思春期に起こる精神的問題

7月 勉強会より 講師  生田洋子先生(クリニックおぐら)

 私は岩下先生(新宿家族会顧問医)の大学の医局時代の一年後輩でした。今回のテーマである思春期の問題がクローズアップされて社会的にも問題になっていますが、私の勤める病院がそうした思春期にある患者を扱うことが多いことから、今回お声をかけてくれたものと思います。
 そこで今日は、思春期にある人たちが陥りやすい状況とか、見せてくる症状とか、あるいは病気のタイプといったことをお話ししたいと思います。
 思春期というのは子供から大人になる変わり目の年代であるわけです。女性の更年期も同じようなことがいえますが、体の変化が起こってくる時期というのは、その人にとって非常にストレスになりやすい状況にあります。特に思春期というのは変化が激しい時期で、気持ちの上でも体の上でも、変わってきますから、大変な時期を乗り越えなければならわけです。そこでその大変な時期を乗り越えるうえで、思春期を迎えるまでの間に、その人がどういうふうに生きてきたか、ということが乗り越えられるかどうかということと大きく関係してきます。

 基本的に思春期で起こってくる問題というのは、その根っこはずーっとさかのぼって赤ちゃんの時代から、思春期に至るまでの間に積み重ねられてきたことの清算といいますか、要するにいままでの中でこういうことを自分はしてこなくて、それをしなければこの先には進めないということが、思春期の時に問題となって起こってくると思います。
 小さい子というのはとても適応力があって、我慢強いんですね。で、そういう子供のころに、自分でもかなりいろいろなことに我慢してきて、我慢してきたことが何らかの妨げになって、自分の中で解決されないままに、残って積み重なってくるということがあると思います。それが思春期になってバランスを失いやすい、体の上でも気持ちの上でもバランスを失いやすい、そういう時期に、それまでは我慢してきたが、これからはできないぞということになってしまって、それでさまざまな形で問題を起こしてくる患者さんがいます。

 例えば家庭内暴力、これは減少傾向にありますが、引きこもりになる人が最近はとても多くなっています。例えば非常に優秀な成績のお子さんが、ずーっと引きこもってしまい、パソコン三昧の生活になったりします。その子は頑張らなければならない、いい子でやっていかなければならないという、親の無言の期待をすごく感じとってきていたのではないか、と思います。彼はそれでエネルギーを使い果たしたのではないか。感覚的に敏感な人たちは対人関係で非常に傷つきやすいし、傷つくということはエネルギーを消耗することなので、エネルギー切れになってしまうのです。そうなると憂鬱になって、何かをしようという気力がなくなります。そこで家でごろごろしたり、TVゲームやパソコン三昧の生活になります。
 引きこもりの例ではさまざまな人がいます。一見何も外には問題を見せないような子供たちで、普段乱暴なこともなく、3度の食事は食卓に来て食べるし、あいさつもするし、でもそこから先に進まないというケースが多くられます。
 このような一見淡々と穏やかな人たちでも、よーく話を聞くとものすごくいろいろなことを考えていて、感じ取っていって、頭の中ではものすごい作業が行われているということがわかります。例えばインターネットでチャットを行っていて、その中でのやりとりではとても深刻な会話がなされていたりします。おそらく彼らの心の中にはそうしたやりとりがしたくなるような気持ちがあふれているのではないでしょうか。でも、生身の人間関係の中では出せない、親であっても出せない、そういう対人関係しか持てない程に人間というものを信用できないでいることが引きこもりにつながっているのではないかと思います。何らかの生身の人間関係の中で、相手が本当にわかってくれたと思えたり、生身の感情として通じるものがあると、それを軸にして少しづつでも先に進んで行けるのではないかと思います。

 患者さんが診療所を訪れてそのお話しを伺っていく中で、やはり問題が起こって来るにはそれだけの理由があるんだな、と感じます。その人の性格というか持ち味、もちろんそれがあって、いろいろ問題が起こってくるわけですが、例えば恥ずかしがり屋とか、怖がり屋とかですね。非常に傷つきやすくて感受性が強い。そういった人たちが小さいころから、ずーっと傷つくような体験をして来て、ひとつひとつは小さな体験と思われてしまう事なんだけれどもその人にとっては非常に大きな傷つきであったわけです。そこで結局、その積み重ねのために自分のエネルギーがないような状態になってしまって、それで社会に出られなくなってしまったと思います。そういう人が最近多くなってきています。
 気分が非常に不安定になり、ひどく落ち込んで生きていられないくらいに思ったり、自分を傷つけずには居られなくなったり、イライラして怒鳴ったり暴れたりしてそれでまたひどく自分を責めたり、何もやる気になれずごろごろしてばかりいてそれを又すごく苦にしたり、人にどう思われるかが気になって人がこわくて外出できなくなったりします。 
 思春期の症状としてよく出てくる摂食障害があります。これは特に女性に多く見られるものですが、いわゆる過食症と拒食症ですね。食べることに非常に問題が出てくる障害です。要するに全然食べないで、体がガリガリになってしまって、内臓まで調子が悪くなってしまっている状態でも食べない、太りたくない、やせていたいから食べないということですね。また逆に食べて食べて止まらなくなる、お菓子だったりご飯だったり、いろんなものを食べまくるわけです。中にはゆでてないスパゲティまでガバガバ食べてしまうという人もいます。それで太りたくないから吐いたりするわけです。

 こうした摂食障害の方たちも最近ものすごく増えています。 摂食障害において時に見られるのはお父さんが仕事一筋で、お子さんがお母さんと一緒にいつも家にいるという家庭環境です。家庭の中でお父さんは何をしてるのかな、というようなケースが多く見られます。そういう場合にお子さんが親に問題を突きつけてきて、その結果としてお父さんが職場を変えたり、やめたりしてお子さんと真っ正面から向き合って、格闘するようになると、状態が変わってくるということがよくあります。

 それと強迫症状ですね。何かがすごく気になって、こだわるという症状があります。例えばカギをかけるにしても、何度も何度も確認せずにはいられないという人がいます。あるいは何か考えが浮かんでしまって、それを止めることができない。そういう強迫観念を主に出してくる人もおります。
 
 だいたい思春期に特有というか、特徴がよく現れるということになるとこうした症状だと思います。それで各々の程度がそれぞれ違っていて、中には半年、1年は大変な時があったけれども、そこで乗り越えてすっかり成長していってしまう人もいますし、思春期の問題をずーっと抱えて、もう大人といわれる年代になっても非常に大変な思いをされてる方もいます。それはその人がどれほど大変な思いをしてきたか、また、本人のもともとの持ち味の偏りの強さとか、その他に本人が持っている力であるとか、回りの人がどこまで本人に対して援助する力があるか、といったようなそれぞれ問題の深さによってちがってきます。

 思春期のお子さんが問題を出して来たときに、1人ひとりから話を聞いてみると、その家族全体が問題を抱えているということが往々にしてありました。家族の中に不公平があったり、誰かがムチャクチャをやっていたり、あるいは誰かがひどく我慢していたりすることがありました。子ども達が症状を出してくるのはそのような問題を何とかしようとする無意識的な力の働きであるように思えます。
 思春期の人達の起こしてくる問題に対してはさまざまな病名が付きますが、病名にはあまり意味がないと思われることがしばしばです。一人ひとりが異なった家族関係や社会との関係の中で生きてきている。その人のそれまでの人生を最初から振り返って一緒に考えて、足りなかったこと、やり過ぎだったことのつじつまを合わせる作業を手伝う、見守るという視点が大切ではないでしょうか。
  一つのアプローチとして、人間はあまり自由過ぎると不安になる場合があります。自分は何をすればいいか、どうすればいいかがわからないと混乱してしまうことがあります。壁があれば、そこにぶつかったときにどうすればいいかを考えることになります。この壁がないと反応もできない、自分のこともわからないということになります。例えば親との関係でもそうです。親がひとつの実像としての壁にならないと子どもも向き合うことができないわけです。子どもはそうした親を見失ったときに混乱してしまいます。

 今なぜ思春期の子ども達の起こす問題が増えてきているのか、難しい問題ですが一つは子どもたち全体がこれから先どうやっていけばいいのかという方向性を見つけられないでいるような感じがします。現在は世の中の価値基準もあいまいになってきているし、例えば東大に入って官僚になった人達にもあのような不祥事が続くようでは、一体どうするのがいいのか、親の言うように勉強していい学校に行くことには価値を見いだせないぞ、と思うようになっても当たり前でしょう。おとな世代もわからなくなって自信がなくなっていますから指標を示すことができない。だから本来エネルギーに満ちあふれた存在である子どもたちの中に、方向を定められないエネルギーが堂々めぐりしていて、それが噴き出すときにはとんでもないようなところに噴出してしまうのではないでしょうか。子ども達の世代が持つ問題は大人世代の問題を映し出しているようにみえます。 
 
 大切なのは一人ひとりの子どもに真剣に、その子に則して考えるんだという態度を明らかにしていく、示していくことが根本ではないかと、私は日常の診察で考えています。あくまでも本人が本人の方向性を出していく、それを我々が援助していく、そういう姿勢が大切だろうと考えています。
 大人が「真剣」に子ども達と向き合うべき時にきちんと向き合えず、上っ面だけの対応になってしまうことが多くはないでしょうか。子どもの気持ちを理解しようとせずに頭ごなしに子どもの意見を否定したり、逆に自分の考えや気持ちを相手に分かってもらうための努力をせずにあいまいにして伝えないままにしてしまったりしがちではないでしょうか。子どもの話を誠意をもってきちんと聞き、自分の気持ちや考えを正直に伝え、自分がまちがっていたと思ったときはきちんとあやまるというような、人と人が付き合う上での当たり前の礼儀を、おとなは子ども達に対しても持つべきだと思います。

編集後記

 暑い。そして、とにかく忙しい。ついに「フレンズ」7月号編集はパスとなってしまった。紙上を借りてお詫びをしたい。そんなことから新宿区社協ボランティアセンターに泣きついたところ、今月号から合田さん(ボランティア・元出版社編集者)の心強い応援が頂けることになった。ありがたいことだ。
 さて、生田先生には過酷なテーマでお話をして頂くことになってしまった。外科、内科、歯科まで含めると国内に何万人か何十万人かの医師がいると思うが、精神科医師ほど難しい科目はないのではないか。それは患者の症状が親、兄弟、周囲といった環境によって大きく左右され、患者本人の人間性なども結果に影響されるからである。
 それゆえ、この病気の治療において、パターンや統計といったデータがほとんど役に立たないという先生の言葉もうなずける。やはり、「心」の問題は一人ひとりが違っていてこそ人間であるということだろう。
 そして、現代社会において「真剣」という言葉に重みがなくなってきているという指摘があった。「青少年問題」は大人が子どもを考えるのではなく、大人が大人を考えるテーマであったような気がする。「真剣」を真剣に。