引きこもりを再考する

9月 勉強会より 講師  川崎市あやめ会(家族会) 小松 正泰さん
(現・全家連理事長)

【はじめに・私の場合】
 ひきこもりについてはかねがね思っていることがあって、それは全家連発行のレビュー23号に書きました。「引きこもりは本人も大変だけど、一緒にいる家族も大変なんです。みなさん知ってるでしょうか?」ってあまりにも言った結果、編集委員の中では「ミスター引きこもり」みたいになって、特集を組むときお願いしますって感じになってしまったんです。この文章は東京都精神保健総合研究所の白石先生と一緒に書きました。白石先生は非常に優れている先生ですが、あの人は私の息子と同い年なんですよねぇ。頼りにしようと思ってる先生の歳が息子と一緒なのは残念でした。結局、そういうことで、ウチのがずっと引きこもって困っていることがあってレビュー22号の文章が書けたということです。だから、そこにでてくるYというのはウチの息子なんです。

 引きこもりは千差万別で、部屋から全く出ない人がいます。家族もいるけど、部屋から全く出ない。対話もなくて、用事があるときは、なんか走り書きしてドアの下から出してくる。便所とかどうしてるのかなと思いますが、なんとなく気配で感じて、家族とも顔を合わせないようにしてるんじゃないかと思います。

 引きこもって、今の部屋から全然出て来ない、家族と全然対話もないっていうのは、ホントに異常だと思います。もうちょっと積極的に、顔を合わせて挨拶とかすればいいのにと思うんですがね、それが長い間しないうちに家族も本人も、遠慮してできなくなるんですね。ホントにそうですよね、そういう引きこもりの人もいるんです。これこそ完全な引きこもりですえね。

 それと、本人の治療中、一時的にウチの中から出られない、そういう時代もあります。私の息子の部屋にいったこともありますが、始めはウチの息子の場合は精神分裂病といわれて、親も納得できないから医者を変えて、何度も聞いたけど、やっぱり分裂病といわれちゃったんですよね、それが高校のころ、不登校になって、留年とかなったりしているうちにとうとう高校中退になっちゃったりしましたけど、それまで、私の勤務先が東京でしたが、ちょうどその頃四国へ転勤になって、一家をひきつれていった、向こうへ転居しました。

 四国での仕事仲間は、当時、高松なんて何もないから仕事が終わると夜ウチに遊びに来るんですよ。私も酒が好きだし、仲間も好きだからよく集まりました。暇なヤツもくる、そうして大騒ぎをするから、息子は耐えられないんですよね。自分の部屋の中で自傷行為をしちゃう、壁に頭はぶつけるし、かきむしるし、血だらけになっちゃう。その状態を見て、これはイカンと思って医者に行こうと、そう思ってもどこに行けばいいのかわからない。保健所のあることも知らなかったんです。当時はね。

 今でも保健所のこと知らない人がいるんではないですか。まったく、宣伝が足りないんだけど、それは昭和50年ごろで、知らないのも当然ということもありました。部下に聞けばいいんでしょうが「おい精神病院どこにある」ってね。だけど聞けませんよ。あたらしく赴任した支店長の息子が分裂病になっちゃったなんてね。まあ、イロイロあります。それで、どうして隠すかというと自分も支店長の地位が危なくなるとか、それによって給料が下がるんじゃないかとかイロイロ考えてしまうんです。それは親が勝手に考えることですが、本人も分裂病っていう診断を受けているんだけど、そのことが他人に知れれば一生に傷つくような気がするわけです。若いのにそれを知らされると制限された人生を送るんじゃないか?って、親が子のために隠すんですよね。まあ、最近はその辺りはだいぶ変わったような気がしますが、どうですか皆さんの場合は?

 部下にも内緒、皆にも内緒で誰に相談したかっていうと、東京で診断を受けた医者でした。そこから紹介を受けたのは、高松でも悪名の高い非常にマズい病院でした。そこに息子を入院させてしまったのです。本人はまだ病識が無かったから、とてもじゃないけど病院に行きませんよね。しかし、このままおいとけば自殺すると思ったから、医者と相談して薬を飲ませました。本人がグッタリしたところで二人くらいの屈強な男がきて運んでもらったわけです。病院に着いて、薬が切れたら本人にそれと分かりますし、親が帰ると大騒ぎになりますから、また尻に注射を打ったりしました。でもそういうときは効かないんだな。で、「やだー帰る」って叫びながら向こうへ連れていかれてガチャっとカギがかかるんだけど、あの声を僕は一生忘れることはない、僕だけでなくアイツも忘れられないんだ。これには今でも参っています。

 今47歳ですから割合落ち着いて新宿へ行ったりもできますが、何かあるとまた逆上します。顔付きが変わって「俺がこんなになったのはおやじのせいだ、あんな病院に入れたからだ。オレは一生もうダメだ、生れてこなきゃよかった」って今でも言いますよ、参りますね~。だからそんなこと言わせたくないし、その時の女房の顔も浮かびあがってくる、本人は親父が酒飲むのは嫌いだし、酒飲むと逆上するのです。その度に女房ががんばってくれています。

 そうやって強制入院させました。いま家族会でも言ってるのは強制入院だけはさせないようにしようと、本人も分かっているんです。決して親父のせいだけでない、自分のせいでもある。現に年金ももらってるし薬も管理しているから、だけど、稼ぐとか趣味とか友人をつくるとか話相手をつくるとか…、もっと楽しい生き方もあるはずですよね。でも、努力してもなかなかなれない、踏ん切りもつかない、かたくなに。本人もいいとは思っていないだろうけど、今の生活を続けています。追い詰めないまでも、それとなく匂わせつつやっています。家族では急には変えられない、やっぱりそういうことは第三者がイイと思います。

 あやめ会でもいろいろと話したりもするけど、専門家じゃない人が、それなりに精神病のことをわかった人が、それとなく家へ行くとか、一緒に喫茶店へいくとかできればいい。でも、誰でもいいというわけでもないのです。私の家にも来てくれているのは、福祉を専攻している女子大生の方です。このごろは一緒に公園いったり、息子がパソコンで覚えたマージャンを教えてもらったりという関係をもっています。この関係でどこまでいくのか、男女関係はまずいが、息子に友達が増えればイイと思うのです。でも、アセるのもまずいし…、この9月は女房も加わって3人でマージャンをやっています。でも、私が入ると息子はよそいきの顔になるのでダメ、ただ、私がこういうシステムを作っているのはなんとなくわかってるようです。息子が訪ねてきてくれた人とおつきあいできたらすばらしいと思います。

【ボランティアの力を期待する】
もう少しお話したいのですが…、資料の3枚目の我々がテスト事業として行っている『あやめプロジェクト引きこもり訪問施行事業』について、「社会にも溶け込めず、デイケアにも作業所にも行けず、語り合う友達もなく…」昔はみんないたんですよね、みんな仲良くしてたのに、みんな疎遠になってしまった、大体ひきこもりの人は友達いなくなってます。 

 「不本意ながら社会から孤立して引きこもりがちな精神障害者と、焦燥と葛藤に明け暮れる家族の人々は地域のそこここにたくさんいます。もし、第三者の市民ボランティアがこうしたことに関わることで彼等のQOL(Quality Of Life)が高まるかもしれない、社会的孤立感が解消されるかもしれない、何もないかもしれない。けれどもやってみなくてはならないのです。

 もう一つは市民ボランティアが活躍することによって、精神障害者に対する社会の理解度が高まるかもしれません。これが誤解を解く力になるかもしれませんね。私たちのこの事業は平成11年末から加速されています。去年の末ごろから白石先生が応援してくれたことも大いに加速させているのではないでしょうか。

 方法論としては、事業に参加していただく精神障害者とボランティアを募って登録していただくという形、現在、9人ずつ登録されています。事務局(白石先生と私)でペアリング(コーディネート)して、誰をどこに派遣するかということを調整します。

 それから、市民ボランティアは定期的に月一回ほどかかわっていったほうがいいかもしれません。多い方がいいかもしれないが、来るほうも行く方も大変、約束はするけれど日が近づくとどうにもならなくてパニックになる人もでてきたりするので、月一回がいいところでしょう。障害者の自宅を訪問するか、あるいは戸外で買い物をするか…です。それから、今考えているのは、個別対応だけでなく、複数の市民ボラと精神障害者のペアがグループ活動をしたらもっといいんじゃないかと思っていて、これからそうしてみようってことでやりかけています。

 月一回、訪問してる人達が集まって、マシノ先生(代々木の森クリニック、医者にして森田療法みたいなことをやりつつ、薬も使っている、日本女子大教授)の例会を開いて今後のことなどを話あっています。この活動を去年の8月から始めて、東京からも横浜からも埼玉からも入りたい、とご希望の連絡もあるのですが現在は川崎だけで手一杯ということで理解してもらっています。

【引きこもりと現代精神医療】
 こういうひきこもりってのは、病気が原因のものと、思春期から青春期の変わり目に起こることもあります。いろいろ読んでみると病気でない引きこもりが多いようです。病気の場合は医療をちゃんとしないとマズイということになるが、ではその医療がちゃんとしているかというと、どっちかというと分裂病の陰性症状/意欲低下・無関心が多いといわれているが、それに対する医療はどうするかというと、医者からみると「もういいじゃないか」ということで片付けてしまい、医者にしてみれば分裂病の対象っていうのは陽性症状/活性症状で妄想・幻覚などがあって、激しい症状のある人をどうやって安定させ、おとなしくさせるのか、これがいちばんの目標のようになってる気配があります。引きこもりを病気と思わずに「安定してしまった。もういいや」と医者が見てしまうのが残念な所です。

 実は先頃の学会でシンポジストになるヤンセンというディスパダールを出している会社のものだが「何で日本で非定型性抗精神病薬が発達しないのか」というタイトルで石ヶ岡先生(北里大)が、どのくらい日本が使われてないのかという話をしました。処方量で比較すると日本では5~6%、で、アメリカでは新薬全体(ディスパダール30%、オランザピン24.2%、クロアピン5.5%、ケチアピン8.2、…)の67.9%。この差がなぜかというと、アメリカでは値段が高くない、アメリカでの保険医療があるが保険は民間会社がやっていて、保険医療のためにいくらお医者さんのために出すのかということについて非常に厳しいわけです。医者が新薬を使うことによって早く治るとか、医療費が安く抑えられるのならいいが、高い薬を長い間使っているとペナルティがあるのです。大体新薬というのは値段が高いのです。開発費がかかっていますからね。量産して値段が下がればこの使用率が100%近くになるだろうと言われています。

 じゃあ日本はなぜだろうといいますが、石ヶ岡先生によると「医療に対するお医者さんの思想が違う」ということらしく、アメリカの場合、本当に治すというのは症状を良くすることだけじゃなくて、生活が戻るというか、QOLが上がるとか認知機能があがるとか、普通に働けるようになるとか学校へいけるとかいうことが目標になっていて、新薬っていうのはそのための薬になっているのです。

 分裂病というのは割合に陰性症状、認知機能が落ちているわけです。また飲んでいる薬の副作用によって、そうした症状が促進されてしまう。それではアメリカは許さない。もっと生活が向上しないと治ったとはしないという思想があるのです。日本の場合は先ほど述べた陽性症状が沈静されることに基本的に目標があるらようです。日本はその症状そのものを標的にして、その人の生活全体の問題は考えていないと言える気がします。激しい症状だったらそれを沈静させる。でも、医者によっては新薬をどんどん使っているようです。それから新しい患者さん、古い患者さんには使わない医者もいます。かなり有名な医者でも「あれは効かない」という人もいます。  

 一番無難なのはハルペリドールですが、こういう古い薬で効いたようにみえるのは、単に症状が沈静しているということで、それが頭のキレがよいように見て、治ったと言っているのではないかと思うんです。これはおかしいと私は言っています。まとめてみると症状を標的とする土壌が日本にはあり、それから治療における戦略的思考の欠如がみられるのです。だからなかなかよくならないのでしょう。

 抗精神薬の沈静効果に対する誤解のために、新薬よりは前のハルペリドールが効くと言われていました。地域作業所にいくと、職員さんと紛らわしいほど、落ち着いた人もいます。だけど、私にはもう見てもわかるんです。アカシジアといって、じっとしてられないという副作用があったり。あるいは、体が変な格好、ふるえがあったり筋肉が無意識に動く…こういう風景をよく目にします。

 作業所に行っているのはいわばエリートで、引きこもりの状態からすれば羨ましいことです。しかし、そういう人にも一見してわかるような副作用があるんです。もっといえばお医者さんが「副作用はいいんだ、別に死ぬワケじゃない」「副作用を見ながら適量を判断する」そんな医者が多いんです。

 石ヶ岡さんのいうところによると垂体外路系の副作用なんですが、要するに、脳内の神経伝達物質だけをコントロールできればいいんだけど、一緒に他のところもコントロールするからいろんな神経的な副作用がでてしまうんです。だから「効いている」と判断する医者がいるように、日本は副作用に対して考え方が非常に甘いのです。家族も甘いです。それを許しているわけですから。

 アメリカでは、揮発性ジスキネジアに対して、この副作用は治らないと判断しています。どういうことかというと口や舌がいつも動いているような状態。これになると治すのが大変なんです。日本の病院でもいっぱいおります。アメリカでは訴訟問題になっています。なんで新薬を使わないんだ。新薬を使えばよかったと。だから新薬を使う医者が増えるということもあるんです。このようにアメリカのマーケットシェアが出ているんです。

 私たちが思うのは、中国も韓国もみんな新薬をつかっていますが、日本ではなかなか認可が下りない。じゃあ私は何をしているかといえば、わかっている者同士が集まって、全家連に動いてもらうしかないなぁと要請しています。厚生大臣に要望を出していただく働きをしていただいています。オランザピンっていう有望な薬がありますが、認可が下りるのに何年たつかわからないのがようやく認可間近になっています。今年の終わりか来年の始めか…、変わってきているのも事実だが、なかなか一挙にはいかないもんですね。

【3つの提案】
 この女性の息子さんは長年分裂病で入退院を繰り返していましたが、主治医はこの患者の体質が副作用に過敏なために投薬ができない、したがって、治癒の見込みがないという宣告をしました。絶望した父と息子は自殺してしまいました。二度とこのような悲劇がおこらないために、全家連はもっと医療面にも力をいれて欲しいと涙ながらに訴えたました。これはほんの一例で、私とわが息子も不安と焦燥の中で生きています。そこで家族の立場から次の3つを提案したいと思ったのです。

1,臨床医療技術の近代化
 この電話の例の主治医は投薬困難をどのような基準で出したのだろうか、一般にわが国の精神科医はほとんどそうなのですが、個人の経験と勘を頼りに昔の職人的な判断や治療をしている医者が多い状況です。これはお医者さんに聞いたから本当の話ですが、一つの病院にたくさんの医者がいる場合でも、そういったなかで知識や経験を共有する機会がほとんどないといわれています。これに対して欧米ではどうかというと、医療が標準化しているのです。治療方針だとか、症状の確認だとか、メルクマニュアル(薬メーカー)が普及していて、医者はどんな治療をすればどの程度の治癒率がでるのかということが出ているのです。また現段階でもっとも効果的な治療法は何なのか?そういうことを科学的に判断するのが普通になっているらしいのです。最近マスコミが報道もしているし、NHKでもありました。

 私は元技術系の会社で技術者をしていましたが、最後のころは管理職もしていました。医療技術と比べて工業エンジニアは戦後ほとんどゼロに近いくらい壊滅的な打撃を受け、徹底的に爆撃されて、艦砲射撃され、人間も戦地に行ったりして死んだ人も多いし、技術屋もずいぶん苦しい状況にいっぺんなったんです。

 戦後、一生懸命働いて、がんばって、他者にまけるな、世界を追い越せって、外国のいいところを、みんなでいろいろ工夫して標準化してきました。昔は日本も職人的なやりかたをして絶対に自分の技術は教えない、覚えたければ自分で見て覚えろと、見よう見まねで覚えなさいって時代もありました。でもエンジニアは戦後、一生懸命に標準化を図りました。QC(クォリティコントロール)って品質向上のためにどれだけ一生懸命にやったか、それでたった4~50年でゼロから世界のトップになった分野もあるんです。この頃ちょっとたるんでいるが、だけど、精神科医療技術のレベルは、工業エンジニアの努力に比べればなんとたるんでいるかと言いたいですよね。私などのようなエンジニアから見ると今の精神医療状況は許せないですね。

2,非定型精神病薬(SDA)の導入促進
 新薬は分裂病の陽性症状のみでなく陰性症状や認知機能の向上にも効果があります。しかも従来の薬特有の衰退型の症状をはじめとする深刻な副作用が少ないと言われています。前例の息子さんにオランザピンやクロザピンを使ったらどうだったのだろうか?治ったんじゃないかということです。リスバダールが折角あったのに、これを投薬してみたんだろうか?

 また使う際に切り替えをうまくしたんだろうか、という素朴な疑問があります。これらの新薬は世界でごく普通に使われていて、米国の処方数シェアは60%を超えている。高薬価問題さえクリアすればシェア100%になる日も近いと聞いております。わが国では唯一の新薬リスペリドンが5%ちかくで、ほとんどの患者はあいかわらず厳しい副作用に苦しんで、陰性症状や認知障害の改善の機会にも恵まれていない、というような現状です。

3,情報の提供とインフォームドコンセントの確立
 前項1と2の項目について一般の患者や家族は十分に認識してはいない、私も十分ではないが一般にはなかなか知れ渡ってはいない、どうしてかというと情報不足のためであろうと思います。

 たとえ認識している家族であっても私もそうですが、主治医にはデカい声では言えない、非常に残念ではありますが・・・・。マンガにもならないが、認識している家族であっても医療専門家に訴える機会がない、とりあげていただける可能性は皆無に等しく、結局はおまかせ医療になってしまっているのです。患者にとってこの状況は悲劇としかいいようがない現実です。

 薬についていえば、難治性、今までの薬のなかなか効かない患者、これが結構多く、家族会にもいます。入院したまま退院できないでずっといるんです。一つは治療難治性、薬の種類を変えても効かない人、全体の30%くらいいるようです。もう一つは治療不耐性、副作用が強く、効く人もいて死ぬ場合もある。このような悪性症候群になると死ぬ人もいますが、寿命がこの人達は短い、抗精神薬の副作用で死ぬかどうかは別だが、心臓がダメになるとか、イレウスといって腸が詰まりやすい、便秘になりやすい、そういうことによる二次的な作用もあるります。要するに副作用の強く出過ぎる人には、これだけ飲ませれば効くって量を飲ませると、強く出過ぎて十分な治療ができないということがあります。この電話の人もこの治療不耐性だと思います。

 病院に見学などいっても、こういう患者にクロザピンとか飲ませたらもしかしたら…って治るのではと思いますね。病院でじーっと壁見つめる人もいれば、何か喋り続けている人もいる、うちの息子もそういうところに行ってました。幽霊みたいな患者さんもいっぱいいて、「いやーお父さんあぁならないようにがんばるから、とにかくあそこから出してくれ」と言われました。私はこの息子の言葉を聞いて、病院はマズいなと退院させようとしましたが、昭和50年ころというのは病院にたくさん患者を抱え込めば、すごく経営上良かった時代があったんです。だから退院をさせたくないと病院は思っているんです。後で知った話では、その高松の病院というのはあのへんでも有名なすごく悪い病院で、まず退院した人はほとんどいない、院長先生は長者番付のいつもトップクラスにいる。こんなことを事前に知ってればまず入院させなかったでしょう。

 それから、精神的に判断能力がないと法によって判断された人が病院に措置入院されたりもします。息子に言わせると、今年のキルギスの人質事件で助け出された被害者たちが「私たちは人殺しと一緒にいたんだ、帰ってきて良かったなあ」なんて言っているのをテレビで見て、息子は「おれはあんなもんじゃなかった。人殺しと何ヵ月もいっしょにいたんだ。ウンコの浮かんだ風呂に入ったことがあるか!」と、まぁそれくらいの病院だったんでしょうね。それをいわれると親としては一言も返す言葉がありません。じゃあ入院させなければよかったのか、でも自殺してたかもしれない、まぁ何とも言えないが、あそこにだけは入れなきゃよかったといまも思っています。

 ついごく最近、これはガンの話ですが、日本ではガンとも知らされない人が多いらしいし、それから治療法もいろんなことして生かされてお金もかかって大変な思いをしてそれでも治らない。治る人もいるかもしれませんが、インフォームドコンセントじゃなくてインフォームドセレクトだっていうんですよ。要するにどういう医療をするのかというかと医者のチームで患者を調べて、治療法は何種類あるのか、おのおののいい点悪い点どんなものあるのか?値段はいくらかかるのか?、そういったものを示して患者の方で選ぶということをやっていたという、そんな例もありました。

 もう一つは、患者がOKなら、新薬、今使ってる以外の薬を使ってもイイと。それはインターネットでガンの薬がどういう薬が承認待ちとか、治検が済んでいるのか、出るらしくて、日本でも見られるらしい。医者から限界と言われた患者が自分でインターネットを見ていたらある新薬があると知って医者に申し出て処方してもらったら良くなった、と。福島先生によると、患者も家族も勉強する時代だ、インターネットみたらそういうことは分かる時代なんだよ、と、どんどん医者にも患者が持っていけばイイ。そうすれば医者も勉強して質が向上するんじゃないかと言っていました。厚生省の先生もそうだそうだという感じのことを言っていました。 話がとりとめもなくなっちゃいましたね、

 司会、いやヒントになる部分が多々ありましたので…、おつかれかと思いますので休憩しましょう、後半は皆さんから質問をいただき小松さんに答えていただくということにしましょう。
(紙面の都合で質疑応答は省略させていただきます)

編集後記

今月のテーマ「引きこもりを再考する」は私自身の問題提起であった。それを小松さんが具体的に、自らの体験を通した知識、情報を元にわかり易く語っていただいた。
 それゆえか、その一言ひとことが頷ける内容であった。小松さんご自身が体験した戦後の日本の工業発展の道程と日本の精神医療の遅々として進まぬ新薬認可や医療技術。この時差というか、感覚のズレは何なのだろうと不思議でならない。
 オリンピックでのメダル獲得数では決して世界に引けを取らない日本のスポーツレベル。またIT技術然り、車の性能然り。あらゆる分野で日本のレベルは世界のトップクラスにあると言っても過言ではない。
 しかし、しかしである。なぜ、精神医療の分野だけ、こうも立ち後れているのであろうか。韓国、中国、シンガポールで認められている新薬の認可がなぜ日本だけ認められないのか。その説明すら我々には到達していない。先日のテレビで医療過誤により死亡したお子さんの両親が訴訟を起こしたと報じていた。精神医療の世界でも、もし医師が的確な治療をしていれば、引きこもりなどにならずに済んだ例も少なくないのではないか。
 やがて二十一世紀。精神医療も新世紀を迎えたいものだ。
                                       嵜