「統合失調症とうつ病の違い」

2月家族会勉強会 講師 桜ヶ丘記念病院  岩下 覚 先生

 こんにちは。お久しぶりに新宿家族会にお邪魔しました。きょうご出席の皆さんのお顔は何人かの方を除いて、だいぶ変られたようですね。私が新宿家族会を退いてから、約3年になりますが、その間、精神医療の世界もいろいろ変化がありました。

 その一つは病名が「分裂病」から「統合失調症」に変りました。新宿家族会ではそれ以前から「スキゾフレニア」として病名変更は実践しておりましたね。いまは、教科書なども「統合失調症」となっていますし、私たちの診断基準でもこの名称を使うようになりました。ほかの公的な書類も「統合失調症」です。

 このほか、財団法人・日本医療機能評価機構(http://jcqhc.or.jp/html/index.htm)という第三者機関とでもいうところが現存する総合病院から専門病院まで病院施設の一定の機能面を評価するシステムもできました。つまり、病院が評価試験を受ける立場に立つものです。いま、各地の病院が受験するようになりました。ですから精神科の病院も医療内容はもちろんのこと、清潔感とか居住性といった問題までが試されています。これまでは精神科の病院だから許された施設の不備とか医療内容の問題点といったことが、そうした第三者機関の評価によって、見直されるようになりました。

 一方で現在33万床の精神科病院の入院ベッド数を7万2千床減らすという政府の方針に対して、各病院は生き残りをかけた経営が迫られています。これは皆さん方が病院を選ぶときの一定の判断基準として利用するには大いに有効だと思います。

 さて、そんなことを前置きにして、本日の本題に入ります。昔は三大精神病と言うと、一つが精神分裂病(統合失調症)、二つ目が躁うつ病、もう一つはてんかん、というものでした。ところが、現在はICD10(国際疾病分類第10版)にも見られるように、300種類にも分類されています。でも、統合失調症と躁うつ病は現在も大きな分類としては生きています。

 ちなみに私が勤務する桜ヶ丘祈念病院は総ベッド数が703床です。昔は畳部屋で773床、そこに800人くらいの入院患者さんがいました。つまり20床近くのオーバーベッドです。現在は、全てベッドですからそういうことはできませんが、入院患者さんは661人です。95%くらいの稼働率ということになります。

 そこで、先ほどの分類の話に戻すと、661人の患者さんのうち、約7割の方が統合失調症です。躁うつを含むうつ病の人はどれくらいかといいますと、10%にも満たないわけです。ですから、圧倒的に統合失調症の方が多いということになります。これは、全国の精神科の病院の一般的な傾向として、やはり60何%として、だいたい全国共通です。うつ病、感情障害もこれに準じた数値です。

 但しですね、病院によって違ってくるというのは、精神科専門病院だけではなく、精神科の治療を行なうのは総合病院、あるいは大学病院の中の精神科もあります。そうした総合病院や大学病院といったところでみると、うつ病の比率がぐっと増えます。

 私の病院は精神科専門病院ですが、統合失調症の次に多いのが老人性痴呆性疾患です。50床の専門病棟がある関係で大体70人くらいの方が入院しています。次はやはり専門病棟がある関係でアルコール関係精神疾患です。次にうつ病といったところです。また、外来の場合で見てみますと、統合失調症が40%、うつ病の方が30%というように両者が接近してきます。私は週に5日勤務しておりまして、そのうち1日だけ精神科クリニックに努めていますが、ここではうつ病の方が圧倒的に多いといえます。

 それでは、次に統合失調症とうつ病の症状としての違いを見てみましょう。人間の精神機能の働きを表すのに、昔から知、情、意という言葉があります。知的な側面から言えば「知能」「知覚」「思考」があります。それから、情で言えば「感情」「情動」があり、意では「意思」「意欲」があります。精神科の病気というのはいろいろありますが、その病気によってこうした色々な通常の人の精神機能の働きがどこかがバランスを失ってくる、それが精神疾患の症状になってくるということです。

 そこで統合失調症のいろんな症状について、その一つの特徴として、先ほどあげた精神機能のほとんど全ての側面が色々な程度で障害を受けるということです。ですから、昔は統合失調症を「人格の病」と言ったこともありました。では、その際の「人格」とは、その人の全体像を思い浮かべて、私なら私、あなたならあなた、というように、例えば「あの人はすぐにキレる」とか「あの人は?うさん?胡散?臭い」とかいうように、イメージなどから総合的に直感して、その人の人格、性格といったものを我々は見ます。

 ですから、そういう意味で言えば、統合失調症という病気にかかると、色々な領域のところが、障害を受けて、その人の人柄が病気になる前と違ってしまったと感じられることが起きてきます。

 例えば、統合失調症の代表的な症状の一つに「幻覚」があります。幻覚は誰もそこにいないのに悪口が聞こえる。あるいは、見えたりする。それから何もそこにないのに、何かいやな匂いがする。つまり、対象のない知覚といいます。場合によると触られる、触覚が働くということもあります。五感の領域で、対象がないのにそうした知覚を感じるもので、知覚の障害といえます。しかし、これもある程度は誰にでもあることです。例えばうとうとしている場合など、人の声が聞こえたりする、夢かうつつか、みたいなことです。それから、とても疲れている場合なども、誰も呼んでないのに振り返ったりするようなこともあります。

 しかし、統合失調症の場合には、それが非常に特徴的な形で出てくるということです。特に幻聴が聞こえるという人は多いですね。

 もう一つは「妄想」ということがあります。妄想というのは、定義的にいいますと「訂正不能の誤った考え」です。被害妄想、被害関係妄想というのがあります。盗聴されている、ストーカーに追いかけられている、といったものです。つまり、実際には起こっていないことを、起こっているように判断してしまうことで、本人自身では訂正できない誤った考えです。

 妄想にも色々あって、嫉妬妄想などもあります。つまり自分の配偶者が別な人と同棲とか不貞をしていると判断してしまう症状です。これなどの症状は、我々医師の立場では誤った考えかどうかは判断できませんね。興信所でも頼まなければ・・・。ただ、こうした問題も含めて起こる症状はさきほど申し上げた思考の障害ということになります。

 次に、情・つまり感情の点ではどうか。これも定義的にいうと「感情鈍磨」「感情の平板化」といいます。これも患者さんによって異なりますが、統合失調症にかかった方には、お話したり、あるいは一緒に何かをやっていても感情のいきいきとした動きというものが感じられにくい症状です。これらを昔の人の表現では感情が鈍磨、つまり鈍くなってしまった、といったわけです。要するに外から見ると、患者さんに喜怒哀楽がなくなってしまったように見られることです。これも統合失調症に特徴的に見られる症状です。

 それから、意思とか意欲の面ではどうかといいますと、これも「意欲低下」ということがあります。よくご家族から「うちの子は病院から退院して、幻覚、妄想がとれてよかったけれど、何もしないで毎日ごろごろしている」という訴えを聞きます。これが何かしようという意欲がなくなってしまった症状を意欲低下と呼んでいます。

 大まかに統合失調症の症状を分類すると、いまご紹介したような言葉で表現されるものに代表されます。

 いま、一つ大事なことを言い忘れました。さきほど「知」の中の「知能」ということに触れませんでしたが、統合失調症の場合、この「知能」の部分は障害されない、となっています。知能というのはその人が生まれ付いてもっている知的な機能水準で、よく知能指数といいますが、100を標準として100より上の人もいれば満たない人もいます。「IQ」ともいいますが、これが70以下の場合、精神発達遅滞で、生まれつき知的機能が低い方のことをいいます。

 余談ですが、先日の朝日新聞に出ていましたが「宮城県では知的障害者の施設を全廃してグループホームにする」というニュースはすごいですね。宮城県は次に精神障害者の施設はどうするのか、精神の場合ですと、イタリアがすでに精神科の入院ベッドを全廃した例がありますが、関心が高まりますね。

(参考: 宮城県は、県内にあるすべての知的障害者の入所施設の「解体」を宣言する。04年度から入所者が地域で生活できるように支援する予算を充実させることなどで、民間の施設を含めて地域移行を促す。20日から大津市で開かれるシンポジウムで浅野史郎知事が公表する。障害がある人もない人もともに地域で暮らす「ノーマライゼーション」の理念を都道府県単位で実践する全国初の試み。=アサヒコムより )

 ま、それはともかく、統合失調症の場合、知能は障害されないと言われています。例えば私の病院でも長く入院している患者さんで、一日中何もしないでボーっとしている。一見すると知的な部分が低くなってしまったのではないかと思われるのですが、知能検査をしてみるとその部分は落ちていないという結果がでます。それは、先ほどから申し上げている知能以外の感情鈍磨とか意欲低下などの症状によって、外から見ると知能までが落ちてしまっているかのように見えるということです。

 知能検査というのは、皆さん受けたことがあるかどうか、あれはけっこうやる気にならないと駄目ですね。いい加減にやるといい結果は出ません。ですから、統合失調症の方も意欲低下などの状態で検査を行なうといいスコアがでませんから、一見知能が落ちてしまったかのような判断をしてしまうのです。そんなことから、かつてプレペリンという人が今の統合失調症を「早発性痴呆症」と命名した経緯もあります。「痴呆」というのは「知能低下」ということですから、プレペリンの時代にはこの部分の判断が間違っていたことになります。

 さて、これまで統合失調症の特徴について述べてきましたが、では、もう一方のうつ病とはどんな特徴があるでしょうか。

 まず、「うつ」という状態について見てみますと、これは誰でも経験するものです。うつを経験したことがない、という人はまずいないのではないでしょうか。ま、中には自ら「私、いまうつなの」と言いながら、ぜんぜんそのように見えない人もいますが・・私を含めて・・・(笑)

 うつ、というのは「雨降りの感情」とも言われますが、ある意味では正常な反応ということもいえます。私たちは生身ですから、色々なストレスがあったり、心配ごとがあったり、いやなことがあったりすると、人はそれに反応するわけです。そこで、そのときに一番多いのは「抑うつ的な反応をする」ということが一般的です。これは、皆さん経験されているのではないですか。

 例えば失恋したとか、仕事で大きな失敗をしてしまったとか、ご家族が大きな病気で入院しているとか、そんな時は何をしていても気分が晴れない、ということがあります。同時にいままで好きだった食べ物も食べる気がしない、食べてもおいしくない、唾も出ず飲み込めない、寝つきが悪い、お通じも悪い、と色々な反応となって表れます。こうしたときに最も一般的な反応が抑うつ的反応です。

 そこで、うつ、といったときに誰にでも起こりうる一般的な反応とある程度連続している面があります。ですから、理解しやすいということがあります。このようなことがあったので沈んでいるのも無理ないだろう、と了解しやすい面があります。

 ところが、統合失調症で盗聴されているとか、追われているとかといった症状は理解しにくいものです。我々の理解の範囲を超えています。これを「了解できる」「了解できない」という言葉を使う人もいます。

 うつの話に戻りますと、うつ病の場合も統合失調症で述べたような色々な領域の心の働きが障害されたり、それからバランスを崩したりします。ただ、うつの場合は「感情の障害・アンバランス」というのが根本にあるというのが、うつ病の病態、本体といえるものです。ですから、先ほど、統合失調症を「人格の病」と言いましたが、うつはこれに対して「感情の病」といえます。比較的元のところは限定された感情の部分が障害されてくるのがうつ病であるといえます。

 そこで、うつの場合は感情面は「抑うつ」という感情が支配的になります。これは、日常生活でのストレスからの反応として起こるのものと、精神疾患として、原因が不明なところで起こるものがあります。特にきっかけなしに起こるものです。ただ、いずれにしても、うつ病の場合であれば、抑うつ気分とか抑うつ感情といわれているようなものが、あくまでも病像の中心にあるということです。

 抑うつ感情というのは、先ほどもいいましたが、「雨降りの感情」とも言われるもので、一般的には気分が晴れない、意欲がない状態です。うつ病の場合、統合失調症に見られる知覚、情動、意欲といった部分の障害がないかといえば、やはりあります。感情の障害が基にあって、ここから派生する形で、様々な領域で障害が起きてきます。こうなってくると、統合失調症と区別するのが難しくなる病態となります。あるいは一見したところでは統合失調症かうつ病かわからない、という場合もあります。

 どういう場合かというと、とにかく抑うつ気分が支配的になると、体も心もエネルギーが枯渇してしまうよう状態になります。そうすると、もちろん何かやろうという意欲が起きませんね。最近、新聞とかに出ていますが、新聞も読めなくなってしまったら気をつけたほうがいい、言われています。それは、エネルギーが下がってきているということです。

 それから、普段でしたら楽しいと感じるところに、楽しさを感じられなくなる。例えば、テレビでキムタクの「プライド」を見るのが楽しみだったのが、見てもちっとも面白くない、見る気もしないというように、関心の及ぶ範囲というのが、非常に狭くなって、だんだん何見ても面白くない、つまらない、という状態が起きてきます。

 こうした抑うつ感情を基にして、知覚、思考の領域ではどうかというと、幻覚は少ないのですが妄想というは、例えば自分がつまらない存在と思えることがあります。自分はなぜ駄目なのか、もっと勉強しなければいけないのではないか、といったように自分を責めることが特徴です。これは一般の方でも起きますが、うつ病の人の場合はずーっと続くことになります。つまり、自責的になります。あるいは悲観的になります。いわゆる八方ふさがり、ですね。何やっても駄目だ、悪くなる一方だ、そのように思い込んでしまうことです。中には貧困妄想とか、罪業妄想、自分はなんと罪深い人間なのだろう、他人に迷惑ばかりかけているという思いが非常に強くなるというものです。

 そうしますと怖いのが自殺に結びつきやすいということです。自分がいなければ、家族や周りの人に迷惑をかけなくて済む、という思い込みにはまってしまいます。それを、周囲の人が、それは思い込みだ、そんなことはない、といくら言ってもご本人には訂正できないのです。そこから、うつ病の方は自殺や自殺未遂という危険な行動を起こす場合があるのです。

 うつの場合ももともとは感情の問題ですが、ここから派生して知的な側面とか、意欲低下といった障害に波及してきて、中には統合失調症の急性期となかなか見分けが付かないような症状を見せる場合があります。意欲低下が非常に進んだ状態は、「昏迷状態」となります。これは統合失調症でもうつ病でも見られる症状です。意欲が極端に低下した状態で、ご飯を食べる気力もなくなったり、一日中ベッドに横になってごろごろしていたり、トイレにも行けず、部屋に垂れ流してしまうこともあります。

 そこだけ見ると我々も統合失調症なのかうつ病なのか区別が付きにくいものです。ですから、そういう場合は周りの方から経過を聞いて判断するしかありません。このようなケースは多々あります。

 ですから、統合失調症とうつ病は二大精神病とか三大精神病として語られてきましたが、双方とも大きな問題です。私たちが臨床的にも関わることの多い病気ですが、入院治療の面から見ると統合失調症の方が多いですし、外来、その他の区分けでいいますとうつ病圏にいる人のほうが多いということができます。おそらく、世の中の不景気とかリストラなどを考えると、今後はうつの方が増えていく傾向ではないでしょうか。

 症状的には統合失調症の場合は人格の病とも言われるように、色々な精神機能の領域がおしなべて、いろんな程度で障害を受けてくる。それからうつの場合は基本は感情面の障害が基本ではあるけども、そこから派生して、やはり色々な知的な側面であるとか、意欲の面とかが障害を受けてくるので、場合によっては場合によってはそれがオーバーラップ(統合失調とうつが重なって)して起こるため、どちらか決めかねる、区別が難しい、場合によっては両方の症状をもった、分裂感情障害といった病名の場合もあります。

 それから、こういう見方もあります。統合失調症の患者さんの方から考えた場合に、うつということは誰もが経験することですね。そうすると、我々でもそうですが、いろんな生きていく上で、あるいは生活する上での不自由さとか、心配事だとか、不安とか、そういうストレスがあったときに、我々は抑うつ的になります。そういう意味では、統合失調症で療養を続けている患者さんも同じような抑うつ反応は当然あるわけです。

 そして、今の世の中は統合失調症の患者さんが生きていくには、そう簡単ではない状況にあります。多分、我々が生活していくよりは、患者さんたちの方がストレスを受ける機会が多いでしょう。だとすれば、当然、そういう現実的なストレスに反応して抑うつ的になるのが当然で、ないほうが異常です。だから、そういう意味で現実的な状況に反応しての抑うつというのは統合失調症の患者さんにもありうるし、むしろ私たちよりもリスクは大きいと言えます。

 ですから、これまでお話してきたように、病気の成り立ちを考えることも大事ですが、もう一方では現実的な状況に対する反応という意味での抑うつというのは統合失調症の患者さんにも起こるということを見誤らないようにしなければなりません。そのようなときにご家族はご家族の立場で、医師は専門家としての立場でどのような援助をすればいいかを考える必要があります。単に薬を増やせばいいか、多分、そういうことではないでしょう。薬で解決する部分もありますが、それだけでは無理でしょう。本当に、その患者さんにとって、有効となるような治療であったりとか、いろいろなサポートを選択していく必要があります。
(紙面の都合でここで終わります)


森元美代治さんのCD「日本人の良心」を聴いて・・・感想文

全家連 相談室 中井和代相談員

 森元氏は、語り部と自称しておられますが、その域をはるかに超えた、受難者・挑戦者・克服者・そして牽引者として、深く静かに、しかも強靭にこなしておられる素晴らしい実践者であることを改めて認識、敬服の他ありません。

 それにしても、「カミングアウトが容易ではないこと」から、「就労の困難さ」まで、ハンセン氏病と精神障害の社会背景の酷似は驚くほどですね。ちなみに、「風の舞」は魂が故郷へ戻るということだそうですが、ふと、全精連会長、山口弘美氏がかつて話された、病院の片隅にひっそりとある、引取り手の無い患者の「小さな墓」を想起、胸を熱くしました。

 偏見解消には、机上の論理や、説得では効果は薄く、「じかに触れ合うこと」「無垢な若い世代への教育」が大きく奏効することも改めて確信しました。

 黒川温泉事件は、よそ事ではありません。つい先ごろのことですが、横浜市のある民間スポーツクラブの規約に「精神病の方の利用お断り」とあり、問題になっています。地道に点検是正を重ねていかなければならないのですね。

 ハンセン氏病と精神疾患の大きな違いは前者には「完治」という言葉が使えるが後者には完治ではなく「寛解」しかないという点でしょうか。完治するから一挙に偏見が氷解するものでないことは勿論ですが、「完治する」病気となれば偏見は大幅に低減するはず、その意味も含めて、私たち家族も、森元氏に学びそしてあやかりたいものと、切望しています。

フレンズ・当事者の講演記録CD・第3弾

  CD「日本人の良心」
    
森元美代治さんの証言

 ハンセン病体験者から学ぶ「偏見」問題。周囲はおろか家族からも「死んでくれたらいい」と言われながらも生き抜いた、その生きる原点は何なのか?涙ながらに語る森元さんの言葉は私たちに「人の良心」を教えてくれているようです。

頒価 ¥1,000 (送料¥200別)

申込 フレンズ編集室
シルバーリボン

編集後記

 今月は久しぶりに岩下先生の元気な声を聞くことができた。真冬の2月でも半袖シャツ姿、達観したとでもいうようなユーモアの連発は相変わらずだった。

 これまで、うやむやになっていた統合失調症とうつ病の違い、痴呆が心配される歳になった私でも朧げながら整理されたような気がする。この二つの病気の「違いの理解」は皮肉にも「類似の理解」ではなかったかとフレンズの編集を終えての感想である。

 感想といえば、全家連中井相談員から森元美代治さんのCD「日本人の良心」をお聴きいただいた「感想文」を早速お送りいただいた。

 中井相談員は、著作や全家連全国大会などで、しばしばお名前を拝見しているが、個人的には十年前の我が息子の初発段階で、親たる私が自失呆然状態にあるとき、全家連家族教室でご講義を拝受した際の指導員であった。

 中井相談員の感想文中に「引き取り手のない小さな墓」のくだりでは、私も想いを同じにした。まだまだ弱きものへの無理解や援助の希薄さが問題となる日本の福祉社会である。

 岩下先生といい、中井相談員といい、今月は恩師との出会いのような、そんな回顧感を味わった月であった。