変わる日本の精神科医療 

心神喪失者医療観察法案を理解する

5月勉強会より 講師 精神医療ルポライター  月崎時央さん

 まず自己紹介します。月崎時央(ときお)です。この名前は8年くらい前につけたペンネームです。お金持ちになるように、総画数を占いの本でみてつけたのですが、あまりお金持ちにはなっていないんで(笑)。なぜペンネームを名乗っているのかと言うと、名前を3つ持っていまして、一つは戸籍上の名前、もう一つは結婚前の旧姓。結婚後もその旧姓でジャナーリストとして仕事をしてきまして、新聞や雑誌に原稿を書いてきたのですが、家族(兄弟)が精神の病気になりまして、そのときに自分の今までいろいろ取材してきたノウハウを使って、精神医療の取材をしようと思い立って、その名前でいろいろな取材をしていたのですが、本を書く段になって実家の家族に名前が出ることについて尋ねたら、「うーん・・」と躊躇するような反応だったのです、考えた挙げ句、プライバシー保護のためにも新しい名前をつけたわけです。ですから、私もみなさんと同じ家族ということです。

(ここで参加者1人ひとりが「最近よかったと思ったこと」を発表)

 いま、みなさんにもお名前と「最近よかったこと」を一言ずつお話しいただいて、みなさんのことがちょっとだけわかりました。さて、今日のテーマは、「心神喪失者医療観察法案」ですね。
 いま精神保健福祉の中ではとても重要なトピックスなので、このお話をしたいと思います。私にもよくわからないところもあり難しいテーマですがあまり深刻にならずにやっていきたいと思います。

 新しくできる法律は、「心神喪失者医療観察法案」という名前なのですが、この法案を聞いたことがある方はどのくらいいらっしゃいますか? 17名ですね。聞いたことない人、わからない人は15名・・・ 半分くらいの人はほとんど知らないということですね。聞いたことのある方で賛成の人はゼロ、反対は7名・・・ 10名は名前は聞いたことあるけど内容はよくわからないということですね。つまり、当事者の家族のみなさんでもこの法案のことがよくわからないのですから、一般の方々がわかるわけがないですね。そういう中でこの法律が決まろうとしている、というのが現状です。

 では、どうしてこういう法案がいま浮上してきているのでしょうか?(このテーマについて参加者がグループで話し合う) 
 いま、グループで少し話していただきましたが、出てきた意見を並べてみると、池田小事件、浅草のレッサーパンダ事件、柏崎少女監禁事件、佐賀バスジャック事件・・・ など、精神障害を持っている人たちの犯罪ではないかと思われる事件が続いていて、そこに法的な不備があるのではないかということで、世の中で「野放しにするな」というような声もありこの法案が出てきたらしい。というのが、みなさんの共通の認識かと思います。実際に措置入院の患者さんを長期収容するなど問題のある精神病院がある一方で、逆に設備も待遇も改善していくところも多く、開かれた精神科医療が、社会悪を行なった人の隠れみのとして悪用され、刑務所よりも精神病院を選ぶような人間が出てきているという困った現実もあり、これは大変複雑な問題といえるでしょう。

■現行の措置入院制度とは

 では、精神障害を持っている人が犯罪を犯したときに、いまの法律上、現行法上では、どうなっているのかをまず説明します。事件が起こって通報されて警察がやって来て、検挙します。そのとき、ブツブツ言っていたり精神状態のおかしい人の犯行と思われる場合には、警官が都道府県知事(実際の機関としては保健所)にまず通報されます。これが保健所に通報が行く第1のルートです。

 それから、よほど軽微なものを除いて検察庁に送致されます。ここで受理されて起訴するかしないか(事件にするかしないか)が決められます。不起訴になった場合、通報されて保健所には名前がいく仕組みになっています。起訴された場合には裁判が行われる場合ですが、公判の途中でその犯罪を起こした時のその人の精神状態について鑑定の必要があるということになったときは、精神鑑定が行われます。この結果、有罪になる人、心神喪失による無罪になる人、または執行猶予ということになります。

 心神喪失による無罪や心神耗弱の場合は、都道府県知事(保健所)に通報されます。そして有罪でも実刑を受けずに執行猶予になる場合、罰金または科料軽減という場合も通報される。また、有罪で実刑を受けて、つまり刑務所で服役して罪を償って釈放されたとき、この場合でも、釈放されましたよと、保健所に通報されることになっているのです。従って、精神障害者が犯罪を犯した場合の法手続きというのは、どんな場合でも、これだけのルートを通って、保健所に通報されるということが決まっているわけです。

 そして、例えば第1のルートで通報されたら、措置入院の必要性を判断するために精神保健指定医の診察があるわけですけど、ここでみておきたいのは、通報までの手続きは、刑法の手続き、通報から後は精神保健福祉法の手続きだということです。刑罰のルートのあとも、精神保健福祉法の手続きなくしてすむことはなく、最後は必ず医療の側に移ってくるわけです。これが現行法だということです。

 それでは、いま何が問題になっているのかというと、例えば、罪を問われずに医療の側に、措置入院になって患者さんがやって来た場合に、医療的な問題が解決すれば、すぐに退院になってしまう。このままでは「罪を犯した人間が野放しになっているではないか」、といった見方から、もっと違う法律を作らなくてはいけないのではないかということでいまの法案が出てきているわけです。

 いま、会場から「精神障害者でも心神喪失でなければ有罪になるということですか?」という質問がありましたが、そのとおりです。補足しますと、検察官は、裁判の前に起訴、不起訴をきめる「起訴前鑑定」というのをすることが多いのです。この起訴前鑑定の多くは簡易鑑定で、1時間ほど精神科医が診察するそうですが、この簡易鑑定の実態は「闇の中」と言われています。各都道府県によって実情はバラバラ、担当する精神科医の考え方や質もまちまちです。全国規模の調査もないし、鑑定実施のガイドラインもない状態なのです。

 ですから犯罪白書には、心神喪失・耗弱判断の9割が不起訴だというデータもありますが、まず統一基準がないところのデータで、実態がよくわからないと私は感じています。精神障害者だから多くの人が不起訴にされている(不起訴率が高い)という世の中の話が必ずしもそうだと言えないと感じています。

 みなさんも知っている柏崎の少女監禁事件では、起訴されて裁判にかかり有罪判決が出て、実刑を受けることになっています。犯罪は私達がメディアで見ている以上にたくさん起こっていて、報道ですべてを知っているわけではないのです。実際に精神障害者の事件が起こっていても、心神喪失状態で罪を問われないケースもあれば、いわゆる警察沙汰を嫌って、被害者が起訴を望まないために不起訴になる場合なども多く、その辺のデータの読み方がむずかしいところです。
 では、今度は、精神保健福祉法上の手続きの方に目を移すと、確かに措置入院の患者さんの処遇が医療現場で適切に出来ているかという問題があります。不当な長期入院がある一方で、いわゆる問題の多い患者さんを病院側が嫌ってむしろ追い出すような形で退院をさせるようなケースもあるようです。

 具体的にいうと、犯罪を犯した患者さんを措置入院させた場合に、日本の精神病院は民間病院が8割ですから、そこでいっしょに処遇することになるという現実です。つまり、みなさんの息子さんや娘さんやお兄さんやお姉さんといっしょに、いまは、とてもいい人だけども心神喪失状態で半年前に殺人を犯した人が隣のベッドに寝ている、ということについて、いいのかイヤではないのか?ということが感情の問題としてあります。

 ここでみなさんにお聞きしますが、事件を起こすような障害者と事件を起こさないような大人しい障害者、(みなさんのご家族もそれぞれに異なるでしょうからお立場も違ってくるでしょうが)、これを別々に分けて考えることができると思われますか?(参加者挙手で答える)

 分けられると思う人1名、そんな線引きなどできないと思う人18名、わからない人10名。これは、精神障害者ということではなく、そもそも人間というものが人を殺したり傷つけたりしないかは周囲の状況によってわからないとも言えると思いますが、いま現実に精神保健福祉法という法律があり、精神障害者が事件を起こしたときの法手続きがある中で議論すれば、事件を起こさないような「いい精神障害者」と「危険な精神障害者」というふうに、クリアーにはどうもわけられないのではないか、というのがみなさんの感覚ではないかと思います。

 次に、事件を起こすような精神障害者と、自分の家族が病院で同室になったり隣のベッドに寝ていたりということについて、「不安だ」という方は手を挙げてください。23名ですね。では、いま会った印象が普通の患者さんと変わらないなら、そういう「特別な見方をするのはおかしい」と思う方は? 10名。
 では、隣にいる人がどんなキャラクターなのか、いまみると何かの間違いで事件を起こしてしまったようないい人であるとか、殺人ほどの事件は起こしていないけど見るからにいかめしくて近づきがたい人だがらちょっと隣には・・・など、むしろ個人差によってわからないという方、ケースバイケースと思われる方は? 重複して手を挙げてもいいので・・・ 全部で19名ですね。その場その場で人の気持ちや判断というのは、揺れ動くし、変わりやすいということです。つまり、病院の中でいっしょに治療できるのかできないのかということは、そう一概に決められないということがここでわかったと思います。

 では、措置入院が解除されて退院ということになったとき、それを「危ない人を野放しにした」と言うのか、それとも「退院できてよかったね、これからはもうパニックになって事件を起こしたりしないよう、なんとか暮らしていけるよう、みんなで支えていきましょう」という気持ちになれるのか、これも微妙ですね。私達にとって、「退院できてよかった」というのを、世間の人たちから「野放しにした」と言われるのは、とてもとてもつらいことですよね。

 不法行為をしてしまった精神障害者を、心神喪失状態ということで無罪にして医療でみていく、これを世間が、いいよと言わない理由というのは何でしょう。多分、罪を犯したのに何の償いもせずに病院に入ってすぐ退院するのはおかしいではないか、不平等ではないか、という感情があるのですね。罪を犯したら償って社会に出てくるというのが私達の共通の約束事みたいになっているわけですね。

 では、精神障害者ではない場合に、何か悪いことをして有罪になって実刑を受けておつとめを終えて刑務所から出てきた人たち、その再犯率は6割くらいと聞いています。この6割という数字をどう読むのか? 悪いことをする人はまた悪いことを重ねると思いますか? つまり6割という数字を聞くと、犯罪者はどんなに罪を償っても生来犯罪者なのだと、そう思われますか? この点は正直に言いまして私にもよくわからないんですがそう思いたくはないです。

 しかし一つ言えることは、ある人が重大な犯罪を犯すに至った状態は理由が何であれ、かなり追い詰められた状態であったことは想像できます。その後数年服役したとして、刑期を終えて出てきた時点で、事件を起こす前よりもその人を取り巻く環境が良くなっているとは思えないのです。事件によって家族は混乱し崩壊してしまう場合も多いでしょうし、仕事もない、受け入れてくれる地域社会もない。さらに犯罪者の烙印がある。そう考えると社会の仕組みをもってして人を矯正することの難しさがわかります。この難しさは、刑罰にしても医療にしても、もっと広い一般論として人間というものを矯正することができるのかという問題につながって行きますね。

 話を精神障害者に戻しますと、刑期を終えても再犯率が6割もあるのに、それはまったく問題にならなくて、精神障害者だけが「再犯の恐れが無くならない限りダメ」という理由で退院させてはいけないというのは、差別ではないかという話になってきます。これには「刑務所にも入らず罪をつぐなっていないじゃないか」という反論もあるかもしれませんが、取りあえず、ここで問題にされているのは、「再犯の恐れ」の有無です。

 これはお医者さんが病状だけで判断したのではダメだ。犯罪がまた起こるかもしれないではないか。本当に犯罪が起こさない人だけ退院させなきゃダメだ。というような意見です。しかしこれについては精神科医の間から短期間の医療判断はできるが、精神科医が将来にわたる再犯の恐れを判断することなど不可能だという声が上がっています。
 しかし、再び対象行為(殺人、放火、傷害)を行う恐れがないという証明を付けてくれなけば精神病院から出してもらっては困る、というのが世間一般のオーダーです。

 ここで、私の考えたことですが、医療と司法について考えてほしいんですが、医療の目的ってなんだろうって考えてみてください。

参加者1「正常な心身の状態に戻すこと」
 〃  2「健康な体にする」
 〃  3「リハビリでは対人関係を修復する」

 はい、ここで医療の場に、例えばですね、一国の首相とヤクザの親分みたいなのが、治療を必要として、同時に現れた時、どちらを優先させるか、どちらにいい薬をあげるか、どちらに親切にするかを決められるかという質問もしてみます。いかがでしょう。

 参加者1「できません」

 そう、できませんよね。
 だけど薬がたった1個しかない場合でしたら?・・・・(会場笑)

方や一国の首相、方や無法者だとして、どっちを優先するか。
(会場から「金次第?」・・・笑)
 私が考えるには医療というのは病状の重い方から診ていく、というのがお医者さん達の考えの様です。戦争映画などで敵に殺された戦友を踏んづけて、今生きている兵隊の治療をしにいく軍医をみたことがありますが、医者というのは目の前に現れた患者さんの属性というものに関らず、苦しみの高い人を優先的にできる限りのことをしていかなくてはならないという、そのような倫理観がある様です。

 つまり言い換えると、医療というのは、家族のためでもなく、付き添いの人のためのものでもない、国の役人のためのものでもヤクザの親分のためでもない、本人のためのものだということです。本人が楽になるためのもの、本人の利益となるもの、それは本人の属性と関係なく、裸になった本人のためということですね。特に医者は治療で裸になった患者を診ることがあるのでビジュアル的にも、そう考えられるかも知れません。

 それから「期限」という問題があります。今を治療のスタートとして、本人が楽になるまでが治療の期限です。しかし、スタートの段階で治療の期限というのは不明です。この時の視点というのは、「今を基準に未来を見る」ということで、過去の不摂生がいかにあろうと、例えば歯を磨かなかった人の虫歯治療に「あなたは歯を磨かなかったからその報いとして痛みを伴う治療も我慢すべきだ」ではなく、「これから虫歯を治療する」だけです。

 それから成果については、自然治癒力による部分とか寿命とか個人差もあるので治療の結果のみをあまり厳密に問うような場面は少ない。もちろん一部に医療過失や訴訟が起きていることはありますが。 基本的には治療の成果に関しては本人とお医者さんと対等の契約によって医療サービスが行なわれる関係が理想といえるでしょう。

 精神病院における拘禁という問題で考えたときには、強制入院がありますが、本来入院は任意入院であるべきで本人の同意の上で治療を受けることが原則だと思います。どんな場合でも、お医者さんが患者さんにこれから受ける治療についてのメリット、デメリットについてお話をして、できる限り患者さんんも納得して、決定をするというのが原則だと思います。

 しかし精神科の場合は残念ながら本人が精神的に判断力が低下していて、本人にとって利益のある正しい選択をできない場面があるので、強制入院は原則的には認めるべきではないが、事実上認められているわけです。これはその他の医療でも赤ちゃんや老人や意識不明の人などその人の意志を判断することが不可能だが、合理的な判断から医療が必要とされる場合に限って行なわれるべきでしょう。

 それから医療の情報というのは、患者個人のものなので原則的に非公開であり、プライバシーは保護されるものである。お医者さんには患者さんの病状について守秘義務というものがあるので、どんな理由であれ公開してはならないものであるということです。
 だいたい医療というものはこういうものだと思います。

 では、ここで最初に戻って、現在問題となっている「心神喪失者医療観察法案」推進の人たちは、いま考察したような精神科のお医者さんが「措置入院は必要ない。もう治った、退院してもいいよ」と言って退院したら、「そういうスタンスで退院させられては野放しだ」と言ってるわけです。医療だけではなくて、司法も一緒になって判断して「オーケー」がなければ「出しちゃダメ」というわけです。

 「心神喪失者医療観察法案」についてみてみますと、新しい法律では検察官が地方裁判所に申し立てをします。つまり、いままでは検察官は犯人が病気であるから、とりあえず医療の方へお任せということでした。しかし、それでは世間が許さない、ということで小泉政権は世間が納得するような新しい法律を作ります、ということで出てきたのがこの法律です。

 それは心神喪失、耗弱で不起訴になった人、無罪が確定した人、心神耗弱で執行猶予が確定した人を、まず検察官が地方裁判所に申し立てるいうことです。ここでは「審判」を行います。その目的はこの人の処遇をどうしたらいいか、ということをきめる手続きです。

 ここで難しいのは、これは裁判とは違うことです。裁判というのは、有罪か無罪かを判定することですから、そこには弁護士もつきますし、公開で行われますし、事実認定としてその事実があったのかなかったのか、殺人したのかしなかったのか、どんな状況で犯行が行われたのか、このようなことを検事さんと弁護士さんが事実関係について争います。裁判というものは厳密なもので、その結果について何回も何回も裁判をくり返し、公開して行われます。その最終段階で有罪、無罪が決定されます。

 ところが、いまお話した「審判」は裁判ではありません。刑事裁判に保障されている証人に対する反対尋問や証人尋問請求件などが本人にも弁護士にも認められていないのです。そして強制通院命令や強制入院命令をがここで決定されるのです

 裁判の結果と同様の強制権をもつ決定を、審判という形で行なうのは、刑法39条というのがあり、ここで心神喪失者の犯罪はその罪を問えない、となっているからです。これはその犯人が心神喪失者であったときにその人は善悪の判断ができなかった、だからその人に罪を問うてはいけないという法律です。この法律があるために心神喪失者であり、責任能力を問えないと判断されたら裁判は成立しないのです。

 病気で罪を問えないから、これまでは医療に渡してきたわけです。でもこれでは世間がうんと言わない。で、この新しい法律を作って、裁判とは別な仕組みで判断しようということなんです。これがこの新法のポイントです。

 これについて、一つの考え方は多くの患者さんが言ってるわけですが、「自分達は病気でわけがわからない状態で、もしかしたら犯罪を犯すかもしれないけれども、そのあと医療にかかって自分達が良くなったら罪をつぐなうために、ほかの人と同じように裁判を受けたい」ということです。自分達は裁判を受ける権利がある、だから自分達も同じように罰してもらうシステムを作ることによって、自分達が特別扱いされているとか言われたくないし、すべての精神障害者を一緒くたに危険視しないでほしい、ということです。

 でも、刑法39条という法律は、人権を守るために動かしがたいものであって、これは法曹関係者にとって大変重い法律らしいのですね。これをいじらずに心神喪失者に何らかの法的措置をするために、浮上してきたのがこの新法であるとも言えます。私から見ると、これもトリックのようなところもあります。つまり心神喪失者を裁判にかけることはできない、だから長年、閉鎖病棟を持っている精神病院に、代用監獄替わりに押し付けてきた。、しかし、それでは開放型の精神病院が運営できないし、世間が許さない、じゃ、世間が「うん」という仕組みを作りましょう、だけど刑法39条はいじれないと・・・・堂々回りなんです。

 ちなみにこの新法に反対している患者さんたちは、これは暗黒裁判だと言います。逆に裁判としての厳しさとか、公開性がないだけに、ここでどういうことが行われるのかを不信に思っているのも無理はないでしょう。

 一方賛成派の人は、ここで審判を決める人はお医者さんと地方裁判所の裁判官の二人の合議体で決めるからいいのだ、ということです。

 ここで先程「医療」はどんなことをするところ?という問題を考えましたが、今度は「司法」はどんなことをするところか。

 私のイメージとしては、誰の利益のためのものか。社会の秩序のために、ある程度個人の自由を制限する、これが司法の役割だと思います。それは個人個人の自由を守るためのものでもあるのですが、守る人と守られる人がいて、だから司法は社会の秩序を守るという利益のためにあると言えると思います。それから医療の期限ということを言いましたが、司法の期限ということもあると思います。司法は犯罪行為があったという事実を根拠に裁判で定めた一定期限、つまり刑期を確定します。

 ここで先程お話しました医療は「今をスタートにして本人が回復して楽になるまで、それがいつかは分からない時点まで」ということです。

 しかし司法は過去に何かを犯したから、未来の一定期間拘束します、ということです。私は医療と司法というのはある意味で別の時間軸をもった行為に思えます。医療が未来にむけて治っていくことを目的としているのに対し、司法は過去のことに罰を与えるということです。

 司法は矯正の成果については問われません。先ほども退院後の再犯率が6割と言いましたが司法における拘束についても刑期を終えたもと犯人が再犯を犯すか犯さないかについて、司法は問われません。要するに犯人がある一定期間拘束という罰をつぐなってもらうということが目的と考えていいでしょう

 裁判は公開ですが医療には守秘義務があります。こうしてみると医療と司法というものがこの社会の中で果たしている役割とか、システムの意味というのはかなり違うということを期待されているのではないか。

 特に犯罪を犯した精神障害者の処遇については、司法と医療とは双方が全く違う方向を向いているような気がします。そういう医療と司法は裁判官と精神科医がある人の処遇を合議制で決めことになった場合、こうした立場が違い、方向の違うもの同士が協力してある結論を出す。・・・このことをプラスと見るかマイナスのと見るかによって、法案に対する賛否は別れます。

 では、話を先に進めて、医者と裁判官で構成されたの合議体の意見がまとまって、例えばこの人は入院の必要があるということになった場合は「指定入院医療機関」に入院させられます。また、別な人は入院は必要ないが通院の必要があると判断された場合は裁判所が指定する「指定通院医療機関」に通う「通院義務」が科せられます。また、指定入院医療機関を退院した人は次に指定通院医療機関に通院することになります。さらに保護観察所が通院しているか、お薬をきちんと飲んでいるかを監督するということと、都道府県の精神保健福祉センター、保健所等も協力して監督していくということになっています。

 また、その対象者には保護観察所が観察したり指導を行っていく。いままで措置入院で病院に入れられて先生に「退院してもいいですよ」といわれれば、それで普通の患者さんのように街に出ていくことができました。通院義務もありませんでした。入院の場合も入院の期間は裁判所が定めた病院で、通院も裁判所が定めるところだし、そのあとも保護観察所や精神保健福祉センターなどが監視しているという、精神障害者にとっては、地域から切り離される率も高いし、見張られている感じがする法案になっています。

 人によってはその方がいいという意見の方もいます。しかし理想論を言う様ですが、私は医療に関する問題は基本的に「任意」であるべきという立場です。本人が自ら医療に行って、楽になりたい、助けてもらいたい、そしてその医療を利用したいという気持ちを持ち続けることが必要なのであって、そうではなく強制的にやれる部分は、必要悪ではあるけれども、それを法律で義務づけてしまうと精神医療というものが安心してかかれるという感じじゃなくて、何か自分を見張るような医療の質が歪んでしまうような気がします。もちろんこれに反対だというご意見の方もおられるだろうと思います。皆さんも考えてみて下さい。

 最後に指定入院医療機関における一番の問題点は「期間を定めない」ということです。というのは司法は過去の犯罪の事実を根拠に、裁判で定めた一定期限、懲罰として人を拘束する。これが司法の役割ですが、審判の段階では医療の判断で病気がよくなるまで期限は定めないという審判をするわけです。

 これを解釈すれば「いまを起点にして、本人が回復して楽になるまで期限を定めずに医療として拘束する」ということです。退院の条件は「再び対象行為を行う恐れがないと判断されるときまで」が期限です。・・・・・・・・(会場から呆れた笑い)

 つまり、「期限がない」(回復するまで)は医療の判断で、「拘束する」は司法の判断ということになるわけです。言い換えれば「期限の定めなく、拘束する」という法案です。

 「恐れ・可能性」がなくなるまで、拘束するというのは疑問が残りますね。誰が責任をもって恐れがなくなると判断できるか。

 私たちは「自分が犯罪を犯すか」「犯さないか」については環境要因などによって、「絶対」は言えないのではないか。向こうから包丁持った男が向かってきて、襲いかかってきたら、自分は夢中で闘って、相手を殺してしまうこともあるかもしれない。高齢になってボケて他人のお金を取ってしまうこともあるかもしれない。逆に99%犯罪を犯しそうと予想された人が5分後に心臓発作で死ぬかもしれない。

 未来を予測することは難しいのだと思います。ましてや、予測を根拠に人の未来を拘束することは問題が大きいことだと思います。

 結論を申し上げれば、私は最初に申し上げた起訴前の精神鑑定が本当に現行法上で正しく行われているのか、弁護士さんの請求する精神鑑定もそうですが、こうしたことが全国統一のきちんとしたガイドラインで誰がみても、どの精神科医がみてもこの判断は納得がいくという鑑定ができるのか、そういうマニュアルが作れるのか、ということです。

 それから不起訴処分になっている人たちが本当に責任能力がなくて、不起訴処分になっているのか、それとも精神科系のことがあるから、面倒くさいから精神病院に回してしまおう、ということが行われていないか、そういうところを措置入院に関して、どういう人たちがどういう状態で、どの判断でその病院に回ってきているのか、この運用上に間違いがないのか、実態調査をきちんとして、その実態調査をもとに、もし法律を作る必要があるのであればちゃんとしたものを作ったほうがいいということです。

 それから精神科医療の貧困さです。もともと犯罪を犯す人たちの中にも、精神医療とか地域医療とかが充実していて、地域の中で孤立していなくて、いろんな助けがあれば、そこまで追い込まれなかったという人たちも多くいると思います。つまり、まず精神科の敷居を低くして、お医者さんが患者さんに信頼をもってもらうようにして、精神病院に入ったら、看護婦はじめスタッフが本来の半分くらいの手薄な人手で治療をやっているのではなくて、十分なケアを受け、精神科医がじっくり話を聞いてくれたり、臨床心理士がその人の生活をサポートしてくれたり、PSWが退院をサポートしてくれたりという精神科医料の充実を図ることが、まず先決問題ではないかと思います。

 それから、もし犯罪を犯した人が刑務所に入った場合も刑務所の中できちんと精神医療が受けられるようになっているかどうか。現在の刑務所の精神医療は大変貧困だそうで、刑務所に入ってから発症する例も多くあると聞いています。

 具合が悪くなったときにいつでも駆け込める、24時間体制の精神科救急医療体制を整備して緊急事態にも対応できるシステムを設ける必要があると思います。そういう部分にお金を使うべきで、新法では指定入院医療機関というような特別な病院、あるいは病棟を建設するような、いわゆる箱ものばかり作るようなお金の使い方ではなくて、通常いまあるシステムの中にある不備をなくし、そこにお金をかけて、従来の精神医療システムを充実させることによってまず全体を良くしていくのが先だと思います。

 法案についてはいろいろな考え方があると思います。皆さんもこれを機会にいっしょに考えてみてください。
◆月崎さんの講演はここで終わり、このあと月崎さんとの話し合いが行われましたが、紙面の都合で、抄録は終わらせていただきます=編集部 / テープ起こし・渡辺信喜(新宿社協)

◆新宿家族会では多くの方々の家族会参加をお待ちしております。

遠方の方にはフレンズML(メーリングリスト)家族会が開催されておりますので、フレンズホームページ<フレンズML家族会>からご入会(無料)ください。

勉強会講演記録CDの2枚目が完成しました。
フレンズ編集室では講師の先生方の講演記録を生の声で聞いていただこうと、CD制作を行っていきます。
まず第1弾として、9月勉強会で講演していだいた曽根晴雄さんです。詳細

タイトル『ちょっと私の話を聞いてください』  
 =聞けば見えてくる・精神分裂病当事者が語る患者の本音=

 家族は患者本人の気持ちを知っているようで理解できていません。二十数年間この病気と戦って来た曽根さんが、自らの体験をもとに訴える精神病者の苦悩、怒り、病気のこと、希望、それはすべての精神の病いに侵された人たちの声を代弁しています。
 また、当事者仲間の先輩として語る内容は、回復しつつある皆さんのお子さんが聞いても大いに励まされます。
 そして誰よりも聞いてもらいたいのは、分裂病を全く知らない人たちです。”もしあなたのお子さんが病気になったら”という目的の他に、各地で取りざたされる障害者の事件の度に生まれる誤解や偏見を防ぐためにです。一般の方に呼びかけてください。

第2弾は
「心の病を克服 そして ホームヘルプ事業へ」 
大石洋一さんです。詳細

収録分数;61分 CDラジカセ、パソコン、カーステレオ等で聞けます。
価格;各¥1,200(送料共、2枚同時申込の場合2,270円)
   申し込みはフレンズ事務局へ E-mailでお申し込みください。frenz@big.or.jp
発売:平成14年1月
企画・制作 新宿フレンズ編集室
(新宿家族会創立30周年記念事業)

編集後記

 月崎時央さんの近著「精神障害者・サバイバー物語」で菊井俊行さんは月崎さんの印象を「チャーミングな人ではあるが、生活疲れ、子育て疲れを月崎さんに感じた」と書いている。私は月崎さんとお会いする前に、この本を読み、月崎さんの印象をその通りに受け止めていた。

 勉強会当日、月崎さんは定刻、会場に現れた。しかし、私はあまりの予想していた印象とは違うため、正直言葉を失った・・・。どのように表現すればいいのか。少なくても菊井さんの印象とは正反対であった、ということだけは間違いない。

 自己紹介からお話が始まった。そして「心神喪失者医療観察法案」という難しい問題に話が及ぶ。しかし、その明るい口調と話のテンポは変わらない。絶えず我々聴講する側にも「疑問点」を投げかけ、眠気を起こさせない。さらに、チャーミングではあるが、キャシャともいえる細い身体から発せられる声量は一向に衰えない。
 カレンダーの裏紙をつないだ紙に、この難しい法案の仕組みを数葉に渡って手書きして黒板いっぱい広げ、熱弁は続く。

 元々ジャーナリズムの世界にいたが、身内に精神障害者を持ったことからこの問題に取り組むようになったという月崎さんは、日本の精神科医療の貧困さを強調して講演は終わった。 

 確かにこの法案は「安全な社会」を求める一般の要求としてあるのかもしれない。しかし、これは「心」の問題であり、法案成立によって逆に「安全」が脅かされる事態も充分予想できる。成すべきことは他にあるのでは。