家族交流会・私が思う心の病い

新宿家族会8月例会より 特別参加 桜美林大学経営政策部
                 ビジネスマネージメント学科の皆さん
                 ボランティア 合田俊知さん

司会
 今日は特に先生をお呼びして講演を聞くという会ではないですから、家族同士でみなさんそれぞれに悩みを持っていると思いますので、お互いに話し合いながらみんなで考えようという会にしたいと思います。また、きょうは桜美林大学経済学部の学生さん3人が見えています。インターネットホームページの我が「フレンズ」見て、障害者福祉問題についてレポートをまとめるために、家族会活動を見学したいということで要請がありましたのでお出でいただきました。また逆に私達からも学生の皆さんに質問してみたいと思います。
 それからきょうはお二人、初めて参加された方がおります。早速ですがAさんからどのようなことで家族会に来られたか、その辺からお話いただけますか?

Aさん 長男が結婚して子供が2人できてから具合が悪くなりまして、今隣に住んでいるのですが、特に凶暴なことはないんですが、15年になります。それで、本人の嫁がここでちゃんとお母さんも勉強してくださいってことになりまして、区報を見て、今日、電話してからお伺いしました。

司会 お子さんは何歳になられるのですか?

Aさん 47歳です。

司会 そしてもうひと方は・・・・。

Bさん ウチの場合病気なのは長男で区内に住んでおります。主人が転勤で関西に行ってます。色々問題が多く、息子と一緒に暮らすのが不可能な状況になりまして。私に向かっての無理難題があまりにも多く、、実はこの前の3ヶ月病院に入院して、退院したところで先生から病名を宣告され、自暴自棄になりぎみです。ある程度妥協して暮らすということが難しく、目指しているモノが高すぎて、未だに自分で自分の実力を認識できないまま高いところをねらうものですから、たまらない状況が何年も続いていたのです。2年ほど前に末の娘と2人で家を出まして、未だに私達に所在を本人は明かしていません。

 私が転居してすぐに主人が関西転勤になりまして、私が東京と関西とを行き来しているのですが、「母親に会わせろ」と年中本人が言っているようです。会っていい状況になるといいのですが、ともかく今の状態だと、恨み辛みだけになてしまい、もう少し様子をみようということで、今はそのままの状態です。今までは病院の家族会が第3土曜日にあったので、そこには入院した当初丸3年半ずっと無欠席で通ってました。病院の家族会もいい面もあるのですが、もう少し地域に目を向けて、地域を怖がってばかりいてはダメだと思いまして、こちらに参加しました。私自身がまいってしまっています。

司会 そうですね。私たちのの問題は我々当事者を抱えた家族だけで固まっていても解決の道は拓けないと思います。当事者だけで固まっていてもダメでしょう。いずれにしても、我々が社会と接触し、交流を持つことによって、我々の息子や娘たちも自ずと社会に出ていくことができるものだと思います。そういう意味でこの家族会例会の席にきょうのように桜美林の学生さんとかがどんどん入ってきて欲しいと思います。
 また、きょうは東京ドロップインセンターの沢田さんもお見えになっていただいております。

沢田さん きょうここにお持ちしたのは、聖路加看護学会誌(Vol.4 June 2000) という専門家の雑誌がありまして、私のトークが載ったことがあります。それを東京女子医科大学看護学部教授・田中美恵子先生がこのような別刷り(ある精神障害者・当事者にとっての病の意味ーSさんのライフヒストリーとその解釈)として製本してくれました。新宿家族会の皆さんにと寄付して下さいましたので、1部づつ取って回して下さい。ここまでまとめるのに5年間かかりました。

司会 ちょっと要旨を読んでみましょう。「・・・・・解釈学的立場から解釈を加えた。ここでは精神障害当事者Sさんにとっての病の意味を理解することが目指された。解釈の結果Sさんの人生の中心的な意味はスティグマ(Stigma・汚名、烙印)からの自己奪還として理解された。又Sさんの人生の中心的な意味を形成する事柄として“精神病の母の子として生まれたこと””病後そのものからくるつらさ”“外傷体験としての母の精神病入院”“スティグマからくる混乱さとそこからの脱出”“自己変革の為の努力”“仲間との出会い”“世界および自己の解釈の変化”“解釈の共有としての語り”が確認された。」

非常に学問的なところから見る病気の見つめ直しをしていますね。こうした分析によって病気解明の道が開けるかもしれませんね。

沢田さん ドロップインセンターは毎週火曜日午後にこの障害者福祉センターで行っています。いつも少人数でこぢんまりとやっています。時々本人だけでなく家族の方や、精神科の先生、大学の教授が来たりもします。先日も家族会さんが出している「インターネットを見て来ました」という人がいまいしたが、これで何人目だったかね。

司会 沢田さん、ありがとうございました。今日のテーマは“私が思う心の病とは”という仮の題名を付けた家族交流会です。家族会の活動などに対して何か意見などありましたらどうぞ。

Cさん 毎月ここに参加させてもらうのも精神的な悩み・苦しみから逃れられると思います。私と似たりよったりの環境の方々も多いと思いますし、またきょうは先生のいない勉強会でみなさんの意見が聞けるので期待して来ました。

 最近、うちの次男はアルバイトを夕方ちょっとやりはじめました。内気で友達もいない、趣味もない、ふだん昼間外で私達も仕事があるので、彼が家に一人でいることを思うとかわいそうでかわいそうで、夜アルバイトから帰ってきてからの数時間が天国のように楽しい時間のようです。我々も言葉を選んで話をしたり、顔色をうかがって話したりします。

 調子がいいときは“普段しているこういうことを改めなさい”と注意出来るのですが、そうじゃないとき、例えば目がつり上がっているようなときは気を使います。今年は2回ほど大暴れしました。大暴れしたかと思うと急にしおらしくなったりして気性が激しいとでも言うのでしょうか、その辺が全くわからないのです。こんなこともありました。ちょっと遠出をするという前日の夜中にどうも緊張してしまったようで、じっとしていられなくなり、部屋中にあたりちらしていたのです。“

 心の病”を持っている人は我々が想像もつかないようなきっかけで暴れたりとなったりするみたいです。自分達自身が耐えるだけならともかく他の人達に迷惑をかけているのかもしれないという事はたいへんにこわい事なのです。

司会 ウチにも壁に3つぐらい穴があいてます。それを自分自身でカレンダーなどでふたをするようになりました。彼はその当時なぜ、そう殴ったりしたくなるのか、興奮状態になるのかはわからないと言います。

沢田さん 理屈じゃなく無意識なんですよ。本人自身もわからないんです。あとやっかいなのは“テレパシー”とかいう状態です。はっきりと何か言葉がきこえてくるんと言うんです。

Bさん Cさんのご両親はご本人が緊張したりするのを理解されている様ですね。なにから緊張してしまうんでしょうか。本人はかなり敏感なのでしょうね。

司会 私の息子の場合もなにか予定したりした時の前日なんかに興奮することが体験を経て感じました。最近では小さなことから徐々に話をして引き出してみています。

Dさん ウチの場合は他の子からおどされたのがキッカケで閉じ篭りぎみになっちゃっいました。病院の先生に相談して外へ出ていっていろんなことを自分が感じることが大事なんだと言われたんですね、まぁ派手に遊ぶことがなくなりストレスがたまってきた頃でしょうか、夫婦間でちょっとした口ゲンカがあったときにキレちゃってモノをバーンとこわしたんです。そのときはこのような心の病とは思ってなかったので、家庭内暴力として受けてとめてたんです。

 それから学校には行けない、外に出るのがこわいと本人は追いつめられた感じでもの凄く悩んでいたんです。それで私達は学校へ行けと言うことが本人にとってはとてもしんどいことなんだとわかって、遠回しに言ってみたりして会話をしてきました。みなさんのところみたいに暴れたってことはこのときくらいでしょうか?そのときは“マズイな”と思ったので気を使いました。

Cさん 心の病気っていつも何かしら不安なんでしょうね。ウチの子は病院へは2~3年通ってません。私が行って薬をもらってきます。今アニマルセラピーをやっています。猫を飼っているんです。でも、猫もわかるんですね。息子が機嫌が悪くなるとすぅっといなくなって、おとなしくなるとすっと戻るんです。

司会 アニマルセラピー、是非、ウチでもやってみたいですね。

Aさん 皆さんのを聞いているとウチはまだいいのかなと思いました。ただ病気が長く暮らしが別なので、具合が悪くなるとウチに泊まりに来て、次の日はケロっとして戻っていくのが10年くらい続きました。ここ半年くらいはどういうわけか来ないんです。医者からはなるべくみてあげるように言われたので、どうしたらいいのか悩んであちこちカウンセリングに行ってみているんです。特に凶暴なことはなく、仕事もしていない状態なんです。花をいじったり、子供にかまったり、後片づけなんかするのが好きみたいでここの障害者福祉センターに1ヶ月位通ったことがあるんですが、いつの間にかやめちゃって、自分の世界に閉じこもっちゃうんです。

 たまに「仕事だから」って外に出ることがあるんです。外でばったり会ったとき「お茶でものまない?」と声をかけたんですが、「今 忙しいから」って、何をしているのかわからないんだけど私も帰るに帰れなくって。心配なんです。お嫁さんもかわいそうで、時々せつなくなってしまいます。病院へは調子がいいときは自分で行くようにしてますが、私が行ったりもします。もう10年以上もこうなんで…

司会 ウチも7・8年なるんです。この先もこのままかと考えますし、また一方医療技術も発達していますし、なんとかなるんじゃないかって期待するんですが。発病だとわかったときなんて、本人以上に周囲の親達が混乱していますから、やっぱり本人のこれからの事を考えると、よくなる方法があるのであればなんとかしてあげたいなって思うんです。

Bさん よくよく考えると小さい頃から問題があったのかなって思いますね。活発な子で反抗期にはモノを壊すような乱暴をしたり、先輩にイジメられたりしましたね、学校の先生は理解してくれなかったんです。当時、私達もなぜ規則を守れないの?と思ってました。

 あるとき、車に乗っていて走っている最中にドアを開けておりようとしたんです。もう驚いちゃって、とりあえず知り合いのひとが紹介してくれた精神科の病院へ行ってみたところ、先生は私達に「分裂病ですね」と言ったんです。もう私達は恐ろしくなって、息子をかばうどころじゃなく病院なんか行きたくないって思いました。でも、相変わらず反抗期が続き、本人も苦しくなったんでしょうね。自分自身で病院に行ったんです。

 転々と病院を変えてたようですが、私が最初の先生に2ヶ月おきぐらいで相談しに行きました。ある時、その子が原因で家がボヤをおこしてしまい、本人も反省したのでしょうか、家を出ちゃいまして。数ヶ月後、電話がかかってきて、「心臓が止まる」「ともかく苦しい」と、あぁこれは単なる反抗期じゃないんだと思いまして、家に戻した所、したい放題になってしまい、私達家族も眠れない日々が続きました。暴力もありました。たまりかねて先生に相談したところ、入院させる病院を紹介してもらいました。

 わらをも掴む思いでその病院へ行ったんですが、半強制的に入院させられ、医師は病名を私だけでなく本人にまで言ってしまったんです。退院後、「騙して入院させた」「一生この病気は治らない」と大騒ぎしたんです。その1年後に私は家を出たんですけど、本人は大学進学を諦め、専門学校へ通いたいと言ってきたんです。その専門学校はちゃんと卒業しましたが、思いこみが激しいものですから何かしようと色々考えているようなんです。ところが、相手はそんなつもりもないようで、「やるならやって」といった具合なのに、一人でのめり込んじゃって、できないことを家族のせいに押しつけちゃったりするんです。

 そこでちょっと質問なんですが、ヘルパーの制度があるようなんですが、今、週に1回民間の家政婦さんに来てもらっているんですが、すごい高額なのです。今の家政婦さんは病気のことを知らないんです。もし、ヘルパーさんでも、そのような病気を知った上でできる方がいればお願いしてみたいのですが・・・

司会 身体障害の方はそのようなヘルパー制度は充実しているようですが、精神となるとまだあまり活発ではないのが現実のようですね。世田谷区あたりでは進んでいますね。都の中部総合精神保健福祉センターあたりにきいてみたらいかがでしょう。

 それから、みなさん地域との接し方ではどうされているのでしょうか。精神の病気というと恥ずかしい病気と思ってしまったりして、何か隣近所と遠ざかってしまっているようなことありませんか。あるいは逆に隣近所に理解者がいて、支援されているような方とかおりませんか。

Dさん ウチの娘は今44歳になるんですが、20歳前後におかしいなと感じまして、私自身、精神のことなど全くわからないですから女子医大の方からきいて病院にいったんです。医者にかかれば医者は治してくれると簡単に思ってました。状態や薬のことなど色々聞かれるなんて思いもせずに一緒についていったんです。医者から「分裂病だ」と後になってから言われた時、そんなのあるのかなと思って。ウチは女の子で乱暴なことはなく、とりたててこうってワケではないのですが、ずっとですからね、20何年間。
沢田さん そういう近隣との問題では、当事者同士のコミュニケーションも大事ですが、社会に対してどう訴えるかが大切だと思います。私は新宿区の議員さんにこのドロップインセンター会報を全て送っています。それから都議会委員、小野田新宿区長、さらに石原都知事だけでなく、総理大臣にも送っています。それから全国の保健所にも送っています。

司会 私も区長に「フレンズ」を毎月送っていますが、情報を流すことは大切だと思います。

沢田さん 全国にニュースを送ること、宣伝をすることが重要なことです。継続は力なりです。捨てられてもいいですから送り続けることでしょう。そうすれば、世の中は徐々に変わってきます。新宿家族会は30数年も続いていますね。そういうことから社会も変わってきました。そういう歴史の積み重ねがあって法律が変わり、それに伴って、精神の問題も見直されてきました。でも、社会的偏見もまだあるなと感じていますが、ここ10年は非常に変わってきたのが実感です。

Eさん 先日、テレビで北海道浦川市の「ベテル」を紹介していましたが、施設自体が生産して社会と共存している様子が非常に羨ましくみえました。新宿区では事情が違いますから、全く同じ様な事はできませんが、是非見習いたいと思いますね。それと、メンバー一人ひとりが創意工夫というんでしょうか、皆さんをルールに入れるのではなく、それぞれの出来ることをうまく出していました。

 たまたまこの新宿家族会に集まった人達の当事者の方に友達がいないとかの話がでますが、もっとお互いの当事者同士とか社会に出ている人達との交流がもてればいいというのが、私の課題です。そういう意味では私自身も余所様の病気のお子さんの所に行ってあげたいと思います。

司会 当事者も障害の面だけをとらえられて、受け身的な対処の仕方でいるよりも、できればボランティアとして外へ向かっていく位の気持ちがあってもいいんじゃないか、まあ、症状の程度にもよりますが、それも社会との交流の1つだとも思います。

Fさん ウチの息子の場合、家族に見守られていると実感できる時は、とても安心しているようですし、見放されていると感じるとすごく不安になるようです。

司会 自分自身のベースとしての安心感というかな、そんな感じが必要なんでしょうね。
Jさんはかつて病気の体験を持った方ですが、その辺はいかがですか。

Jさん(体験者) そうですね。友人ということで言えば、仕事をしていた頃の友人では僕の病気について話せるような人はいませんね。話せるのはやはり学生時代の友人でした。

司会 そこで学生といえば、きょうお見えになっている3人の学生のみなさんにご意見を聞きたいですね。Kさんは福祉に関心を持ったきっかけは何でしたか。

Kさん 2年前アメリカに行ったとき、アメリカの福祉の充実ぶりに驚きました。それで日本もあんな風にならないといけないんじゃないかと、その当時は漠然と思っていて、それから大学に入って、福祉を選んだんだと思いますが、そのアメリカでの体験が基盤にあったんだと思います。

司会 アメリカの福祉が進んでいたというのは具体的にはどういうことでしたか。

Kさん いまでこそ日本にようやくバリヤフリーという言葉が定着して来ましたが、当時はまだまだだったと思いますが、とにかくアメリカでは映画館にまで車椅子用のスペースが確保されていたりしましたし、デパートでも必ず階段などに手すりがついているんですね。

司会 なるほど。では隣のLさんに、きょうこの家族会を見学されて印象はどうでしたか。

Lさん 始めて知った世界でした。でも、いま社会で精神の病気ゆえに起こったとされる事件が続いているワケですし、こうした問題は身近なところで起きても不思議ではないと思いました。

司会 はい。この病気は100人に一人の割合で発病すると言われている病気です。私も息子が発病するまでは全く関係ない世界でした。やはり一般の方々にもっともっと知って欲しいと思いますね。
では、Mさんはいかがですか。

Mさん 私の母の知り合いの家族に痴呆症の人がいまして、勿論当事者の方が大変なのですが、家族の方も大変な状況にあると聞かされていました。きょう、皆さんのお話を伺っていて、そうした当事者を抱えた家族の方がいかに苦労されているかということが良くわかりました。

Nさん 私は先月桜美林の学生さんが、きょう来るという話を聞きましたので、学生さんにカリキュラムを持ってきてくれないかと頼んでおきました。いま、いただいて拝見していますと、精神医学とか精神保健福祉論、医学一般、障害学、学校保険学、社会福祉とマネージメント、社会保障論、地域福祉論、社会福祉援助技術といった科目が並んでいます。日本は高齢者福祉には最近目が向けられているようですが、こうした科目からみると高齢者だけではない、他の障害者福祉にも目が向いてきたのか、という感じがしますね。

では、いま大学で精神保健福祉はどのように学ばれているのか、という意味でカリキュラムの解説を読んでみます。
 精神保健福祉論・まず精神保健はどのような理念に基づき、どのような福祉施策がとられているかとの概要を述べる。ここではICDに基づく精神障害の分類と特性についても触れる。
 次ぎに精神保健福祉士の理念と意義・精神障害者の人権、彼らに対する相談、援助活動、精神保健福祉法や精神保健福祉士法などの精神障害者に対する法律の意義と内容。精神保健福祉の行政組織や公的負担制度、精神保健福祉の課題、さらに精神障害者の雇用や経済的問題、生活環境の改善施策等を取り上げる、となっています。

 私は別な場所でも他の学校のカリキュラムとかを見る機会があるので、思うのですが、一昔前まではこうした科目などどこにも見られなかったんですね。これからはきょうお見えになっている桜美林大学の皆さんもこうした学問を学ばれて社会に出ていくわけで、あるいは高校の福祉学科あたりでもこれに近いような知識を身につけて世に出られるワケです。こうしたことからまず社会全体が私たちの問題を理解してくれること、あるいは手を差しのべられる意識を持った人たちが、この世に増えることで偏見とかが無くなって住み良い社会が期待できるのではないかと思います。桜美林の学生さんがきょうの家族会見学をきっかけに、何かが始まるということを期待したいと思います。

 今回はKさんがフレンズにメールを送ったことから、このような出会いが生まれました。これから大学に帰り、教授や仲間たちに是非家族会というところが、皆さんの活躍をしていること、こういう気持ちでいるということを伝えてほしいと思います。

司会 出会いから何かが生まれますからね。是非・・・。さて、Pさんはもう家族会では30年近くも活動されていますが、今の話はいかがですか。

Pさん そうですね、当時は偏見だけでした。きょうのような雰囲気は考えることさえできませんでしたね。私は作業所をみていますが、作業所にも東京医大とか女子医大の看護学生たちが、週に何回か卒業のための勉強にいらっしゃいす。始めて来たときは接し方もわからないし、何を話したらいいかわからない、っていっていた人が帰るときは、皆さん病気のことを意識させないほど明るいし、いい人ばかりといって帰っていきますね。だから、わたしも桜美林大学の皆さんに、学校に帰ったら、「精神障害の人たちはこういういい人ばかりなんだと広めて欲しい」と伝えています。

司会 さて、きょうはもう一人、一般から参加された方がおります。この「フレンズ8月号」編集をボランティアとして手伝ってくれた合田さんです。

合田さん 合田です。では一言。昨日の新聞に自殺の統計がでまして、3万3千人ということです。この数字は大騒ぎしていい数字ですが、社会は全く疑問すら持たない。住み難い世の中なんだなと思って読んだのですが、きょうここに来て皆さんの話を聞いていたら、いや、結構そんなこともないな、と思いました。

 それから先ほど学生さんがアメリカと日本の福祉施策が違うと言われましたが、その裏には市民意識が違うということがあると思います。だから、法律改革とか福祉施策の向上とかを叫ぶ前に、日本人は市民とは何かを学ぶべきだと思いますね。

 今私は新宿区原町にあります視覚障害者のためのカセットテープによる声の会報づくりをボランティアで行っています。その関係で社協に行ったとき、こちらのボランティア要請を見まして、今回手伝わせてもらったというワケです。それから私は原町町内会会長もやっていて、神社の草取りなどもやっています。皆さんもたまには来て下さい。

司会 私がいま本業の方が非常にばたばたしていまして、落ち着いてフレンズに関われない状況があったものですから、社協にボランティア要請の申請を出しました。真っ先に合田さんが名乗り出ていただいたということです。

 ここで、合田さんにフレンズ編集を手伝っていただいたことで手間が浮いたかといえばウソになります。しかし、それ以上の収穫がありました。これまで全く私一人の編集でしたが、合田さんのペンが入ったことで、同じ事柄でも、また別な見方があることを発見しました。会報とは本来そういうモノでなければならないと思います。そういう意味で合田さんには感謝しております。

Qさん あのう合田さんは町内会の方もやっているというのでちょっとお聞きしたいのですが、私の息子は区内で独居生活しています。そのことを町内会にも民生委員の方にも伝えていないのです。伝えた方がいいでしょうかね。保健所には伝えてありますが。

合田さん ひとつ言えることは民生委員にしても町内会長にしても、そのひと個人の人間性によります。また、問題が発生する確率がそれほど高くもないのに話す必要はないと思います。

Rさん 私は以前民生委員を5年ほどやりました経験から、もし心配なら話しておいた方が問題が起こったとき対処がスムーズだといえます。

Qさん 誰が民生委員かも知らないのですが。

Rさん 区役所でわかります。

Nさん 私はご本人にそのことが知られたらイヤだと思います。それから民生委員とか町内会長さんが合田さんみたいな人ならいいんですよ。組織の長に伝わると、それは事務的に下部まで伝わりますから、逆効果の方が大きいと思いますよ。それよりは隣近所で親しくしていて、人柄がわかっている人に伝えておく方法の方が安全だと思う。魚屋の主人でもいいし。

Sさん 私は民生委員が全てそうだとは言いませんが、民生委員から被害を受けた経験があります。それは公的な職には守秘義務が定められていますが、民生委員にはそれは特に定められていません。もう一つ私の知っている話では不動産屋の社長が民生委員をやっていて、その肩書きで商売しているんです。家庭内事情を知っていますから近々あの家は独居になるから、家を売りに出すとか、ですね。

Rさん 民生委員は町内会長、区会議員などの推薦を受けてなるのですから、それは特殊なケースでしょう。だれでもなれるものではないのですね。

司会 きょうは普段なかなかできない会員同士の話合いができたり、また、合田さんや桜美林の学生さんなど一般の方の参加もあり、有意義なお話を聞くことができました。ありがとうございました。
                                    司会=岡嵜

編集後記

 暑い夏が終わろうとしている。それにしても今年は天変地異の激しい夏であった。伊豆七島の火山噴火や多発する地震。極地的な豪雨。何か天は怒っているのだろうか。心当たりが無いわけでもないが・・・。
 そして、我がフレンズ編集室にも新しい息吹が吹き荒れた。編集子の多忙が災い転じて福となった。新宿区社会福祉協議会にボランティア要請して3日後、まず合田さんから連絡がきた。そして先月号は出来上がった。それから一週間後、金子さんの紹介を受け、合田さんと三人で打ち合わせ後一週間後には菊池さんから、そして昨日練馬区の方からの応募があった。
 今回の家族会の席でも述べたが、我々家族会は家族会だけで固まっていても何も始まらない。外部からの新鮮な風、息吹を取り入れる必要がある。先輩のいう「三十年前はこんなことは考えられなかった」はまさに時代の変化を言い表している。
 そして社会と我々の世界をブッ太いパイプで結ぼう。それが21世紀だ。