「精神科の診療時間の有効活用を言葉と質問と生き方」

新宿区後援・4月新宿フレンズ講演会
講師 やきつべの径診療所 精神科医 夏苅郁子先生

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【精神科のメスは「言葉」です】
 私は30年以上精神科医として医学教育で得た知識、「うつ病には抗うつ薬を」「統合失調症には脳の興奮を鎮める薬」「不眠症には睡眠薬」また「発達障害の人には、社会に適応できるようにソーシャルスキルトレーニングを」を拠り所に、毎日診察をしてきました。ですが「これで良いのだろうか」と思うようになりました。
 でも差し迫っている生活の困難や家族関係の悩みについては、医学はお手上げです。実は精神科を受診する方々は、この解決困難な状況に直面して不眠などの反応を起こしているわけで、患者の求めは「薬を下さい」ではなく、「私の困難を見て治療してほしい」だと思います。
 先日、ある新聞記者に「精神科医にとってのメスは薬でしょ」と言われ、私は「違います。精神科医にとってのメスは言葉です」と反論しました。なぜなら外科医がメスを使って治療するように、精神科医は患者の話す言葉を聞いて診断し、言葉を返して治療するのです。けれど世間は、治療は薬の処方だと思うのでしょう。

【人に語ること自体が治療】
 子供の診断は通常は、生育歴(いつ歩いたか、いつ言葉が出たか)を聞き取りながら発達検査をします。診断名が付いたら社会適応の訓練をします。診断に則って臨床心理士が1対1でその子の特性を掴み、その後グループ療法を2~7年くらい続けることで、子供たちは人間関係のつくり方や社会への対応の仕方などを学びます。時間も人手もかかりますが、大切な療育プログラムとして10年以上続けています。
 それだけやっても、社会参加の壁は厚いです。人が人を治すとか、人が回復するということは、どういうことなのだろう。そもそも、子供たちに診断名を付けること自体に悩むようになりました。
 私が一般的な精神科医だったら、当たり前に淡々とやっていたと思います。でも私は、母親が精神疾患で、私自身も学生時代に自殺未遂やリストカット、摂食障害や薬物依存にもなり、精神科に通院して沢山の薬を飲みました。
 一番辛かったことは、両親への憎しみが50歳を過ぎても解決しなかったことでした。両親はすでに亡くなっており、母の死は「もう振り回されなくて済む」と平和を与えてくれましたが、憎しみの解決にはなりませんでした。そして「あと何年生きることができるのかな」と人生の残り時間を考えるようになりました。
 もがくように、今から7年前に何の見通しもないままに、自分の生い立ちや家族のことを公表しました。当然、軽蔑されると思っていたのです。でも思いもかけず沢山の方から「話を聞きたい」というご依頼があって、もう200回以上、自分と家族の話を繰り返すうちに、私は変わっていきました。
 人に語るうちに、過去が自然に清算、整理されるのです。この会で3年前にお話した時よりも、私自身は「自分はしっかりしてきた」「逞しくなった」と思っています。これは言葉の力、語ること自体が治療なのは、精神科の治療と同じです。人に聞いてもらうことの大切さを、医学教育ではなくて身をもって実感しました。

【片方が変われば開く】
 私は親と子の関係は、鍵がお子さんで、鍵穴が親のようなものだと思います。鍵と鍵穴が合っていれば人生のドアがさっと開きます。だけど、たまたまどちらかが大き過ぎたり小さ過ぎたりすると、いくらガチャガチャやっても人生のドアは開きません。対策は鍵と鍵穴の大きさの調節をすることで、ヒントは家族以外の新たな他人との出会いです。引きこもりの本人は相談にも医療機関にも行きませんが、家族は出かけて他人と会える。鍵はそのままに、鍵穴が変わることでドアが開くことがあると思います。
 私を支えている考え方は、自分の回復過程を見ても「手遅れということはない」です。科学的にも、人の発達には可塑性があると研究で分かっています。だから幼少期にどんなに不遇であっても今が酷い状態でも、前向きな方向へ変わることができる。それは他人との出会いがきっかけになります。

【精神科医療の中の「壁」】
 この7年位、当事者、家族、医師、3つの立場を持つものとして、医師の世界と患者家族の橋渡しをしたいと思い、北海道から沖縄、石垣島まで全国で講演しました。今の精神医学に何が足りないのか、人が回復するには何が必要なのかを考えました。本当に様々の分野の方々と出会いました。今まで精神疾患に関心がある人しか関わって来なかった、自宅と診療所の往復だったのです。
 ところが一歩その世界を出たら、一般の方の理解が低いだけでなく医師の世界でも理解されない結果、精神と身体疾患を合併した患者さんの治療は置き去りです。
 そしてそれ以前に、精神科医療の中にこそ、壁や偏見がある。公表という行動を通して精神科の3つの壁を強く感じました。
 第1の壁は、当事者・家族と医療者の間の壁です。「あなたは患者さん、私は治す人」から、「私も患者や家族の1人」という立ち位置になって、私の世界は激変しました。最初は「リストカットしていた医者なんて…と言われたら」とすごく怖かったし、もう診療所に患者さんが来ないかもと覚悟していました。
 でも全く予想外で、患者さんたちの態度はまったく変わらず、むしろ「何の苦労もなく育って医者と結婚した人」と思われていたのが、「すごく身近に思えるようになった」と言われました。
 しかし、新聞やテレビで報道されるにつれて、非常に厳しい指摘もありました。そうした批判よりも私を苦しめたのは、精神科医だということです。1歩外出て広い目で見ると、自分が精神科医であることが苦しくなりました。
 例えば、統合失調症だった1人息子さんを自死で亡くされたお母さんは、「息子は空から見ておりますから、私は家族会活動を続けます」と70歳を過ぎても体に鞭打って陳情や募金活動に奔走されています。人間って強いなと思う一方で、その息子さんを自死に追いやった病気を治せなかった精神医学の無力さを突き付けられます。家族にとって親しみやすい友人のような存在と、医学的に正しいケアをする医療人の立場は、時に相反するものです。両方の世界に足を踏み入れたことは、大きな葛藤となりました。

【治療のゴールはどこ?】
 当事者・家族と医療者の高い壁を低くするために何かできることをと考えて、診察時に利用できる「質問促進パンフレット」(*1)を作りました。
 主治医に自分の病気について質問するのは必要なことです。「病気の原因は何ですか」「私の病気は治りますか」という質問に、夫は「これはどれだけの医者が答えられるかな」と言いました。正解はありません。医師は「分かっていない」と答えるべきですし、分かっている部分はちゃんと答える、その話し合いの糸口にと作った質問です。皆さんのオリジナルの質問も加えて利用してください。
 しかし、パンフレットを作っただけではダメだと思いました。共同意思決定という、当事者と家族に医師は情報を公開して対等に話し合って方針を決める考え方が必要です。医者が思う「治る」という考え方、「患者・家族にはここまで伝えたら良いだろう」という情報量に対し、当事者・家族の「治る」という概念、「ここまで教えてほしい」という情報は差があると思います。こうしたことを話し合って擦り合わせていくプロセスが共同意思決定です。
 今まではパターナリズムと言って医師主導で患者は受け身、情報の流れも医療者が患者に与え、決定は医師でした。それがインフォームド・コンセント(説明と同意)からインフォームド・チョイス(説明と選択)となって、情報の流れは専門知識がある医師から患者、決定の責任は患者となりました。これは民主的に見えるけれども酷だと思います。
 情報を医師が患者にポーンと渡し、「決定はあなたの責任です」と言う。そんな人生の大きな決定を患者自身だけでするのは不安でしょう。情報は双方向性、つまり専門職が知識を与えるだけではなく、当事者・家族も情報を要求し、決定の責任は皆で一緒にという共同意思決定が大事だと思います。

【質問は医師を育てる】
 ある家族会の役員さんが、会員の方に「私たちも質問促進パンフレットを活用して、勇気を出して主治医に本音を伝え、治療に参加しましょう」と会報で呼びかけました。当事者や家族が医師に質問するのは当たり前なのに、そんなに勇気がいるのか、と思いました。医師側がその気持ちを理解しなくては、いくらパンフレットを作っても、医療者と当事者・家族の壁は乗り越えられないように思います。
 また、日本の患者・家族は質問慣れしていない方が多いです。こんな現状でオープンダイアローグや共同意思決定が成り立つのだろうか、と凄く疑問に思いました。
 6月3日にコンボ主催で、斎藤環先生と伊藤淳一郎先生と私とで対談をします。テーマは「精神医療の共同意思決定」(*2)です。今の日本で、その人がいないところで、その人のことを決めない支援は可能なのか。私はオープンダイアローグが成り立つには、医師側の踏み込みは前提として、「当事者・家族も自立して!」と申し上げたいです。まず自分の病気のことは、自分の主治医にしっかり聞く、これが自立の一歩ではないかと思います。
 医師は質問されることで伸びると思います。医師を育てる役割を、皆さんが持っていただきたいと思います。

【当事者・家族の主観を大切に】
 第2の壁は、医療者同士、支援者同士の壁です。公表後にたくさんの先生方にお会いしましたが、皆さん「当事者・家族のために精神科医療を変えたい」と思っていらっしゃる。ただ、活動は大学の系列ごとのようなのです。系列に関わりなく、開業医、精神科病院や大学の医師などの立場にも関わりなく、日本中の医療者が1つになって精神科医療を変えたいと願います。
 一昨年、精神科医とのコミュニケーションについてのアンケート調査を行って、7000人の回答を得ました。
 医師からみた医師・患者関係と、当事者・家族からみた患者・医師関係は大きな差があるようです。だから患者家族へのアンケート調査で、当事者・家族の思いを日本中の精神科医に知ってもらって診療を改善してほしいと願います。

【医師よりも薬の現実】
 「あなたの主治医の診察態度を評価して下さい」という質問に対して、現在の主治医の診察態度、コミュニケーション能力は、非常に高く評価されました。「頼りがいがある」「専門家として自信を持っている」「患者や家族に向き合い、理解しようとしている」などの項目は、80点くらいの高評価です。
 一方、低かったのは、「十分な情報を与えていますか」「作業所やデイケアなど医療外のことも教えてくれますか」「薬の説明をきちんとしていますか」「ほかの専門病院を紹介してくれますか」でした。
 「あなたがもし、医師を選べるとしたら、何を一番の基準にしますか」について1位は「処方能力」、2位が「人柄、性格」、3位が「コミュニケーション能力」、最下位が「出身大学」でした。

 「これまでの主治医の数は何人ですか」については、「4人以上」が圧倒的で約3400人です。「なぜ、そんなに主治医を変えたのですか」という質問には、「医師の転勤など医師側の理由」。「入院したためしかたなく」も多かったです。
 「主治医は患者の価値観を中心に診療している」との高評価は、4人以上も医師を変えてやっとたどり着いた現在の医師についてです。そして主治医は頻繁に変わるので、患者・家族は医師を頼るより、これと思う薬の処方を重要視していること、主治医を変えることは大変な負担であることを医師も学会も認知すべきだと思います。

【辛さは較べようがない】
 第3の壁は、当事者と家族との壁です。NHKの「精神疾患の親を持つ子供たち」に出演したとき私は、子供時代の辛さを率直に話しました。
 番組終了後、400件以上、NHKにツイッターやメールが来て、半分は私と同じ立場の人からで「よく言ってくれた」、でも半分は「当事者が子育てしてはいけないのか」「当事者の子供はそんなに不幸なのか」「却って偏見を助長する」というものでした。
 ここには育てる側と育てられる側の違いがあります。子供は親に反論できません。自分が育てられた環境が異常かどうかも認識できません。それらに無知で大人になって、急に病気についての偏見、知識をバーッと浴びるのです。それは辛いことです。
 私は人の辛さは比べようがないと思います。病気の子供を残していく親の気持ちは私には分かりません。がんや認知症の家族を持つ方の辛さ、不慮の事故や震災で身内を亡くされた家族の悲しみ…人は他人のすべてを追体験できるわけではありません。私は相手の苦悩はそのまま受け止めるしかないと思います。当事者の会、家族の会も、違いを言うのでなく同じ精神科医療をよくする目的に向かって団結してほしいと思います。

【遺伝子と突然変異】
 日本の精神科医は、診療で遺伝をあまり話題にしません。でも、医学研究では統合失調症に遺伝子が関与していることは明らかだと考えられています。現在のところ、リスク遺伝子は特定されていませんが、原因の一つにデノボ変異という遺伝子の突然変異があると考えられています。?精神科医・精神生物学の尾崎紀夫氏は「そもそも遺伝により病状が決定されるという考え方が妥当ではない。今あるべきは、親から子に伝わるか否かに関わらず、遺伝情報によって個人は差別を受けないこと、多様性を認めるという観点が必要」とのことです。

【運を変えるのは人の力】
 私は青年期に言って欲しかったことを、実際に診療で言います。「もしあなたが発病しても、こんな治療や工夫をあなたに提供できます。自分が得意でない医療や手立ては、それが得意な医療者を紹介できます。病気になっても仲間を持ち、仕事や結婚している人を紹介できます」。こう言うには医師は普段から、患者・家族、医療や福祉関係者と交流する必要があるでしょう。「避けるべきストレス、無理してでも向き合いたいストレス、どちらもあるでしょう。でも、決して負の連鎖にはせず、あなたの人生を優先できるように一緒に考えていきましょう」とも言います。

【壁を乗り越えるために語ろう】
 「あなたの主治医は何を中心に診察をしていますか」という質問に、「主治医は患者の価値観を中心に診療する」と答えたのは、家族より当事者のほうが多かったのです。診療の内容をいつも心配している家族にとっては安心材料になるかと思います。家族は診療に立ち会い難いこともあるので、当事者の良い意味での内面の改善や変化には気づきにくいかもしれません。このアンケートが当事者と家族との誤解や壁を乗り越える助けになれば良いなと思います。
 ともに暮らす家族ができることの1つに、服薬を支えることがあります。統合失調症などは根本的な原因が解決されていないので、今のところ欠かさず服薬することが再発予防です。白衣を着た人の前で血圧を測ると上がる「白衣高血圧」はよく知られていますが、「白衣アドヒアランス」もあり、医者の前では服薬の理解が上がるのです。患者は診察室で、医者から「薬はちゃんと飲まないといけないよ」と言われると、「飲みます」。でも、家に帰ったらその気持ちはずーんと下がってしまいます。なので、医者だけが一所懸命に服薬を勧めても、その場だけの服薬理解になってしまう可能性があるのです。
 家族は、本人が何を副作用と思い、何を不快と感じているかを、感情的にならずに(これが大事)、客観的に観察して医師に伝えて下さい。本人は、服薬した人にしか分からないこと、実際に飲んでどんなふうに辛いのか、自分なりの副作用の乗り切り方、医師への上手い伝え方が見つかったら教えてほしい。
 医者が努力すべきことは、1日3回飲み忘れるなというほうが無理ですから、単剤1日1回処方の努力です。もう1つ大事なことは、副作用のない薬はなく、医師は効果と副作用を天秤にかけて処方していますが、時に副作用が上がります。それも織り込み済みで治療に向き合うことを、当事者や家族に先に理解してもらえるように医師が説明すべきだと思います。そして医師と家族の双方が、飲む側の大変さ、毎日薬を飲むのは鬱陶しいという本人の気持ちを理解すべきです。
 「やきつべの径診療所」は入院施設があるため、17年前の開院当時、地域から反対がありました。私と夫は町内会で「問題は起こしません、注意します」と約束をしてやっと開設したのです。
 最近も、ある家族会がグループホームを立ち上げようとしたら、近隣から苦情が来たので「当事者の人権」を元に説得しようとしたら、周囲から「それはダメ」と言われたそうです。住民の説得には当事者の人権ではなくて、「問題を起こしません」という文言なのです。17年前と何も変わっていないと思いました。
 一般の人に精神疾患について正しく知ってもらわなければ、支援は広がりません。そのために皆さんにお願いしたいことは、どうか精神疾患の本当の姿を、当事者・家族自身の言葉で世間に伝えて欲しいということです。語ることは治療になります。私自身、語ることで自分の人生に意味があったのだと思うようになって回復しました。
 精神科医療を変えるには、私は当事者、家族、医療者それぞれの仲良し集団では絶対進まないと思います。価値観はそれぞれ違うかもしれませんが、精神科医療を良くするという大目標のためには、協働すべきです。日本では無理と思うかもしれませんが、ある家族会の方が「小さな鑿でも打ち続ければいつか穴が開くと信じて、前に進みます」と。私はこの言葉を胸に刻んでいます。                             ~了~

*1「質問促進パンフレット」で検索。ダウンロード・印刷フリーです。

*2「精神医療の共同意思決定」で検索。6月3日12時30分~ 東京ウィメンズプラザ

*3 医師とのコミュニケーションをテーマのアンケート7000人のデータの全貌をまとめた冊子。制作資金は『人は、人を浴びて人になる』(夏苅郁子著 ライフサイエンス社)の売り上げと、クラウドファンディングを予定。当事者・家族ほか、全国の病院や診療所にも配布予定。私たちも協力しましょう。

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 皆さん、連休中はどちらかに出かけられただろうか。小生も秩父、山梨と近場で楽しんだ。

 さて、今月は夏苅先生の熱い講演で感動した。前回は2015年9月であったが、先生自ら「逞しくなった」と述べるように、話の内容に自信と説得力のある話で終始した。

 まず「精神科のメスは言葉である」と最初に述べられた。これにはなるほどと頷かされた。ある新聞記者が「精神科医のメスは薬ではないか」に対する反論である。講演を通してこの発想・コンセプトが貫かれていた。

 鍵の喩もしかり。鍵(本人)はそのままに、鍵穴(周囲)が変わることでドアが開く。実にわかりやすい話だ。それには本人の周囲との出会いが必要となる。つまり、他人との出会いだ。ここでも薬ではない。言葉の交流であるとしている。

 そして、もう一つ話の中心にあるのは先生の精神科医としての姿勢である。「回復のゴールとは何か」を話し合うことなしに共同意思決定は成立しないと言う。精神科医は患者本人の人生の一端を担うことになる仕事であるから、そこまで真摯に考えるとしている。果たしてこのように考える医師が何人いるだろうか。

 また、医師は質問されることで伸びるという。小生は以前にこの編集後記で書いたことがあるが、我々には「いい医師を選ぶには」という課題があるが、一方に我々が「医師を育てる」という感覚も必要ではないだろうか。

 先生自身病を持たれた。その回復に「語ることで自分の人生に意味があったのだ」と思うことで回復したと述べる。先生の成功例を参考にして我々も大いに「言葉」をメスにして、息子、娘たちと協働すべきではないだろうか。                   嵜