくれて、ゆっくりですが1年遅れで卒業を迎えようとしています。ただその先のことがすごく不安になっています。弟と大変仲が良くて、弟がとても面倒をよくみるので、負担がかかりすぎるのでないかというのも、すごく不安でした。初めてこういう会に参加して、今日皆さんのお話を伺って少し不安が和らいだ気がします。

R(役員・父親):この病気は、希望を持って治ると思っている方が治ると思います。わが家は娘も統合失調症ですが、主治医は娘に、息子のことを「弟さんは一生治らない、一生自立できない」という話をしたというのです。

今、息子はアパートで暮らし、働き出して、一生自立できないと言われた子とは思えないくらい元気にやっている。「一生治らない」などと絶望的なことを言う医師は、けっこういるんですね。講演で「統合失調症は治らない病気だから」と平気で言った医師に、私は手を挙げて抗議したことがありますが、そうした医者の考えを直してもらわないと親も本人もきついですよ。

司会:今日は東京つくし会から鈴木孝男理事さん(以下肩書・敬称略)がおいでになっています。いい機会なので、お話を伺いたいと思います。

鈴木:会に参加させていただきありがとうございます。皆様のお話を聞かせていただきとても勉強になりました。問題別論議のテーマは全国の精神障害を持つ家族に取って共通な問題であり、なかなか解決されていないテーマであります。

私は都立松沢病院に20年近くPSWとして勤め、現在は多摩の精神科病院に勤め、東京都精神障害者家族会連合会(東京つくし会)理事もやっています。今日取り上げた3つの問題はどこの家族会でも重い問題です。

その一つ「病識を持つために」は、統合失調症はなかなか病識を持てないのが病気なので、病識を持たせようと思ってもどうにもならないこともあるのです。むしろ今の状態や自分が困っている事などの問題が何であるか、それをどういう風に助けられるか、助けてもらえるのかを考えていくことが、一番大事な事でもあるのです。

私は松沢病院の前に総合病院に勤務し10年間位脊髄損傷の患者さんのリハビリに関わっていました。脊髄損傷の人は車椅子を使用します。車椅子で外出するとでこぼこ道や階段で自由に行動できません。外に出ると車椅子なので座位が低く人から見降ろされ、時には「何で車椅子になの」とか「かわいそうにね」と言われる事もあります。また、障害で尿意や便意がなく、垂れ流してしまう場合もあります。そのため外出することを敬遠します。そのような問題を解決するため、私は障害者と家族の人達を連れ出すため、ボランティアや病院職員と一緒に一般の人の目に触れるファミリーレストランでの食事や団体旅行のキャンプをしました。障害者や家族は当事者同士の日常生活経験や工夫から学ぶ事が必要だと思っています。社会復帰というのはリハビリテーションなんですね。

勤務が松沢病院に移り、そこでびっくりしたのは、私が生まれる前から入院している人が沢山いることでした。いわゆる長期入院の人達ですね。その人達の中には、朝500円貰って院外に出かけ夕方病院に帰ってくる、それが毎日です。もっと驚いたのは病棟に鍵があり、外に出たい人を出られないように鍵を閉め、閉じ込める。この感覚にはものすごく抵抗があり嫌なものでした。でも精神科病院では、それが普通なのです。

あるとき患者や家族に人気がある医師に、この先生だったら僕の言うこと(社会復帰)を分かってもらえるだろうと「先生、患者さんを何とか社会復帰するための退院は考えられないでしょうか」といったら、「やめとけ。彼らは外に出たらストレスでまた病気が再発する。ここに居たほうがよっぽど安心だ」と言われました。その時はとてもショックでした。患者や家族にどんな理解を示している態度や話をしても精神障害者を人として認めていないと思いました。こういうことを言う医者は精神科医ではないと思いました。

精神科のどんな状態の悪い患者さんでも、社会の状況の中で時間をかけ1つ1つステップを踏んでいけば、必ず社会に通用できるような人になり得るという確信を持たなければならない。その中で人間らしさを快復していくために、生活を普通の人と同じように出来る力をつけて行くことが大事ではないか。その中でこの3つの、【病識】、【社会参加】、【親亡き後】つまり自立という項目、この問題をみんなで考えていくことは大事だと思います。

私がなぜ、東京つくし会という家族会の理事になったかと言いますと、精神障害者が社会復帰していくためには、やはり家族の力がとても大きいからです。

今までは精神障害だと一般科病棟の入院は困難でしたが、2年前から、精神障害者が精神科疾患でなく、内科や外科的病気の時でも精神障害者の身体合併症を都立病院は必ず受け入れると、東京都と交渉し確約を取っています。それは親の声、家族の声を代表して成果を得たものです。家族の力が大きくなったからこそ、ここまで要求し、実現できたのです。この様に社会に要求を出していくことが大切で行政も都民の声を受け入れてくれるのです。

これからも東京つくし会と一緒に活動することをお願いいたします。

          ~了~

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 今度は雨だ。各地で床上、床下浸水があり、これまでの地方の話が東京でも災難に遭った家庭が出てきた。しかも、それが急激だ。一方、デング熱は逆に東京から全国へ広がって行った。もう、日本に安住の地などないのか。

 そんな中、我が新宿フレンズでは恒例の拡大家族交流会が持たれた。講師のいない学習会である。今年も多くの方が出席され、熱心に討論に参加してくれた。

 中でも我々が感涙の一言は・・・「参考になることが沢山あってよかった」「保健センターで新宿フレンズのパンフレットをもらってまいりました。ここに来てよかったのは私も落ち着き、息子も多少落ち着いた」「初めてこういう会に参加して、皆さんの話を伺って、不安が和らいだ」などの言葉は主催側にたつものとして、やはりやっていてよかったんだ、と自らを納得させる言葉として耳に響いた。

 また、当事者からもこんな言葉をいただいた。「この家族会は(参加するのは)人と繋がる。触れ合うことを続けたいと思って参加しています」・・・我々は病気を早く治すには、薬の知識を持つには、親亡き後はどうなるんだろう、こんな悩みの解決を図ろうと毎回集まっていたと思う。しかし、ある当事者からこんな発想で会への参加理由が述べられるとは。

 いや、実は私に限らず、役員の皆さんもそうだと思うが、家族会の目的(?)というものを考えると、実際、人との繋がりを大切にし、触れ合うことを目的にしているのではないだろうか。最近歳を重ねて来たからそんなことを考えるのか、若くしてこのような意見を述べられるのが羨ましい。家族会の目的をもう一度、胸に手を当てて考えてみるのも一考ではないか。