当事者からみた日本の精神医療と家族関係

3月 勉強会より 講師  ほっとスペース 八王子  多田道夫さん
                              野島雅人さん
                                          黒川裕之さん

多田;今日は。きょうは3人できました。まず、野島君から精神病者から見た家族とは、いまどうなのか、どうしてほしいか、などについて述べていただきたいと思います。

野島です。いままで、家族には迷惑をかけ続けてきたと思っています。しばらく仕事していましたが、先ごろ止めてしまい、また就職活動しようとしています。私は対人恐怖症というもので、いつも他人が襲ってくるような気がするなどで、本当の意味の精神病者ではないと思っています。
 家族との関係を振り返ってみると、子供の頃はムシャクシャするとよくものを壊すとかしていました。相手に何も言えないで、思い詰める方でした。いまは病者ということで、健常者と同じに見られないということには反感はありません。ただ、出来る部分はそれなりに認めてほしいとは思います。
 自立については何を基準に自立というのか、疑問をもっています。親もとから離れれば自立なのか。障害者同士で生活保護を受けながら結婚しても自立なのか。僕は親が歳をとっているから出来るだけ親から離れずに、親の面倒をみていてあげたいと思っています。
 いまは相当な量の薬を飲んでいます。それで不動産営業の仕事をして、やっと18万円の給料を稼いでいます。朝6時に家を出て、帰るのは深夜2時という日が続きました。病院に行くこともできない状況で、父親が薬をもらいに行ったら医者は本人でなければダメだ、と言われたりしました。そんなで入退院を繰り返してきました。
 本当の自立というのは、親が子供のことをどれだけ真剣に悩んでくれるのか、子供の願いをどう叶えてくれるのか、それが病者の解放につながると思います。自分の生き方というものを父親と相談します。そんなとき、この病気で苦しんでいる仲間が団結して、困っている人を救っていこうという気持ちがないといけないじゃないかと思います。不景気が高じて戦争にでもなったらまず僕たちが抹殺されるでしょう。
 親は自分の子供が一番かわいいというのが当り前じゃないですか。我々もそういう親を敬うし、恩返ししたいという気持ちです。親から離れて自立を考えてはいません。家族との関係は、親は病院に連れて行ってもらうだけではなく、むしろ薬だけ飲まされることが恐いですから、僕が歌が歌いたいなら歌える、ギターが弾きたいから弾く、そういう絆が本来の親子の関係であり、安穏な生活となり、本当の自立になると思います。親は子供に夢を与え、それを叶えるために接してくれるのが本当の親だと思います。以上です。

多田;私は14歳で登校拒否から分裂病と誤疹され、以後きょうまでの36年間、薬を飲まされ続けています。そういう状況にある者から日本の精神医療は何か、というテーマについて述べたいと思います。
 1900年精神病者看護法ができるまでは、精神病者は座敷牢であったと聞いています。そのあと1919年に精神病院法ができますが、この頃は一貫して家族の責任において病者を隔離してきました。これは警察庁から指示が出されて、病者は社会の保安を守るとの見地から行われました。このとき呉修三氏は「日本の精神病者の不運は、病気のことは勿論、日本に生まれたことも不運である」と告発しています。
 その後1950年、精神衛生法が制定されました。この法律の目的は、「医療および保護の見地から病者の発生の予防をする」、となっています。さらに「健康は国民の義務である」とも書かれています。「義務」であると我々障害者は義務を果たしていないこととなり、拡大解釈すれば、かつてのドイツでの不幸になってしまいます。日本の場合の精神医療は治安対策として作られた法律と言えます。従って、病者を治療としてではなく、管理するためのものでした。この頃から家族、病者の改善のための運動が始まりました。
 そして1987年だったでしょうか、精神保健法ができました。しかし、ここでもまだ「発生の予防」が謳ってありました。これは我々病者から言わせると「強制入院法」だったと思います。「同意入院」とか「行動制限」が盛り込まれ、その後宇都宮病院での薬浸け問題などが起きています。
 宇都宮病院の件では、あの事件が発覚したきっかけは、入院患者が訴えを紙に書いて窓から外の道に落として、それを通りかかった人が読んで、警察に届けたことからでした。しかし、残念ながらここでは必ずしも家族と患者との見方が一致しない部分がありました。宇都宮病院は別名「北関東医療刑務所」とも呼ばれていました。つまり、ほかの病院、あるいは家庭の中で手に負えない人を受け入れていました。だから家族によっては、そうした薬づけや暴力的な病院だから宇都宮病院を選んだということもありました。そんな信じ難い事態が実際にありました。
 また一方、こうした病院に送らず、家族の中で抱えて社会からの非難や攻撃を避けてきた方もいっぱいいたと思います。私はそれまで、なぜ精神病院に入れたと両親を恨んでいましたが、この歳になって、自分も子供を持ってみて両親のとった態度が理解できるようになりました。
 精神保健法の特徴は精神保健指定医ができたことです。つまり、厚生省が医師の資格を認める、あるいは医師に義務づけを行ったことです。現実に指定医の資格を取らないと医師は病院に雇われないわけです。ここで、医師同士の中で分断がありました。
 それまで自由入院制度がありました。これは自分の意思で入院し、退院し、外出、散歩もできました。それに医師も看護婦さんも協力する、つまり患者の自力回復が促されていました。しかし、この精神保健法以降、自由入院制度に代わって任意入院制度ができ、自由入院制度が解体されてしまったわけです。この当時の厚生省の言い方は「医療で病者の犯罪を防ぐため」と公然と言ってました。これは言い方を換えた保安処分制度ではないかと思います。
 その後1995年に精神保健福祉法がスタートし、今年2000年4月からは改訂精神保健福祉法が施行されます。この法律の特徴は「移送制度」が新設されたこと、「応急指定入院」が位置付けられたこと、「在宅ケア」「ホームヘルプ制度」つまり病院から地域医療へというものです。ちなみに厚生省精神保健課の三橋課長がまとめた「新しい精神保健福祉法」(中央法規出版)という本があります。
 私は今回の法改正で「保護者制度撤廃」が要求されて、厚生省も一度受け入れました。しかし、現実には最終的に病院への通報というところで家族の責任になっており、変わっていません。我々当事者から見ると、この通報されることによって家族関係を断ち切られる思いがします。皆さんご家族は必死で、我が子のためにと思って通報されると思います。しかし、我々は逆に家族への信頼は崩壊します。
 例えば「措置入院」で、第23条から26条で申請、通報、届け出が知事に成され、保護者に連絡され、そのあと職員が派遣される、とあります。そこで、この職員というのは警察官かもしれないということでなんです。ここで事前調査が行われ、そのあとにやっと指定医が出て来ます。そこで指定医が「病者」であると診断されると「移送」が開始されます。ところが措置入院の場合、この指定医の診断がなくても、「措置診察のための搬送」ということで移送が開始されるということです。それで移送が開始されれば38条の「行動制限」ができるとあります。しかも、「トキワ警備保証」という民間警備会社が名乗り出て、都衛生局などの認可を得て移送の代行を行っています。民間業者の介入が認められているのです。さらに搬送時の「補助者同行」とか指定医の「診察時の補助者」という人物が出てきます。これを厚生省に問い質したら、この人たちは知事部局の職員であるとしていますが、警察官でも有り得るということです。「医療保護入院」の場合でも、相談窓口が設けられるのですが、ここから知事へ通報され、措置入院と同じような経路と人物が絡んで入院となります。行動制限では、搬送中、注射で眠らされることもあります。
 問題は今回の法改正によって、いままでこうしたことは疑問視され、非合法だが止むを得ないところで行われて来ましたが、これからは合法化されて行われることになります。しかも、なかば強制入院でありながら、移送に費やした費用は本人または家族の負担です。トキワ警備は1回の移送費が30万円ということです。民間委託とはこういうことです。
 また、重要なことは移送に関して病状のために治療及び保護が必要とされ、本人の意志とは関係なく入院させます。皆さんも厚生省が発行している「移送に関するガイドライン」をもらって読んでみればお判りになると思います。
 もう一つ、応急指定病院がいままでの10倍に増えます。措置、または医療保護入院で入院の場合、全国に散らばるこれらの病院に運ばれ、病者は家族とより切り離される可能性が高まりました。また、現在かかっている主治医とも切り離されることです。さらに地域との関係も切れます。今回の法改正の前に厚生省が出した要項案では「病状のために治療および保護が必要で、本人が入院の意味が判らない場合、家族の同意があれば移送ルートに乗る」とありますが、「但し」というのがあって「緊急の場合は家族の同意もいらない」というのです。確かに病状によっては本人は意思表示ができない場合もあります。しかし最後は家族がみるわけです。その家族の同意すらなくも移送のルートに乗るということです。
 それでいて、精神病院は他科の病院と比較して医師が3分の1、看護婦が3分の2でいい、という特例は全く改善されていません。欠格条項についても、これは病者は警察官、自衛隊、医者、調理士とかの数百の職業につけないというものですが、いくつか改善されたものがありますが、ほとんどそのままです。
 さらに指定医のしめつけが厳しくなりました。ある指定医がある患者さんを退院させて、その患者さんが再び社会的な事件を起こした場合、その指定医の首が飛んでしまうのです。これは、病者への上からの管理が強まることにつながると考えられます。医師は患者のために治療を行うことが難しくなることは明らかです。
 また、厚生省精神保健福祉課三橋課長が述べたことは「法務省と一緒になって、刑事政策の中で病者に対する対策を位置付ける」と言ってます。「治療処分」「保安要因」といった言葉も出しています。これは私にとっては本当に戦慄が走る言葉です。これは極端な言い方すれば犯罪を犯したことに罰するのではなくて、将来犯罪を犯すことが予測されるから罰するというものです。
 最後に私たち病者と家族が本当に力を合わせて、日本の精神医療というものを根っこから変えていきましょうというのが結論です。私も一時は両親を恨みました。なんで登校拒否で入院させるんだと思いました。しかし、今になって考えると、父親はそうせざるを得なかったということです。相談相手がいなかったんです。熱心な保健婦もいなかった、その結果として入院になったのです。
 皆さんのお子さんの中でも、入院はしていなくても時には暴力的になったり、昼夜が逆転してしまったり、と大変な苦労されていると思います。そこの部分では人間として苦労を共感すること大です。その上で、本当の精神医療とは何かを考えてほしいと思います。そして病者と家族とが本当に力を合わせて生きていけるような社会を作りあげていきたいと思います。
 そしてもう一つ、率直な疑問として、なぜ我々のような精神病者にだけ「精神保健福祉法」という法律があるのでしょうか。なぜ赤の他人が本人の同意、家族の同意がなくても入院させることができるのでしょうか。なぜ本人の意思を無視して行動制限させることができるのでしょうか。終わります。

質問:精神科医の分断化ということをいわれましたが、それはどういうことですか?

多田:日本法規出版だと思いましたが、厚生省の三橋課長が監修した「新しい精神保健福祉法」という本があります。その中に書かれているのは「指定医」の治療や診断で、患者さんが事件を起こした場合、厚生省は指定医からその資格を剥奪できるということです。そこで、この法律を認める医師と認めない医師とが出て来たわけです。認める医師は病院でも優遇され、認めない医師は職場を失ったり、開業医になったりしてやっています。つまり、ここに分断が起こり、良心的な医師は止めざるを得ないことになり、そのツケは我々病者の治療に悪影響という形で跳ね返ってくるのは当然です。

質問:日本の精神医療を悪くしている根源はなんですか?

参加者A:やはり厚生省や医師会の一部か、そういうところじゃないか。新薬の認定にしても、なかなか進展していないし、、、。

参加者B:そうそう。外国ではどんどん新薬が使えているのに日本はなぜだ、という疑問は誰でも持っていますよ。

参加者C:そういうところを牛耳っている人はどんな利益があってそんなこと言っているのだろうか。

参加者B:新薬で早く治さずに、古い薬で、しかも薬が多く使われれば点数が上がるからだと思う。そこから利益が得られる人たちが牛耳っているんですよ。

参加者D:いまの話を聞いていると、日本の精神病薬は飲まない方がいいと感じられるが、元々、私もアンチ薬だったわけ。でも、最近参考書を読んでいるとまず薬ありき、だから諦めて薬を子供に飲むことを勧める親になったけど、そういう話を聞くと、また迷いがでますね。

多田:あのう、日本の精神医療の中で、薬がどのよう扱われてきたかを述べますと、江戸、明治、大正頃まで薬などなくて病者は座敷牢に置かれていました。そして1950年、精神保健法ができ、1960代に精神病院が乱立します。その背景には抗精神薬の普及がありました。そして精神病院は「儲かる」ということもありました。それは先ほども言いましたが、精神病院は他科の病院より医者、看護婦の数は少なくていい、という法律がありましたからね。
 1961年だったでしょうか、精神衛生法が改正されます。その中身は警察官と市民による通報制度ができました。その後ライシャワー事件が起きまして、これをきっかけに警察が精神医療にグーっと足を踏み入れてくるんですね。それは厚生省の役人が精神医療によって病者の犯罪を防ぐと言い出したわけです。
 その中で抗精神薬の役目があるわけです。つまり、鉄格子に代わる、あるいは同等の役割を薬に持たせたことです。これは病者におとっては「薬による暴力」であったわけです。
 それは現在に受け継がれ、病者が薬はこれだけでいいです、と言っても、それを素直に認めてくれる医者は少ないです。必ず何らかの理由をつけて多く薬を出します。
 私個人の体験でも、保護入院になったとき大量の薬を飲まされてしまいました。その結果退院後、自転車にも乗れない、道をまっすにぐ歩けない状態が続きました。
 薬については患者と家族と医者と3者が一緒になって、真剣に検討して量が決められるものだと思います。いまの精神医療の世界では医者が絶対的な権力を持っています。だから、家族が薬が多いのではないか訴えても、それは認められない場合が一般的です。家族でもダメですから、ましてや本人が言ったって全く耳をかしてくれません。
 私は全く薬を否定するものではありません。私は二十歳以降薬を飲むようになり、その後十何回入退院を繰り返して、その中で経験したことは、ほとんど昼夜逆転するような薬を飲まされてしまうんですね。
 私が入院した良心的と言われるK病院では患者を一列に並ばせて、番号で患者を呼び「はい、口を開けて」と命令して、水と一緒に薬を流し込むのです。それがいまでも行われているんです。良心的と言われている病院ですよ。
 若い看護士が大の大人に命令して、名前呼ぶときは「○○ちゃん」です。時々病院に見習い看護士がきて、この様子を見ていきます。彼女たちは当然のこととして学んで行っちゃうんです。こうしたことが一向に改善されずに、病者の人権は潰されていくのです。こうしたことは、本当に真剣になって、家族の方、患者さんが力を合わせて断ち切って行かなければ、大切な息子さん、娘さんの将来は大変なことになると思います。
 ですから、ここでもう一度いいますが、今回の精神保健福祉法改正についても、じっくり見直して欲しいんです。一時代前の「強制入院制」、それに伴う病者の「人権剥奪」、「蔑視」、こうした文脈がちりばめられているんです。
 端的な例は「健康の義務」ということがあります。なぜ健康が義務なんですか。健康でない人は人間ではないのでしょうか。
 少し前、石原都知事が府中の知的障害者の施設を視察したあとの記者会見で、障害者を指して「彼らに人格はあるのかね」「安楽死につながる問題だと思うな」と言いました。このように精神障害者をはじめ障害者は疎んじられています。
 皆さんは家族として毎日頑張っており、それはそれで大変なことだと思います。しかし、そこから一歩踏み込んで、いろいろな病者の体験や、病状を知っていただければ、日本の精神医療に対する疑問点に気が付くと思います。
 私のようにこうして皆さんの前でペラペラ喋る病者は少ないと思います。でも、本当はグッと黙っている病者の方がより強く、今の社会に対する怒りとか、悲しみとかが溜まっていると思います。いまでも20年、30年と入院を続けている人がいますが、この人たちはいったいどれほどの悲しみとか口惜しさ、怒りがあるか、想像して頂きたいと思います。
 ある30年近く入院している患者さんは「俺は退院なんかしたくない。入院のままがいい」と言います。しかし、本当の心の奥は社会が受け入れてくれれば退院したいんです。しかし、その患者さんをして「退院したくない」と言わせる背景は何なのか。
 こういう人も最初の精神医療との出会いがうまくいっていれば、決して20年、30年なんて入院する必要はなかったんです。例えば医者の乱暴な扱いとか、判断ミスとかがあって、結果、家族や兄弟と分断され、病院しかいるところがない、ということになってしまった方が多いのです。

質問:いま、家族と患者とが力を合わせてやれば、と言われましたが、私の家族の場合も皆さんの場合もそういうケースは少なくない思うのは、患者自身が心を開いてくれないことです。あるいは家族ですら塞いでいる状況もあるわけです。その辺はどう考えたらいいのでしょうか。

多田:私の経験から話せば、それまで全く心を閉ざしていました。27歳の時に入院していた病院の看護士さんが消灯時間後に近くの焼鳥屋から焼き鳥を買ってきてくれて、私の話を聞いてくれました。それをきっかけで私の考えはガラっと変わりました。
 また、30歳を過ぎて名古屋の全国精神病者集団という組織の大野マヨコさんという人と出会いました。大野さんから「多田君、精神病者でも人間として生きていけるんだよ」と言われました。私はこの一言で、14歳からずーっと自分を否定して閉ざしていた心がきれいに晴れました。
 ですから、皆さんのお子さんでも心を閉ざしている方もいると思います。しかし、こうしたちょっとしたきっかけで、それも人間的なふれあいで大きく変わることがあるんです。
 しかも、病者は怒り、悲しみ、そういうエネルギーを多く持っています。黙っている人ほどそのエネルギーは強いです。だから、皆さんは自分のお子さんが周囲とのつながりを持っていなかったとしても、決して諦めずにねばり強く、接していって欲しいと思います。
 それで家族は精一杯楽しむことだと思います。患者本人も親が塞ぎ込んでいたら、自分の責任を感じます。最終的には自分を責めてしまいます。自分を否定してしまうこと、これは怖いことです。

司会:親が楽しむことについては黒川さん、野島さんもそう感じますか。

黒川:言われてみればそうですね。

野島:それはそうです。父親は海外へ出張が多いのでしょっちゅう出かけます。そんなときはのびのびやっていて欲しいと思います。

司会:今日は長時間にわたりありがとうございました。(拍手)

※紙面の都合で抜粋して記載しております。
会場で皆さんと語り合いませんか。

編集後記

 ほっとスペース八王子の多田さんから今回の講演を前に何度も電話をいただいた。会場への道順のこと、時間のこと、そして講演の内容のこと。こちらからお願いしたのに、たびたび電話をいただき、多田さんの誠実さに感服した。
 そして、さらに感服したのは話の内容であった。徹頭徹尾、日本の精神医療に対する疑問、追求、評価を行っている。自らは一見では病者とは思えないほどに回復され、ここまできたのなら、一般的には日本の医療制度に感謝、感謝ではなかろうか。
 なぜ、多田さんはそこまで日本の精神医療を追求するのか。それは、まだまだ現存する鉄格子の保護室、一部医療機関の精神的暴力とでも言うべき低次元の医療行為、国の保健・福祉法改悪、そうした制度のもとであえぎ、苦しんでいる当事者が現在も何万、何十万といる、その同僚への想いではないか。
 禅には「先度他」という言葉がある。先に他人を彼岸(極楽)に渡し、自らは此岸(地獄)で耐え、支えている状況をいう。
 多田さんの他人への想いと重なるような気がするが、また一方、だからこそ多田さんの回復があるとも思える。