幻覚・妄想の原因と対処

2月 勉強会より 講師   桜ヶ丘記念病院医長   岩下 覚先生

 今日は幻覚と妄想についてお話ししましょうこれは精神科独特の言葉なんですが、たとえば、内科とか外科では腹痛、発熱とか言いますよね、それと同じように、精神科の場合も心の病とかを理解する上で患者さんを診断する上で、血液を採ったり、レントゲンを撮っても、心の病というのは分かりませんよね。そこで精神科では問診というのを中心に行うわけですが、しかし、お話をできない患者さんもいるわけです。そういう場合は、その患者さんの顔つきとか行動を見たりとか、それもできない場合はお家の方から「自宅ではどうですか」と聞いて診断をしていきます。
 幻覚・妄想というのはそうした精神科の領域のひとつの症状であるということがいえます。そこで、患者さんにどのような症状があるかを見るときに、漠然と見ているとなかなか判断ができないので、本来、人の心のはたらきというものを分類するなどと言うことはできないわけですが、便宜的に心の病の症状(ヒトの精神機能とその異常)として見てみます。昔から「知・情・意」という三つの分類があります。
 ヒトの精神機能を意識の状態としてみると、まず、「知」について。これには、知能、記憶、思考、知覚といったものがあります。つぎに「情」では、感情、気分、情動といったものですね。最後に「意」では、意欲とか、意識、欲動があります。そこで、この中から幻覚・妄想と最も関係が深いのは「知」の中のひとつのはたらきであるわけです。

 その中で幻覚というのは、知覚の異常といえるでしょう。この知覚というのは、よく五感といいますが、自分の外で起きている状況を認知する機能です。また、俗な言葉で第六感という言葉がありますが、精神の病はこの知覚機能が異常をもたらすことです。では、知覚の異常とはどんなものがあるか、まず、ひとつは錯覚ですね。もうひとつは幻覚ですね。専門的には知覚領域の異常というのは大きく分けてこの二つです。
 錯覚というのは、これは誰にでもあるものです。多くの人が疲れているときとか、ぼんやりしているときに経験します。錯覚というのは実際に元になるものが必ずあります。たとえば、誰かの声が聞こえる場合があります。錯覚の場合はこれを実態とは異なった事実として認知してしまいます。ぼんやりしているときに、名前を呼ばれると自分ではなくても、自分が呼ばれたように受け取ってしまう。これが錯覚です。あるいは、雲を見たり、壁のシミを見て、ある物体の形に見えてしまうことも錯覚です。これらのことは誰にでもあることです。錯覚は意識のレベルが低下しているときに起こりやすい現象です。
 では、心の病の幻覚とは、錯覚と何が違うのかというと、実際にはないものの音が聞こえたり、あるものが見えたりするものです。先ほど申し上げた五感には、それぞれの幻覚があります。「幻視」、「幻聴」、「幻嗅」、「幻味」、「幻触」、「体感幻覚」といったものがそうですね。私はアルコール中毒の方の診察を行いますが、アルコール中毒の方はお酒が身体に入っている状態がノーマルな状態であるわけです。しかし、飲酒を止めるとそのバランスが崩れ、意識のレベルが低下します。すると、譫妄(せんもう)とか朦朧状態となります。こういう状態のときにアルコール中毒の患者さんでは幻視という症状がみられます。特に、アルコール中毒の患者さんの場合は、小動物幻視というものがあります。これには、ムカデとかゴキブリとか芋虫なんていう気持ちの悪い小動物が体中を這っているような感覚です。こういう話を聞くと私もお酒は止めようと思いますが、家に帰るとついつい飲んでしまいます(笑)。
 二つ目は幻聴。これは、最も多い幻覚症状です。どのような病気に見られるかというと、スキゾフレニアの急性期、いろいろな症状が活発なときに見られます。幻聴も実際の音はないにも関わらず聞こえてくるものです。中には患者さんでこの幻聴をテレパシーと受け取っている方もいます。いずれにしても、幻聴は聞こえてくる内容が楽しいもの、嬉しくなるような内容であれば患者さんの幻聴への苦痛はそれほどないのですが、一般的には他人からの悪口であったり、自分の行動への茶々のようなうっとうしい言葉であるわけです。中には「殺してやる」といったような恐怖を感じさせるようなものもあります。
 この幻聴が現れるのは、圧倒的にスキゾフレニアの患者さんですが、必ずしもそうではなく、たとえば、器質性精神障害といわれる脳血管障害、アルツハイマー病、パーキンソン病といった病気の方にも見られる症状です。
 つぎに幻嗅というのがあります。これは心の病というより、いわゆるてんかんと言われる患者さんに見られる症状で、発作の前触れとしてものが焦げるようなイヤな臭いがするといいます。スキゾフレニアの場合でも、ご飯のおかずが変な臭いがするといって食事が摂れないというケースも見られます。これが幻嗅です。
 四番目に幻味がありますが、これも幻嗅と同類の症状です。
 五番目に幻触。これは触ったり触られたりする感覚です。性的な要素を含んでいます。夜中寝ているときに誰かに身体を触られたとかといった症状を見せるばあいがあります。これとよく似た体感幻覚があります。これはじっとしていても身体がフワフワ飛んでいるとか、身体の感覚のある種の幻覚です。

 つぎに妄想について。妄想は思考、つまり、考えることです。人々が生きていく上で、思考ということは非常に大事なことです。そこで、スキゾフレニアで問題となるのは思考の領域に異常がでてくることです。その思考の異常の代表的なものが妄想ということになります。
 思考の領域の異常は大きく分けて二つになります。ひとつは形式の異常、もうひとつは内容の異常です。形式の異常というのは、たとえば、会話の中にある約束ごと、「てにをは」のようなものを正しく使えなくなってしまうような状況です。こうしたものが精神の病では症状として現れてくる場合があります。難しい言葉でいえば「思考奔逸(しこうほんいつ)」といいますが、躁病などに見られるように話の内容があちこちへ飛んでしまって、聞く人は何を言っているかわからなくなってしまう場合がそうです。
 つぎに「思考制止」、これは思考奔逸の逆で鬱病の患者さんに見られます。ものを考えることが停滞してしまうものです。考えが先に進まなくなってしまうことです。当然、会話においても停止してしまって、話ができない状態です。
 そのつぎは「滅裂思考」というのがあります。これは言葉と言葉、文章と文章がつながらない、つまり、脈絡がなくなってくるものです。これも何を言っているかわからない、話が通じないということになります。最近は見られませんが、かつてのスキゾフレニアの患者さんによく見られました。
 その他に「思考途絶」というのもあります。これは思考が途中でパタッと急に切れてしまうものです。それから最後に「迂遠思考(うえんしこう)」というのがあります。これは「まわりくどい」言い方をする場合です。てんかんの患者さんに見られることが多くあります。これらが形式の異常ということになります。

 一方、内容の異常というのがありますが、これは思考の中身がおかしいということです。つまり「妄想」ということになります。中でも最も多いのが「被害妄想」です。自分が何らかの被害を受けているように感じられるものです。周りの人が自分に意地悪をしている、バカにしているなど、周囲の人達から悪意を持って認知してしまう症状です。これと同じように「被毒妄想」というのもあります。自分の食事に毒が入っているというようなことを言う場合がそれです。また、よくあるのが「追跡妄想」で、外出するといつも誰かが自分の後をつけているとか、狙われていると認知するような状態です。 「関係妄想」というのがスキゾフレニアに多く見られる症状で、ここで「過覚醒」という言葉を説明しましょう。覚醒剤中毒の患者さんにも見られる「覚醒」というのは身体も心もシャキッとする、つまり「覚醒」の度合いが上がり、過度にいろんなことに敏感になることです。どういうことかと言えば、普通は何でもないと見過ごしていることもいちいち気になって見過ごせなくなってきます。たとえば、電車に乗っていて周囲の人が自分のことについて話しているような気になってきて、普段なら見過ごせるようなことが見過ごせないようになってくる。これがスキゾフレニアの患者さんが病気の症状が悪いときに見られる現象です。
 この他に様々な妄想があります。名前だけでも挙げておきましょう。「注察妄想(監視されている)」、鬱病の方に多いのが、「微少妄想(自分はちっぽけだ)」、「貧困妄想(お金がなくて生活できない)」、「罪業妄想(自分は罪深くて生きる価値がない)」、躁病の方に多いのが「誇大妄想」、「血統妄想(自称、天皇家の血筋)」、「宗教妄想」、「発明妄想」、その他、「心気妄想(大病じゃないかと疑う、ドクターショッピング)」、「嫉妬妄想」、「憑依妄想」など、様々なものが挙げられます。

 以上、様々な幻聴、妄想の種類をあげて説明してきましたが、大事なことは、これら幻覚や妄想は病気症状であることを周囲の人たちはきちっと理解することと、それは投薬の治療によって治していくことです。これで幻覚・妄想がなくなれば理想ですが、ところが、症状が残る場合もあります。では、残っていたらダメか、といえば、そうともいえないことがあります。逆に完全に症状をゼロにするために薬を増やすことをすれば、副作用の影響によって却って別な症状を顕わすこともあります。ですから、幻覚・妄想の症状が残っていても日常生活上、あまりそういうものに支配されてしまうようなことがない、患者さん自身が苦痛と感じられない幻覚・妄想になるところを治療の目標にしていけばいいのではないでしょうか。

【質疑応答】
Q1 精神科の薬というのは、興奮した状況を押さえた状態にするものか? 私の息子の場合、病院からもらった薬を飲むと眠くなるからそういう薬じゃなく、もっとパッと明るくなる薬をもらってこいとよく私に言っていた。自分の薬ってのは治すものではなく、押さえ込むだけなんだと言う。精神の薬は病気のエネルギーを押さえるだけなのか?

先生 基本的に安定剤に限らず薬というものは症状を抑えるのが目的なわけ。幻覚や妄想があるだけなら別にいい。それでいろんな不都合があるから病院に来られる訳だが、その症状をなんとか抑えないといけない。その為に薬を出すのですが、そのときに難しいのは、薬というものは安定剤に限らず副作用がある。精神科の場合は、妄想・幻覚っていうものは症状だと説明してきたが、これは医者や家族から見てということになる。つまり、自分以外の人から見てということになる。患者さんが体験していることは実際に起こったこと、自分が殺されそうになることや、馬鹿だといわれていることを実際に体験している。だから、これが病気の症状なんだなというところから始まらない訳。たとえば患者さん自身が自分が追っかけられるように感じるのは症状だと思っていて、医者から「それがツラいんだったらこの安定剤を飲みなさい。その代わり安定剤にはだるくなったりぼうっとしたりとかっていう副作用があります」と言われた上で飲めば、多少は我慢して飲もうかっていう話になる。しかし、なかなか、そういう風にはいかない。
 「もっと覚醒したい、もっと昂ぶらせたいのに、なんでこんなにダルくなるんだ」と言うのは、そこだけで言えば、まったくその通り。つまり、彼からすれば自分が非常に神経が高まった場合が少なくとも不快でない場合だってある。ところが回りから見ると非常に調子がよろしくない。そういった食い違いが最初からあって彼にしてみれば単に、元々出だしが違うから薬をのんでも一つもいいことがないという話になってしまう。だから、それでもなんとか薬が必要っていうことを分かってもらうようにする必要がある。

Q2
 私の妹はぜんぜん病院に行かなくて困っていて、去年の一月から行っていない。ひどいときにはうつになってるので、私と女房と先生とで鍵空けて入り込んで、注射している。

先生:それまでして注射しなくていいじゃないか。
質問者 いや周りから苦情がくるからなんとかしなくてはいけない。市役所の市長の名で来る。

先生 精神科の場合に難しいのは、我々からみて病気だということが、ご本人にとってどうかということもあるし、それから、世の中に変な人、いろんな人がいる。多少変わった人もいる。そういった人たちの中に精神科医としては病気だと診断しなければいけない人って結構いる。でも、そういう人たちが社会の中で生活してて、多少変な部分があっても、そこそこであればいいという部分があればいいわけだ。だって、元々精神医学なんてなかったわけなんだから。スキゾフレニアの人なんて古事記のころから記載があったっていうから、読んだわけではないが、日本だけの話ではなくて世界中に昔からそういう人たちがいたらしいのに、薬を使ってきたって言うのはたかだかこの40年です。逆にいえば、そういう人たちが神の使いとして崇められたこともあったし、薬も何もないのに人道的に地域や集落の中で扱われてきた時代もあったらしい。結構変な人でも地域の中でうまくやってれば、それはそれでいいっていう考え方もある。だから、妹さんのことにしてもお兄様としては大変苦労のあることかとは思いますが、仮にうまく行かなくなっても福祉とかそういう行政機関をある程度かかわってということができるっていう生活能力があるわけだ。
 
Q3
 先生は安定剤って言う表現をなさってましたが、いわゆる抗精神病薬ということでよろしいか。
先生 そう。
質問者 私の家内について、睡眠が取れてない。できるだけ社会性を持たせたいと思っているが、入院はできるだけ避けたい。私としてはどうしていいか心配だ。

先生 我々でも毎日生活していておんなじ状況っていうのはない。気持ちの沈みこむような動きというのは度々ある。睡眠がとれなかった場合翌日気分が悪くなるというように、ストレス要因になってしまう。その人によって何がストレスになるのかは違うが、普段、家に篭りきりなどで刺激の少ない生活をしているときにいきなりデパートとかに行ったりすると、一方ではかなりの刺激をうけるわけだから普段とは違う刺激をうけてしまい、疲れるということになる。
 覚醒度が上がってくると幻覚や妄想が前面に出てくるということがある。神経系の興奮度が高くなってるとなるとやはり睡眠がとりずらくなるという根っこのところが共通している。一概に夜眠らなくてはということはないが、あまりバラバラに寝起きしているとリズムがバラバラになってしまう。生活のリズムのペースメーカーとなる職場・学校・デイケアなどがあったほうが人間はリズムは取りやすいということはある。朝の連続ドラマをみるとか何でもいい。ただ、患者さんに聞くと二週間に一度の受診というのが相当なプレッシャーになっている場合がある。「先生の所へ来る前の日っていうのは眠れない」とか、「医者に何て言おうか」とか。診察そのものは二三分で終わるのに一時間も待たされたりする。待たされるっていうのがかなりなストレスになるっていうのはこれは間違いない。
 でも、二週間に一回くらいは着る物に気をつけて病院へ出かけるとかは、めんどくさいけど、世の中ってそういうことばっかりだから、それに慣れていくっていう側面もあるので、刺激としていい場合もある。あまり、眠れないことを心配し過ぎないほうがいい。

Q4 私の子も、もう十ヶ月ほど作業所に行ってないが、集中力とか忍耐力とかそういうもののレベルが落ちているんじゃないかと感じる。いままでは電車に乗って行けたのに、そういうことも少なくなってきたし、外出も暗くなってからタバコを買いに行ってきたりというような状態だ。ひきこもりとして定着していまうのか。

先生 ケースバイケースだと思いますが、引きこもって外に出ないようにするっていうのは自分にとっての刺激を避けるってこと。一つには、ひきこもりといっても一人ひとり違う。何となく外に出ることによって社会の荒波に触れて傷つくのが怖くて外に出ないっていう若者がいる。似たようなことでスキゾフレニアの患者さんということで考えてみた場合に、やはり、幻覚や妄想といった陽性症状がない場合でも、非常にそういう神経の過敏さが残っていると、電車に乗ったり作業所のメンバーやスタッフに会ったりということが、神経の過敏さが収まってないと過剰な刺激になってしまうという場合がある。彼はどうしたらいいかというと、あまり外に出たくないという形で、一種の自己防衛のように補っていると考えたほうがいい。

Q5
 妄想とかっていうのはあまりないが、このごろ「僕はいじめられてそれがものすごくツラいんだ」ということをいう。私たちも「考え方を変えられないのか」というと、「そうだよね」って言ってはくれるが、いつも自分は思いが通らなかったりするとそこに話が戻ってしまう。これは病気なんだからと受け止めようと家族の間では話しているのですが・・・。
先生 ある意味、そういう部分があったほうがいいってこともあって、我々は商売柄、簡単に症状や病気だって言ってしまうが、患者さんによってはそう言われちゃうと余計救われないと感じる部分もあると思う。そうするとやっぱり具体的なものをいろいろと思い出して、あぁあれがよくなかったんだなというものをいわば拠り所にしてようやく自分の気持ちをその場での収まりをつけるという方が多い。ただ、それもおそらく今の彼の生活というのが家にいることが多くて、彼自身今の生活にいいとは思ってない。そうすると今の状況の中でいろいろと想いを巡らしているとそういうことばかり考えてしまう。逆に何かのキッカケで、少し動きがでて、要するに彼にとって、もっとも彼がどう感じるかが一番大事。何でもいいけど生活がアクティブになってきて、そういうことがもしあると昔のことにこだわることが減ってくる。
人間誰しも不遇なときは昔はああだったなぁと過去のことを悔やんだりとかする。誰でも、逆に調子がいいときは忘れていたりもする。ま、キッカケってどこにあるかはわかんないからね。

Q6 お友達が事故で急に両親を亡くしまして、それから段段と辻褄の合わないことを言い出して、幻覚とか妄想とかがあるが、医者にもかかってない。理由があって妄想や幻覚になった場合は薬とかだけではなくて、ショックの原因が収まったときに、それが無くなるというようなことはあるのか?

A6 それはある。誰でも幻覚や妄想が出ることはあるって言ったけど、スキゾフレニアや躁鬱病というのは、心因性の精神病というのがあるのですが、噛み砕いて言えば、精神的なショックや葛藤が原因で出てくるものをいう。神経症と心因反応というのがある。このうちの心因反応というのが、いま仰ったように精神的なショックなどが起こったときに不適応な状態としていろんな症状を起こしてくるということがある。そのうちの心因性の反応精神病っていう言い方をすることもある。そういうので妄想や幻覚が出てくるというのも多くはないが出てくる。そのかわりに比較的一過性一時的なもので収まって、あれはショックだったんだなで済む場合と、それから、長いことそういう状態が続くとか、どんどんおかしくなっていくとか俗に言えば、そういう場合はきちんと治療しないとうまくいかない場合もある。もう一つは、そんなに多くはないがストレスが引き金になってスキゾフレニアになってしまったということも考えられる。再発だとかのときにストレスが関係しているというのが非常に多い、だから、そこだけみると、ショックがあるから症状が出てきたと見るのが一番自然なのだが、場合によってはストレスが引き金になってスキゾフレニアが発症するということもあるわけ、その辺がどういう状況なのかというのは専門の先生が見ないと難しい、
いうのはもっと敷居が低くて、それこそ風邪を引いたときみたいに、誰でも気軽に行けるようにはなってないので、それは自然と決まってくる。
質問者 私は話を聞く立場になってしまうが、妄想を聞く上でやってはいけないことというのはないのか?
先生 なかなか難しいですよね、心理的にある程度了解しにくい考えでも、頭ごなしに否定してしまうと彼女としてはつらくなってしまう。ご本人が言ってることはそのように思いたい、あるいは、思うことによって今の自分が救われるということがあるから、あとは聞いてあげるということではないか。誰にでもそんな話をするわけじゃない。やっぱり友達であるあなたに聞いてほしいということで言ってることだと思う。

Q7 ケイセイ不能ということを仰られたが、ある程度時間がたっても難しいのか?

A7 いろんな場合があるんですよね、スキゾフレニアの患者さんで妄想があるっていうかたは大変多い。妄想や幻覚っていうのは陽性症状で、割と薬がよく効く。いちばん治っている状態っていうのは、たとえば追っかけられてるって言った人が、あれは自分の思い過ごしだったんだ、勘違いだったんだという治り方があって、こういう方も結構いらっしゃる。ところが、そんなに数も多くなくて、いまはとにかく無くなったがあの時はあった。今は無いというのが大切。あの時は怖かった、それはしょうがないですよっていう方が一番多い。それから今でも多少変な人が後をつけてくるというのはあるが、今は気にならなくなった。という段階みたいなものある。社会生活ということを言いましたがどの段階もキチっとやってるかたというのもいらっしゃる。
質問者 私の女房なのですが、ひどい被害妄想というのがあって、ここ二年ほどはそういうことは言わなくなって、以前こんなことを言っていたねどう思うって聞いてみたら、わからないって言う。ただ、本人は今それでいいんですけど、思春期の時期にそういうことがあって、転校とかそういうこともあって、不登校になったって、未だに傷を負っちゃってる。そういう意味で親子の母と娘の対話をさせて、母親の方に訂正させるのがいちばんなのだろうが、それは難しそうだ。

先生 病気の症状だった場合はいろいろ操作しようと思っても難しい。薬を使ってとにかく良くなって、あとはあまりそれに触れないっていうのがいちばんいい。スキゾフレニアって言うことで考えた場合、非常にデリケートなところがあって、私が医師に成り立ての頃はとくに症状に興味があった。こんな妄想や幻覚があるんだということがね。一生懸命聞いてしまう。ところが聞くと患者さんは具合が悪くなる。
 危ないのは収まった人。入院中の人というのは症状が華々しいわけ。そういうのを聞くと極端な場合、聞いて患者さんが昔のことを思い出した途端にそのときと同じような怖さとかが起こるようなことがあって、微小再燃なんて表現する先生もいる。本当にそれを聞いて具合を悪くされる方もいるので、治療の過程で、この辺で収まったなと思うんなら、あとはそこには触れないでおくことにしている。これは皆さんももそうされたほうがいい。

Q8 感覚過敏ということがあったが、本人は非常に意欲はある。音楽のお稽古にいったりとか趣味とか創作の中に生きているが、自分の中で何か感じるものがあるらしくて、長続きしない。そんなときでもあせらずに、本人の好きにさせといたらいいのか。
先生 我々だと、趣味とかなんとかだと自分の好きなことをやるってことがストレスの解消になるが、専門的にやるとなると、同じように好きなこととはいえ、それに伴うストレスの度合いとか違うと思う。自分に対する要求水準であるとか、自分から見て許せないというのはある。自分で自分に課しているプレッシャーみたいなものもある。プライドであるとか自己評価であるとか。自分はもうちょっと上に行かないとプライドが許さないとか。だから、違う領域でやっていくほうがラクにできて、気楽な対人関係も出来るという場合もあります。音楽というものに本当に打ち込んでやってらっしゃったのでしょうから、好きなんだけどちょっとキツくなってるというのもあるのかも知れない。 (テープ・菊池)

編集後記

 ようやく、街を吹く風がときには気持ちよく肌を撫でてくれるような気候になった。
 今月はもう一つの暮れ、そう年度末である。公官庁、企業、団体、あらゆる場所で決算が行われている。売上を伸ばした企業、減らした会社がある。が、大方、赤字決算が目立っているようだ。
 そんな中で、リストラという名の下で人員整理が行われている。ところが、そこから思わぬ話題も生まれた。
 広島県を代表する企業といえばあのロータリーエンジンを初めて実用化したマツダ自動車である。しかし、自動車業界は相変わらす厳しい。最近熟年者が肩を叩かれ、退職した。
 そんな折、広島県教育委員会は社会を経験した人たちを教育の現場で、その経験を活かして
いただこうと、採用試験を行った。これにマツダの退職者3名が合格した。元・営業の第一線で活躍された方が、学校経営(運営)を行う。小生はニュースを見ながら思わず拍手を送った。
 教育の現場の閉鎖性、伝統や派閥、そうした悪弊から、徐々に解放され、社会的な、生活感に満ちた教育がここから始まるような気がする。