イタリアの精神科地域ケアの現在

10月家族会勉強会 講師 慶應義塾大学医学部精神神経科 水野雅文先生

はじめに

 私は1993年から95年までイタリアに留学しておりました。それは私の研究テーマが神経心理学という脳障害の精神症状であって、イタリアはそのあたりが進んでいたということがあります。そのイタリアということですが、1978年に国会で精神科の病院を全て閉鎖(撤廃)することを決めました。元々はイタリアも日本と同様、精神科の病院が多い国でした。それらの多くは国公立でしたから、政府の方針が通り易かったわけです。

 閉鎖のプロセスは最初再入院患者を入れない、というものです。次に新たな入院患者を入れない、となりました。イタリアは地方分権が進んでおり、閉鎖のやり方も地方によって違いありました。退院する患者さんための住居の問題が整わないと退院できないわけですから、地方によって格差がありました。イタリア語で病院のことをオスペダーレといいますが、これに「旧」という字を付けて「旧オスペアダーレ」とし、これまでの病院の建物と職員をそのまま使って、患者さんを「お客さん」と呼ぶようにして、宿舎にしていったということです。

ですから、イタリアは病院をなくして地域ケアの進んだ国と捉えている方も多いかと思いますが、豊かな州とそうでない州による違いとか、宿舎のないまま退院させられた患者がストリートピープルになってしまったというような、様々な問題を引き起こしました。

 イタリアはご存じのように長靴の形をしていて南北に長い国です。経済格差も南北問題としてあります。北にミラノがありますが、ここは大阪と名古屋を合わせたような商業都市です。南部の温暖でのんびりした地域とは異なり、市民は想像以上に勤勉です。従って経済的には恵まれて施設は充実しています。かといって南部が経済的に恵まれず生活が厳しいから患者さんも生活しにくいかといえば、心豊かな地域の人たちに囲まれて、それほどでもないといった状況です。

 ですから、外国で優れた制度があるからといって直接日本にもってきても、それが必ず日本にも当てはまるかといえば、難しい問題だと思います。それは国内でもそうですね。ある町で地域医療がうまくいったので、この町でも同じモデルでやろうとしても必ずうまくいくとは限らないのと同じでしょう。従って今日のテーマのお話しもそのような観点で他の地域の状況をどう捉えるかが重要だと思います。

精神科病院の閉鎖と対策

 さて、イタリアの話しに戻って、78年の改革というのは法律一本で通して精神科の病院をなくしてしまおうというものですが、それではなくしたところで、どのような整備がなされて、退院した患者さんたちがどんな生活をしたか、その地域で診るというときにどんな工夫がなされたか、精神科医療はどうなされているのか、その辺が留学していた当時、個人的にも大変関心を持ってみていました。

 しかし、いざ現地にいると、全体を把握するというのは困難なことでした。その原因の大部分は地域格差が大きいことだろうと思います。イタリアは物流が少ない国で、特に食料品は地域で作って地域で消費することが一般的ですから、その土地ものしか店に並ばないということです。それは医療でも同じことが言えると思います。ですから、他の地域の医療を知りたければその町に出かけて行って、改めて取材をしなければわからないということがあります。

 国から全国統計が出ますが、それは大体3年前とかそれ以上のものというのが多いです。ですから何を何処まで信じていいのか、ということがあります。まあ、考えようによっては大らかなんですかね。しかし、そうした中でも北の方というのは割りとしっかりした地域と言えます。そんな所で患者さんがどのように地域でケアされているのか、実際に行って見てみますと、例えば日本と一番違うところは、キャッチメントエリア(診療圏)といいますが、ここは新宿区戸山ですね。この地域の方は何先生と何先生が登録されていて、その中から自分の好きな先生を選んで日頃から登録しておきます。

 まず、何があってもそこにかかって、もし難しい病気であれば紹介状をもらって総合病院へ行くというシステムがかなりしっかりでき上がっています。ですから、それを広げて、総合病院の受診域というのも、県に1カ所中央総合病院がありまして、それに分院があります。患者さんはかかりつけの医者を通じてかかりつけの地域の病院へ行くということです。そういう意味では訪問診療なんていうのも、地域の先生が自分のテリトリーというものがありまして、そこに往診に行くということです。

 ですから重症の方がいれば、医師と看護士がチームを組んで行くというシステムです。これは日常的に頻繁に行われています。地域の患者さんは地域のお医者さんが診ているというわけです。しかし、それも良し悪しがありまして、受診する上では便利であるわけですが、患者さんが来なくなったり、いなくなったりするとすぐわかってしまうわけです。病気の治療ということだけで見てみると一見いいことのようですが、しかしもっと大事な人権とか、それから自由というものが、かなり管理的な医療になってしまうことです。いなければ追っかけていって注射することもありうる医療です。

 精神科病院を閉鎖して患者さんが地域に出てきたというときに、圧倒的に日本と語感が違うのはイタリアではそうした設備が歴史的にきちんとできています。患者さんが地域に出てくるといっても単純に病気の方が地域に出てくるということが行われたわけです。だから、全面閉鎖が可能となったと言っても過言ではないでしょう。しかし、それが整っていても、なかなか言うは易しで、とにかく退院する先がないと退院できません。

 イタリアであっても、イタリア人の家族のイメージというのは大体マンマと呼ばれるお母さんが中心にいて、大きなテーブルで家族中がご飯を食べるという南部のスタイルと北の方のアパートでこじんまりとした住まいとに別けられますが、やはり患者さんが退院となれば大変なことです。

 イタリアでは78年の段階では10数万床の精神科のベッドがあったと思います。それが閉鎖を決めて、すぐにゼロになったわけではありませんで、最終的にイタリアの、日本の厚労相に当たる保健大臣がゼロを宣言したのは2001年になってからです。そこには20何年間という時間がかかっています。それは公立病院がゼロということで、民間の保険診療していない自由診療の特殊な病院はまだ残っています。

 また、全く病院がなくなったわけではなくて、総合病院の中に精神科の入院ベッドを作るということが法律に盛り込まれています。総合病院はまず15床くらいの入院施設を作らねばならない、としています。これらは短期の入院患者のためのものです。これは多分すぐ満杯になってしまうだろうと思って今回この様子を見に行きましたが、意外にもそんなことはなく、地域のグループホームや福祉ホームに当たるような施設で、生活しながら外来や訪問を受けながら過ごしている方が多く見られました。

 ただ、そうした箱物を作って地域で診るといっても様々な問題は発生します。それらのことを比較的うまく処理しているのが、日本でも知られるトリエステという町です。ユーゴスラビアとの国境の町です。アドリア海に出るにはそこを通らなければならないという交通の要衝です。それゆえイタリア政府から優遇を受けていて、例えばガソリンの無料頒布があるなど豊かな町です。従って福祉でも充実しておりまして、地域のネットワークが作られていることなど特殊な町ゆえに成功したところです。

 ここで熱心な地域医療者がおりましたが、退院するには予想される不測な事態に対応して患者さんが積極的に身のこなしができるように入院中からトレーニングをしたということがあります。例えば、再入院にならないような自己管理のコツとか、市民生活のルールが比較的守りやすいような退院前の訓練を行いました。退院後は往診のシステムがありますから、困ったことがあれば応援に行けるというようなことから成功しました。しかし全体でみれば、必ずしも成功したと言えない地域もあって、中には退院した患者さんが公園にいるとか、ストリートピープルになってしまった例もあります。

OTP(統合型地域精神科治療プログラム)の採用

 そんな中でOTP(統合型地域精神科治療プログラム)というイワン・ファルーン先生が行っていたシステムがあります。ファルーン先生はイギリスで地域精神ケアを行っていました。地域の中で多職種の包括的なチームがどのようにしたら精神官サービスを展開できるかといういろんな技術を作り上げてきた先生で、薬物療法から認知行動療法まで幅広い治療のパッケージを持っています。それは私たちがまとめた「リハビリテーションワークブック」とか「精神科地域ケアの新展開」の中で説明しています。

 やはり精神科病院を維持するよりは地域でケアしたほうが経済的にも安く済むということが国を動かす大きな理由です。病院は学校と同じで箱もの(建物)に結構お金が掛かるんですね。例えばお風呂を沸かすのにボイラーが必要ですし、ボイラーはボイラーマンを必要とします。給食も同じです。病院は医療サービスのほかにそうした部分に非常に大きな支出があります。それを地域でケアすることになると、そういう部分が省略することができますので、医療面でどんなに手厚いサービスを展開しても病院での入院医療費よりは安く済むのです。イタリアではこうした理論を元に当初はいかに現実化していくかが模索されていました。

 今回、私がイタリアに行きましたのはコモという町で、ミラノからさらに北に向かってスイスとの国境近くの山あいの町です。コモ湖という湖で知られ、きれいで小さな町です。富豪の別荘が多いのと元々シルク生産が盛んで、繊維の町でもあります。人口50万人くらいの県です。そこの精神保健センターがやはりOTPを採用しておりまして、そこでどのような展開がなされ、実施されているのかを見学してまいりました。

 ヨーロッパでは脱施設化が50年くらい前から行われてきまして、現在は「早期発見」にもっぱら研究の目が向けられているという状況があります。それはコモでもミラノでも自治体が予算をつけて推進しているのが、脱施設化ではなく早期発見でした。先ほどお話したキャッチメントエリアというのがこうした早期発見でも威力を発揮しています。
 
 内科など一般開業医の先生が精神科の知識をある程度身につけて頂いて、地域で何か問題があったら近くのまずその一般開業医を含めた医療機関が治療に結び付けるということで、早期発見を現実的なものにしているということです。日本で言えば地域生活支援センターのような施設も医療機関と複合的な関係をもって、OTPなどによって早期発見、あるいは再入院防止のための一役を担っているという状況もあります。

イタリアの事例と日本との場合

 私たちが今回イタリアに行ってみて感じることは、20年かけて法改正したり、地域を整備したりすることによって脱施設化に取り組めば、精神科の入院治療は無くすことができる、ということを実感したことでした。そして私たちが今回行ったのが6月でしたが、9月には同じコースを精神科病院協会の若手の医師たち30人ほどが回ってきました。

 この方たちの問題意識は日本でもやがて地域医療が展開されるだろうということで、それは7万2千人の社会的入院をなくすという方針と同時に国が現在の入院治療を持ちこたえられないという切迫した問題がありまして、福祉介護に移行していくことがほぼ決定的になっていることを踏まえて、これからは地域の中で診ていくに当たって、自分たちの病院が抱える病床をどのようにダウンサイジングし、地域型の医療に変えていくか、を考えてきたものと思われます。つまり、日本においても脱施設化、地域医療への移行は顕著な数字には表れていませんが、しかし、水面下ではその必要性やメリットが関係者の間には浸透しつつあります。

 しかし、そうした時にイタリアのモデルが全面的に正しいものかといえば、それは別問題となります。その一つは「地区割り」で診て行くのは問題があります。例えば今「ACT」という訪問型治療がいくつかの施設で取り組まれておりますが、そのやり方には「いいACT」と「悪いACT」があります。悪い、というのは患者の所に行って注射して帰ってくるだけというのもあります。これから様々な医療形態のサービスが出てくるでしょう。利用者に対して選択肢が増えることは間違いありません。

 そうした時に、利用者は自分のタイプに合ったサービスを受けることが必要になります。ですから、利用者もそうした知識を持って選んでサービスを受ける時代になると思います。それは物を買うときと同じです。皆さんも物を買うときは店頭でその品物が自分に合ったものか、それが正しい買い物か検討すると思いますが、医療を受けるときも同じようなことになると思います。

 そうしないと、いままで精神科のサービスというのは、外国の精神科病院と比べると確かにお金がかかっていて、設備も整っているといえるものです。しかし、そうしたことが果たしてこれからの時代にどんな風によりコンバチブルなもので、新しく上がってくる科学的エビデンスを取り入れたものとして、地域の中で根付いていけるのかが問われている。いま時代の変り目にあることを感じております。

 この間の蓄積と日本風のいいものはいいものとしてありまして、例えば法律改正で強制的な治療に関して、かつては往診にいって、注射をして寝かして病院に連れてくるということがありましたが、それに対しては医療者側も大きな反省がありまして、国も法律を変えて対応してきたという経緯がありました。こうしたことはかなりの努力をして改善してきたものです。ところが、ACTのような訪問診療というのは、一歩間違えるとその再現になるような場合もあります。ですから、ようやく乗り越えたものが簡単に「訪問診療はいい」ということだけで考えますと時代の逆行になりかねないこともあります。

 ですから、外国の名前のついたものというのは、その地域ならではのカルチャーの中で育ってきたわけですから、果たして、日本の文化に合うものであるかどうか、よく吟味して、充分修正して日本風の医療として完全に消化して定着させていくことが実は大事なことです。それには時間が必要だろうと思います。

最後に

 日本が行おうとしている精神病床を削減してどんどん地域でというのは、かなり経済的な理由で急いでいるものです。退院させることをどんどんやろうとするのは、急性期の患者さんを診る事ができないのです。急性期の患者さんを診られないことは新しい患者さんを受け入れられないということになります。それは病院自身の老化につながっていくというもので、病院としては頭を抱えている問題でもあります。

 だからといって、地域の医療というものも、輸入版のものをいきなり持ってきて、こういうサービスがあるからやってみましょうということでは消化しきれない部分が残ります。日本の病院がこれまで培ってきた技術が、充分活かせないという問題が残ります。ですから、これから日本はそれをどういう形で根付かせていくのか、という課題だろうと思います。

 10月には世界社会精神医学会が神戸で開かれますが、精神医療サービスとかシステムの問題について議論する場が日本で開かれたり、こうしたところに海外から地域医療の専門的な先生方が来て、いろいろコメントされると思います。このような世界的な動きがある中で病院もこれから変っていこうという認識が高まってきています。そして、地域にだいぶ診療所が増えて来ています。ですから、この場面というのは非常に大事な時期ですので、家族会の方々もいろんな形で望むべき医療のあり方とか、サービスのあり方について意見を述べるべきだろうと思います。とりあえず私のイタリアの地域医療を見てきての感じたことは以上のようなことです。

質問:イタリアが20何年前に精神科の入院病院を閉鎖した当初のきっかけはどんなことだったでしょうか?

先生:根本的な理由はその閉鎖何年か前にバザーリアという精神科医がおりまして、その先生が先ほど話にも出ましたトリエステという町の精神科病院の院長に就任しまして、その病院のあり方を見て、入院患者の人権について問題があると感じられて、ある種草の根的市民運動の精神医療の改善運動を始めました。それが後に政治的な運動となり民主精神科連合という政治組織にもなって、議員を生み出したりするなどして運動が広まっていったという歴史的背景がありました。ですからトリエステという町は先ほど経済的、地理的な面でお話しましたが、もともと民主化の発祥の地でもあります。   

 これがきっかけとなって、イタリアの入院病院の閉鎖ということにつながっていったという経緯がありました。

質問:でも、当事者が働くコープのようなものは充実しているということですか。

先生:トリエステにはコープがたくさんあって、ここには政府から支援金が与えられていますから市は雇うことができます。

質問:地域密着型の医療といいますが、当事者とお医者さんの関係はそのままで、ただ病院から出ただけのものなのか、それとも当事者とコミュニティとが結びつくとか、自助グループが生まれてそういう組織と生活するような地域密着型といえる具体的な医療なのでしょうか。

先生:医師以外の職種の方の活動が非常に高いといえます。それらの人たちがいろんな工夫をしています。それから多職種といわれる人たちの活動が盛んです。それによって地域の中でのネットワーキングが作られている。それで地域の中で診られている、ということですね。

 診察時間が長くなったとか、診察回数が増えたということではないと思います。医師が増えた、ということでもありません。それよりも他職種・精神科医以外の職種の人がいろんな活動性とか能力を高めている、ということだろうと思います。

 例えばリハビリテーションですとか、あるいは訪問にしても主役はOT(作業療法士)とか看護士とか、ケースワーカー、そういう方たちが頑張っています。また、そういう人たちが情報を持っています。そういう方を通して核家族には情報が入ってくるという印象です。

質問:精神病院を廃止したことで、それまでそこにいた精神科医の先生方は別な一般科目の病院に配置転換ということになるわけでしょうか。

先生:そうです。そのほかに地域の精神保健センターに配置転換になって、そこから訪問診療に出かけるというケースもあります。

(紙面の都合でこの辺で終わります)

フレンズ・当事者の講演記録CD・第3弾

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森元美代治さんの証言

 ハンセン病体験者から学ぶ「偏見」問題。周囲はおろか家族からも「死んでくれたらいい」と言われながらも生き抜いた、その生きる原点は何なのか?涙ながらに語る森元さんの言葉は私たちに「人の良心」を教えてくれているようです。

頒価 ¥1,000 (送料¥200別)

申込 フレンズ編集室
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編集後記

 師走といっても暖かい日が続く。暖房費の節約にはいいが、何か気持ちが悪い。今年1年振り返ってみると天変地異は並ではなかった。台風の数、浅間山の噴火。そして新潟中越地震。アザラシが日本の川を遡り、オーストラリアでは鯨が何百頭も浜に打ち上げられている。地球上の自然が狂い始めている。この暖冬も目に見えない天災なのだろうか。 

 この自然の変化と歩調を合わせるが如く、水野先生の講演の最後に、「精神医療の世界が大きな変化を見せ始めている」というお話があった。たしかにそれは家族としても肌で感じ始めている。その原動力の一つにインターネットが上げられよう。家族が世界中から情報を集め、文献を調べる時代である。かつて「不治の病」とされた精神障害も、いまそれを言う医師も関係者もいなくなった。もしいれば、その人物が今浦島を自認しているようなものである。

 私個人の「今年の流行語大賞」は何か?と問われれば、まず「変化」と答えよう。特に有名人が発した言葉ではないが、世の中のあらゆる分野で「変化」が起きている。ただ、それが必ずしも「いい変化」ばかりでなく「悪い変化」も起きているわけで、一概に喜べないが、しかし、精神医療の「いい変化」には期待したい。

 先日、私と当会会員が若い医学生の自主ゼミで「精神障害者を抱える家族」という話をしてきた。医学生たちの真剣な眼差しと積極的な質問を受け、暗い話題が多い歳の瀬に何か明るい希望が見えたようで、気持のいい講座体験であった。ここには「いい変化」があった。