統合失調症の病識、そして寛解とは

新宿区後援・2月新宿フレンズ講演会
講師 大泉病院精神科医  鈴木 航太先生

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【病感と病識】

 病識とは、当事者が「自ら病気であると分かっている」ことです。病識は「ある」「なし」で単純に二分して表現されるものではなく、精神疾患に罹患している自覚、服薬や治療への認識、精神症状に対する認識等の複数領域で構成される連続的な概念であるとされています。
 「統合失調症は病識がないのが特徴」とさえ言われていて、国際的な調査では、病識の欠如が97%に認められたという報告もあるほどです(1973、 WHO)。 その場合、患者が「自分は病気ではない」と頭から否定することもあれば、「私はうつ病です」などと自分が納得できる病名を名乗る場合もあります。
 精神科は患者自らが受診する場合以外に、一般科と異なり、自らは「病気ではない」と言い張っても自傷他害のおそれがある場合は、警察からの通報によって措置入院という形で医療機関につながることや、医療保護入院という形で家族に半ば強制的に医療機関を受診させられることもあります。統合失調症では病感(「自分はどこかおかしい」という漠然とした印象)はあっても、真の病識は得にくいとされています。

【発症から受診まで】

 子供が統合失調症を発症すると、家族は当初、子供の異常行動に対してどう判断し、対処してよいのか苦悩します。精神症状が出現してから受診に至るまでの精神病?未治療期間(DUP:Duration of Untreated Psychosis)は、当事者である本人も混乱して、不安で精神的にも辛い時期を過ごしていることが多いものです。そして、精神症状の妄想や幻聴に翻弄された行動が出てから、本人以外の第三者(職場の人や教員など)が、初めてその異変に気付き、家族と連携して受診に繋がることが多いとされています。
 統合失調症は「病識の欠如」があって受診につながり難いのですが、どのようなことが受診への促進要因(病院受診へつなげるか)、そして阻害要因(病院受診を妨げるか)になるのでしょうか。

促進要因:まず、陽性症状による生活上の影響など自らの症状に派生する辛さと、本人の異変に気付いた人々や家族の連携など周囲のサポートです。

阻害要因:本人を受診から遠ざける要因としては、偏見の存在と精神疾患の知識不足が考えられます。社会一般では「こころの病気は怖い、治らない」といったイメージが強く、他の病気と違い、他者との関係性を作り維持するコミュニケーション機能が障害され、人間関係が希薄になってしまいます。

【病気の進行と受診への対応】

病初期:病識は最初からないのではなく、初めは「あれ、おかしいな」と思っている状態があり、これを?病感と言います。しかし、こうした病的体験が精神病によるものであるという知識がないために受診が遅れ、その間に妄想が体系化し、病識(病感)も徐々になくなってしまうのです。病識というより問題意識、困っている現実に目を向けて受診を促すべき時です。
急性期:治療を不要と言う入院患者には「信じてもらえないかもしれないけれど、この治療や処遇は今のあなたにとって仕方がないんだよ」といった釈明が精一杯になります。よく使われるのは「神経が疲れている」などといったもので、「神経を休めることが必要で、そのための安静と内服が必要です」と少しぼかした話しの仕方をします。
 症状改善後:急性期を脱し、現実が見えてきて、病識欠如が緩んできたのを見はからって、私は病名などを伝えることにしています。しかし、他の精神症状が改善しても、しばしば「病識」が一緒に改善しないことがあります。病識欠如は予後の悪さと関連性が高く、治療抵抗性と言えると思います。

外来で:内服治療の利点と内服しないことの欠点を訴えていくことになります。自覚症状があればそれが依り所になります。「薬でそれを抑えましょう、飲まないと悪化します」と言えます。

【病識はどこまで必要か?】
 
妄想の世界に住みながらも、現実の世界と使い分けることを二重見当識と言います。たとえば、自分は高貴な生まれであるという妄想の世界に住みながら、一方では生活保護の手続きは着々と進めているようなケースです。妄想を持とうが持つまいが、障害を受容してもしなくても、この二重見当識の現実的な健全な部分があれば、地域での自立した生活は可能になります。
 一般科の病識:病識(障害受容はたやすい)→治療→リハビリ→病状改善となります。
 精神科の病識:病状→治療→病状改善→服薬・リハビリしつつ生活や作業をすることで障害をだんだん認識してくる→病識を獲得していく→障害受容となります。
 当事者が自分の障害を理解してもしなくても、地域での生活を1日1日積み上げていくことがリハビリになります。医療者や介護者はひたすら、その積み上げを支援していくのです。それによって障害者は自分自身の生活上の障害や働く上での障害が見えてきます。

【治療が遅れることのデメリット】
 
病識がないために、また家族や周りの偏見のために、精神科の受診・治療が遅れることは、患者さんにとってはデメリットになります。

・回復の遅れ、経過の悪化

・心理社会的技能の低下

・周囲からの支援の喪失

・就学や就労の中断

・自殺リスクの増大

 病感があるうちに受診するという最初の治療が遅れてしまい、急性期に入ると、ストレス・マネジメントや休息などによる回復は見込めず、適切な「治療」が不可欠になります。ほかの多くの病気と同様、精神疾患も早期発見・早期治療が大切です。
 一般的に、精神疾患の中には慢性疾患の要素を持つものもあり、症状が消失した後も内服や経過観察を行うことがあるため、「治癒」とは言わず「寛解」と呼ぶことが多いのです。
 2005年にAndreasenらにより統合失調症の寛解の定義が提唱され、これまでの治療反応という暖昧な指標ではなく、より高いレベルの治療ゴールが設定されるようになりました。この定義によれば、陽性・陰性症状評価尺度(PANSS)の8項目が全て軽度(3点以下)であり、なおかつ、その6ヵ月間は入院していないことが寛解の条件です。寛解になった後、社会機能が快復してきた状態をリカバリーと言います。

統合失調症の症状を評価するPANSSの3点基準

1妄想→曖昧ではっきりせず、強固でない妄想が1つ2つ認められる。妄想は、思考・社会関係・行動を妨げない。

2概念の統合障害→思考は場当たりで脱線しがちであり、不合理なときがある。目標に思考を向けることが少し困難だったり、ストレスがかかると連合弛緩(考えのまとまりがなくなり、つぎからつぎへと関連のないテーマが頭に思い浮かぶこと)がいくらか明らかになったりする。

3幻覚による行動→1つ2つの明白な幻覚が時折見られたり、多くの曖昧な知覚異常が見られるが、思考や行動のゆがみは認められない。

4情動の平板化→表情や仕草の変化が大げさであったり、不自然であったり、あるいは適切さに欠けている。

5受動性/意欲低下による社会的ひきこもり→時折、社会的活動に関心を見せるが、自主性に乏しい。通常、誘われて初めて他人と交わることができる。

6会話の自発性と流暢さの欠如→会話の主導権を取ることは少ししかない。患者の答えは飾りがなく、短くなりがちである。面接者は直接的な質問を必要とする。

7街奇症(奇妙なわざとのように見える動作)と不自然な姿勢→動きに少しぎこちなさがあり、姿勢に少し硬さがある。

8不自然な思考内容→思考内容が若干独特であったり、風変わりでもあっても、奇妙な文脈の中で用いられる。

こうした評価の3点以下が6ヵ月以上続くことが寛解の基準となっています。

【リカバリーを目指す】
 現在、最終的な治療ゴールは、寛解よりもさらに長期的に良好な状態を持続させる「リカバリー(回復)」という概念が提唱されています。リカバリーは2003年頃からアメリカで出てきた概念です。

寛解:病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減、または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態。

リカバリー:人々が暮らし、働き、学び、地域活動、社会に十分に参加することができるようになるプロセス。社会生活をどうして行くかに焦点をあてている。

 リカバリーに必要とされる要素として、症状がある程度よくなっていること、つまり寛解(remission)が求められます。幻聴や妄想がベースにあると、ちょっとしたきっかけで再燃や再発をしてしまうためです。リカバリーのゴールは、就労や就学しているか、1人で暮らせているか、経済的にも日常生活の技能的にも暮らしていける能力があるか、ということも要素の1つです。何らかの目的を持って暮らすなど、クオリティ・オブ・ライフ(QOL :生活の質)が良好かも問われます。
 さらには患者の主観的満足度もゴールを考える上で重要になります。ある人にとっては、たとえ障害があっても充実した生産的な人生をおくれることであり、別の人にとっては、症状の軽減や完全寛解のことです。そして希望を抱くことが、1人ひとりのリカバリーに不可欠な役割を果たします。

 リカバリーに必要な要因で、医療者側のできることは、まず薬物療法です。単剤化、そして必要最低限の処方を患者さんと一緒に探ることです。次に症候学的寛解つまり普通の寛解を経て、機能的寛解へSST、認知機能リハビリテーション、生活技能訓練、個別就労支援などの心理社会的療法を組み合わせて行い、社会的な活動ができる寛解に持っていくことで、当人の主観的満足度(QOL)の向上を目指します。

 当人にとってリカバリーの達成に必要な要因は、何よりも「目に見えるような、現実的で根拠のあるビジョン」としての希望です。そしてエンパワメント、自分の生活の在り方を自分自身で決めていけるようになることと、それを実現する過程を大切にした考え方を持ち、自己責任としてリスクを抱えることと、その「失敗や過ちから学ぶ」ことの大切さを知り、生活の中の有意義な役割、1人の人間として担うべき「普通」の役割を引き受けていく生き方です。これらは障害の有無に関わらず、あらゆる人にとって大切なことです。

【とても大事な再発予防】

 最後に再発予防の話をします。統合失調症患者の再発要因には、服薬中断が50?70%を占めています。服薬を中断すると、再発リスクは約5倍となります。
 薬物による治療の中断は再発リスクを招くことが知られており、リカバリーのためにも症候学的寛解を維持する上で、薬物療法は不可欠なのです。再発の回数と寛解に至っていない患者の割合を検討したところ、再発を繰り返すたびに精神症状は慢性化し、寛解が得られにくくなることが認められています。
 再発予防には服薬継続が重要で、病識と服薬態度には強い関連があります。服薬の必要性を伝えると共に、当事者自身が自己の病気の捉え方、精神症状の程度を認識し把握することが重要になると考えられます。このことから、病識を高める関わりが統合失調症者の服薬態度を良好にする可能性が示唆されています。
 治療者は、初発から5?10年後ぐらいの時期にあたる進行期において再発を防ぐことに力を注ぎます。なぜなら、進行期はcritical period(臨界期)と言われるように再発の多い時期であり、そこでいかに再発を少なく出来るかが、その後の長期的な症状や社会生活機能の回復に大きな影響を及ぼします。
 したがって発症後の早期段階での治療こそ重要であり、発症後できるだけ早く、少なくとも3年以内に医療に結びつくことこそが治療有効性が高く、短期での回復、より良い転帰、社会機能の保持、家族や社会的支援の維持、入院期間の短縮などが期待されます。
 精神障害を持ちながら心理学博士となったDeeganは、その友人である身体障害者との議論から、障害を持つことの体験を語りました。(Deegan PE、Psychosocial Rehabilitation, 1988)

 「リカバリーは過程であり、生き方であり、構えであり、日々の挑戦の仕方である。完全な直線的過程ではない。ときに道は不安定となり、つまずき、止めてしまうが、気を取り直してもう一度始める。必要としているのは、障害への挑戦を体験することであり、障害の制限の中、あるいはそれを超えて、健全さと意志という新しく貴重な感覚を再構築することである。求めるのは、地域の中で、暮らし、働き、愛し、そこで自分が重要な貢献をすることである」

 ゴールは人それぞれですが、寛解、リカバリーについては、症状をとることに躍起になるのではなく、いかに充実した毎日を送るかが大切です。薬物療法に加えて、適切なリハビリを早い時期から行うこと、再発を防ぐこと、そのために家族も当事者も希望をもって学ぶことの重要性を強調したいと思います。
                                        ~了~

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

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新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 あれから四年が過ぎた。その年の三月十一日、テレビの映像を見て、これが現実であることを疑った。まさに地獄絵そのものであった。その濁流の中に施設で働いていた当事者たちもいたと聞く。やっと掴んだ幸せな人もいた。陣痛の末、ようやく生まれた赤ちゃんもいたであろう。改めて自然の脅威を感じる。

 さて、二月の講演会では大泉病院の鈴木先生が病識と寛解について述べてくれた。病識の欠如が特徴の統合失調症だ。それは受診拒否という結果を生む。病院へ行くことを促進するのが「促進要因」。妨げるのが「阻害要因」だという。本人の受診を遠ざける要因は「偏見」と「心の病の知識不足」であるという。

 小生が感じるのはもう一つ、脳内の病気であることを追加したい。一般科目では何の抵抗もなく他人に自らの病を言えるのに、脳の病は人間的に落ちこぼれを感じてしまうのではないか。本当は素晴らしい能力を持っていると思うのだが・・・

 そして新しい言葉を教えられた。「二重見識」という、妄想の世界に住みながら、現実の世界とを使い分ける生き方だ。身近にこのような人を知っている。「私は高貴な家の生まれです」と言いながら、蚊取り線香に火をつけている人を。先生は現実的な部分があれば、自立した生活は可能になります、と説明を付け加えた。つまり、食事、入浴、買い物などでどれくらい困るかなのである。

 その人は主婦をこなしている。食事作りもまあまあ、買い物もまあまあ、洗濯もまあまあ、である。先生の言われる通り、誰に助けを求めれば良いかさえ分かっていれば、それで暮らしていける。確かなお話を伺った。