精神障害者の就労支援 ~いろいろな働き方があっていい~

3月家族会勉強会 講師 山梨障害者職業センター 所長 沖山稚子さん

【はじめに】

 私は障害者職業センターというところで26年働いており、今年27年目になりました。現在(H16.3)は山梨ですが、最初は千葉から始まって、埼玉、東京、あるいは三重、北海道旭川などで地域センターの職業カウンセラーとしてあらゆる障害のある方の就職のための仕事をしてきました。私がこの仕事をしてきた間に日本の雇用の形とか経済状況が変化して、とても景気がよくて障害を隠せばすぐに採用された頃もあれば、今のように障害がない人でも就職が難しいという時代の流れがありました。

 私自身が働いた場所が首都圏のように外部から流入して来た人が多い地域もあれば、三重とか山梨のように外部の県との流通がないじっくり育った地域もあります。北海道旭川ですと障害がない人の求人倍率が0.3といった状況です。ということは3ヵ所の事業所に10人の人が応募するということで、こういうところでは障害のある人の就職はそもそも諦めているような事情があります。今日は土曜日で私も北千住からこちらに来てます、ボランティアとして体験的知識をもとにお話をしてみたいと思います。

【病気のことを知らせて働こう】

 精神障害のある方の就職問題で必ずといっていいほど出る問題が「病気を隠して就職したい」ということです。私の職業カウンセリングでも「病気のことを言ったら採用されないのではないか」とか「なんとか隠せないのか」という質問が多く出ます。このことで話の時間が取られてしまうケースが多くあります。障害者職業センターという看板を掲げているところに相談に見えているのに、「障害を隠したい」といわれます。そして事実隠そうと思えば隠せる方もいます。また一口に精神障害と言うときには「てんかん」「そう・うつ」「統合失調症」を称して言ってます。つまり隠して隠しきれる障害もあるでしょう。てんかんの方も発作さえ起きなければ全くわかりません。

 しかし慢性の統合失調症で二次障害的に薬の残遺症状があり、隠していても何か動きや反応が鈍くて「どこか変じゃない?」と見られる方もいるわけです。そういう症状、病名が様々でありながら、「隠す」「隠さない」でいつまでも議論しているのはロスがあまりにも大きいと言わざるをえません。もちろん状態がいい時に隠して就職できればそれでいいわけですが、そうなってきますと精神障害のリハビリテーションとか支援制度とは関係なくなってきます。ですから、そういう方は今日の話題からは外れると思います。

 私が今日の話の中で対象としている方は、作業能力とか生活のリズムとかに困難性があり何らかの配慮を要する方々です。「隠す」「隠さない」で悩むことは無駄な疲労を生んでしまうことになります。あるいは、ご本人は隠したつもりでも周りからは「バレていますよ」と言いたい方もおります。

  隠しているだけに面接に行っても妙に不気味であったりして、話も聞かれずに断られてしまう結果になります。こういうケースは多くあります。10回20回と面接に行ってどこにも採用されない人がいます。病気のことを隠していても落とされているのに、やはり病気だと働けないのじゃないかと勝手に思って失望していく、これも無駄なことだと思います。ご家族の方もお子さんに対して「障害を明らかにする」という考えで配慮していきたいという方はこれからのお話をお聞きください。

 隠して就職する時にメリット、デメリットがあります。隠して面接を受けて、もし通れば就職できるでしょう。そのかわり残業、外勤、出張と一般社員と同じ仕事を与えられます。そうしますと苦しくなって続けられなくなります。

 では「病気を隠さない」で面接を受けたらどうかというと、面接そのものが受けられない場合もあります。それは大阪池田小の事件などが起きると、社会一般は精神障害者を一緒くたに見てしまいますから、「精神障害?それはもう駄目だ」となり、あの事件が特殊な人物の犯行だったと理解されるとまた見直されるというのが世間です。ですが、精神障害のある方の就職では面接も受けられないというのも現実です。知的障害とか身体障害は障害として認知されておりますが、精神障害はそういう意味では他の障害よりハードルが高いといえます。

 私の26年の経験の中では、障害を隠さず面接を受けて、中には落ちる方もいますが、せめて実習だけでもということで実習を受けた後、採用になった方をいっぱい知っています。

 「隠さないメリット」というのも変ですが、平日の通院を保証してもらったり、援護制度で1週間に20時間働けるとすれば、その方を雇った事業所が国からの補助金をもらえるという制度もあります。昔は30時間で厳しかったのですが、現在は20時間になりましたので、割と楽にクリアできる時間ではないでしょうか。キチっと障害を言うことで国からの補助金があり、雇用主もご本人も気持ちよく働くことができます。私はそのあたりを目標において、「隠さず」を推奨しています。

 隠して就職した人から聞きますのは、毎食後とかにお薬を飲みますが、例えば昼食後に毎日お薬を飲んでいると、うるさい同僚はいろいろ詮索してきます。こんなとき嘘をついて隠すと、その嘘をついたことが苦しくなって終には辞めてしまうという方もいます。薬の袋の捨て場所を探すのに苦慮して疲れ、辞めた例もあります。

 でも、どうしても隠したいという人にアドバイスをしたこともあります。飲んでる薬を聞いてきた人に「これはプライバシーだから聞かないで」といって、そういう会話をシャットアウトする、とにかく嘘は言わないことです。中には嘘をついても逞しく生きられる人がいますが、この病気の方はもともと嘘がつけない人が多いですね。毎日このことで悩みの種を増やしていたら、仕事どころじゃなくなります。ですから私は病気のことを隠さず、公共職業安定所、障害者職業センターなどを使ってやっていく方向をお勧めします。

【就職のためにどんな準備が必要か】

 職業センターには様々なサービスがありますが、職業安定所で面接して、病気のことを言って、医療機関から一定の条件ともいえる病気に対する配慮についての意見書をもらい、担当官がそれならあの会社がいい、と面接にいくのが最も理想的な就職です。しかし、担当官の中にはその方の作業能力とかスタミナ、キチっと通えるか、それらを心配する人がいます。

 事実、お医者さんに出していただいた意見書では「就職可能」と書かれていても、それは病院サイドで安定していることであって、会社に入って働く時のスタミナ、時間管理、何がどうできる、ということについては書かれていませんので、そういう場合は職業センターで職業評価を受けていただくのがいいと思います。それには時間制限のついたペーパーテストや作業テストがあります。中にはそこで瞬間的にいい成績を出す人もいますが、毎日の連続した長時間作業となると、耐えられない方もいます。そういう中でご自分の力をつかまえ、何ならどれくらいできるという意見書をもらって安定所から会社訪問へとつながっていく方もいます。

 一方、日々の生活リズムが崩れてしまっている、就寝や起床時間がずれてしまっているという方には、ワークトレーニングコースという方法で訓練を積むこともできます。これはワークトレーニング社という模擬工場がありまして、一人の人がだいたい8週間くらい勤めます。朝9時から午後4時まで、月曜日から金曜日まで身体を使う作業を行います。これは就職のための耐久性を高める目的で行います。就職のための技能訓練ではありません。無料で受けられるもので訓練手当、交通費も出ません。

 ですから、たかが8週間といっても無給で、弁当代も交通費も自己負担で通う人たちですから、その就職への意欲は並々ならぬものがあると思います。私の勤務している山梨障害者職業センターに通う人は、冬の八ヶ岳?おろし?颪?が吹く寒さの中、交通機関が不便ですからバイクや自転車で通ってくるわけです。先日修了式を行いましたが、私は「これに通うだけでも立派だ」と拍手を贈りました。多少作業が遅かろうが、多少出来上がりが少なかろうが、8週間通いきったことに自信をもって欲しいと申し上げました。

 このようにして働くための身体づくり、ある程度の労働時間への耐性をつくることから始めます。だから工場とは言ってもウォーキングやエアロバイクもやります。こうした体力評価では10段階評価で大方の精神障害者の方が1から2です。精神障害のある方にはこうした体力の減衰という二次的障害も出ているということも重要な視点です。私は病気の面では素人ですが、精神の病を持っている人は病気の治療と併せて体力づくりをぜひやるべきだろうと思います。身体のスタミナがなければ心のスタミナもなくなってしまいますよね。

 もう一つは実際の会社を使ったジョブコーチという方法があります。これも無給ですが、1ヶ月とか3ヶ月、一般の会社に入って実習を行う方法です。その間、心配であればジョブコーチがつきます。ここで自信がつけば会社も本人も安心できます。しかし、実際はいろいろあります。休み始めたり、いじめられたとか、昼休みとか作業以外の部分のこともあります。これらをジョブコーチが調整していきます。

 東京の障害者職業センターは池袋サンシャイン8階にあります。ここにもセンター専属のジョブコーチがいます。そのほかに関係機関に依頼して、やっています。新宿ではストロークという会社がありますね。こうしたところに外部依頼型のジョブコーチを依頼し、活躍していただいています。東京には精神障害に詳しいジョブコーチがおりますから、東京の障害者職業センターに相談されたらいいかと思います。

【きれいに辞めましょう】

 さて、こうして就職できたとしても3ヶ月、6ヶ月と過ぎてくると問題がでてきます。それは作業ができないとか周囲とうまくいかない、とかいうものではなくて、意外に多いのが人生そのものを見直すような気持ちですね。「こんな仕事を一生やるのか」という疑問です。それは病気になったことで進路変更を余儀なくしている人が多いですね。

 多くの人の発病時期が受験勉強中とか大学途中とか。すると、その時期に描いていた人生設計と現在の仕事内容とのズレを意識するのではないかと思います。だけどここで考え直すことが大事です。安い給料かもしれないけど、これをお給料の出るデイケアに通っていると置き換えて考えてみることです。少なくとも自分が作業をして、その対価としてお給料をいただいている。会社と自分が対等の関係にあるという認識をすることですね。

 しかし残念ですが、ここで撤退することもその人の人生として受け止めなければなりません。3ヶ月でも6ヶ月でも、自分は病気を隠さずに雇ってもらった、給料をもらう仕事をしたという体験は非常に大きな意味があると思います。ここで大事なことは辞め方です。なんとなく「ヤダなー」といって、休みがちになったり、休みの連絡もしないでズルズル過ぎてしまうのは、折角縁あって、病気を理解して雇ってくれた事業主さんを潰してしまうことになります。

 事業主さんは「もう精神障害のある人はコリゴリだ」となってしまうので、辞め方に関しても私たちカウンセラーとしては責任を持ちたいと思います。だから、本人が辞めたいというのならば「辞めていい」と、先方にも予定があるから、キチっと「いつ辞める」とはっきり言って、それまでは頑張るようにいいます。辞め方を経験するのも大事なことだと思います。

 病気のことを言って働きたいというのはあなただけではない、あなたがいいかげんな辞め方をしたら、あとに続きたいと思っている人のことまでぶち壊しにしてしまうから、辞めるときはきちっと辞めましょう、といっています。そうしておけば、事業主さんも気持ちよく受けてくれますし、次の方がいましたらまた相談にのります、となります。それは辞める際でも第三者機関としての責任を持つ人がいることが、信頼関係を保っていることだと思います。

 こういう病気を理解し、障害者を受け入れてくれる事業主さんは、大事にしていい関係を作っていくことが私たちの役目だろう思っています。ですから、皆さんにもお願いしたいのは病気のお子さんが長く働くことばかりがいいことではありません。病気を悪くしてまで働くものではありません。私たちにも反省すべき点はあります。折角就職できたのだから、もう少し、もう少し頑張って!といってきたきらいがあります。しかし、これからは辞める勇気も必要だということ、そして辞める時には辞め方をキチってして辞めることが大事だということを申し上げておきます。

【事例紹介】

 私はご覧の通り声は大きい、何でもズバズバ言うほうですね。大丈夫です。自覚してます。(笑い)
 そのことが影響するのでしょうか。10年くらい前ですが、私が精神障害の方に相談相手をして「頑張ろうね」というと彼は「はい、頑張ります」と何でも受けてしまいます。職場に見にいくと「頑張っています」と私に言うわけです。安心していましたら、その後彼は突然パッと辞めてしまいました。私は「え~ッ!どうして?」と思わず叫んでしまいました。辞めてから彼が職業センターへ来たときに話を聞いてみましたら、「いやー、クタクタでした」というのです。「だったら、そう言ってよ」と私。彼は「辞めたら沖山さんががっかりすると思って言えませんでした」(笑い)

 ・・・いやー、私はそれを聞いて涙が出ました。統合失調症の方にはそういう優しさをもっている人が多いんです。私たち支援者は「頑張ろう、どう大丈夫ね?」「はい、頑張ります」。こういう例がよくあるんです。私はこの1件を経験して学びました。ですから最近は「どう?疲れているでしょう?」と聞きます。彼らは「わかりますか」と言ってくれるようになりました。20数年かかって私はようやくテクニックを得ました。(笑い)

 私たちの立場の人は一生懸命すぎるところがあるのです。それに他の障害の方も見ていますから、そちらは「イケイケ・バンバン」が通用するところがあるんです。精神障害の人たちの場合はそうではないんですね。

 精神障害者のための自立支援事業というのが山梨にも導入されまして、これは16週間、無給でSSTを行ったり、履歴書の書き方を練習したり、実習したりするのですが、これはワークトレーニングの前の段階のものです。

 この事業に参加したA君がいました。彼は症状は落ち着きましたが、作業訓練ではすぐにフーフー言ってしまう人でした。訓練が終わって、職場探しで自宅待機状態のときに、ある企業の社長さんから人を紹介してほしい、という話がきまして、これは渡りに舟とばかりに彼を病気のことも明らかにして紹介しました。

 電気製品の組み立て工場で、結構スピードが要求される職場でした。そして彼にはジョブコーチをつけました。ジョブコーチは彼と一緒に事業所に入って、彼の対人関係をみたり、作業の流れを教えたりする役目ですが、やはり専門家の性(さが)で彼を本採用(就職)させたい一心があります。ですから彼が仕事をよくこなし、社長から怒られないようにやってほしいと願うのは自然でなことです。

 そこでジョブコーチは彼の横にピタっと張り付いて、作業をあおるように応援してしまったのです。A君が私のところに来て話すのは「ジョブコーチとやっていると疲れます」とぼやくのです。私はジョブコーチにあまり煽らないでと牽制しましたが、A君の疲れはひどく結局その会社を諦めざるを得ない状況になり、また待機中になってしまいました。

【精神障害がある方の復職問題の昨今】

 先ほどのA君の場合、1週20時間までは働けるという状況でした。このような場合、医療機関から病名がきちんと示された意見書があって、ハローワークの紹介で20時間働ける場合は国の援護制度の対象となります。また、例えば1日3時間くらいという短い時間でなら安定して仕事を続けられる場合もあります。いきなり焦らずとりあえずできる範囲でやってみるというほうが長続きするようです。

 三重に勤務していたときに女性ですが、とりあえず1日1時間の勤務をさせてください、ということをある社長さんにお願いして、午後1時から2時までの勤務した人がいましたが、それでも出かけるとなると、1時間前からお化粧したりして緊張します。帰ってくればグッタリ疲れきってしまうそうです。

 しかし、病気はどんどん良くなって、主治医も評価してくれました。すると今度は人間欲が出て、だったら2時間にならないか、ということで3時まで働くことにしました。すると、もう駄目でした。そこでまた1時間に戻しました。

 これで仕事と言えるか、ですが、彼女の給料は1時間600何十円で、1週間3000何百円、1ヶ月1万何千円です。安いか高いか分かりません。しかしいま作業所で朝から午後4時ころまで働いてやはり1万何千円です。彼女は立派な1企業の社員として、1時間の勤務時間で同じ給料をもらっているのです。仕事の中身が違います。何よりも実際の職場がかもし出す緊張が違います。

 話は変わりますが、社会適応訓練を受けたあとの援護制度は使えないのか、という質問がありますが、これは職業安定所の紹介によって就職した場合は使えることになってます。ある障害者の方で、最初は病院のデイケアを受け、退院して保健所のデイケアに来て、次に社会適応訓練を受け、そこに就職することになりました。

 ここで安定所の紹介ということにして援護制度を使ったケースがあります。最初のデイケアから通算7~8年かかっています。このケースは着々と制度や施設を利用して見事に社会復帰を果たした例です。この人の周囲にはその場その場の保健師やケースワーカー、ジョブコーチ、安定所の担当官といった人たちがいたわけです。制度が使えるか使えないかを考える前にやってみることです。つまり担当官を引き込むような、味方にするような働くことへの意気込みをご本人が示すことだと思います。

【最後に】

 私が最初に赴任したのが千葉だと冒頭に申し上げましたが、当時は精神障害のある方に対する制度など全くありませんでした。しかし千葉県特有の明け透けの風土がありまして、東京などの格式ばったところがありませんでしたから、とにかく地域センターに来た人は何らかの生活のしづらさがあるわけだから、どんどんやっていきましょう、ということで相談を受け入れていました。

 ある精神障害の女性の申し出でがあって、安定所の担当官は受け入れ会社から「その人は知恵遅れか?」と聞かれ「そのようなものだ」と答えてその人を就職させてしまいました。慢性の統合失調症で作業や会話の反応は遅く知的障害と見まごう雰囲気の方ではありましたが、当時若かった私は精神障害と知的障害は違うと反発しました。しかし、担当官はその人物を見て、この人なら勤まると障害名などお構いなく就職させてしまったのです。障害名にこだわることなくその方の状況をふまえた職業紹介、いま考えるとその担当官の仕事はプロの仕事だったと思います。

 いまは制度が整う一方で専門分化して専門家が増えていますが、私は「単に人が就職するのを手伝う仕事」だと言ってます。何時間仕事ができるか、どこまでできるか、そんなことばかりが計られていますが、仕事が続く人はそんなことができなくても続きます。特に日本という国では人と人との和が保てる人が伸びていきます。何ができる、どれだけできるから評価されるという欧米のやり方では勤まらないです。それでは人が見えなくなってしまいます。

 その点で私が勤務する山梨は職親制度がしっかり根付いています。それは地域の信頼感があることの証だろうと思います。「?むじん?無尽?」という地域金融組合みたいな組織がまだまだしっかり生きていることからもそれはわかります。

 ここは東京ですし、部分的にドライです。やはりこちら(当事者)も病気をあきらかにするという不利益を受けるわけですから、逆に使える制度、使える機関を十分に利用することだと思います。

 ぜひ一人ひとりの働ける具合や時間のペースやらを第三者の機関を使って見極めて臨まれたら展望は開けてくると思います。ご本人にぴったり付き添ってくれる人だけの意見で動きますと、本人に過剰な負担を強いたり、余計な傷つきを招き卑屈になる恐れもあります。いやな部分を調整してくれるハローワークとか耳に痛いことをしっかり言ってくれる職業センターの評価というものを活用していただきたいと思います。就職問題でお世辞を言い合ってる場合ではありません。学生時代の経験や幻想では就職できません。

 また、就職して辞めることもあるでしょう。長く続くのがいいとは限りません。例えば2ヶ月で辞めることになってしまったとしても、そこで2ヶ月しかもたなかった、というのではなく、2ヶ月も続けられたと解釈すべきでしょう。辞めることも経験として貴重なことと捉える人生観がないとこれはできませんね。長く続くのがいい、辞めるのは失敗というのだったら就職などしないほうがいいです。何もしないで静かにしていたほうが痛みがありません。しかし、その痛みはどこの世界にもあるわけです。それが社会に出ていくときに付き物だということを知るべきでしょう。

 ちょっと強引ですが、私の仕事はその人の人生観が出ます。安定所の担当官、保健所の保健師さん、それぞれの人生観があります。こんな頑張っているお母さんもいます。付き添っている息子さん実習ができないから自宅に持ち込んで、その作業の特訓をしたお母さんがいました。そういう迫力あるお母さんの姿を見る中で人は働く場の中で傷つきながらも、豊な人生を味わっていくものだということを感じます。それもこれも私が26年間の仕事の経験の中で学んだことで、人を見る目もできたものだと思います。自分が働くのがいやで、辞めたいと思っていたら皆さんの前でお話はできません。皆さんもチャレンジしてほしいと思います。だから、それは辞めることも「あり」だということでもあるのです。きつくなったら撤退することです。長くなりました。それでは私からの話はこの辺で終わります。

(紙面の都合で、このあとの質問は省略します)

CD「日本人の良心」感想文(寄稿)

  目黒区ひのき会会長・奥山和夫さん

 ハンセン病は以前「癩病」と言われていましたが、今は「ハンセン病」と病名が変りました。私はこのCDを聴くまでハンセン病に対する知識は、嘗ては廃人となってしまう恐ろしい病気だったが、「プロミン」という特効薬が出て以来、不治の病でなくなったというごく浅いものでした。

 CDを聴き、森元さんは自身の発病から現在に至る間の人生経験を率直、そしてわかりやすく語られていました。以下、断片的な感想となりますが、記憶に残ったことを書き記すことにします。

●この病気のおそろしさ、薬のおそろしさ(副作用)を改めて知らされたこと。森元さんが体験された話では、発病前両眼視力が1.5だったものが発病服薬後それが0.04まで低下(おそらく盲人に近い)してしまったこと。そして、その原因が医師からいろいろ勧められた治療薬の副作用が大きく影響しているのではなかろうかと感じた。最近、新聞、テレビ等マスコミで報じられている「医療ミス」に似ているように思います。

●話の中に「ダルマさん」という言葉がありました。病気が進行していくと体内の神経が次々と犯されていき、最後には手足がなくなり「ダルマさん」のような体になっていまうという説明には本当に驚きました。更に驚いたことは「ダルマさん」におなった人たちは神、仏に近い心境に達しているという話は、想像を絶する驚きを覚えたしだいです。

●ハンセン病患者家族と統合失調症患者家族の話し合いができる機会が生まれればと思います。

フレンズ・当事者の講演記録CD・第3弾

  CD「日本人の良心」
    
森元美代治さんの証言

 ハンセン病体験者から学ぶ「偏見」問題。周囲はおろか家族からも「死んでくれたらいい」と言われながらも生き抜いた、その生きる原点は何なのか?涙ながらに語る森元さんの言葉は私たちに「人の良心」を教えてくれているようです。

頒価 ¥1,000 (送料¥200別)

申込 フレンズ編集室
シルバーリボン

編集後記

 ついに四月号は休刊を余儀なくなした。本業の方の事務所移転と仕事の繁忙さが重なった。その影響で3月の勉強会・沖山さんの講演録が5月連休に出来上がった。気のきいたオバケは引っ込むよ、と言われるのを覚悟して沖山さんに校正を願い、快く即校正をいただき5月号は完成した。

 沖山さんの講演は「病気を隠さず」を中心においていると感じた。病気を隠さない・・・26年間、この道一筋に関わってきた沖山さんならではの結論ではないだろうか。

 そのことは、奇しくも1月勉強会で講演されたハンセン病元患者の森元美代治さんのキーワードでもあった。つまり「カミングアウト」である。

 沖山さんが講演の中で述べている「知的障害とか身体障害は障害として認知されておりますが、精神障害はそういう意味では他の障害よりハードルが高いといえます」も、「隠す」結果の表れだろうか。

 「精神障害」はある程度回復した段階では隠そうと思えば何とか隠せる。どこから病気で、どこから正常かの線引きができない。このことが複雑に影響して精神障害者の就労へのハードルとなったり、当事者、家族のカミングアウトを躊躇させる要因の一つになっているように思える。

 そんなことを考えていたきょう、精神障害当事者のF君から「本日目出度く手帳を役所からもらいました」という喜びのメールが届いた。その文面からは、解放感ともいえるサバサバしたものを感じた。時代は確かに変りつつある。